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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

3月9日・アメリゴ・ヴェスプッチの数字

2014-03-09 | 歴史と人生
3月9日は、推理作家、ミッキー・スピレインが生まれた日(1918年)だが、探検家のアメリゴ・ヴェスプッチの誕生日でもある。南北アメリカ大陸の「アメリカ」の名の由来である。

アメリゴ・ヴェスプッチは1454年、現在のイタリアのフィレンツェで生まれた。父親は公証人だった。画家ボッティチェルリが子どものころのアメリゴを描いた絵があるという。
叔父にラテン語、ギリシア語、文学、地理学を学んだアメリゴは、大使の秘書官としてフランスに赴任したり、執事になったりした後、37歳のとき、イタリアのメディチ銀行の代理店の監督として、スペインのセビリヤへ赴任した。
43歳のとき、スペイン国王が派遣した西インドへの航海探検隊へ参加するよううながされ、ヴェスプッチは船に乗り込み、大西洋をカリブ海へ向けて船出した。
クリストファー・コロンブスが最初の航海で西インド諸島にたどり着いたのが1492年。その発見の報告をヨーロッパへもたらしたのが翌1493年で、ヴェスプッチたちの探検隊が出発したのは、その4年後だった。ちょうど、コロンブスが3度目の航海に出たころだった。

アメリゴ・ヴェスプッチは、カリブ海沿岸を探検した後、いったんスペインへもどった。そうして、45歳のときにふたたび探検隊の一員として船出し、今度はカリブ海から南へ下り、南米大陸のブラジル北岸の探検をおこなった。
47歳のとき、3度目の探検に出たヴェスプッチは、南米大陸を東岸に沿って南下し、南緯50度の寒い地域まで到達し、引き返した。
ヴェスプッチは49歳のとき、4度目の南米探検に出たが、このときは、さらなる南下は試みなかった。
そのころ、ドイツの地理学者ヴァルトゼーミュラーが、新大陸の入った世界地図を収録した本を出版した。そのとき著者は、53歳だったヴェスプッチに敬意を表して、新大陸に「アメリカ(アメリゴのラテン語形)」と名付け、これが定着した。
4度の新大陸航海を終え、帰国したヴェスプッチはスペインの官吏を務めた後、1512年2月、スペインのセビリヤで没した。57歳だった。

アメリゴ・ヴェスプッチがもたらした数字「南緯50度」は、当時のヨーロッパにとって衝撃的だった。というのも、同時代のアジアやアフリカへの探検によって、
・アジアの最南端は、マレー半島の北緯1度。
・アフリカの最南端は喜望峰付近の南緯34度。
ということがすでに知られていたからである。アジアやアフリカの大陸よりも、さらに南まで延びている新大陸があることが、緯度によって示された。

自分はアメリゴ・ヴェスプッチの名は子ども時分から知っていたが、彼がそこまで南まで達していたとは、ごく最近まで知らなかった。南緯50度というと、南米大陸のかなり端に近い。そんな大昔に、大洋を渡って未知の大陸へ4度も行って無事帰ってきたというのは、たいしたものだと思う。

ヴェスプッチは新大陸で見た人々について、こう言っている。
「彼らは王様や政府をいただかず、それぞれが自分の主として生きている。教会や宗教や偶像崇拝をもたない。なんと言えばいいのか、彼らは自然にしたがって生きていて、禁欲主義者というよりはむしろ快楽主義者と呼ぶべきかもしれない」
コロンブスは野蛮人だったが、ヴェスプッチは科学者だったと思う。
(2014年3月9日)


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