上田三四二の斉藤茂吉批判 2019-02-01 17:32:56 | 短歌 上田三四二は、 歌人としてだけでなく、 歌論、評論も書いた。 「斉藤茂吉論」 は、そのうちの傑作であろう。 茂吉の精神のみならず、 肉体的な側面迄、 徹底的に明らかにしている。 医師としての目から、 茂吉の病的な身体的状態まで、 徹底的に分析したあげくに、 茂吉の文学は、 精神でなく 肉体に発するのだ、 と結論付ける。 本人の作品にも、 歌論の影響がみられる。 なお、 塚本邦雄 岡井隆 をも、徹底的に糾弾し、 歌の歴史に大きな意味をもたない、 と切り捨てるのである。
医師をなりわいとする歌人 2019-01-31 21:45:01 | 短歌 歌人と言っても、 歌だけで食っていっている人は、 少ない。 たいてい、 べつになりわいを持っている。 代表的なのは 斉藤茂吉で、 精神科医であった。 ほかにも、 内科医師であった 岡井隆 上田三四二 など、 医師を務めながら 短歌を作った人は多い。 あとは、 サラリーマン、 大学教授 主婦 などに多い。 現代のような忙しい時代に 短歌などやる人は よほど暇なのだろうと思っていたが、 調べてみると、 上述のようなことがわかった。
明治天皇の御製は9万3千首 2019-01-29 20:55:43 | 短歌 明治天皇も、多くの短歌を残された。 総数9万3千首と言われる。 晩年は糖尿病をかかえながら、 長寿をまっとうされた。 その偉大さは、 後世の語り草である。 御製を、3首挙げてみる。 ……… あさみどり澄みわたりたる大空の広きをおのが心ともがな 世の中の人におくれをとりぬべしすすまむときに進まざりせば ならび行く人にはよしやおくるともただしき道をふみなたがえそ
子どもに語り掛けるおかあさん~小島ゆかり~ 2019-01-28 22:03:17 | 短歌 母にとって、子どもは無上の宝である。 なんとか、「善く」生きてほしい。 あまり大きなことを要求するのではない。 健全な子に育ってほしい。 そんな思いを持つ 小島ゆかりの歌。 そんなにいい子でなくていいからそのままでいいからおまえのままがいいから 他にも、 こんな歌がある。 渡らねば明日へは行けぬ暗緑のこの河深きかなしみの河 らっきょうの上に泪のつぶ落ちてらっきょうは泣くわたしのごとし
歌人永田和宏の母親役?河野裕子 2019-01-26 18:29:37 | 短歌 歌人永田和宏と河野裕子とは、 短歌界のおしどり夫婦であった。 河野裕子が64歳で亡くなるまで、 夫永田和宏は、 京大医学系等の教授であったから、 様々な医学系の賞をとった。 そのたびに、 河野に報告する。 褒めてくれる。 それがうれしくて仕事に励んできたような ところがあった、 と永田は告白している。 素人にわかることではないのだが、 とにかくほめてくれたそうである。 同様に、 歌人として賞をとったときも、 褒めてくれる。 これも、たいへんうれしかったという。 実は、永田和宏は、 2歳にして母を結核で亡くし、 母の思い出はほとんどない、という。」 それゆえ、よけいに 妻の言葉がうれしかったのであろう。 男は、女性に褒められるのを 喜ぶものではあるが、 永田和宏ほどに妻の誉め言葉を喜んだ人は、 珍しいと思う。 河野裕子は、 子どもたちに 「お父さんは寂しい人だから、大切にしなさい」 と、常に言っていたそうである。 永田和宏さんは、 妻を亡くした今、 だれに褒めてもらうのがうれしいのだろうか。
父という場所~小高賢の歌~ 2019-01-25 21:36:02 | 短歌 森鴎外の生涯をえがいた評論に 「闘う家長森鴎外」がある。 明治お時代の父として、 絶大な影響を与えた森鴎外。 医師として 官僚として、栄華を極めた。 家庭では、 家長として、君臨。 圧倒的的な力が、 家族を従わせる。 現代ではどうだろう。 すっかり父親の権威は落ちてしまった。 それでも、何とか父らしい父になりゆく時間がある。 小高賢に次のような歌がある。 平成の時代にも、 なんとか家長として、 その存在を証明したいのだ。 ……… 雨にうたれ戻りし居間の父という場所に座れば父になりゆく 鴎外の口ひげにみる不機嫌な明治の家長われらのとおき 暴力は家庭の骨子ーー子を打ちて妻を怒鳴りて日々を統べいる
宮柊二は、専任歌人となったが…… 2019-01-23 20:12:09 | 短歌 歌人は多い。 しかし、短歌のみを生業とする人は少ない。 斎藤茂吉は精神科医だったし、 上田三四二は内科医だった。 それに対し、 宮柊二は、40代まで会社勤めをした後、 退職して、新聞の選歌や雑誌の稿料で 生活するようになった。 歌誌「コスモス」を切り盛りしたのも 有名な話である。 戦時中の体験が、 そのもととなっており、 今でも「山西省」は、 戦争文学として、 高く評価されている。 宮柊二の作風は、 徐々に変わっていくのだが、 人生の航路にしたがって、 少しずつ変化していく。 戦後の、宮柊二の歌も好きである。 戦前では、 北原白秋、 島木赤彦 等が、文学だけで生活した人たちである。 宮柊二の歌が、しんしんと聞こえてくるようだ。
老いらくの恋~川田順の歌~ 2019-01-21 10:13:22 | 短歌 川田順は、 住友本社常務理事、 芸術院賞受賞、 皇太子の作歌指導、 といった華々しい活躍をした。 退職後は、 妻に先立たれ、 京都で歌人として、 「新古今集」の研究をしていた。 ところが、 その頃、 京都大学教授の妻 鈴鹿俊子との恋に走ってしまった。 そのため、自殺未遂を起こし、 「老いらくの恋」として有名になった。 俊子は離婚し、 2人の生活が、 神奈川県国府津で始まる。 67歳の時、 俊子は27歳歳下である。 この頃次のような歌を作った。 ……… わが夢は現となりてさびしかり田舎のすみかに枕を並ぶ ……… 「枕」となっているのが よく効いた。 「床」としたら、 身体性がつよくなりすぎるであろう。
職業歌人は存在するのか~宮柊二の例~ 2019-01-21 09:44:46 | 短歌 歌人は、どのくらいいるの? と、聞かれたことがある。 歌だけで食べている人は、少ない。 他の職業をもちながら、 専門家人としても活躍する、 というのが、普通の例である。 サラリーマン 大学の教師 高校教師 一般に、教育者 技師 医師 等、多様である。 戦前には、 北原白秋 斎藤茂吉 正岡子規 与謝野鉄幹 等がいた。 歌だけで生活していたのは、 北原白秋 与謝野鉄幹 正岡子規 生業をもっていたのは、 医師の 斎藤茂吉 戦後は、 岡井隆 上田三四二 塚本邦雄 馬場あき子 永田和宏 宮柊二 等。 このうち別に生業をもっていたのは、 岡井隆 上田三四二 塚本邦雄 永田和宏 宮柊二 坂井修二 等 岡井隆 上田三四二 は、医師であった。 永田和宏 坂井修二 は、大学教授。 宮柊二は、 戦後、富士製鉄に勤めたが、 昭和35年、48歳で退職し、、 新聞の歌壇選者 として、新聞、一般雑誌,歌誌 等の稿料で生活した、 多くの歌人は、 生業をもちながら 歌を作った。 生業は、多様である。
なぜ短歌や歌人評伝を読むのか 2019-01-19 10:30:04 | 短歌 短歌や歌人評伝を読む意義は? 古典和歌を読むと、その時代の問題が良くわかる。 歴史学の本より、真実をつかめることが多い。 政治史や経済史、民俗学を学んで、 ある時代を分析することはできる。 しかし、そうすると抽象的な理解に頼ることが多くなる。 それに対し、 歌集を読むと、その時代の雰囲気や 時代を生きた人の感覚がうつされており 学問を修めるだけではわからない事実が 多く、わかってくるのである。 歌人には、 貴族、支配階級の人、庶民などある。 明治以降、作家に庶民が加わるようになった。 古今集の時代は、 貴族の間で、 技巧を凝らした歌が多く作られた。 ただ、4人の選者は社会的に恵まれていたとは言えない。 紀貫之など、あまり出世しなかった人たちである。 新古今集の時代の選者6人も、 そういう意味では、傑出していたとはいえない。 明治以降、 正岡子規らにより、 短歌は革新された。 庶民も詠むようになった。 そうした歌や歌人の評伝から、 時代と歌人のかかわりが見えてくるし、 具体的な生活・時代の思想が いきいきと伝わってくる。 現代の歌を読むと、 おもしろい視点に気づかされたり、 普段意識しないことを発見したりする。 そうしたことが、 短歌や歌人の評伝を 読んでいくことの楽しみに繋がるのである。
地域の短歌サークルの新年会~その話題~ 2019-01-16 19:03:17 | 短歌 地域の短歌サークルの新年会に参加した。 6名の参加で、 11時から始まった。 初めての参加だったので、 短歌の話ばかり出るのかと思ったら、 そうではない。 斎藤茂吉 北原白秋 宮柊二 河野裕子 与謝野晶子 永田和宏 などの話で盛り上がるのかと思ったら 日常の話ばかりだった。 ただ、さすがに歌を歌う人ばかりで 品が良く、 3時間の間、悪口は、ひとことたりともでなかった。 同人の一人が、 本を出版したのだが、 メンバーがその紹介をした。 内容とともに、 表紙の美しさや レイアウトを、 上手に紹介する。 「こういうふうにほめればいいのか」 と、感心した。
短歌の英訳~サラダ記念日~ 2019-01-15 11:48:52 | 短歌 最近は、短歌が英訳されることも多い。 一番有名なのは、 俵万智の「サラダ記念日」の英訳である。 2首挙げる。 砂浜のランチ ついに手付かずの 卵サンドが 気になっている Pichic on the sand: that egg sandwich lying there Just lying there untouched. Suddenly I find it's been worrying me. 陽のあたる 壁にもたれて 座りおり 平行線の吾と君の足 Here we sit leaning your legs alongside may legs against a sunlit wall. See how your legs and my legs describe prallel lines.
渡辺松男の「滅多にみないテレビから」の歌 2019-01-14 18:10:33 | 短歌 次の句は、 短歌の隠喩の例として。 よく引かれる ごうまんなにんげんどもは小さくなれ谷川岳をゆくごはんつぶ 人間を、ごはんつぶに例えている。 人類全部を笑ってしまう、 ということもあが、 ユーモアに隠れた愛情も感じられる。 この、 渡辺松男が、 駅伝にかかわる歌を 28首にわたって詠んでいる。 リアルタイムの描写の中から、 5首を挙げてみる。 ‥‥‥ 二時間も走れる人を前方から見つづくることは普通にあらず 前方ゆみるマラソンはゆっくりと路のベルトが後ろへうごく シューズの色だいだい黄いろ白と青くくろもありたりシューズが駆くる これは生生とは云えどいろいろなカメラの位置に走る筋肉 走る選手を横から見るに速けれど上からみるにさほどではなき
岩田正のひょうきんな歌~晩年の歌風~ 2019-01-14 12:03:50 | 短歌 岩田正の晩年の歌は、 ユーモアにあふれていることで 有名である。 若い歌人が、恥ずかしくて上手に歌えないことを 次々に歌にしてしまう。 何時読んでも、 ほのぼのとした温かさが伝わってくる。 ‥‥‥ 餓鬼ぼくら女湯のぞけどあこがれの女の子にはちんぼなかった もらったので悪いと思ひ読むふりするわれにもたまにはくれたるティッシュ いまからでもおそくはないと半世紀前の初段は木刀ふるふ 作ってる耕してゐる売ってゐる無能無策の俺買ってゐる 屠られてきりきざまれてあまつさへ鮪は怨念すらも食わるる
追求する歌心~岩田正~ 2019-01-14 11:41:24 | 短歌 岩田正の歌には、 写生と叙情がバランスよく含まれている。 多くの歌人が、評価するゆえんである。 1首目は、 母を歌うもの。 年を経るにつけ、その感慨は、 身に沁みる。 老境に至っても、 感謝の念が消えることはない。 2首目は、 見た儘を詠んでいるが、 細かな描写が光る。 3首目は、 妻を詠んだ歌。 「背」を見ればさびしく感じられるものだが、 妻の背はいっそう実感をもって歌われる。 4首目は、 相撲観戦の記。 ひょうきんな味がある。 5首目は、 日常の中から 一場面を切り取った歌。 ふだん、何気なく鳴っている音に気づく。 ‥‥‥ 在りし日もかなしと思ひ死してなおかなしかりけり母といふもの 花分くる花圃のをとめの指の先たれよりもいま美しき指先 見送るは背なをみることひとの背はさびしく愛しまして妻の背 抱き合ひて落下をしたりそのままにしていけばいいに軍配上がる オヤ遠き祭りの音がきこゆると冷蔵庫の音に耳をすませり