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いい日旅立ち

日常のふとした気づき、温かいエピソードの紹介に努めます。

海軍の奨励した将棋

2019-06-04 21:18:16 | 思い出の詩


提督山本五十六の将棋好きは有名であった。
棋譜をみたことはないが、
猛烈な攻め、要所での的確な受けが光る将棋だったろうと推測する。

戦前、戦中の海軍では、将棋が勧められた。
戦術、戦略を鍛えるのによい、というのである。
海軍士官の間で、将棋は愛されたようだ。

江戸時代にも、庶民がさかんに指していたという記録がある。
また、昭和の時代、木造、縁台付きの家で、
多くの人が「縁台将棋」を楽しんでいたのも有名である。
海軍の出身者もいたろうし、純粋な将棋愛好家もいたろう。
庶民の娯楽として、たいへん貴重なものであった。
昨今の将棋熱はほんとうに盛んだが、
こういう歴史をもつのが、将棋と言うゲームなのである。


























米内光政③~柔道の猛者~

2019-06-01 19:40:49 | 思い出の詩


これまで2回にわたって元首相の米内光政のことを書いた。
米内は、長身長躯で、茫洋とした人であったらしい。
いつも黙って、ニコニコと職務を遂行する。
ただ、めったにないことだが、ほんとうに怒ると
たいそう恐ろしかったらしい。
515事件があったとき、
海軍トップは、末次という将官であった。
あるとき、
米内と末次が衝突した。
末次は威勢のいい男で、
515事件の若手将校もずいぶんたきつけたらしい。
そのこともあり、
酒の上での口論の末、
米内が、末次の胸倉をつかんだ。
末次は、何も抵抗せず、すごすご引き下がったそうである。
米内が、柔道の猛者であることを、
よく知っていたのだ。





















甥に第2子生まれる

2019-05-24 21:23:24 | 思い出の詩


甥に、第2子が生まれた。
女の子だそうだ。
兄が早逝し、子ども同様に思っていた甥の子だから、
誕生は、ほんとうにうれしい。
こういう感情は、自分にしかわからない。
甥夫婦は、どんなにかうれしいことだろう。

ところで、
世の中で長いこと生きていると、
不条理なこと、
悔やみきれないこと、
それらに、次々と襲われる。
愚痴をいいたくなるが、
運命は、受け入れるしかない。
あとは、黙って、耐える。
みんな、そういうことにまみれながら
生きているのだろう、と想像する。

こうして、人間の営みは、
人智の及ばないところで、
進行してゆく。
信仰があれば、もっと楽なのかな?
























佐伯昌優九段将棋サロン~令和第2回~

2019-05-23 22:23:43 | 思い出の詩


佐伯昌優九段将棋サロン、令和第2回が行われた。
前回お休みだった佐伯昌優九段が元気に講義された。
本日は、6枚落ち定跡。
定跡と言うものは、よくできていて、
「なるほどこれなら、下手でも勝てる」と思わせる。
第1手から、流れるように進み、下手有利から、
勝勢となる。
平手を指し慣れている者にも、参考になる。
ところで、すでに30年前に有段者であったわたしが、
森七段(現在)に、6枚落ちで教わったことがある。
見事に負かされた。
定跡を覚えたから、
次回、もし指したら、
勝てるかもしれない。

ただし、講義の後、
生徒から、
「6枚落ちの定跡を知っているのに先生に勝てないのはなぜですか」
という質問があったが、
先生は、ただ、笑っておられた。
その理由、あなたにはわかりますか?(笑)


























山本五十六~悲劇の元帥~

2019-05-10 23:08:58 | 思い出の詩

これまで再々述べたように、
山本五十六は、米との戦争を回避しようと、
八面六臂の活躍をした。
在米武官の時代、
海軍省次官の時代、
最大限の努力をして、
米との講和を求めた。
しかし、時代の流れに流され、
隠れ非戦論者でありながら、
連合艦隊司令長官に補されて、
やむなく戦端を開いた。
早期終結、
日本は、占領した地域を全部返して、
講和へ、というのが、彼の主張であった。
しかし、時代がそれを許さなかった。

最期は、督戦の名目で
戦場の最先端へ、
飛行機を飛ばした。
このとき、山本五十六は、自分が乗った飛行機が、アメリカに追跡されていることを知る立場にあった。
切腹の代わりに、敵の弾を受けて死する、という判断をしたのであろう。

さんざん戦争に反対の意見をもちながら、
それが実現できないまま、
連合艦隊司令長官に補されてしまったのは、
歴史の皮肉である。
今でも、山本五十六ファンは多い。












































対局日誌76~しのちゃんとの対局①~

2019-05-09 22:36:09 | 思い出の詩

令和最初の佐伯昌優九段将棋サロンで、
しのちゃんと当たった。
独特の戦法を持った人で、
ツボにはまると、えらいことになる。
今回は、オーソドックスな中飛車できた。
と、思うと、
するする穴に入ってしまった。
角得になり、歩を使ってゆっくり指せば勝てる将棋に。
しかし、しのちゃんの攻めが止まらない。
持ち駒は少ないが、桂、銀で締め付けてくる。
盤を大きく使って、切らそうとしたが、
自軍の駒がばらばらになり、
敵の穴熊がそのまま残ったまま、
詰まされてしまった。

まあ、ご愛嬌ということにしておきましょう(笑)
























令和元年最初の佐伯昌優九段将棋サロン

2019-05-09 22:16:38 | 思い出の詩
令和元年、最初の佐伯昌優九段将棋サロンが行われた。
出席は23名。
令和第1回のトーナメント大会。
3グループに分かれ、駒落ちの勝ち抜き戦。
Kさん、Mさん、Tさんの3名が優勝。
フリー対局では、K弐段との対局。
「トーナメント大会は終わったから、平手ですよ。」
と言ったが、
「飛車落ちです。」
と返事され、飛車を落とすはめになった。
苦労して勝ったが、疲れた。
終了後、茶話会がある。
11名の参加。
ひとりを除き、65歳以上である。
レストランで、のみもの無料の夕食。
デザートのみ頼む人もいる。
多様な仲間で、将棋の話題中心に話が弾む。
将棋と言うツールを通じて、
何も関係のなかった人々が、
共通の土俵で楽しむことができる。
将棋の内容、個性の話、
人生にまつわることども。

毎回、楽しく参加している。









































河野裕子と永田和宏の相聞歌

2019-05-03 22:26:15 | 思い出の詩


河野裕子が早逝したため、
河野裕子と永田和宏の相聞歌は、一方的に永田の歌の中に
読み込まれるようになった。
壮絶な闘病生活を送っていたため、河野が書き、
その歌を家族が口述筆記をしたこともある。
……

この人を殺して吾も死ぬべしと幾たび想ひ幾たび泣きし

河野の余命は、乳癌末期で、あと1年。
本人も医者も、永田も最期をいかに看取るか考えていた。
上の歌にもあるように、永田は、見送る悲しみ、
妻の死後のことまで想像し、悲しみにくれる。
「この人を殺して自分も楽になりたい」という思いは、常にあったろう。

……

生きてゆくとことんまでを生き抜いてそれから先は君に任せる
                          河野裕子
生き抜いてその後を我に負かすとぞ歌いしその後をいま生きており
                          永田和宏   
































短歌日誌①

2019-05-03 21:43:45 | 思い出の詩

短歌を作り始めて1年になる。
いつの間にか、250首詠んでいる。
うまいへたは別として、歌をつくって、心癒されることが多い。
……

赦したし障がいゆえの物言いに 思わず答へて錐でもまるる

涅槃にて睦びあうらむ父母と兄 遠いあの日の哀しみ超へて

たまきはるいのちのさきのたゆたいのむねのなかなるふゆのゆき雲

ひえびえと海の白浜よせる浜 吾妹ありせばなにをか言はん

「あいちゃん」とリアルの人に加ゑるにフェイスブックに「あいちゃん」ひとり



















短歌日誌①

2019-05-03 21:43:45 | 思い出の詩

短歌を作り始めて1年になる。
いつの間にか、250首詠んでいる。
うまいへたは別として、歌をつくって、心癒されることが多い。
……

赦したし障がいゆえの物言いに 思わず答へて錐でもまるる

涅槃にて睦びあうらむ父母と兄 遠いあの日の哀しみ超へて

たまきはるいのちのさきのたゆたいのむねのなかなるふゆのゆき雲

ひえびえと海の白浜よせる浜 吾妹ありせばなにをか言はん

「あいちゃん」とリアルの人に加ゑるにフェイスブックに「あいちゃん」ひとり



















対局日誌74~地域の宝との対局~

2019-05-03 20:12:23 | 思い出の詩


地域の公民館での対局。
相手は、H四段。
Hさんは、93歳、期歴85年。
今でも、バイクで移動される。
地域の有力者で、地元将棋界の宝である。
Hさんに、
「1局指そう」といわれただけで、
ありがたくて、舞い上がってしまうのだ。
それでいて、傲岸なところは、微塵もない。

1局、所望された。
ならば、と、相手得意の矢倉に飛び込む。

こちらは、得意戦法の変形右四間飛車で臨む。
しっかり組まれて、がっぷりよつ。
こちらは、78金、68銀、58金に69玉の形で対応。

34銀、44歩と攻め込んでいる。
相手は、飛車角交換を挑んでくる。
相手の狙いは、飛車角交換のあと、
39飛車で銀をただとりする狙い。
それを避けるため、43銀成と攻め込む。
攻撃が功を奏して、
115手目に飛車を切り、部分的な必至をかけた。
そこから、凄い将棋になった。

グングン攻めてくる相手に、
入玉を果たす。

このあたりから、
Hさんが本気になっているのがわかった。
5分、10分と、長考してから攻めてくる。

結果は、151手で私の勝ち。
帰ってから、最初から151手めまで、すべて並べてみた。
わたしの60年の棋歴のうち、
もっとも優れた名局となった。
































































対局日誌74~やまと王将にて~

2019-05-02 20:31:12 | 思い出の詩



なにやらかにやらで、
いきつけの道場、やまと王将から足が遠のいていた。
まあ、事情はありまして。
友人と2人で、大和へ。
ここは、駒落ち道場で、席主が信頼されている。
悪口は、寡聞にして聞いたことがない。
別の道場に行こうが、足が遠のかろうが
温かく迎えてくれる。
本日は、高段者Nさんとの1局。
矢倉の将棋となった。
「生きてたの?」
「スミマセン、生きてました」
という発言から、将棋は始まる。
この人は、よく話す人だが、
どんなに話しても、他の客は怒らない。
人柄だと思う。
話がそれた。
矢倉。
本格的将棋。
1手1手注意深く指す。
序盤は、腹の探り合い。
中盤は、駒得で有利。
終盤も、必勝の形となる。
しかし、ここからがNさんの持ち味。
詰めろ詰めろで迫ってくる。
玉を中段迄逃げ、
頓死筋を消し、
猛烈な攻撃。
あっけなく、投了を告げられた。
Nさん、久しぶりだから緩めてくれたのかな(笑)。



















































河野裕子の歌④~透徹した感性~

2019-05-01 22:18:31 | 思い出の詩

河野裕子は、54歳で乳がんに侵され、
10年の闘病生活を送る。
8年目の再発からは、
死と隣り合わせの歌を詠う。」

最晩年、家族への思いを切々と詠う。
……

食欲ももはや戻らぬ身となれば桶いっぱいの赤飯を焚く

軍手には一本ずつの指が入り土にも草にも馴染みて働く

襟足が美しいといひし君のこゑ抗癌剤は君のこゑさえ奪ふ

誰もみな死ぬものなれど一日一日死までの時間が立ち上がりくる
























山本五十六対小熊信一郎75番勝負

2019-05-01 20:27:56 | 思い出の詩


山本五十六が、ハーバード大学に留学していたころ、
同窓生に財界の小熊信一郎がいた。
あるとき、2人が将棋を指し、5番立て続けに五十六が勝った。
負けた小熊はいきりたち、
「こんなもの、ただの運だ」と言い張る。
ならば、と五十六も受けて立ち、
勝負の証文を出す。
「どちらかが倒れるまで指し続ける」
というもので、ハンコ付き。
2人は、邪魔に入られないところで
盤をはさむ。
友人がときどき覗きに来るが、
いつまでたっても終わらない。
結局25時間、75番戦ったところで、
遊びに来た友人の花札に誘われ、
勝負はお預け、花札の仲間にに入る。
小熊は、少しすると、
バッタリ倒れ、死んだように眠りこけたそうな。
引き分け。

すごいはなしじゃのう。































名歌鑑賞⑨~佐藤佐太郎~

2019-04-30 21:25:53 | 思い出の詩


佐藤佐太郎。
明治42年宮城県生まれ。
「アララギ」で斎藤茂吉に師事。
「歩道」創刊。
歌集「歩道」「帰潮」「開冬」など。
昭和62年没。

……

戦いはそこにあるかとおもふまで悲し雲のはての夕焼

敗戦後の日本人の気分を象徴している。夕焼けの中に「戦い」の存在を予感している。
昭和23年作だから敗戦後3年。2年後に朝鮮戦争が起きた。

……

薄明のわが意識にてきこえくる青杉を焚く音とおもひき

冬山の青岸渡寺の庭にいでて風にかたむく那智の滝見ゆ