時々雑録

ペース落ちてます。ぼちぼちと更新するので、気が向いたらどうぞ。
いちおう、音声学のことが中心のはず。

木村資生 『生物進化を考える』

2012年06月16日 | 読書録
ちょっと古い出版(1988年)。著者ももう鬼籍。でも、実は出版されてわりとすぐに買い、それから途中まで読んでは挫折。なぜかといえば、難しいから。3章くらいまではどこかで聞いたような話だけれど、4章あたりから重要な概念が、数式を交えて説明されており、そのあたりで「う゛...」となり、「ひと腰落とさねば」と思うものの他に読む必要があるものが出てきて後回し、というのを数回。しばらく放っておいたのですが、最近、教えている授業で集団遺伝学に関連する話が出てきて勉強したかったことと、数式が以前よりは読めるようになってきたこともあり、今回ついに読破。

実際、あるていどの数学的素養なり、背景知識がないと、さらっと読めるような代物ではないかも。私はところどころ、紙と鉛筆を取り出して、式の変形を確認したりして、理解に努めました。おかげで、淘汰と突然変異との関係とか、それらと、集団の大きさと進化のスピードとの関係とか、今までよりはきちんと理解する途がついた気がします。でも、まだ理解が及ばないところが処々。とくに著者が提唱した中立説の一部分は難くて、この本、もう一度読み直したほうがよさそう。一般向けに書いてはいるけれどそのために妥協した感じがそれほどなくて、内容的にもずっしり。今と違って、新書がもっと重厚な、本格派の読み物だったころの趣があります。

最終章でとても印象に残った一節がありました。人間の思考の精緻化は進化の結果であり、自己意識なども自然淘汰上有利なため出来上がったメカニズムに違いない、といった(至当な)考えに基づき、以下のように述べています。

「...「考える」ということは頭の中で行なう一種のシュミレーション(模擬実験)で、電子計算機を使って近年盛んに行われるようになった模擬実験に似たものである...自然科学の研究によって得られた「真理」とか「自然の法則」というものも、筆者には電子計算機を用いたシミュレーションの手法において、正しい結果を生むサブ・ルーティンに相当するもののように思われる」(p.265)

こんなふうに、ヒトの「思考」の結果は、どんなに精緻化しようとも、人間が進化の結果得た脳の働きにおいて作り出せるかぎりの計算過程で、外界で起こっていることをできるかぎり近似した結果に過ぎない、と考えるのは、学問を志す者にとって適切で、望ましい態度だと思われます。さらに、ここで筆者が引用しているのですが、これについて丘浅次郎博士という方がこんなふうに書いているそうです。

「哲学者などは自分の脳だけは絶対に完全であるものと認定して、思弁的に宇宙の真理を看破しようと頸を捻っているが、大脳進化の経路に照らし人類全部を総括して考えてみると、無知の迷信者も有名な哲学者も実は五十歩百歩の間柄で、もとよりその間に若干の相違はあるが、(中略)、絶対に完全なものでないという点においては、いずれも同じである」(p.266)

納得。もっとも、いまや哲学者だって、こんなふうに自分の仕事を捉えてはいないとは思いますが。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿