時々雑録

ペース落ちてます。ぼちぼちと更新するので、気が向いたらどうぞ。
いちおう、音声学のことが中心のはず。

あたらしいお父さん

2012年03月30日 | かぞく
最近、娘がときどき、おもむろに、

「今日から、お父さんが変わります!」

と宣言します。

「さて、じゃあ、新しいお父さんは!?」

とたずねると、私。(ワタクシ、「やったー!!」とリアクション) 今までは誰だったんだ。

また、「今日からお母さんが変わります」バージョンもあり、その場合も新しいお母さんは、嫁さん。「じゃあ、今までのお母さんは?」とたずねると、「えーと、おばあちゃん」

このように、問い詰めていくと破綻気味になりますが、ひょっとして「おとうさん」や「おかあさん」が関係というか立場というかを示すものであることを理解、あるいは発見したことの現われなのでは、と。いままでも、なにかの理解・習得が進んだとき、それを確認するかのように、しきりに遊ぶ傾向がみられたので。

もっとも、「今日はかえでがおかあさんね」と宣言して嫁さんに自分の役割を演じさせることなら、半年は前からやっていたので、最近初めて、「おかあさん」という立場を理解した、というわけでもないと思われるのですが、最近さかんにこれで遊んでるところを見ると、何か彼女の中で変化があったようにも思われます。


お父さんご指名、ありがとうございます。


エベレストで見られる地球温暖化の影響

2012年03月25日 | 
昨日もScience FridayのPodcastを聞きながら走りました。後半がエベレストについて。二人の科学者とConrad Ankerという登山家がゲスト。このあとすぐ3度目のエベレスト登山に赴き、高地での身体への影響の詳細なデータを採る予定、とのこと。会場のお客さんからの質問を受け付ける、というここのところ続けて放送しているシリーズ。以下のNPRのサイトに音声とトランスクリプトがあります。

Mount Everest Still Holds Mysteries For Scientists

その前半、本題に入る前に、ホストのアイラさんが「Just anecdotally」(厳密な研究結果じゃなくて、個人の体験として、というレベルでいいので、ということでしょうか)と断った上で、「地球温暖化の証拠は見つかるんですか?」と質問、答えは、全く確信に満ちたものでした。以下にその部分を引用します。

Oh, it is tremendous. How do mountains hear? It's with mountaineers. It's a silly little joke. But what we're seeing up there is scary and frightening. Routes that were climbed in the 1970s have melted away. The high-altitude cryosphere, which is the ice that holds these mountains together, is receding at an alarming rate, and we see it as climbers all over the place. And it's something that - it's our duty as climbers to come back and share this knowledge because it's happening for real. And if you play golf and you're in Kansas, it's in an artificial environment. But where we are, high-altitude and high-latitude areas are being affected by climate.

たいへん僭越ながら、和訳したいと思います。重要だと思うので。

ああ、すさまじいものです。「山に耳はあるか? 登山者が耳だ(うまく訳せませんが)」というのはただの冗談ですが、高山で目にするのは恐ろしい光景です。1970年代に登っていたルートは(みんな)融けて消えました。高地の氷雪圏、この氷が、山の地面を(崩落しないよう)保持する働きをしているのですが、これが驚くべき速さで後退しています。登山をすると至る所でこの現象を目にします。そしてこれは... 山から帰って見てきたことを知らせるのが登山者としての義務です。現実に起こっていることなのですから。カンザスあたりでゴルフをしたとしたら、そこは人工的な環境です。しかし、われわれが赴く高地は気候の影響を(もろに)被っています。

最近のPodcastで地球温暖化のことが何度か話題に上りました。米国で「地球温暖化は仮説の一つに過ぎない。それを支持するかしないか、理科の授業で議論させろ」という圧力をかける団体、生徒の親などがいて、理科の授業が非常にやりにくくなっている、というのが話題の焦点でした。自分たちの利益追求を妨げる動きに揺さぶりをかけ、阻止する有効な手段として、科学が標的になっているらしいのですが、Podcastに登場する科学者たちの意見を聞くと、もう地球温暖化は「議論の余地のない現実」というレベルのようです。上記のものも、「Anecdotal」ではあるのですが、他にも高地での変化は報告があるようだし、おびただしく得られる証拠の一つといえそうです。

OpenOffice Impressを使って発表してみた

2012年03月22日 | ことば
先週の土曜日、研究発表をやりました。いつものとおり、発表用のスライドを準備して臨んだのですが、今回は初めて、Microsoft PowerPointを使わず、オープンソースのオフィス総合ソフトOpenOffice.orgの、PowerPointに該当するプレゼンテーションソフト、Impressを使ってみました。インディアナ大に所属していたときは、授業登録をしていれば、MicrosoftやAdobeのたいていのソフトは無料だったのですが、その使用権も切れてしまいました。先日パソコンを新調したので、いよいよ今後どうするかが問題に。Word、Excelは2003を所持していて、もともと上のバージョンは必要ないのでOK、でもPowerPointはない。現状フトコロ具合も心もとないし、将来を見据えたら、できるだけMicrosoft製品からは離れて行きたい。ということで、いままでも部分的に使っていたOpenOfficeをもっと本格的に導入することに。結果は以下の感じ。



まず、仕上がりはPowerPointとまったく遜色ないものになります。使ったテンプレートはWeb上で無償提供されているもの。既にかなりのクオリティのものがいろいろあるようです。Tutorialもたくさんあるようで、Google検索でたいていの問題は解決できそう。アニメーションも、PowerPointとほとんど同じなので、移行に障害なし。今のところ、サウンドファイルを貼り付けて画面のクリックで再生する方法が分かりませんが、重大な問題ではないし、いずれ解決できるでしょう。自前のパソコンではなく発表会場のものを使え、ということになったとき、そこにはOpenOfficeがインストールされていないことが考えられますが、ImpressはPowerPointファイルでの保存もできるので、それで保存して、変換時の不具合をチェックすればOK、今回の範囲では問題はほとんど見つかりませんでした。



一方、編集段階は今のところかなりのストレス。使用言語を慣れた英語にしているのがまずいのか、日本語フォントの指定が適切でなく、文字の割付がめちゃくちゃになるような、まったく日本語表記に向かないフォントがDefaultで選ばれ、Defaultを変更したけれど、一部(スライドタイトル)については効果なし。いちいちフォントを指定しなおさなければならないのは、スライドを25枚ほど作るならばかなりの作業の遅延になります。でも、この程度なら、脱Microsoftのための先行投資だと思って我慢できる(いずれ解決手段も見つけられるでしょう)。学会の審査論文の雛形等にも、MS WordファイルやLaTexだけでなく、OpenOffice Writerバージョンも用意するところが出てきたもよう。この流れをサポートし、OpenOfficeの進化を促すべく、今後もできるだけ使っていこう、と考えています。ここをたまたまご覧になった方々もぜひ。有用な情報があれば教えてください。

OpenOffice.org プロジェクト日本語ページ

『魔女の宅急便』 読書録

2012年03月20日 | 読書録
同タイトルのジブリ映画の原作、近くの公民館に娘を連れて行ったとき、そこの図書コーナーで見つけました。映画と同じエピソードは少しだけで展開も違うことが多い。その他の登場人物やエピソード多数。たとえば、キキが好きになる男の子、トンボは最初、飛んでみたくてキキのほうきを盗んでしまう役柄として登場します。でも、それぞれの登場人物のキャラクターは基本同じ。キキはちょっときかん気で、でも溌剌として機転も聞くやさしい子、ジジはちょっと皮肉屋。

実際には映画ほど派手ではないかもしれないけれど、とても素敵なエピソードがたくさんで、みんなやるわけには行かないから換骨奪胎して二三のエピソードに仕立てた。けれど、テーマや雰囲気は小説のものかなりそのままを受け取って映画が作られている、という感じを受けます。その意味で、あの映画は小説からは自由な翻案、ではない、この小説を「原作」と言うべきでしょう。できばえに軍配を上げるなら、小説の勝ち。映画の映像や音楽の魅力は強力だけど、この本の挿絵も素敵です。

それにしても、娘が13歳で独り立ちすることになっていて、13年しか一緒に生きられない、というのは、娘にメロメロの父親なら、さぞさびしいことでしょう。映画で、父親とのお別れに「高い高い」をするシーンがあります。Bloomingtonにいたとき、娘のいる父親3人で、たまたまこの話になりました。一人のお父さんは、これを見て滂沱の涙だったそうですが、そのときお嬢さんは確かまだ1歳! 私にいたっては、娘はまだ母親のおなかの中。気の早い父三人のアホ話ですが、それくらい早く出てってくれて、嫁さんとの生活が戻るなら、うれしくなくもないかも。。。 ええ、ええ、強がりです。

映画を見ても、この本を読んでももっとも強く感じるのは、新しい自分の住む街を見つけ、そこで受け入れてもらい、定着することに対する憧憬と羨望の入り混じった気持ちです。われわれも家族で暮らせる街を見つけたいものですが、私は英語通訳や日本語教室のボランティアを始めたし、4月からは「言語類型論」の授業を担当、嫁さんも仕事を得、娘は幼稚園に入学。とりあえず、たまたま住むことになった地域に溶け込み、受け入れられてもらえるよう、家族でがんばっていかないといけません。

久々のハーフマラソン

2012年03月20日 | 
たいへん久しぶりに、レースを走りました。岐阜市長良川競技場を基点・終点とする21.0975Km。15年ぶりのハーフマラソン出走ということで、ここ一月半ほど、多少準備して臨みました。昔のようにとはいかないまでも、なんとか1時間30分くらいでいけないかな、と期待してましたが、結果は厳しいものでした。1時間39分台は、ベストタイムの17分落ち。15年でこれだけ落ちていたんだ、と自覚させられました。

レース運びも、終わってみれば前半無理しすぎで、最後は完全に足が終わってしまいました。過去の感覚だと、前半をあの程度のペースで入ったなら、ゴールまで徐々に上げていけるのですが、まさにその感覚のずれこそ、「衰え」のわかりやすい指標なのでしょう。運動に限らず何事もそうなのでしょうが、継続してやっていないと、そういう感覚がなくなってしまうものです。また、走力としては、やはり21キロを走る筋力は身についていない、そこが一番弱いところだった、と感じました。一番強かった頃に戻すのは無理かもしれませんが、もう一度鍛えなおして、ちかぢか再挑戦したいと思います。

朝からお弁当を持って付き合ってくれ、応援もしてくれた嫁さんと娘に感謝。幸せ者です。

着ぐるみ

2012年03月19日 | 
昨日は午後から家族3人で、今いる岐阜県多治見市のすぐ隣り土岐市のアウレットモールへ。われわれは必要があって行ったのですが、ちょうどセールをやっていたのですごい人出。地元のオリジナルキャラの「とっくりとっくん」も登場。来ていたのはもちろん、上のような陶器ではなくて下の写真のような、着ぐるみ(緑色のヤツ。一番左は、多治見市のキャラの「うながっぱ」)。この「とっくん」を製作してその地域の処々に設置している職人のグループ「徳造社中」のサイトはここ。そのサイトの写真にあるとおり、つい最近のNHK「鶴瓶の家族に乾杯」がこのグループの本拠地、土岐市の「下石町」という地区を訪ねてましたが、思えばこのアウトレットのすぐ近く。
 

 

子供たちが群がって、一緒に写真をとったり、頬ずりしたりと大人気。娘も指さして興味深そうな様子に見えたので、「握手してきてごらん」とそばに近づけると、猛ダッシュで逃げ、大泣き。怖いそうです。。。 その後、写真右のあひるだかペンギンだかの着ぐるみもいて、これも興味深そうにしてたので、握手するか聞いてみるとやっぱり近寄るのはだめ。先日、近所の児童センターの節分行事で、ボランティアのおじさんが扮した赤鬼が出てきたときもびびりまくりで、「もう帰る」と泣いたのですが、どうやら、大きいものは可愛く作ってあっても怖いらしいです。きっとディズニーランドに連れて行っても、ミッキーとのツーショットは無理でしょう。

『酔いがさめたら、うちへ帰ろう』

2012年03月13日 | 読書録
昨日、デザインを変えました。変えるきっかけはいつも嫁さんが「もっといいのないかな?」と言い出すこと。今回も選んでもらいました。それで内容がマシになるわけじゃないのですが。

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これも、日本に帰ったら観たい、と思っていた映画。原作である同タイトルの小説も図書館で借りて読みました。映画には主人公の奥さんの漫画家、西原理恵子さんの視点も入りますが、小説は完全に主人公=筆者、鴨志田穣さんの視点のみ。(末尾でフィクションだと断っていますが、照れ隠しのようなもの?)。全編これアル中克服の闘病記。医者や周囲に言われているとおり、よく死ななかったものです。実際、アル中病棟からの退院も、余命宣告を受け、あとは家族と過しなさい、という話。

10年ほど前、マスコミ論の先生のお話をきっかけに毎日新聞を購読するようになり、連載漫画「毎日かあさん」にハマり、日本を離れるまで読み続けました。米国にいる間も、「毎日jp」に隔週で公開されるものは必ずチェック。鴨志田氏のことも登場人物として知りました。

米国にいるとき、予告編をYou Tubeで観て、「こりゃ泣きそうだね」と言われてました。娘が出てくる話に弱いので、ツボに入るだろうと。で、見た結果、泣きませんでした。たぶん、そもそも観た人を泣かせようという意図を持って作った映画ではない。むしろ全体の雰囲気は淡々としたもの。酒を飲んで暴れる、大量吐血で運ばれる、卒倒して運ばれる、というようなシーンもそれぞれ一回だけ。観ていて辛くなる、というほどではありません。原作はさらに淡々としていて、最後もあっさり締めくくられる。もう死期が迫って書けなくなった、ということもあるのでしょうか。

実は映画のできばえはいま一歩、という気もします。原作にない印象的な台詞や美しいシーンもあるのですが、シーン間のつながりが唐突に思える箇所もある、たとえば、奥さん(永作博美さん)が料理の途中で泣き崩れるシーンとか、その前段がなくていきなり出てくる。構想開始から脚本ができるまで時間がかかった、と聞いたのですが、原作があまりに淡々としてるのでいくつかエピソードを付け加えたが、そのつながりが十分練れていなかったとか? もしそうだとすれば、編集の段階になって不備が判明しても、間を埋めるようなシーンを永作さんとか、浅野忠信さんクラスの役者さんのスケジュールをもう一度押さえて...なんて無理でしょう。というのは映画の製作について何も知らないので、誤解かもしれません。

西原さんは試写会で見て最初からだだ泣きだったとか。もちろん現実のご家族の体験はそれは大変なものだったでしょう。こんなになっても愛されて、家族に看取られて、幸せな人だった、とも思いますが、やっぱり、アル中はいかん、家族に迷惑をかけちゃいかんよなあという感想のほうが勝りました。振り返って、家族に支えられる一方の、今の自分の立場の情けなさが身にしみたのでした。

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最近、Science Podcastで「お酒をまったく飲まない人より、適度に飲む人のほうが平均すると健康」という話を聴き、まあ、それは単なるきっかけで、元々はお酒が好きな、でも子供ができて以降まったく飲まなくなった嫁さんと楽しめたら、と、週に一度くらい、二人でちょっと飲もうか、と言い出しました。同居の親もぜんぜん飲まないので、もらった酒がなくならない、ということもあります。でも。。。続きません。けっきょく一回飲んだだけ。二人ともぜんぜんお酒を欲しないし、夜は子供と寝てしまうし、お酒は好きな人にお任せします。

運動すると遺伝情報が変わる?

2012年03月12日 | 
表題のような、興味深いタイトルの記事が、NPRのウェブサイトにありました。

A Workout Can Change Your DNA

というタイトル。iTuneでダウンロードできる、Science FridayというまとめPodcastに収録されていて、昨日もランニングをしながら聞きました。ここから、音声とトランスクリプトがあるページに行けます。

なぜ興味深いかと言えばもちろん、自分がランニング等をするからではなくて、現在のダーウィン的進化論の基本の「適者生存」による進化に反して、「キリンが高いところの木を食べようとがんばるうちにだんだん首が長くなった」のような、ラマルク的進化を一部肯定するとか!? といったことだと思います。

聞いてみるとさにあらず、理解したところでは、DNAに対応するアミノ酸だかなんだかを作る働きを媒介をする物質が、運動によって(一時的に)損なわれ、そのDNAが持つ情報が発現されるのが阻止される(で、別の性質が発現できる)、というようなハナシ。だからやっぱり、DNA情報そのものの書き換えが起こるわけではない。ただ、運動した結果獲得された性質が子孫に伝達されれば、やっぱりある程度ラマルキズム的なわけで、そういうことがあるかどうかは今後の課題とのこと。ともあれ、運動によって筋肉が鍛えられたり、代謝が高まったりする仕組みが、DNA情報の発現具合に即してより分かった、とは言えそう。

ホストのアイラさん「どの程度運動すればいい、という研究はしたんですか?」と質問。共同研究者による実験研究があるそうで、「この研究のような効果を得るには、Maxの80%、ジョギングならパートナーと話しながら走るのは困難な程度の強度の運動を35分」だと。「そりゃー、たいていの人にとってがっかりの結果ですね」とアイラさん。昨日の私のトレーニングメニューは、起伏が多いところを50分だったので、「おお、わたしゃバイオテクノロジー実践中か!」と、エエカゲンな喜び方をしつつ先を聴くと、カフェインの効果についての研究もしたと。

カフェインが、筋肉に「運動をした」と錯覚させる機能がある、という話で、「じゃあ、コーヒーを飲めば(運動しなくても)いい?」という、当然の質問に対して、「いえ、その効果を得るために必要な量は、1日50~100杯くらいなので、飲みすぎによる悪影響のほうが大きいです」。。。 走りながら爆笑してしまいました。

前にも記事にした通り、Science Magazine、Scientific American、BBC ScienceなどのPodcastをダウンロードしては、ランニング中に聞いています。科学者ってなんて面白いことを考え付く人たちだろうと心底感心させられるのですが、この件みたいに、「興味深いけど、どこまで聞いても実践的には役に立たなそう」ということもあるのがまた面白い。他のPodcastにも手を出してはみましたが長続きせず、相変わらず科学系のPodcastばっかりです。

実用化が待ち遠しい

2012年03月07日 | ことば
きのう、Wired.comをのぞいたら、Japanese Speechを見出しに含む記事がありました。

New Video Shows Japanese Speech-Jamming Gun in Action


日本のお二人の研究者が開発した、Speech Jammerと命名されたこの装置、文字通り「しゃべりを妨害する(邪魔する!)」ためのもので、記事がリンクするYou Tubeビデオによると「ずっとしゃべり続ける不愉快な人間を話せない状態にする」のが目的。この技術はどもりの人たちの治療用に既に実用されているもので、話したことを録音して、タイミングを遅らせて本人に向かって返してやると、通常どもりの人たちは話しやすくなるのだけれど、その症状がない人は逆にどもってしまう。「しゅ、しゅ...」と、どもって立ち止まったところで、周りの白い目に気づいてもらいましょう、という意図らしいです。直接、物理的な力を加えたりしないので、身体的な害はなく、でも、離れたところからでも効果あり。

Wired.comだけじゃなくてFoxも記事にしたので、見つけて面白がっている米国人もいるようで、You Tubeのビデオも見つけました。「これスゴイだろ?」と紹介しているだけですが、かなり下品な英語を(たぶんわざと)使ってて面白かった。

Wired.comの記事では、悪用されることも心配していましたが、真剣な目的で実用化されるような気はしません。開発者の原論文(Wired.comの記事にリンクあり)は読んでませんが、自分が生成している音声をモニターする認知過程の研究の一環で、ちょっとした遊び心で試作したもので、ヘリウムボイスになる缶みたいに、おふざけ用のパーティーグッズというところに落ち着くのではないかと。でも実は個人的に、これ、欲しいかも。今はまだプロトタイプ。早く実用化して。。。

追記:日本語版、原論文を見たところ、開発者さんたちは...本気らしいです。失礼しました。

体重計

2012年03月06日 | 
先日の夜、仕事をしていたら、娘が二階へドドドッと駆け上がる音。「ごめんね」と謝りながら追う嫁さん。
??? 二人は風呂に入っていたはず。事情をきいてみると以下のとおり。

お風呂のあと、着替えも終わり、娘は最近よくやるように体重計に乗っていた。で、嫁さんが「あ、増えてるね、髪が濡れてるからだ」。そのあと、面白がるのではと(もちろん、そもそも湯冷めしないように)、「髪を乾かせば減るよ、ふいちゃえー」とバスタオルでゴシゴシ。すると娘はなにやら言っていたが、よく聞き取れなかった。実は「やめてー」と言っていて、ふき終わると、「かえでは大きくなりたいのに体重を減らさないで!」とお怒り。謝ったけれども時すでに遅く、嫁さんをふりほどいて階段を駆け上り、二階手前の階段に腰掛けていじけていたそうです。体重が増えたといわれて、喜んでたんだ。。。

娘いわく、「『まいん』ちゃんのように大きくなりたいの」。これはNHK・Eテレの「クッキン・アイドル アイ! マイ! まいん!」(→これ)の主人公のことで、うちの娘の憧れ。料理の手伝いをしてる時は、本当の名前で呼ばれるのを拒否して、「まいんちゃん」と呼べと言うほど。わたしは、まいんちゃんのように大きくなりたい、体重を減らすようなことしないで! という言いぶん。

つきあってたまに観るので、私にも「まいんちゃん」はおなじみ。かわいい女の子だとは思うのですが、あれは痩せすぎでは。想像ですが、彼女はもうアイドル意識十分で、昨今の日本女性のやせobsessionにすっかり取り憑かれているように見えます。あれが憧れ~目標になって、小学生のうちからあんなにガリガリになろうとするのだとすると、それはちと好ましくないような。でも、彼女に憧れてる一人であるうちのおちびさんは、まだ今のところ逆に体重を少しでも増やしたいようです。