時々雑録

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いちおう、音声学のことが中心のはず。

政策とエリート

2005年05月17日 | 
このBlogのテーマとは関係ないのですが、最近読んで面白かった本を紹介します。まずデータ。

赤川学 『子どもが減って何が悪いか!』 ちくま新書 2004年

少子化をめぐる言説に関する、とくに統計的なデータが恣意的に用いられていることを丁寧に説明しています。
いわゆるリサーチ・リテラシー(調査データに基づく言説を批判的に解読すること)を説く本の一つと言えるかも。
筆者の赤川氏は本来はセクシュアリティに関する歴史社会学がご専門らしいんですが、この一連の研究で敵をたくさん作ったみたいです。たいへんな覚悟だと思います。

ただ残念ながら、著者自身が予測していらっしゃるとおり、序章で投げ出す人が多いかも。
図書館で借りて読んだのですけど、その前に読まれた形跡はありません。前に借りた人は挫折したんでしょう。
経済学などの分野ではおなじみの重回帰分析が、趣旨と切り離せない形でたくさん使われているのですが、
ある程度見慣れている私でも、決定係数などの数字が頭の中でスムーズに整理しきれず「横書きにしてほしかった」と思いました。
最終章、たとえば最終ページの、中立な政策なんてのは空虚な夢想だという批判があるが、中立政策というのは、特定の「善意」によって虐げられた人たちを保護するために必要とされた考え方なんだ、というところなど好きなのですが(誤読じゃないことを祈ります)、なかなか最後まで読まれないでしょう。

ともあれ、丁寧に統計データを再検討して、
「男女共同参画社会実現のための政策は少子化をくいとめる効果はない・あるいはむしろ逆効果」
なことを主張しています。
では、そこを「恣意的」に曲げてでも社会調査データを用いる意図は何かというと、
「一定のライフスタイルだけを優遇してそれに従わせようとする政策立案を根拠付ける」
ということ。
具体的には、結婚しても共稼ぎ、仕事も子育ても犠牲にせず、という「勝ち組」ライフスタイルです。

たしかにこれを優遇したところで、それを選択する財力・能力・気力のあるのは限られた人々でしょう。
こんな「勝ち組」優遇は社会政策として行うことじゃないだろう、もっと支援すべき人がいるはずだ。少なくとも、あらゆる選択(子どもを作る/作らない・共稼ぎ/片方が稼ぐ)に対して公平じゃないといけないはずだ、ということでした。

ここから私は次のメッセージを受け取りました
(赤川氏自身は書いていないのですが、邪推じゃないと思います)。
つまり、「政策やそれにまつわる言説は、それに関わるエリートの利益と自尊心を満たすために恣意的に操作される可能性を持つ」ということです。
ここでいうエリートとは、学者や高級官僚のこと。
そんな、(なんだかんだいってもやっぱり)恵まれている人々が、さらに自分たちに有利な状況を作り出すためにか、あるいは「自分は特別な存在」というプライドを満たすためにか、自分に有利な論理をでっちあげて、政策を正当化する。。。
と言ったら、言い過ぎなんでしょうね。
本人たちは、
「自分たちがあとに続く人のために道を作っているんだ」と思っているかもしれませんから。
でも、状況が整ったとして本当にあとに続く人がそれほどいるかどうか。
他の選択肢も正当であることを認めないこと自体、エリートのおごりでは。。。

私のやっているような、直接政策にはかかわらない分野でも、同様なことを考えることがあります。
「言語にかかわる言説は、言語エリート(つまりは教養層)の自己正当化になる可能性をもっていないか」ということです。
「正しい」ことばづかい、発音などという言葉を聞くたびにそう感じるのですが、それはまた改めて。

(この本のその他の重要なメッセージは
「少子化は社会が豊かになったことの不可避の結果で、その痛みはみんなで公平に負担する他ない。とくに世代間の負担の不公平を是正する方策をちゃんと考えるべき」
というごくまっとうなもの。
ただし「子どもを大事にできる人だけが子どもを作ればよい」という考え方には疑問。
自分の都合で子どもを作ったり殺したりしてきたのが人間だし、
こんな豊かな日本だって、それをやらなくてすむ余裕のある人ばかりじゃないだろうから。)