時々雑録

ペース落ちてます。ぼちぼちと更新するので、気が向いたらどうぞ。
いちおう、音声学のことが中心のはず。

西条市・小松地区

2014年09月21日 | フィールドワークから
先週の木曜日、今回の愛媛調査の最後は、西条市、旧小松町地区。この地にあった小松藩は、小藩ながら改易なく江戸時代のほとんど続いたこともあり、残された「会所日記」の一部の内容を基にした新書が出版されるほど豊富な文献が遺されているそうですが(『伊予小松藩会所日記』集英社新書)、古文書はまだまだある。今回、調査のお世話をしてくださった公民館の館長は元図書館長で、その解読作業や人材育成などについて、お話をうかがうことができました。写真は、公民館のすぐとなり、その小松藩が招聘した朱子学者、近藤篤山旧邸、ってすべてこの調査で知ったんですが。



お会いした3人の話者のうちお一人が、小松町の南の山中の石鎚地区出身、急激な過疎化(→こちら)でほぼ廃村(現在、一世帯だけとの話)となる前までそこにいらしたという方。この方だけ、他のお二人と違う特徴が見られたようなのは、年齢のためか、地域的なものか、(あるいは気のせいか)、今後の調査で明らかにしたい。

14:57の予讃線で帰途に。なんとか誕生日を迎えた娘が眠る前に帰宅(これを逃すと次は16:29)。多くの方々のご厚意のおかげで、とても楽しい三日間の調査でした。


6歳の誕生日に

2014年09月20日 | かぞく
愛媛調査から戻った日、娘は6歳の誕生日。その朝、仲良しの男の子から、おてがみをもらいました。

 おたんじょうび、おめでとう (中略) けっこんしようね

なんてお返事するの? と嫁さんが聞いたところ、

「まだ先の話ことだから、分からない」

との答えだったそうです。

むー、お前はそうやって、いたいけな少年の心を...

もっとも、そのままそう告げてはいないらしい。

旧波方町 と 調査あと

2014年09月17日 | フィールドワークから
二日目、今治市のうち旧波方(なみかた)町で調査。ここまで今治の島嶼部を調べてきましたが、ここは四国本土でその島々にいちばん近いところ。役場のある樋口(ひのくち)、漁業の小部(おおべ)、海運業の波方、の三地区からお一人ずつお会いできました。

今治駅前に戻って5時だったので、泊まったホテルで貸してくれる自転車で、Texport今治(こちら)へ。下の写真はその途中にある今治城。堀に海水を引き入れている珍しい城という話を大下島調査のときにうかがいましたが、実際、そばを通ると磯の香りがします。



帰り道に通った商店街、やはり閉店した店も多い。その中のひとつが下のタバコ屋。われわれの世代には聞き覚えのあるフレーズですが、こういう肯定的な宣伝文句は、今や使えない? 調査は楽しい時間ですが、頭をフルに使ってぐったり疲れる面もある。のんびり自転車で風に吹かれて、いい気晴らしでした。



ふたたび愛媛へ 伯方島

2014年09月16日 | フィールドワークから
昨日からまた愛媛の言語調査に。福山で新幹線を降り、「しまなみライナー」で最初の調査地、伯方島へ。製塩業が知られているけど、この島の工場はもう古くて、現在、生産のほとんどは新しい工場が建ったお隣の大三島。だから、「伯方の塩」を買うと、製造地はそっち。就業者数でいうと、多いのはむしろ造船業だそう。写真は、大三島からこの島に渡る途中に見える、伊方(いかた)地区の熊口港。



調査のあと、一時間に一本のバスを逃したので、バスストップ近くの叶浦(かのうら)のビーチを散歩、地元の女の子たち三人だけが遊んでました(写真左手奥)。



それを遠めに見る怪しい男の影。さきほどの写真上の橋を渡っていくと、となりの大島。



お会いした三人とも東京式アクセントでしたが、それを指摘すると「東京!?」と驚くようす。「今治と違う」ことは分かるようでしたが、ここで暮らす自分たちのことばを東京とは結びつけにくい、ということでしょうか。話者はみんな、島の北の「北浦」地区出身の方でしたが、嫁ぎ先が有津(あろうづ)、叶浦といろいろだったし、調査地の木浦(きのうら)公民館周辺の方もいて、その方たちもみんな会話からうかがえるかぎり東京式。この島には中央式(いわゆる京阪式)の地域はなさそうと、とりあえず推測されました。以前は、婚姻もほぼ集落内で、いとこ同士の結婚も珍しくなかった。他の地域との結婚が始まったのは昭和40年代以降、と記憶してらっしゃるそうで、島のことばの独自性の保持(とその消失)への影響が考えられそうです。



三重調査3&4 桑名・朝日町

2014年09月10日 | フィールドワークから
月曜日は桑名市へ。お一人目は、今回の調査ではじめて、市役所職員ではなく、大正13年生まれの90歳。とてもお元気で、アクセントを含む全ての項目を教えていただきました。お二方目も84歳、こんどは、いきなり昔の話が始まってとぎれるようすがないので、こちらの調査票にそった進行はあきらめ、そのお話を録音させていただくことに変更。

旧桑名城下の仕立て屋の娘に生まれ育ったというこの方、10歳前後の頃、店員がお得意先に行くのについて行って、ツケの支払いの督促を(子供が言えば角が立ちにくいので)引き受けていた話など、じつに生き生きと語ってくださり、たいへん貴重な自発発話データが得られました。最後の方は30代で、先行研究から、東京式アクセントも予想されましたが、(既報告のある新しい変化をこうむった)京阪アクセント。

次の火曜日、お隣の朝日町へ。こちらは20代と40代。桑名同様、東京式アクセントが聞かれる可能性も考えられましたが、いずれも京阪式アクセント。朝日町は住宅開発のため近年人口が急増したそうですが、名古屋まで遠くないこともあって名古屋方面からの移住も多かったそうで、世代を経るごとに愛知の影響が強まる可能性が高そうですが、今回の調査の範囲では、京阪式を保持する若い人もけっこういる印象。

これで今回の三重調査は終了。雨の亀山に始まり、最後は快晴。学生たちは初めての経験でしたが、企画~準備~依頼~実際の調査まで、がんばってよくこなしました。



今回も、調査への協力を引き受けてくださった方々から、こちらが気づいていない文献をご提供いただきました。鈴鹿市生涯学習課長からいただいたのは、「他地域出身の市職員が、鈴鹿の方言に戸惑うため、学習用に」と作った方言集。「半分遊び」とのお話ながら、かなりの語彙を収録した立派なもので、各地にこういう資料はまだまだあるのでしょう。こちらの希望日に合わせて日程や人を調整するという無理を受けれいてくださったことにも感謝。若い人たちを支援しようという教育的なご配慮と、地域の文化としてのことばの記録・研究に協力しようというお気持ちなのだろうと。まもなく始まる後期の授業で持ち帰ったデータを整理・分析しますが、このご厚意に応えられるよう努力しなければなりません。

三重調査2 鈴鹿

2014年09月07日 | フィールドワークから

金曜日は亀山のおとなりの鈴鹿市へ。庁舎が豪華! 調査に使わせてくださったのは写真の会議室。11階。窓から伊勢湾越しに知多半島を望める。

この日の3名は20歳代から50歳代で、ことばの個人差も大きく、そのせいもあってこちらの質問等に対する話者の反応も大きく異なり、前日より難しい対応を要求されました。お昼休み、調査項目の構造や調査方法の見直しを相談してくるメンバーも。前期の授業で、『ガイドブック方言調査』という教科書を読んだとき、よく言われる「最良の調査票は調査後に完成する」というフレーズも目にしているはずですが、そういうことは経験して初めて判るもので、二日目でこの自覚に至れたのだから、かなり幸運でしょう。

鈴鹿はサーキットくらいしか知りませんでしたが、今回、歌人の佐佐木信綱の出身地だったと知りました。調査に協力してくださった文化課は、この方の記念館の運営などに携わっているらしい(こちら)。学部時代、NHK短歌の選者もしていた、孫の幸綱先生の授業に出たことがあります。話は面白かったという印象は残っているものの、具体的には何も思い出せません。。。

三重調査1 亀山

2014年09月04日 | ことば
今年から担当している演習の授業で、学生と企画した言語調査が開始。初日の今日は三重県亀山市で。学生たちはもちろん初めて、音声関連の調査ばかりしてきた私にとっても久しぶりの総合的な調査でしたが、話者のお二方がたいへん好意的にこちらの意を汲みとり、鋭敏に回答してくださったおかげで、またこちらの準備もそれなりだったようで、予想もしないほど順調に終了。

亀山といえば、もちろん、大言語学者、服部四郎の故郷、生家はこの写真(城のお堀だったと思われます)のさらにむこうの、旧東海道に沿った地区にあったらしい。



最初の話者になっていただいた、「教育研究室」所属の先生に教えていただいたのですが、亀山市史は全編がWeb公開されていて、「民俗編 11 口頭伝承」に含まれる「方言」のページで、ネイティブ話者の録音資料が聞けます(こちら)。すばらしい。ここの内容をじゅうぶんに消化した上でご訪問すべきで、反省させられました。

ジュニア・クラブ 8月

2014年09月03日 | 
本年度、多治見市国際交流協会の事業の一つ、「ジュニアクラブ」の企画・運営を担当しています(Website)。これは、小学校3~6年生の有志の子たちに、国際関連の交流・学習機会を提供する、年6回のシリーズ。2ヶ月に一回、1時間30分を費やして、ゲスト講師の話を聞いたり、いっしょに活動をしたり。引き受けたのは私なのですが、忙しいのと、こどもへの対応の技量の関係で、嫁さんに全面的に手伝ってもらっていて、実質、二人運営体制。先日、本年度の第3回を実施しました。

今回の講師は、フランス人のニコラさん。こどもたちの「直接英語で話してみたい」という希望に応じて、ニコラさんには主に英語を使っていただき、子供たちが直接いろいろ質問しようという企画。たくさんの質問を英語で準備してきた子(通訳になりたいそう)もいて、ニコラさんを感心させていましたが、そのほかの子も私たちが手伝って、全員、すくなくともひとつは英語で質問して、答えをもらったはず。

質問の一つに「フランスの人の服の着方の特徴は何ですか」というのがありましたが、答えは「フランス人はおしゃれでもなんでもなくて、特徴はないと思う」。ニコラさんは、ポスドク研究にあえて日本を選んだ日本びいきの方で、映画もフランスより日本、食べ物も日本食が好き。日本人のフランスへの過大評価には、日本に来てさらに驚いていて、TVのCMや店の名前等にフランス語がやたら多い、でも、ヘンテコなのが多いと。今すんでるアパートも、Maison de plaisir、ちょっとヘン(画像検索をするとわかる)。。。むしろ、日本人の親切さに感銘を受けていると言ってくれました。

「フランスの国歌を歌ってください」というお願いもありましたが、「暴力的な歌で...」と戸惑い、歌い始めたものの2フレーズくらいで「その先なんだっけ?」。サッカー好き&歌好きの私が、♪Contre nous de la tyrannie…と助け舟を出して「そうそう、あなたの方がよく知ってますよ」。「フランス人は国歌を歌いたがらない人や、ちゃんと知らない人も少なくないですよ」とのこと。

最後に、フランス語で「お菓子を3つください Je voudrais trios bonbons.」と言ってみるのに挑戦(するとニコラさんがくれる)。これが意外と敷居が高く、撃沈多数。理由はたぶん、口蓋垂音の[R]が、さらに dr, tr と cluster で現れること。多くの子が全く知覚できず、したがって生成もできなかったもよう。

講師を見つけて、テーマを考えるのは一苦労ですが、幸い、子供たちはとても積極的で、毎回こちらがうなるような質問を出してくる。こどもの教育に携わる機会が与えてもらえたのはありがたいことで、あと3回、いろんな方に助けていただきながら、いっしょに楽しもうと思っています。