時々雑録

ペース落ちてます。ぼちぼちと更新するので、気が向いたらどうぞ。
いちおう、音声学のことが中心のはず。

海の向こうから

2011年03月12日 | Bloomingtonにて
木曜日の夜、嫁さんとちょっと夜更かししていたら、インターネットで地震の一報を見つけました。その夜は「ちょっと大きいみたいね」という話をしただけで寝てしまったのですが、翌朝母からスカイプ電話があり、関東の嫁さんの実家に連絡が取れないとのこと。そこで事の重大さを認識。心配しましたが比較的すぐメールによる連絡が取れ、無事が確認できました。

その後、Bloomingtonにいる日本人の間で情報が回り、NHKのストリーミングがみられることを教わり、状況を多少追えるようになりました。たいへんな災害になったようで、心よりお見舞い申し上げます。この状況で煩わせてもいけないので、あっちにもこっちにも「大丈夫ですか」と連絡することは慎もうと思ってます。

ところで、これは米国内の話、翌日、3件電話をもらいました。ご近所さん(中国人)と、しばらく連絡を取っていない友人(インド人と、スロバキア人)で、「あなたの家族は大丈夫?」とたずねてくれたのでした。今日またべつのご近所さん(スリランカ人)も、うちのドアをノック、深刻な顔で様子をたずねてくれました。嫁さんも、子供を遊ばせに行った先で「あなた日本人なの! ご家族は?」とたずねられたそうです。どうやら、こちらでもこの件については誰もが知っているようです。

試みに数カ国のメジャーなメディアのウェブページをみてみましたが、なるほど、どれも日本の地震・津波の件がトップページでした。中国人の麗華さんは、この件に関する報道を見て、日本人が整然と対処をするのに驚いたそうです。中国で2年前に大地震があったときには、暴徒や詐欺が出て混沌とした状況になったとか。誇らしいことだと思います。

地震などまずない海の向こうからの独言のページをのぞくような状況でもないと思いますが、もし私をご存知の方がいらしたら、ご様子をお聞かせください。

知りたくないこと

2011年03月10日 | 
ちょっと古い話になりますが、去年6月ごろ公開された科学誌ScienceのPodcastで興味深かったのが、Havasupaiというアメリカの先住民族が研究者相手に起こした裁判の話。20年も前に提供した自分たちの血液のサンプルが、そのとき承諾した研究内容とは別の目的で使われた、というかどでデータを取得した研究者を訴え、6年越しの裁判に勝ち、血液サンプルを奪還した上で賠償金も得た(総額70万ドル、所属大学が払った)そうです。

彼らの主張では、糖尿病の研究のみに用いられると了解していたが、分裂病の研究等にも用いられた。特に許せないのが、DNAを利用した系統の研究だったようです。「アジアからいつごろ移動したグループから、こう分岐した」等々をDNAデータによって裏付けるのは、彼らが信ずる一族の由来の否定につながると。

研究者側は、さまざまな研究に用いられる可能性をよく説明して承諾書も取ったと主張しているのですが、かなりの譲歩を強いられた様子。このケースは他の先住民族等にも刺激を与えているとか。研究協力拒否が増えると科学研究全般の進展の足かせにもなりかねない。科学研究がもたらす公益を考え、慎重かつ冷静に対応して欲しいものです。

同じくScienceの別の論文では、ポリネシアの人々がさらに東に航海をして西洋人より先に南米に達し、南米の先住民族と交流していたのではないか、という研究が進んできているそうです。今のところ考古学的なデータに基づいて議論されてるけど、DNAによる研究もしたい。ただしこれも、現地の人々の反発を招かぬよう、急がず慎重な交渉を行っているということでした。

最近、岩波書店の『日本通史』という講座に収録されている論文を一つ読みました。世襲王権は507年即位の26代・継体あたりから、っていうのが一般的な学説らしいのですが、このような人文科学系の研究に比べ、自然科学系の研究にはより強い抵抗が示されるように感じます。自然科学的方法による成果はより否定・無視しがたく思われるのでしょうか。古代の王の陵墓とされている遺跡での調査が進めば、今のDNA研究の進展をもってすれば、王権の系譜も含め、日本列島の古代の政権の推移についていろんなことが分かりそうでぜひ実現して欲しいのですが、上の件と同様に抵抗を感じる人もいるのでしょうね。

A4?

2011年03月08日 | 
先日、大学で学会投稿用の論文を書いていたときのこと、同じ研究室のウィル(米国人)が来て、何をやってるか尋ねられて説明しました。「この学会は審査のために、発表要旨じゃなくてA4で4ページ分の論文を提出するんだよ」と話したところ、

「A4って何?」

と聞いてきました。LetterとかLegalといった用紙サイズが使用されているのは北米だけで、世界的には、A、Bといった紙を切ったものを使うこと、A4はLetterと近い大きさで、でもちょっと縦が長いことなどを説明すると、「へー、知らなかった」。全くの初耳だったようです。

さらに、「これは審査に通ったら学会論文集に収録されるんだけど、そのとき上下のスペースに学会名などの情報を付けるんだと思う」と言うと、「あー、なるほどー」と合点がいった様子。

・・・ウィルの中では、「Letter sizeの上下をヘッダーとフッターをつけるために長くした用紙サイズがある」という了解がなされ、文書として標準なのはLetter size、という認識は全く動いてないような気がしてなりません。世界標準はA4だ、と言ったんだけど・・・

とはいえ、こちらもすっかりLetter sizeの紙には慣れてしまい、日本に帰ったときにA4の紙を見ると「長っ!」と違和感を感じるようになってしまってます。バックが白なので分かりにくいのですが、同じ文書をLetter sizeとA4にして並べてみました。

世界都市ベスト3

2011年03月07日 | 
先日から聞き出した Freakonomics の Podcast、このあいだはEdward Glaeserというハーバード大学の教授のインタビュー。つい先月 Triumph of the city という本を上梓したばかりだそう。

本は読んではいませんが、インタビューによれば「都市はすばらしい、文化、文明を生み、住民をより健康にし、さらに都市住民のほうが環境負荷が低い」というような趣旨らしい。環境負荷については、「都市住民は、たとえば日々の移動距離が短い。収入の違い等の要因を取り除くと、一人当たりの環境負荷は田舎に住む人より低いのだ」だそうです。だからと言って、「郊外に住みたいという人々の選択に干渉したいわけではない。ただ、郊外への移住を奨励する政策はやめるべきだと提言したいのです」とのこと。

この話、私にはかなり胡散臭く感じられます。何より、「収入の違いの影響を取り除く」という補正が正しいと思えません。

環境問題にかかわるある研究者から直接聞いた話ですが、その人は個人の環境に対する負荷のいちばん明解かつ適切な指標は収入だと考えているそうです。なぜなら、高収入を上げる方法は、煎じ詰めれば、他の人に働かせて、その結果も自分の業績として吸い上げることであり、多くの人を動員すればするほど、その全体の活動の結果、たとえ本人の直接的な行動における環境意識が高くても、その人は総体としてそれだけ環境負荷が高くなる、と。

具体例をあげると、生産拠点を海外に置いても、そこでの環境汚染物質は、自国の経営者、株主、企画、広告、販売等社員の高い収入を支えるために排出される。もちろん現地の労働者も稼ぐわけですが、じゃあ一人当たりの環境負荷をどう計算するか、となると、収入がいちばん適切だと考えられると。エコカーにしても、その車の環境負荷は低くても、開発のためのさまざまな人の活動、開発者や会社が上げる高収入、新しい車の買い替えにまつわるさまざまな活動等を考えると、総体的にはむしろ環境負荷は高いだろうと。以上はだいぶ前に聞いたので、ここで述べたことはその方の説を敷衍して、だいぶん異なってしまっているかもしれません。

引っ越した知り合いに聞いたところでは、NYやらボストンやらの、東海岸の大都市やその周辺の住居にかかる金額は、Bloomingtonのおよそ2倍、という印象。食費もずっとかさむらしい。そんなところに住むためには、どれほどの収入をあげなくちゃいけないか。だから、都市に住む人(都市郊外も含め)は、概して収入が高く、そのことそのもののために環境負荷が高い、と言えるんじゃないか。収入要因を取り除いてはいけないと思うのです。

この教授の都市礼賛は、客観的事実に基づくというより、「夢を追求する自由の国」という米国人の原理的信条に完全に則った上での議論に思えます。収入要因を取り除くことで、環境負荷の高い、高収入の追及の当否が顧みられることはない。一方で、「郊外に住みたい人々の選択は尊重する」と人の自由意志も保証。私の議論にも無知による誤謬や破綻があるかもしれませんが、自分たちの生活原理から一歩でも外に出て、それ自体から検討を加えてくれるのでない限り、都市はエライ、という議論に与することは私にはできません。ただそれをやった場合、米国人には全く見向きもされない議論になってしまう可能性大でしょうけど。

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じつはこの話を記事にしたかった理由はこれではありません。Gleaser氏は、ドイツの(どこだったか)都市で生まれ育ち、シカゴで学位、現在仕事でボストンと人生ずっと都市生活者だったそうです。インタビューの最後にGleaser教授は「あなたの考える最もすばらしい都市」を教えてくれと言われました。最初は「都市生活を提言する立場なので、特定の都市の味方はしたくない」と渋りましたが、「じゃあベスト3を」と押し切られ、「アメリカなら、シカゴ、ボストン、ニューヨーク」。

「そして、世界では...」ときたので、「東京来るか!?」と耳をすませました。結果は...





東京はありませんでした。彼があげたのは、





バルセロナ、香港、ロンドン

でした。最初の2つには行ったことがありますが、たしかに、いいかも(前者の場合、理由は、個人的には写真のとおり)。でも、東京も負けてないと思います。

心の理論? その2-2歳半

2011年03月06日 | ことば
去年の12月、娘の「心の理論」のようなものについて書きました。筒を使った電話ごっこで、自分が口に筒を持っていっているのに、相手にも耳ではなくて口に筒を持ってこさせようとする、というとんちんかんな行動などから、「まだ、相手には自分とは独立した心の動きがあることは分かってなさそう」と考えました。

さて、最近われわれ親に仕掛けるようになった遊びがあります。親の胸に走り込む遊びをしたいのですが、その前に「かえで来るかなって言って」と、こちらに、自分に向けて命令を出せと言う。その他、手をつないで「離してって言って」とか、みかんの皮をむいて、「みかんちょうだいな、って言って」など。どうやら、相手の、自分に対する発言を指定し、それに応じて行動したいようです。ここ2週間くらいで急にこれが多くなって、今は彼女の中で大流行中。何度も同じことを言わされるのでこちらはちょっとうんざりではありますが、あまりにやるので、ちょっと気になる。

発達に関する研究には全く当たっていないので、ホントに当てずっぽうですが、これもひょっとして「心の理論」の獲得の一段階を示していたりするのかも。親が(周囲の人が)自分とは異なる心をもつ存在であることが、おぼろげに分かり始めてきていて、その自分とは異なる意思を持つ人に自分に働きかけてもらう、という事態を、確認している(あるいは、実験している)かのように見えるので。

今朝、日本の母親にこのことを話すと、「あー、あんたもその歳のころ同じようなことやってたよ」とのこと。他の子のことを全く知らないのですが、一般的な行動だったりするのでしょうか。もし、上の推論に一理あるなら、娘の「心の理論」が形成され始めてきていて、彼女はそれを使って遊んでいるということになるのかもしれません。

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写真は、嫁さんのお母さんが送ってくれた、超縮小版雛飾り。雛あられや菱餅も送ってくれて、ちょっとしたお祝いができました。