時々雑録

ペース落ちてます。ぼちぼちと更新するので、気が向いたらどうぞ。
いちおう、音声学のことが中心のはず。

『酔いがさめたら、うちへ帰ろう』

2012年03月13日 | 読書録
昨日、デザインを変えました。変えるきっかけはいつも嫁さんが「もっといいのないかな?」と言い出すこと。今回も選んでもらいました。それで内容がマシになるわけじゃないのですが。

-----------------------

これも、日本に帰ったら観たい、と思っていた映画。原作である同タイトルの小説も図書館で借りて読みました。映画には主人公の奥さんの漫画家、西原理恵子さんの視点も入りますが、小説は完全に主人公=筆者、鴨志田穣さんの視点のみ。(末尾でフィクションだと断っていますが、照れ隠しのようなもの?)。全編これアル中克服の闘病記。医者や周囲に言われているとおり、よく死ななかったものです。実際、アル中病棟からの退院も、余命宣告を受け、あとは家族と過しなさい、という話。

10年ほど前、マスコミ論の先生のお話をきっかけに毎日新聞を購読するようになり、連載漫画「毎日かあさん」にハマり、日本を離れるまで読み続けました。米国にいる間も、「毎日jp」に隔週で公開されるものは必ずチェック。鴨志田氏のことも登場人物として知りました。

米国にいるとき、予告編をYou Tubeで観て、「こりゃ泣きそうだね」と言われてました。娘が出てくる話に弱いので、ツボに入るだろうと。で、見た結果、泣きませんでした。たぶん、そもそも観た人を泣かせようという意図を持って作った映画ではない。むしろ全体の雰囲気は淡々としたもの。酒を飲んで暴れる、大量吐血で運ばれる、卒倒して運ばれる、というようなシーンもそれぞれ一回だけ。観ていて辛くなる、というほどではありません。原作はさらに淡々としていて、最後もあっさり締めくくられる。もう死期が迫って書けなくなった、ということもあるのでしょうか。

実は映画のできばえはいま一歩、という気もします。原作にない印象的な台詞や美しいシーンもあるのですが、シーン間のつながりが唐突に思える箇所もある、たとえば、奥さん(永作博美さん)が料理の途中で泣き崩れるシーンとか、その前段がなくていきなり出てくる。構想開始から脚本ができるまで時間がかかった、と聞いたのですが、原作があまりに淡々としてるのでいくつかエピソードを付け加えたが、そのつながりが十分練れていなかったとか? もしそうだとすれば、編集の段階になって不備が判明しても、間を埋めるようなシーンを永作さんとか、浅野忠信さんクラスの役者さんのスケジュールをもう一度押さえて...なんて無理でしょう。というのは映画の製作について何も知らないので、誤解かもしれません。

西原さんは試写会で見て最初からだだ泣きだったとか。もちろん現実のご家族の体験はそれは大変なものだったでしょう。こんなになっても愛されて、家族に看取られて、幸せな人だった、とも思いますが、やっぱり、アル中はいかん、家族に迷惑をかけちゃいかんよなあという感想のほうが勝りました。振り返って、家族に支えられる一方の、今の自分の立場の情けなさが身にしみたのでした。

-----------------------

最近、Science Podcastで「お酒をまったく飲まない人より、適度に飲む人のほうが平均すると健康」という話を聴き、まあ、それは単なるきっかけで、元々はお酒が好きな、でも子供ができて以降まったく飲まなくなった嫁さんと楽しめたら、と、週に一度くらい、二人でちょっと飲もうか、と言い出しました。同居の親もぜんぜん飲まないので、もらった酒がなくならない、ということもあります。でも。。。続きません。けっきょく一回飲んだだけ。二人ともぜんぜんお酒を欲しないし、夜は子供と寝てしまうし、お酒は好きな人にお任せします。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿