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時々雑録

ペース落ちてます。ぼちぼちと更新するので、気が向いたらどうぞ。
いちおう、音声学のことが中心のはず。

珠洲市へ

2016年12月09日 | フィールドワークから
夏の学会で知り合った方と、関心が一致していることが判明、得意なところが異なることも分かったので「いっしょにやりましょう」ということになり、昨日から一泊で石川県珠洲市へ。こどものころ、3年間金沢に住んで、能登にも遊びに行ったけれど、ここまでくるのははじめて。

加賀のいちばん奥の白峰アクセントをここのところすこし検討してきましたが、能登ははじめて。かわきりとしてはずいぶんむずかしい体系ということになってしまいましたが、たっぷり教えていただけたので、がんばって分析してみましょう。地図で見ると遠いけれど、金沢までは新幹線・特急(しらさぎ)があるし、そこから高速バスがあるし、けっこう来やすい。

きのうお会いした女性は79歳、83歳のご主人はまだたくさんの田んぼを管理して米作りをやっているとのこと。引退したらもどってきて継ぐ、とおっしゃるお子さん夫婦のため、あと6年維持しないと、とのお話。今日は雨、午前中もうお一人に教えていただいて、高速バスは午後1時すぎまでないので、そこから帰途について、家につくのは夜8時半くらいになりそう。一泊で帰ってこられなくないので、また訪れることができるようになるといいなと。


夏の言語調査

2016年09月26日 | フィールドワークから
今夏も、学生と言語調査に出ました。これで3年目。22人というゼミとしてはおおすぎる人数で、4グループに分かれて6日で7箇所、27人の方から教えていただきました。ご協力いただいたみなさまに感謝もうしあげます。

さいしょ行ったのが、岐阜県輪之内町。三重北部はほぼ行ったので、隣接している岐阜県を調査したい、という学生の提案があり、お願いしてみたところ、快諾をいただきました。写真の、名鉄竹鼻線の終点「新羽島駅」というのは、東海道新幹線の「岐阜羽島駅」があるところで、羽島市。そこから輪之内町が運営するデマンドバスを予約して、町役場まで。そういうもの(電話予約すると指定したところに出向いてくれる)があることをはじめて知りました。人気が高いそうで、帰りは一台しか確保できずタクシー。

今回はこのほか、愛知県愛西市・岐阜県海津市、三重県四日市市(羽津地区、富田地区)、三重県いなべ市へ。いなべ市をのぞくと、今回の調査地は真っ平らな、海抜の低い地域ばかり。写真のような海抜0メートル以下の地区もありました(愛西市役所の最寄駅、名鉄・日比野駅ちかく)。写真ほぼまんなかの標識のとおり、地面から1mくらいのところが、海水面の高さということらしい。


るすばん

2015年11月07日 | フィールドワークから
11/4~5は一泊で、三重の紀北町海山地区へ。いっぽう岐阜のわが家は、若いときの事故の影響が高齢になってあらわれ、すっかり歩行困難になった父が、人工股関節にする手術の日。付き添いで母も病院、娘は学校、私は南紀。みんなをおくりだした嫁さんは、「ゆるキャラ出勤」の代休でひとり家に。ゆっくり読書して、ふだんできないかたづけでも、と思ってたところに電話。父の長姉が倒れて意識不明だと。

このかた、若い頃の奔放な行状もあって身寄りがなく、施設に入れられていた人。めんどうをみていた父夫妻は、手術で身動きとれず。「ともかく誰か来てください」といわれ、他にいないので嫁さんが病院に行くと、「明日までもたないでしょう」。甥にあたる私も(たぶん)会ったことがない、もちろん嫁さんも。名前を聞かれても確信なし、施設の住所を書けと言われたが知らない。病院側も困惑。というようなドタバタのすえ、初対面の、意識のない人を看取るかもしれなくなった嫁さん。

父の手術が無事おわり、母と、やはり急報をきいて名古屋からかけつけた叔母(病人の妹)がきたのが夕方。嫁さんが偶然代休だったのがさいわいしましたが、いろいろ、いっぺんにくることってあるものだなと。けっきょく、明朝、叔母は亡くなったそうです。

そんなこんなを、ただ聞くしかなかった私、調査でいろいろ教えていただけただけでなく、初日の方には藍の生葉染めのマフラーを分けていただき、Bloomingtonでの私たちの経験も聞いていただいて、もりあがりました。二日目の方には清流・銚子川沿いのドライブに連れて行っていただきました。

訪れた相賀地区の駅近くに Cafe do Brasil という喫茶店があって、調査後、時間があったので寄ってみました。案の定サッカー好き、どころか息子さんがJリーガーという方。高校時代からお知り合いという、JFA専務理事の原ヒロミさんのサインはあるし、ご主人は埼玉出身で、私の高校の当時の監督もごぞんじ。40分以上、楽しくお話しさせていただきました。と、ひとりだけ、暖かな南紀でいい思いをして帰ってきたのでした。

鵜島再訪

2015年11月05日 | フィールドワークから
11/1の日曜日、昨年おとずれた鵜島へ。確認したいことがあって前回の話者にお願いして教えていただきました(結果、さらに謎が増しましたが)。朝、出発して、福山まで新幹線、そこから「しまなみライナー」で伯方島へ。タクシーに来てもらって、渡船の出る尾浦港へ… との算段でしたが、タクシー会社に電話してみると、「今日は用事ができたからダメ」。そんなのありか… でもそういえば、夏に学生と調査に行った長島町(三重県桑名市)でも、「2台の回すのは無理」と言われたっけ。ここはまして、きっと個人なんだろうし、ふだんはめったに客もこないのだろうし。

島内循環バスも2時間後にしか来ないので遅すぎ。万策尽きたので、話者の方に電話して、すこし待っていただくお願いをして、港まで歩くことを決心。地図上では近そうに見えたのですが、実際には4km強のアップダウン。録音装備の入った重いスーツケースを引きずって汗だく。途中の有津(あろうづ)は眺めがすばらしいのですが、楽しむ余裕なし。なんとか一時間後の、ひとつあとの便にまにあいました。

鵜島へのフェリーは今年3月に新しくなってキレイで快適、日に7便もあってとても便利…だけど行き、帰りとも、お客はわたし一人。鵜島に商店もないし、この船が島の飲料水も運んでいるので、なくすわけにはいかないそうです。(笑福亭)鶴瓶さんが来て以降、島に訪れる人が多くなって、今年はKAT-TUN(?)とやらも来たそうですが、この日の来訪者は私と、猪退治のスタッフ(とつれられてきた猟犬)だけ。

今回、日曜日に調査をおねがいした理由のひとつが、「うしまカフェ」。島の港にある、このかわいいカフェは、土日祝日のみ営業。この日のお客は、島民6名と、ふだんは(四国本土の)今治におすまいの、話者の方の娘さん。島の人が集まるところで調査ができれば、話者の方も気楽だろうし、他にも何かあるかも、とひそかに期待していましたが、じっさい、鵜島の歴史調査に携わっている島民の方と知り合え、たいへん意義のある再訪になりました。家族で来たかったのですが、また次回。

島には宿がないので、となりの伯方島にもどって旅館に一泊。風呂に降りてみると、その前の広間はカラオケで大盛り上がり。「♪親に捨てられ~女房に死なれ~♪」… おおお、そりゃたいへん(そんな唄あるんだ)。かなりの大音量でしたが、泊めてもらったへやにはほとんど聞こえてこないようで、気づかなかった。部屋の位置を配慮していただいたようです。

天草へ

2015年03月03日 | フィールドワークから

ここにもたまにコメントをくださる、M先生などのお世話で、はじめて九州二型アクセントの調査をさせていただけることになり、今日から天草へ。岐阜からは空港の便があまり良くないので、新幹線+ローカル線で6時間半かけて、宇土半島の先端、三角港へ。そこへむかう、鹿児島本線(~三角線)の中で、前に座ったおばさんの帽子に、最初のくまモン発見。

途中、宇土半島の北側の海沿いを走るのですが、「肥後長浜」駅周辺の広大な干潟に感激。以前は日本のあちらこちらにあったのでしょうが、個人的にはこれだけの干潟を見るのは初めて。

三角港からは「天草宝島ライン」というクルーズ船で天草・本渡港へ。天草観光は夏がシーズンとのことで、平日にも運行を始めたのは3月に入ってからとのこと。乗客は一人だけ。雨で煙って見通しが悪く、島の景観はあまり楽しめませんでしたが、そもそも天草周辺の海はたいてい穏やかなのだそうで、問題なく到着。一方、M先生から、飛行機は視界不良で欠航との情報。スローペースが幸いすることもあるらしい。

船中でガイドマップをみてやっと思い出しましたが、天草といえばイエズス会の神学校(コレジヨ)があったところ。昔、esopo no fabulas をよむ授業を担当したものとしては、ぜひ訪れたい気もしますが、調査の予定がみっちりで、今回は寄る余裕はなさそう。知らなかったけど、なにしろ、天草、でかいし(熊本県なことも知らなかった)。

ふたたび西条・小松へ

2015年02月28日 | フィールドワークから
きのうは、去年9月に訪れた、西条、小松地区へ。そのとき気になったことがあったので、もうお一方、旧石鎚村出身の人にあっていただけるよう、お願いしてありました。結果、その方にも問題の特徴がみられ、個人的なものではない可能性が高まりました。

旧石鎚村は、住みつづけてきたさいごのお一人が、この冬、山をおりたあと、もう戻らないことにしたそうで、ついに無人に。今回お会いできた方は、昭和48年に小松町に移住したときが37歳、すでにこちらでの生活の方が長くなりました。それでも地域固有の特徴(?)を残しているのは、アクセントとはそういうもんだ、という以外に、集団移住した「石鎚団地」で暮らしてきた、ということもあるのかもしれません(前回もリンクしたこちら参照)。今回も教えていただけた前回の方とも「以前のご近所さんとあって話すのがいちばん落ち着くなあ」と話し合ってらっしゃいました。この村の事情をさらに知りたくなったので、郷土史研究家である館長に相談すると、小松温芳図書館の学芸員の方を紹介してくださいました。活字化されていない郷土史書があるそうで、近いうちに再訪して見せていただくことにしました。



終了後、伊予小松駅前のMARUBUNへ。前回来たとき気になったのですが、松山を中心に8店舗を展開するレストランで、ここが本店。入ってみると、大繁盛。世話をしてくれたオネエサマが、大きな荷物をみて「電車大丈夫ですか?」。状況を話すと、早めにサーブするよう取りはからってくださいました。伝票には「1時の電車」(赤の下線で強調)とありました。ということで無事、13:01の予讃線で帰途に。愛媛はもうポカポカで、「春になったんだ~」と思っていましたが、名古屋に戻ってみるとぐっと寒く、春はまだもうちょっと先、というかんじ。


今回はここでおしまい。得られた知見そのものもさることながら、鵜島、小松(石鎚)と、また訪れるべきところができたのが、大きな財産でした。

大島・宮窪地区

2015年02月26日 | フィールドワークから

昨日に引き続き、やはり今治市所属の、大島・宮窪地区へ。大島は御影石の産地として有名だということを今回、知りましたが(そんなことばっかりですが)、今治市宮窪支所、元宮窪町役場の前の「閉町祈念碑」もそう?(見ても分からない)。町としての歴史を終えるにあたって作った記念碑を見たのは初めて(ググってみたところ珍しくないようですが)。複雑な想いがこめられている気がしました。昨日の鵜島から、海を隔てて1Kmあるかないか。だけどアクセント体系ははっきりと違う。下の写真は、鵜島への渡船が出る宮窪港から振り返って撮ったものですが、奥の山の一部がすっかり削り取られていて、映っているところから下もずっと穴状に掘られているそうです。



「一人ずつはちょっと...」と、お三方同時の面会だったので、コーパスに沿った調査を全員にやるのはあきらめ、お二人にマイクを装着していただいて、会話を録音。今回のために買い足したヘッドセットマイクを使って、LRチャンネルに分離して録音。いろいろな話を聞かせていただきました。採石は死亡事故も珍しくない危険な仕事で、ほぼ男性のみの仕事だったそうですが、最近は男性に混じって働く女性も若干いるそう。「しまなみ海道」のおかげで、今日は今治駅前からバス一本、32分での到着でしたが、話者のみなさんの若いころは、島を出る交通手段は宮窪港からの船で、主な行き先は今治(四国本土)、行き帰りは、早くても丸一日がかり。大島内で山を隔てた吉海町とのつながりは、深くなかったそうです(吉海でも同じ情報→こちら)。でも、アクセントはほぼ同じなもよう。。。

鵜島へ

2015年02月25日 | フィールドワークから
今日は、今治市の鵜島へ。大島と伯方島の間、現在16戸、27人、60代前半のお二人がもっとも若い、という小さな島。でも、私たちの調査にとってたいへん重要な島ということになりそう。島の生活や、その移り変わりも含めて、お三方に2時間じっくり教えていただき、感激でした。


小さな港にはあひるが5羽。調査のお世話をくださった区長さんたちがめんどうをみているそう。



大島~鵜島~伯方島を往復するフェリーの待合所が、土日と祭日だけオープンするカフェになっていて、お客はほぼ島民、値段も(島民は)半額にしているんだけれど、なんとか採算がとれているそうです。再訪の必要ありなので、こんどは週末に。


新居浜で調査

2015年02月25日 | フィールドワークから
月曜日から、愛媛東部に来ています。スタートは新居浜市泉川地区。会場の泉川公民館へむかう途中、写真の看板を発見。よくあることですが、赤の文字が先に消えて、伏せ字だらけ。調査に応じてくださったお二方はたいへんよくしてくださり、調査終了後は、ホテルまでわざわざ車で送ってくださいました。



こちらの不備で、確認したいことの結論が下せなかったので、調査のなかった昨日は、調査コーパスの改訂作業。ホテルから出る時間になったので、近くのカフェに行きましたが、しゃれたインテリアに、「オリエンタルカレー」等の古い看板、と不思議な空間(Webpage)。写真右奥に顔だけ見えるペコちゃんは、セーラー服姿。あとからやってきたオネエサマ達が、毒を吐きまくっていて、圧倒されましたが、落ち着いて作業を終了。ここまでの東予の調査で耳に残ったのが、「××しょーわい」「いんでこーわい」のような「わい」という文末形式ですが、ばんばん使ってました(引用形式が多かったが)。




東温市へ

2014年11月19日 | フィールドワークから
今日は午後から、東温市で4人のみなさんに教えていただけました。視覚障害者のために朗読資料を録音する、「音声グループ」、「はなみずき」の方々。こちらの専門は「音声です」と告げると、「あら~、...それはどんな学問?」。「ケータイを持っていないと聞いたから、80くらいのお年寄りがくるのかと」思ったそうです。

新聞記事などの録音資料を作成・配布するのが主たる活動ですが、音質の悪さが悩みの一つらしく、私の録音機材に興味を持ってくださったので、マイクの選択や使い方など、すこしお話しする機会がありました。これをきっかけになにかお手伝いすることが見つかればいいなと。いつも一方的に恩をいただくばかりなので。

調査から帰って、夜、松山在住の先輩が会ってくださり、とっっっても深~いお話をうかがえました。これで今回はおしまい。お願いしたところはまだあるし、今回調べられなかったところもたくさん残ってる。またできるだけ早く、何度も訪れるようでないといけません。