時々雑録

ペース落ちてます。ぼちぼちと更新するので、気が向いたらどうぞ。
いちおう、音声学のことが中心のはず。

待っててくれた

2012年05月28日 | 日本のくらし
この一月、私の祖母が亡くなったのですが、先日、こんどは嫁さんのおじいちゃんが、87歳で亡くなりました。一月、そして今月と、娘の曽祖母、曽祖父が相次いで亡くなり、これで娘からみて三世代上の人は一人もいなくなりました。リンパ腫発見の第一報をもらったのが3月末、ご高齢でも血液の癌は進行が速く、辛い処置は取らない方針を決めたこともあり、あっという間に悪化して二ヶ月で亡くなってしまいました。正月にひ孫3人に囲まれてご満悦だった時からは想像もつかない急展開。二人とも娘の誕生を喜び、会えるのを楽しみにしてくれていたので、昨年日本に帰ってこられて、「なんとか間に合った」ということかと最初は言ってましたが、むしろ、二人ともがんばって、ここまで待っててくれた、ということなのかもしれません。

さて、この土日が通夜、告別式で一族が集まりました。献花のときに娘が大はりきり。初孫で、結婚するために家を出るまでずっとかわいがってもらった嫁さんが大泣きするのに反応して自分も涙をぬぐいつつ、初めから終わりまでずっと花を添え続け、さらに自分で庭から採ってきた花や楓の葉も散らす。これには、とうちゃんぐっと来ました。彼女ははりきりすぎて限界に達し、7時過ぎに撃沈。ところが夜中に起きて、珍しいことに眠れなくなり、泣きながらしきりとあれこれ訴える。多少のねぼけもあるのか、言ってることの理屈はいまいち理解を超えていましたが、人の死の意味に対する理解が彼女なりに進み、何らかの「怖さ」も感じていた結果ではないかと。

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ところで、昨日の儀式の合間に親族の一人から「あなたのところは宗教は何だ(たぶん仏教の宗派でも尋ねている)」と聞かれ、「分からない」と答えて相手を絶句させてしまいました(何だっけ...)。これを筆頭として、今回も自分のこの手の儀式に対する極度の無知にいろいろと気づかされました。無神論者は日本でも暮らしにくいということか、単に私に一般的な知識がなさ過ぎるということか。今回焼骨を壷に収めるのに初参加しましたが、(当たり前ながら)これを専門の職業にしている人がいるということに気づかされました。日々、何年にも亘ってこの作業をし、知識や経験が積み重なる、というのはどういう感じなのか、聞いてみたい。そもそも、あれは何という職業なのでしょう。。。 その人が骨を一片示して、「これが、喉の骨です」と言うので、「まさか、化石でも残りにくい喉の軟骨(だから、古代人類の言語音声生成能力に関する証拠を得るのが難しいはず)が焼けないで残るのか?」と思ったのですが、あとで調べてみると、やはりそれはないようで、思い出せば担当の方も、喉の辺りの頚椎の骨、と言ってました。

地域に大貢献した方だったので参列者も多い立派な式で、それを無事に取り仕切った義父はカッコよかった。それにひきかえ、みんなが悲しみにくれているところでこんなことを考えていた私は、ホントに人でなしです。

見ました

2012年05月21日 | 
日本時間の今朝、金環日食があったわけですが、わが家も庭に出てみました。金環状態になっていても光は強いので肉眼で見てはいけない、と聞いていましたが、確かに直接見られるようなものではない。その代わり、木漏れ日を観察。話には聞いたことがありますが、たしかに写真のように輪状に。

じっくり直接見ることはできませんでしたが、それでも、陽の光が雲にさえぎられることなく射しているときの感覚からするとなんだか微妙に暗い。調整を完璧に施されたTVの映像を観るのでは感じられないであろう実感はあった気がします。

Science Fridayのゲストとして登場した、アメリカのシンシナティ天文台のDean Regasという方の話によれば、この現象は18年11日6時間周期で見られるけれど、二週間ほど後の、「金星が太陽の前を通過する」ってのは、もっと地味だけれど次に見られるのが2117年で、これは一生に一度、お見逃しなく、とのこと。

まだ現役

2012年05月20日 | 日本のくらし
4月から母校で非常勤をやらせてもらえることになり週一日、早稲田へ。先日、以前よく行っていたお店に行ってみました。天麩羅の「いもや」は早稲田通りの一つ裏、あまり目立たない通りにあります。渡米以前、おそらく8年前ごろはまだやっていましたが、ご夫婦(だと思う)ともだいぶんお歳をめしたはず。さすがにどうかと思ったのですが、うれしいことにまだ続けていらっしゃいました。

味も出し方も、全然変わっていなくて、たいへんおいしくいただいたあと、ちょっと話してみると、ここで店を開いて29年目、とすると私はちょうど開店当初に通いだしたことになります。あちらも顔を覚えてくださっていて、「まだやっていてくれてうれしかった」と話すと、もうお二人は75歳を回っていらっしゃるのだけれど、「どちらかが倒れるまで」続けるおつもりとのこと。

岐阜から一週間に一度通っていると話すと、お土産にしなさいと、天かすを持たせてくれました。写真のようにうどんに入れましたが、うどんが大好きなはずの娘が、天かすだけを拾って食べていました。

河合信和 『ヒトの進化七〇〇万年史』『人類進化99の謎』 + Mellars, P. Why 60000 years ago?

2012年05月02日 | 読書録
担当している言語類型論の授業で、人類の世界への拡散のようすが議論の前提になります。そこで、表題の2冊を借りて最近の古人類学の動向を勉強してみました。この2冊は出版が2010年と2009年で、Danisova人の発見や、ネアンデルタール人との交雑など、最新の発見の情報が盛り込まれています。

『ヒトの進化...』は、古人類学の研究史に沿って詳細に記述されており、消化しきれない部分もありましたが、Nature、Science等に載った重要論文へのガイドとしても有用。筆者は、古人類学の研究を「300ピースのジグソーバズル」に喩え、現在は、まだせいぜい30ピースほどしか見つかっていない状況でストーリーを組み立てている状況だと述べます。研究史は新たな発見による定説の大転換の連続、この数年も大発見ラッシュで、今後も人類史は大幅に書き換えられていくに違いないと。

でも、ほぼ確実な知見もやはりあるわけで、そのうち重要なものの一つが、人類単一種説は誤りであること、もう一つが、現生人類がアフリカ起源であることでしょう。ヒト族はその他の類人猿との共通祖先から分かれたあと、さまざまな種に分岐し、複数の種が同時期に同じ地域で暮らしていたことがほとんどだった。アフリカを出て行った集団もあったが、最後にはアフリカで生まれた一つの種を除いて全滅した、と。

興味深かったのが、これに関連するつぎの問題。形態的に(遺伝的にも)現代人と同じ種、ホモ・サピエンスが誕生するのが20万年ほど前だとしても、行動や認知が現代人と変わらないレベルに達するのは、5万年ほど前、それも急激に変化したという説(The great leap forward)があるけれど、調査の行き届いた欧州の遺跡における文化の高さを強調するあまり、アフリカでじょじょに進んでいた文化的発展の証拠に目が向いていないという批判があり、河合氏の考えでは、後者の勝ちでもう決着済み。古人類学の研究史上、新発見によって欧州の優位性が繰り返し否定されてきた、と見えるのですが、The great leap forwardは、なんとか欧州の人々にとって「気持ちのいい」結論を導き出そうと手口を変えてみた、と見えなくもありません。

この点に関して、専門の文献にも目を通そうと、下の論文を読みました。7、8万年前、アフリカで急激な気候変動があったころ、ヒトは道具を精緻化させた。おそらくこれに成功した、アフリカのある狭い地域にいた小集団が、6、7年前にアフリカ内部で拡大、さらに6万年ほど前、出アフリカに成功した集団が現れ、これが世界に拡がった、というモデルを提案。この「出アフリカ」に成功したのがおそらく数百人という小さい規模で、アフリカ外の現生人類は、すべてこの集団の持っていた遺伝要素を受け継いでいるようです。ここでかなり遺伝子的多様性が絞り込まれたことになります。

Paul Mellars. (2006). "Why did modern human populations disperse from Africa ca. 60,000 years ago? A new model"
               Proceedings of National Academy of Science, USA, 103, 9381-9386.

Mellarsさんは、装飾や儀礼など、象徴を操る行動や、道具の精緻化などの証拠から、この「出アフリカ」を可能にした認知的成熟は10万年前には達成されていた、と考えています。私にとって重要なのが、ここに言語も含まれること。つまり、アフリカから出る以前の段階で、言語は現在われわれが知るレベルに到達していたという主張です(逆に、世界に人類が拡散してから、それぞれの地域で現在と同じレベルの言語へと発展したのではない)。世界中の人類の言語能力が変わらないことからも、穏当な結論に思えますが、だとすれば、現在の世界の言語は、たとえ遠い関係であるにせよ、すべてアフリカの言語に起源を持つ、ということになりそうに思います。この点について、もっと勉強したい。

一方『人類進化...』は、前者と重複する内容も少なくなかったのですが、個人的に面白かったのが、「ネアンデルタール人の暮らしは厳しかったのか」という節。アフリカで誕生してそこに適応して暮らしてきた人類が、そこを出てもっと涼しい~寒い地域に定着するのがいかに厳しかったかうかがい知ることができました。われわれ現代人の祖先も、6万年前の成功以前は、定着できず引き返したか、そこで絶滅してしまったのでしょう。知恵と冒険心あふれるご先祖様に感謝。

もう一つが「人類は絶滅するか」という節。筆者の考えは「67億人もいればいかなる壊滅的打撃にも抵抗力を示す個体がいるはず。ほんの少しでも生き残るだろう」。先日、Science FridayでIan Tattersallという方が、「人類はとてつもない個体数がおり、世界中で接触している。集団が孤立し、そこで生じた遺伝子の変異が定着する余地がないので、現状からは進化しないだろう」と述べていました。何かがあり、個体数を大きく減らしたとき、再び現生人類は他の何かに進化を始める、ということになるのかもしれません。