時々雑録

ペース落ちてます。ぼちぼちと更新するので、気が向いたらどうぞ。
いちおう、音声学のことが中心のはず。

去る人を送る

2006年01月31日 | Bloomingtonにて
先週の金曜日、Caitlin Dillonという学生がPh.DのDefense(口頭試問)を行いました。審査委員長はKen先生。申し込んで聴衆として参加しました。会場は学科の小さな会議室。言語学科のウェブにも載っているくらいだから完全に公開なんだと思いますが、それほどの参加者はなし。4人の審査委員と何人かの教授、音声学や音韻論の院生とポスドクが数人。

彼女は私がこちらに来てから言語学科からは初めてのPh.D。研究内容は知っていましたが、Defenseというものを見るのは初めてでした。研究の内容は素晴らしいし、鋭い質問もありましたが、立ち往生するようなことはなくてきぱき答え、終了後審査委員がサインをして、彼女は晴れてPh.Dになりました。

彼女の仕事は耳が不自由で人工内耳(Cochlear Implant)で聴覚を補助している子の言語能力の研究です。そういう子は、どうしても読みの能力などの言語能力が耳が正常な人に対してやや劣りがちなのだそうですが、原因はもちろんIQなどの一般知的能力が劣っていることではありません。そのようなハンデがないのに、語彙量、語の(短期的な)保持能力などの言語能力が劣る傾向があるらしいのですが、それを説明する鍵が、Phonological awareness(「音韻認識」と仮に訳します)、つまり連続した音を非連続な音韻という単位に分析する認知能力の発達にあるだろう、というのが研究の理論的背景。その音韻認識とさまざまな言語能力との関連を検討したもので、「これまで誰もやっていない、パイオニア的な研究だ」と審査委員の一人言語心理学のビッグネームDavid Pisoni先生がほめていました。

子供たちは、聴覚が正常な子達と小さいころの言語能力なら同世代とほぼ変わらないのに、成長するにつれだんだんと差がついていくのだそうです。それはこの「音韻認識」の発達を促進するような教育が施されないからだ、というのが研究の結果の主張になるようです。で、彼女はこのあと、「音韻認識」を組み込んだ教育プログラムの効果を検討するプロジェクトを行うメンバーの一人として、Haskins研究所という音声科学をリードする研究所に研究員として2年間行くことが決まっていました。

土曜日にアパートで勉強していると彼女からメールがあり、なんと月曜日に出て行くので、最後にみんなとお別れがしたいとのこと。ダウンタウンにあるIrish Lionというアイリッシュビールが飲めるレストランに行ってきました。そのとき聞いたのですが、彼女はそもそも子供が好きなのだそうです。昨年末、Ken先生の家でクリスマス前恒例の「パンケーキ朝食会」がありお邪魔したのですが、Caitlinが二人の息子JohnathanとJoshuaの話を一番聞いてやっているのを見て、そうではないかと思っていました(やつらは人なつっこくてかわいい、私にも持ってるミニカーを見せて、説明しまくります)。新入生歓迎会(公園で家族も一緒にバーベキュー)でも、彼ら二人といちばん遊んでやっていたのは彼女でした。私も入って、2対2でバレーをしたのを思い出します。研究に関しても、発表で見た実験ビデオで、遊びの要素を加えつつ上手にインタラクションを取っていて感銘を受けました。素晴らしい仕事をした先輩がいるというのは、誇らしいことです。

彼女は、私がアパートを探しに行った2005年の6月、言語心理学の研究室を案内してくれ、さらに暇だろうからとちょっと連れ出してくれました。友達の旦那さんのソフトボールの試合を見に行き、そのカップルが契約したばかりの家を見に行く、など新参者にいろいろ気を使ってくれたのです(ちなみに、そのしばらくあと、その家は4th of Julyを祝う花火だかなんだかが飛び込んできて、全焼したそうです)。

別れ際、初めてアメリカ人のHugを体験。いちおう、仲間として扱ってもらえたと思うことにします。彼女は今日、コネチカットに引っ越していったはずです。日本土産にあげた「くいだおれ人形ストラップ」も持ってってくれたでしょうか。私がBloomingtonに来て最初に、一番世話になった人が出て行くのは寂しいことですが、健康と活躍を祈りたいと思います。

追悼Web

2006年01月28日 | 
昨日の続報です。UCLA音声学研究室のWebに追悼ページができていました。もうご覧になった方もいるかもしれません。リンクをいちおう貼っておきます。亡くなってたった3日でこんな立派なページができるのはちょっと不思議な気もしますが、すごい勢いで作業をしているらしく、これを書いているうちにもさらに情報が増えました。

http://www.linguistics.ucla.edu/people/ladefoge/remember/index.htm

昨日書いた、ウェットスーツ姿でサーフボードの写真もあります。今日は音声学の授業の実験セクションの日なのですが、院生インストラクターのEricもちょっと話題に出していました。母音の音声転写の訓練のため、彼のCardinal Vowelを元祖・Daniel Jonesと比べたりもしました。比較したことはありませんでしたが、かなり違います。Ladefoged氏はJonesの弟子のAbercrombieのさらに弟子なんだそうで、いわば3代目。イギリスでは、何代目かということがとても重要なんだそうで、音声学者は自分がJonesから何代目かということを真剣に話すのでびっくりした、とKen先生が授業で教えてくれました。Ericは昨日、(追悼の意味で?)彼が技術指導をしたという(で、さらにJonesがHiggins教授のモデルだという)My Fair Ladyを見たそうです。

私は学部2年のときに、Daniel JonesのCardinal Vowelのテープを聞かされて、まあそれなりに習得しました。その感覚は今でも消えてはいないようです。あそこで音声を聞いて発音して、IPAで記述する基礎を作ってもらったことを、訓練を再び受けてみて、改めてありがたく思います。教えてくれた田村すず子先生は服部四郎の弟子ですから、私もいちおう3代目でしょうか。(比較するとはおこがましい...)

おくやみです

2006年01月27日 | 
今日9時ごろ図書館にいたら、院生のAnupam(インド)が来て「Ladefogedが死んだよ」と言います。「また冗談を~」と思ってあいまいな笑いを浮かべていると「冗談じゃないよ、さっきStevens先生からメールが来たんだよ」と言います。IPAのサイトにもお悔やみのメッセージがあります。80歳だったそうです。

今学期はついにKen先生の授業を受けていますが、その一つ、Introductory Phonetics (L541)の教科書が、Ladefoged氏の著書、おなじみのA Course in Phoneticsです。古い版でもいいよ、と先生は言いますが、昔読んだ第3版を日本を出るときに捨ててきました。で、新しくなるごとにどんどん高くなっているこの本、出たばかりの第5版はなんと、$77! 「初級の教科書の値段じゃないよ~」と泣きが入りましたが、CD-ROMにはX線のビデオもついて、けっこう金がかかってることも確か。

さらに、今回は初版以来初めて、大改訂をしてます。これまでは後半でちょっと触れるだけだった音響音声学を最初から全面的に説明に使っているのです。一つには、ここ10年くらいで普通のパソコン上で動く音声分析ソフト、それもタダのものがかなり普及したため、音声学教育にも音響分析を取り入れやすくなったということがあるでしょう(L541ではWavesurferでとりあえず学ばせるようです)。もう一つには、音響音声学を前面に押し出した Acoustic & auditory phonetics (Keith Johnson) の成功も刺激になったでしょう(これもL541の後半の教科書です)。ということで、値段は高いですが確かに改訂して良くなってはいると思いました。「遺作」ということになるのでしょうが、このロングセラーを最後にup-to-dateにして残せたのは良かったのではないかと思います。これで、このあとさらに5年は読み継がれるのではないでしょうか。

ところでLadefoged先生、インドにフィールドワークに行ってから祖国イギリスに帰り、そこで倒れてそのまま亡くなったのだそうです。なんとも立派な最期、フィールドワーカーの端くれとして鑑とせねば。彼の個人ホームページには最近、ウェットスーツ姿でサーフボード持ってる写真があったと思いますから、相当「お達者」なおじいちゃんだったんでしょう。Ken先生はUCLAでポスドクをしているときに直接交流があったはず。私は一度だけ日本に講演に来た時に見たことがあります。「声の低い人だな~」という印象でした。直接話すことはついにありませんでしたが、Elements of acoustic phoneticsの2版などで教えていただきました。ご冥福を。。。

「日本人」の知らない「日本語」

2006年01月26日 | 
今週、言語学科の大学院生の読書室、兼談話室、兼郵便ファイル部屋、兼....(つまりは他に部屋がない)で台湾人の院生二人(Jung-yuehとYen-chen)と話していました。三人とも各自のお弁当を持参。ちょうど彼女たちが食べていたバナナを中国語でなんと言うかという話しから外来語の話になって、で彼女が日本語からの借用語もいろいろあるんだよ、と話し始めました。聞くと、たしかに日本語に間違いないものがいくつか。さらに、よく使う日本語のフレーズを教えてくれたのですが、それが、

「頭コンクリ」

です。私は即座にげらげら笑い出しました。で、「聞いたことがない」というと彼女は驚いていました。「馬鹿、という意味だよ」と言うので、「わかるわかる、意味はすぐ分かったけど、聞いたことがない。日本でも言う人はいるかもしれないけど、広く知られてはいないと思う」と答えました。これのインパクトがあまりに強く、他は全部忘れました。

確信はないので帰ってからgoogleで検索してみましたが、ぞろぞろ出てきた。でもそれは日本で使われてるのではなくて、台湾で使われてるんですね。日本統治下時代に誰かが教えたんでしょうか、むこうで勝手に作ったんでしょうか。ご存知の方がいたら教えてください。

教えてくれたJung-yuehは動揺していたと思います。当然知っていると思って口にしたら、私が大ウケした上で、「知らん」と言ったからでしょう。もちろんバカにしたわけではなく、その表現が実に分かりやすくインパクトがある上に、彼女が中国語なまりの日本語で「頭コンクリ」と発音したときの、かわいいともなんともつかない「味」がおかしくてたまりませんでした。気の毒なことをしたかもしれません。

というわけで、またもや自分の知らない「日本」を教えてもらいました。これは「日本」ではないかも。でも「日本語」だと言ってもいいとは思います。いわゆる「日本人」が使うものだけが、「日本語」でもないでしょうから。

ついでに:「いわゆる」で思い出しましたが、こちらの人が会話をするときに、ときどき両手を顔の横に持ってきて(お釈迦様の上げた手のようなポーズを両手でやる)、人差し指と中指だけを曲げたり伸ばしたり動かすのが気になっていました。しばらくは謎のままあまり気に留めなかったんですが、だんだん分かってきました。もうすでにお気づきの方もいると思います。

誰かに聞いて確認したことはありませんが、あれは引用符(" ")を表現するポーズのようです。「この単語を使うことが適切かどうかは保留するけど、いわゆる「×××」ね」という意図で使うらしい。上の例で言えば、「日本語」とか「日本人」を口にする時、同時にこのポーズをする。「何をもって「日本人」というかは保留するとして、いわゆる「日本人」ね」というメッセージを伝えられる、ということみたい。彼らにとっては普通みたいですけど、ヘンです。私にはカニの真似をしてふざけてるように見えてなりません。

大公開で募集中

2006年01月21日 | Indiana大学
新学期が始まって二週間。ようすもつかめてきたと同時に、ちょっと疲れ気味。でも、実はもっと疲れて、かなりヘロヘロなのが先生たち。この時期は仕事が重なるようなのです。

その一つが、受験生の審査。あちこちから送られてくる書類を、いくつも見なくてはならないそうです。もう一つが、新しい教員候補者の審査です。わが言語学科は、今年の秋学期に向けてComputational Linguisticsの教員を探しているらしく、5人の候補者が入れ替わりIndianaを訪れて、面接をし、発表をするのです。言語学科の教員は、学科の候補者だけでなく、認知科学科の新任教員の審査にも顔を出す必要があるらしい。言語学のPh.Dの必須項目の一つ「副専攻」の選択肢に「認知科学」があるし、そのため言語学科の教員で、認知科学科の兼任教員になっている人が多いからでしょう。それで春学期が始まって以来、毎日といっていいほど発表を見に行かねばならないようです。

ご存知の方もいるかもしれませんが、驚いた方もいるのではないでしょうか。こういうことを、大学院生も知っているのです。というより、候補者の審査に関わることを期待されているらしいのです。私だけこっそり教えてもらったわけではありません。どこの誰が応募してきているかは、院生にもすべて公開。発表会の予定もEメールで伝達されるし、候補者と学生が発表について話し合ったり、学生の研究の話を聞いてもらったり、という場も設けられるのです。「教員の重要な仕事の一つが院生と関わることだから、それがうまくいきそうか、ということも審査の重要なファクターなんだよ」とKen先生が教えてくれました。私も、学科が出してくれるピザとジュース目当てに、親睦会を中心に参加しております。

今日は認知科学の候補者。でも言語産出の研究をしている人で、興味があったので発表会も参加。50人ほどの言語学・認知科学の教員・学生を前に、堂々としたいい発表でした。研究業績もたくさん。おそらくIUとしては是非採用したいのでは。他の大学にも応募しているらしくて、この田舎には来てくれないかな。ぜひ教わりたい気がしたのですが。…

大学に就職するためにはあんなにすごくないといけないのか、と圧倒されてしまいましたが、今日の人はちょっと特別だったかも。「本当に優秀だと売り手市場なんですね」と帰りにBrianさんと話しました。それにしてもこの採用事情、絶対に全て秘密裡に進められる日本の教員採用とあまりに違って驚いてしまいました。われわれ学生にとっては、事情が分かって、参考になること間違いありません。また、来週もあります。昼食代が浮いて助かる… じゃなくて、「先輩」の話を聞きに行こうと思っています。

「よそ者」市長さんのことば

2006年01月18日 | 
何度も書いたとおり、ずっとTVがない生活をしています。こちらの国の情報はNPRとNew York TimesのWebで仕入れます。あまりちゃんとチェックしていませんが。昨日(16日)の記事で、ことば、とりわけ方言に関する記事があったので、紹介します。もっともNew York TimesのWebはたいていが無料で見られるので(会員登録必要)ご存知の方もいると思います。

就任して4年のNYの市長Bloombergさんが、この4年で出身地のBostonなまりが抜けてきて、NYなまりに変わってきている、という趣旨です。この記事、Webのトップに近い位置にありました。日本と同じく「どこのことばをしゃべってると聞こえるか」ということは政治家にとってかなり重要なようです。

BloombergさんはNYに移住して40年なんだそうですが、聞く人が聞けば明らかに、Bostonのことばだと分かるし、それを"brick-throated bullfrog,"(よくわかりません「のどがレンガでできたガマガエル」みたいな声?)と揶揄する作家もいるんだそうです。でも、そのことばに変化が、という記事。おもしろいのは、
1) その変化が意識的なものかどうか、議論の対象になっている
2) それを論じるために、数人の学者に意見を聞いている
ことです。

William Labov御大も登場して、「市民と接触するうちに無意識のうちにシフトしたんだろう」ってな意見を言ってます。逆に、有権者を意識した意図的な行動だ、という分析もありましたが、私見では「どっちなんだ!?」と追求してもあまり意味がないだろうと思います。同化するにせよ、同化を拒むにせよ、「意識・無意識両面ある」という結論にしかならないだろうと思うので。

去年のハリケーンKatrinaの後、インタビューに答えるNew Orleans市長Nagin氏の録音がNPRで聞けました。合衆国政府の援助の遅れを非難する彼のことばは、私でも分かる程度に標準発音とははっきり異なっていました(たぶん、南部なまり)。これは、彼自身の出自によるところもあるでしょうが(New Orleans出身だそうです)、市民へのアピールのため、半ば意識的にその特徴を隠さず強く打ち出している面もあるだろうな、と感じましたが。

音声的な特徴として比較されているのは、おなじみの「postvocalic-r」があるかどうか(car、father...)。一般の人にわかりやすいんでしょうが、またそれかい… ちなみに、他に意見を求められているのも音声学というより方言学の学者さんでした。(日本で言うと、たとえば故金田一春彦博士が出てきて、ガ行を鼻音で発音してるかどうか云々…)

BostonはNYよりも古く発達した都市らしいし、有名な大学もたくさんある地域なので、日本で言えば「東京都知事が京都の人で、40年も東京にいるのにずっと京都方言で話してたけど、就任から4年たって少し東京っぽくなってきた」という感じ? なお、「よそ者」市長は彼が初めてではないそうです。

この記事の中では「余談」ですが私にはもっと面白かったのが、彼がスペイン語を勉強中で、さらに選挙演説を中国語(数種類の方言で)、ロシア語、ウルドゥー語、朝鮮語で録音した、という点。多様な民族を抱える大都市の首長になるのは大変ですね。日本も東京都知事候補は少なくとも××語と△△語で演説できるようじゃなきゃ、ということになったら、東京ももっと面白い都市になるんじゃないかと思います。

LSA 4 Rio Grandeを見た(?)

2006年01月15日 | 旅行記
結局ろくに観光はせずに終わりました。その顛末などを書いて今回の旅行記みたいなものを終えます。

 話しがちょっと戻ります。ポスターは12月30日にいちおう完成していたのですが、追加のデータを分析していた1月1日、測定データに対するいくつかの分析のうち最後のものについて、「この分析の手法は正しくない!」と気づきました。まったくでたらめをやっていたわけではないし、やり直し後の結果も大きくは変わりませんでしたが、理論上より正しい分析をした方が、自信を持って発表できることは間違いない。迷った末、2日寝ずにやれば間に合うと判断して、すべてやり直しました。

 2日合計で4時間くらいは寝られました。修正したデータを差し替えポスターを完成させたのは、出発する4日の朝1時過ぎ。仮眠をとって3時におき、4時に家を出て図書館でポスター印刷をしたので、もう到着した日はヘロヘロ。私の場合体調を戻そうと思ったら、運動して、食って、寝るのが一番なので、アルバカーキでもジョギングをしました。発表の翌朝は、空港のある山側の小高い所まで走りました。山に囲まれた盆地にあるアルバカーキ。旧市街地で川沿いの低地にあるので、市街地が睥睨できました。あまり成功ともいえない発表のあとでしたが、気分転換になり、その後の学会を楽しもうと思えました。

 この街は色からしてBloomingtonと全然違う。Bloomingtonは緑。木がいっぱいで、もともと森だったところを切り開いた、という感じ。アルバカーキは黄色。砂漠の中の街。木がなくて、毎日快晴で、遠くまで見渡せる。Bloomingtonはある意味特殊なところだと思います。アメリカにいるというよりはアメリカの大学という特別な環境にいるという感じ。あんまり暮らしやすいので、異国にいる緊張感も抵抗感もあまりないのですが、ここへきて初めて「アメリカに来た」という実感がしました。

(写真は学会会場のConvention Centerです。これで見ると木があります。が、山肌も背の低い草や低木があるだけで、全体の印象は本当に黄色です)

 最終日、Jungsunさんの発表だけ聞いて会場を抜け出し、観光地になっているOld Townというところまで歩きました。ここでも、一番古い定住地は川沿いだったらしく、会場からおよそ3キロ、Rio Grandeに向かって歩きました。歩いた道はRoute 66というシカゴからL.A.までを結んでいる歴史的な道だとか。だんだんスペイン語で書いてあるレストランが増えてきましたが、日曜日で閉まっているところが多い。長距離バスのターミナルがあって、ちょうどL.A.行きのバスが出るところ、見送りに着ている人たちの言葉もスペイン語。

 で、目的のOld Townの看板があるところには来たのですが、観光用の場所がどこか分からない。その近くに「行ったら危ない」という地域があると聞いていたし時間もないので深入りは避け、そのまままっすぐ歩いてRio Grandeを見てきました。たいした幅もない、浅くて土で黄色く濁った川。本当にRio Grandeを見たのか、確信がありません。首をひねりつつ、でもRio Grandeを見たということにして、満足して、近くのスーパーでTシャツ買って帰りました。車で45分のところにサンタフェという観光地があるそうで、行った人もいるみたいですが、観光はまたの機会に。

 あとはBrian、Stevenと一緒に乗り合いシャトルで空港へ行って、今回の旅はおしまい。と思ったら、帰りの飛行機で、もう一つ出会いがありました。ダラスからの便で隣の席に座った女性が話しかけてきてくれて、Indianapolis到着までずっと話し込みました。Debbyeという名のその女性はIUの卒業生でIndianapolis在住、フリーライターをしています。ルポ、他人の原稿のリライトなどが主な収入源ですが、現在個人の本も執筆しているのだそうです。それは、去年亡くなった彼女のお母さんに誓った本で、死を迎えることが確実な人の看護がテーマだそうです。出版にこぎつけられるか分からないという話しでしたが、「本が出たら見つけられるように」とお願いして、フルネームを教えてもらいました。

 空港からはBrianが車で運んでくれました。学部生の授業も担当する彼はフィリピン系なのだそうです。彼はぶっきらぼうで怖そうに見えるのですが、実は親切ないい人でした。そういうことが分かるのも、学会のような特殊な状況のよさだと思います。お金はもちろん、家まで直接着けて、助かりました。

 振り返ると、とくに評価されたわけでもなく、自分の存在はほとんど知られないまま終わったのですが、いろんな人と会えて、学会の雰囲気も分かり、自分の大学の人のともたくさん話せた。発表については、ともかく最後まで持てる力を出し切ったと思います。自分の現時点での力も確認できたし、留学後、早い時点で今回のようなことを体験できて、本当によかったと思っています。申し込みを勧めてくれたNさん、サポートしてくれた先生に感謝。帰った次の日から春学期に突入しました、次回以降また報告しようと思います。

LSA 3 学会中の体験 雑録

2006年01月14日 | 旅行記
今日は学会中の体験を適当に書きます。

1. Korean Americanと話した

今回は、うちの言語学科の院生(2年目)のドンミョンさんといっしょにいることが多かったのですが、彼の紹介で(たくさんいる、と話には聞いていた)韓国系アメリカ人院生に会って、いっしょにお昼を食べたりしました。会えたのは言語学では名門のカリフォルニア大バークレー校の院生二人。私とはもちろん、ドンミョンさんともすべて英語で話します。彼らは2世。英語で育ち、韓国語の能力はそれほどでもないのだそうです。普段接する韓国人は、同国人があまりに多いためか、私のような他言語の話者がいてもすぐ韓国語に切り替えてしまう傾向にあるので、それとは対照的な言語行動をする彼らが、不思議でした。

2. 「有名人」を眺めた

 名前だけは聞いたことのある著名な学者の顔をかなりたくさん見ました。文法論のセッションには「どうせ分からないだろうけど有名人を見に行こう」と参加。名前から想像する容姿とは全然違う人が多かった。Peter Colicoverは顔が怖い。Luigi Burzioがあんなにやせて枯れた感じの人だとは。Luigiという名前から太った陽気なイタリアンを想像していました。逆に太ってひげを生やしたIvan Sagは勝新太郎みたい。音声学のJanet Pierrehumbertは案外小柄。Webで写真を見たことはあったのですが、アメリカらしい巨大な女性なんだと思ってました。James McClellandは、ちょびひげ生やして、小さな町工場の社長さんみたい。でも一番意外だったのはJohn Goldsmith。私は勝手にアフリカ系アメリカ人だと思ってたんです。白人なんですね。William LabovはTVで見たことはあったのですが、初めて実物を見ました。発表では、語ごとのフォルマントの値の分布が音韻環境によってどう条件付けられるか、というおなじみLabov流のF1-F2図をたくさんたくさんスライド(PPT)で見せつつ、ひたすら淡々と原稿を「読んで」ました。アメリカ人に多い、パフォーマータイプではないみたいです。

3. TVを見た

 普段はTVがない生活を送っていますが、アルバカーキではホテルのTVをけっこう見ました。ケーブルTVが入っていましたが、スペイン語のチャンネルがたった一つだったのはちょっと意外。ニューメキシコ州だからもっとあるのかと思いましたが、需要が少ないんでしょうか? それから、CNNなどのニュースで、特集を組んでひたすら報道していたのが、ウエスト・バージニアでの炭鉱事故です。20人がなくなり、たった1人が生きて救出されたのに、最初は全員助かったという連絡が家族に届き、いったん歓喜に沸いた家族たちがそのあとどん底に突き落とされた、という事故らしいですね。同じ映像が延々と繰り返され、現地にキャスターが飛んでそこから深刻な面持ちでレポートする、専門家がスタジオに呼ばれて議論、などなど、Nステーションとか、ニュース23とかにそっくり、っていうか日本が似ているのでしょうか。この炭鉱事故、日本ではそれほど大きく報道されてなかったようですが、こっちではアルバカーキにいる間中ひたすらこれでした。

 次回は、アルバカーキという街のことを少しだけ書いて、この報告を締めくくります。

鋼の錬金術師

2006年01月13日 | Bloomingtonにて
 今日の帰り、図書館前からバスに乗ったんですが、同じく乗り込んだ男性が黒いパーカーを着ていて、そこにどうやら日本の文字が。一生懸命のぞきこんで確認しました。袖口から肩にかけて

 鋼の錬金術師

と、書いてあります。家に帰り、たった今調べて分かったんですが、そういう漫画があるんですね、日本に。大変な人気があるのだそうで。しかも調べてみると、Bloomingtonの(ほんとうはこの市を中心としたMonroe countyの)公共図書館に所蔵されている。1冊だけですが、英訳で、出版地はサンフランシスコ! 読めるんですねアメリカで。パーカーの彼ももちろん漫画は知っているし、きっと読んだことがあったりするのでしょう。これまで接してきた限り、日本で知られていることといえば漫画・アニメが圧倒的なのですが、ここでもその一端をかいま見ました。アメリカで、日本にいて知らなかった日本のことを知ることが、時々あって驚きます。

去年どこかのショッピングモールで「おたく OTAKU」と書いたTシャツを見つけましたが、たぶんかっこいいと感じるんでしょうねえ。「鋼の錬金術師」も「おたく」も。

ところで「鋼の錬金術師」ってちょっとしっくりきません。「鋼の錬金術」って「鋼」を作るんでしょうか、「金」でしょうか... 「鋼」から「金」を作るって意味なら、それじゃ錬金術にならないし。 ???

 多分そういう問題じゃないんでしょうね。それだけです...

LSA 2 学会そのものはどうだったか

2006年01月11日 | 旅行記
今日は学会全体の中身について、印象に残ったことを。

1. ポスターは人が来ない

 1時間30分のポスターセッションは15ほどの会場で並行して行われている口頭発表セッションと重なっており、私のところに来てくれたのは全部で10人ちょっと。最後はお隣のポスターの方とお互い説明しあいました。Phoneticsという「くくり」のセッションですし、お隣さんはチベットの言語のピッチアクセントの研究だったので、お互いいい情報交換にはなりました。「図表がたくさんある発表ならポスターがいいでしょう」と申し込み要項にあったのでポスターを選択したのですが、聞いてくれた人に「例を聞かせてくれないかな、どんな感じになるの?」と言われることが多かったので、音声が聞いてもらえる口頭発表のほうが実は適切だったと思います。口頭発表がこれより人数が少ないこともあったし、口頭発表が絶対いいとは限らないようですが。

2. 面白い発表は多くない

 どこの学会でもそうでしょうが、面白い発表は一部だけでした。ビッグネームでもシンポジウムのスピーカーでも、面白いとは限らない。面白かったと思うものを挙げると、「コネクショニズムは言語研究に有用か」という趣旨のシンポジウムです。中庸派的(?)なRay Jackendoffが「ごくわずかな範囲の現象しか説明できない」とMcClelland、Elmanなどのコネクショニズムのリーダー的存在の人たちに非常に厳しい批判を投げかけ、かなり盛り上がっていました。

 情報理論と音韻論のシンポジウムでのJohn Goldsmithの発表はとても明快で、提示されたモデルや研究プログラムも魅力的でした。これも「一部だけしか説明できない」と批判されていましたが。確かに、この手の言語モデルでは、アルファベットで離散的に記述されたセグメント(とその集合としての単語)を主に扱っているような気がします。連続的な音声バリエーションや、アクセントをはじめとしたプロソディのような、もっと大きな領域に渡る現象があつかえるのか、あるいはそれはどうすれば可能か、まともに検討されたものはほとんど見覚えがありません(ワタクシの知ってる範囲に問題がありますが)。

 ちなみに、はじめて見たGoldsmithさんは、とっても理知的でいかにも「学者」という容貌(中身も)。外見は木こりのおじさんみたいだけど実はすんげー頭のいい、われらがKen先生とは対照的な印象。この人、廊下に設置されたコンピュータでしょっちゅうメールチェックしてました。

 「頻度と類推」のセッションでのRebecca Scarboroughさんの発表は個人的には今回の最優秀賞です。「他の単語との競合が強いはずの、neighborhood density(似た単語の多さ)が高い単語のほうが、単語内のcoarticulationが強い」という意外な結果を「coarticulationはむしろ単語認知(ここでは識別)にとって有用な情報だと考えるべきなのだろう」と結論付けていました。彼女はたぶんすっごく若いのだと思いますが自信満々、堂々とした発表。これぞアメリカ、という感じがします。「腹芸」を感じさせるベテラン学者の発表よりはるかに感銘を受けました。

 同じセッションのSusanne Gahlさんの「同音語同士でも、頻度の高い語の方が持続時間が短い。『頻度が高いと何度も口にするから短くなるだけ、頻度は言語情報ではない』という説明は不適切で、頻度は言語レベルの情報としてストックされている」という発表も面白かった。「音声バリエーション」のシンポジウムでの、われらがKen de Jongの発表も、包括的なモデルと今後の研究に対する提言に説得力があって、すばらしかったと思います。

3. 安上がりに徹している

 参加費も、特に学生は安いのですが、セルフサービスのコーヒー(Starbucks)とお茶が用意されているだけで軽食すら出ないし、ともかく安上がりにする方針に徹しているようです。土曜日の夜のレセプションでは、チーズ、ビスケット、フルーツなどが出て、チーズ大好きな私は大喜び。JungsunさんやDongmyungさんは「何これ、食事じゃないの?」と不満顔でしたが、安い参加費を考えるとここまででしょう。

4. 他の学会と抱き合わせで実施する

 日本の「日本語学会」が「方言研究会」「近代語研究会」等と時期・場所を統一して行うのと似ていました。「アメリカ方言研究会」「ピジン・クレオル学会」などが同時進行。日本の大学にいるアメリカ人の方言学の先生と会いました。彼は「方言研究会」に主に出席していたようです。

5. まだまだ自分には理解できない

 聞いていて理解不可能な発表が多かったです。英語のリスニング能力か内容の知識、せめて片方でももっとマシなら理解可能になるのでしょうが、そこまで達していないことを実感しました。教室で学生用の話を理解することはできても、先端の研究を(聞きなれない&多様な)英語で話されても理解できるようになるには、まだまだ修業が必要なようです。

以上、雑多に学会の感想をまとめてみました。次回に続きます。