時々雑録

ペース落ちてます。ぼちぼちと更新するので、気が向いたらどうぞ。
いちおう、音声学のことが中心のはず。

「卒業」しました

2006年03月31日 | Indiana大学
ついこの間まで雪が降ったり気温が0℃以下になったりしていましたが、その後数日雨がちの天気が続いたあと、ついに空気が入れ替わって暖かくなりました。今日などは昼の気温が24℃、いきなり5月かという天気で、自転車で走っていて汗をかきました。でもとてもいい気分。グラウンドや寮の庭で、サッカー、野球、フリスビーに興じる学生も急に大増殖。花もまもなくいっせいに咲き出すでしょう。私は花粉のシーズンになると鼻水が出る代わりに頭痛がひどくなるのですが、すでにしばしばひどい頭痛に襲われています(違う病気かもしれませんが)。

働いていた学校でわたしの「演習」に所属していた4年生4人も全員卒業したようです。彼らが3年生のとき私のゼミを選んでくれた時点で、私はすでに留学のための受験をひそかに考えていたので、彼らの卒業より先に自分が日本を離れることになると予想していました。実際そのとおりになり、ちょうど1年前の3月いっぱいで退職した私は、その後実際に日本を離れる8月まで非常勤として演習の授業だけ担当させてもらった上で、メールや掲示板を使って連絡を取りながら、卒業論文提出まで指導をさせてもらいました。

一方私自身は「学生」として、アメリカ言語学会の発表のためにKen先生に週一度指導してもらっていました。私は「研究は学生の自主性によるべきであり、指導する教員はあまり口出しをしてはいけない」のだと思っていたのですが、Ken先生は私のデータを見ながら、分析のアイデアから理論的解釈まで、かなり一緒に考えてくれるのです。こちらでも先生によってちがうでしょうが、私にとっては新鮮なことでした。

だからといって、先生の言ったとおりただ作業してくることはまずなくて、次週までの一週間、データに向き合ってあーだこーだ考えた末、しばしば先生との間で合意したこととは違うことをやってきたり、ちがう結論に至ったり、ということになりました。この繰り返しが(方法・成果の両面で)自分に多大な進歩をもたらしてくれたと感じています。この経験は、同時に行っていた「教員」として指導のアプローチにかなり直接的に影響しました。

これは「あとから思えば…」ではなくて、その当時も意識していて、日本にいる学生が何かアクションをくれる限り、方法や議論についてかなり具体的な助言をしようと心がけたつもりです。で、しばらくすると、自分の予期しないような進歩を持って返ってくるので、何度も驚かされました。こういうのは10年教員をやっていて初めてだった気がします。それまでの自分が至らなかったんだとも思うし、最後の最後に、新たな試みのチャンスがもらえたということでもあると。おそらくは「学生」「教員」を同時進行でやれたからこそ生じた稀有な状況で、私にとってはとても幸せな体験でした。タイムラグのあるアメリカから間接的にあれやこれや指示を出されるほうはストレスが溜まったかもしれませんが。

ここにいて卒業式には出席しませんでしたし、去年の退職時点で卒業した気でいましたが、実際には彼らの卒業までいちおう付き合わせてもらって、これで本当にいったん教員としては終わったんだな、と思います。

あと1ヶ月で今学期が終わりますが、そうするとこちらでも卒業する人が出てくる。日本語会話グループを引っ張ってきたイワンさんも学部を卒業。日本に帰る知り合いもいます(「復職」というパターンも多い)。半年ちょっと過ごしてみた感覚から判断すると、MA取得の人は1.5-2年なのですが、けっこうあっという間だろうなと思います。一方Ph.Dのこちらはこっちは5年くらいはかかるわけですが、悠長なこと言ってないで本物の「卒業」をしっかり目指さないといけませんね。

三月の水

2006年03月26日 | Bloomingtonにて
昨日もJCC(日本語会話グループ)の集まりがありました。みんなは夜11時から(!)カラオケに行ったそうです。とくに行きたがるのは日本の音楽が好きなアメリカの子たちで、9月から日本に留学するAliさんは、Luna-Cなど、ビジュアル系が好きなんだそうです。日本でLIVEに行くのが楽しみだとの話。私はカラオケ、理由があっていけませんでした。個人的に私を知る人が見ていらっしゃったら、私が「カラオケ大王」(バカ)であることはご存知かと思いますので、私の無念さはお分かりいただけると思います。

昨日は新しい参加者がいました。今回はブラジル人、Marikoさんというその人は、両親とも日本人、Sao Paulo郊外の街で生まれ育ったのだそうです。40年ほどまえにご両親はブラジルに来たのだそうで、ご両親とは日本語で話しますが、ご本人はポルトガル語で教育を受けたので、日本語は不十分。それでJCCに来たようです。

日本の伊勢原市で参加していた日本語教室(ボランティアグループ、現在も活動中)でも日系2世・3世の人と接する機会がありました。そこで出会ったのは、ブラジル・ペルー・ボリビア国籍の日系の方。カルメンさんはペルーの日系3世。彼女は大学を出てけっこういい職業についていたのだそうですが、フジモリ政権が終わるとどうも日系にとっては都合が悪くなって、日本にくることにしたと言っていました。日本ではクリーニング工場で働いていました。姪のマリアさん等もみんなそこで働いていましたが、きつい仕事で、しかもほとんど休日ももらえていないようでした。「自分がより安いクリーニング屋をさがすと、この人たちを低賃金の重労働で搾取することになるのか」と考えさせられたりしました。

こういうような事情は新聞などをちゃんと読めば分かったのでしょうが、不勉強な私は、どれもこれも日本語教室で直接接して初めて知ったことばかりでした。日本からの移民に沖縄の人が多かったこともそのとき知りました。

あの人たちが今どうしているか、とても気になります。まだ日本にいると思いますが、連絡は途絶えてしましました。彼女たちが仕事が忙しくなって日本語教室には来られなくなったまま、今度は私がアメリカに来てしまったからです。彼女たちが暮らしていた日系人地域に行ってみたい、とずっと思っていました(BoliviaにはOkinawaという地域があるらしい)が、アメリカに来るのはチャンスだと思ってきました。日本より近いので。IUのMarikoさんの地域も、日本人が多いそうです。

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昨日の話しに戻ると、Marikoさんとブラジル音楽の話をして、私の知らないマリーザ・モンチという歌手(有名らしい)を教えてもらいました。TVがないので(というより持たないことにしたので)、音楽を以前よりは聴くようになりましたが。ブラジル音楽といえばElis Reginaが作曲者のAntonio Carlos Jobimとデュエットしたáguas de março (三月の水)は大好きな曲の一つで、CDを持って来てあります。曲はルートがだんだん下がっていくというアイデア一発ものだし、歌詞も、言ってみればたんなる言葉遊びですが、それでも出来上がったものは奇跡みたいな名曲だと個人的には思います。

今日歌詞を知りたくてgoogleで調べていて、岩切さんという方の日本語訳を発見、それを読んではたと気がつきました。春の歌だとばかり思い込んでいたのですが、ブラジルの三月は春じゃないですね。この歌は夏の終わりの歌なのだそうです。Marikoさんと「ブラジルは今、夏の終わりだ」という話をしていたのですが、それでも気付きませんでした。águas de marçoの歌詞については、三月によくあるリオの洪水のあとのようすだ、夏のバカ騒ぎ・恋愛沙汰などを水に流して真面目にやるか、という気持ちだ、などいろいろ解釈が紹介されていました。águas de marçoの最後のフレーズは

夏を閉じる 三月の水 君の心には 生きる希望

という意味なんだそうです。ここの三月はなかばから寒さが戻り、先日は雪がまた積もりました。今日も気温が6℃までしか上がらず寒いですが、予報によるとそろそろ暖かさが戻ってくるらしい。Bloomingtonの三月にも生きる希望を与えてもらえそうです。

春休み、終わり

2006年03月20日 | Bloomingtonにて
春休みも今日で終わりですが、その間一つだけ、ちょっとしたイベントっぽいものがありました。それはJCC(日本語会話の学生グループ)の会長イワンさんのお宅に行ったことです。彼が先週のJCCで「Spring breakは家で料理する」と言ったところ、副会長の真美さんが「じゃあ食べさせてもらいに行く、暇だからー」と言い、私も「じゃあ、私も何か作って行くよ」といったのがきっかけで、ポトラックパーティのようなものをやることになりました。

7人集まりました。私の他は全員学部学生。私は、ペンネのトマトソースとトルティージャを作って持って行きました。他にはから揚げ・サラダ・親子丼、コロッケ、デザートにアップルパイとなんとも混沌とした取り合わせですが、それぞれ美味しかった。

何をしたかというと、単純に持ち寄ったものを食べて、ビデオゲームをやったり、しゃべったりです。なんだかモノポリーのような、日本のメーカーのゲームをやってた4人は、インドネシア人の2人、アメリカ&日本のハーフ、コリアンジャパニーズ(この2人はアメリカ国籍)。その4人が日本語で話しながら日本のゲームをやっていて、それを日本国籍の3人が見ているという図でした。

とくに選別したわけではないでしょうが、集まった人たちは全員日本語が流暢に話せます。会話は日本語のみ。ここではちょっと珍しいことかもしれません。この7人がなんとなくつながって、この日集まった要因は、国ではなくて、日本語というコトバでした(日本の文化にもまあ関心のある人々ですが)。でもちなみに、私を除くと日本の大学で教育を受けた人はいません。真美さんは「今やっていること(音楽です)を日本語で教わって、どれくらいきっちり理解できるか、確認してみたいから、一度日本の大学に行ってみたい」のだそうです。

遊んだのはこのパーティくらいなもので、あっという間に9日間の春休みが終わってしまいました。何をやってたんだか・・・ 思えば前半は、音声学のグループ実験について、何度か集まって測定&分析の相談をしました。私は慣れているので、音声ファイルをもらった日にさっさと分析を終えてしまいました。残りの音声ファイルと仲間の担当分の分析結果が待ち遠しい。後半はちょっとだけ風邪っぽかったので、警戒しておとなしく家にいました。 

今回こそ自転車で遠出しようと思っていたのですが、これで今学期終了後に持ち越し決定。今後の予定を確認してみると、大変。文法論はMinimalist Programに入るのですが(恐)、取り上げる論文がいちいち長いのです。私が報告を担当するFukui&Takanoは60ページ。教科書でも読むのに何時間もかかるのに、MargeとかDemargeとか、よく分かりませんが怖そうな用語がならんでいて、軽く気が遠くなりました。さらにそれぞれの授業で発表・期末レポート・実験レポート、試験などが控えているので、気を引き締め直さないと。。。 こんなかんじの、つかの間の安らぎでした。

この先工事中

2006年03月16日 | フィールドワークから
週末は雷雨続きの後天でしたが、すっかりいい天気に。まだ空気は冷たいのですが、日差しの強さが違ってきました。思えば日本より道路工事がずっと少ないBloomingtonですが、ここ数日キャンパス周辺の道路の補修をやっている模様。IUの休日を利用して混乱を避けるということのようです。いつも使っている6番のバスは図書館直前で迂回。迂回した先でもまた工事。そちらとは反対方向へ曲がって、図書館へ戻ります。

そこに出ていた「この先工事中」の標識を写真に撮りました。このサイズなら読めると思いますが、MEN WORKINGと書いてあります。「作業中の人がいるから気をつけてくれ」というメッセージでしょうが、“MEN” と明記。私は去年やはり工事現場で初めてこれを発見したとき、「え? これはありなの?」とちょっとどっきり。 なにしろ、SalesmanもWaitressもChairmanもやめようという「言葉狩り」厳しいこの国です。「これは男女両方を含んだcover-termなんです」と言い張れるとは思えません。

1980年代にMen At Workというバンドがありました。あれもたぶんこのテの標識からバンド名を取ったんだと思いますが、まあ、バンド名だし、時代も前だし(オーストラリアだし、ってのは関係ないのでしょうか)。。。

働いていた人は。。。

2006年03月16日 | フィールドワークから
実際の工事現場を確認しました。見る限り、男性しかいません。去年初めてこの表示を発見したときも、やはり男性だけでした。まあ間違ってはいない、のですが・・・ 日本では工事現場、とくに交通整理に女性を見ることは珍しくないですし、こっちでも工事に女性がいることもあるのではないか、と想像するのですが、絶対ありえないのか、休日が空けたらだれかに聞いてみます。

でも、年齢・人種等等による選別同様、あらゆる職業をからいずれの性も締め出してはならない、という建前なんだとしたら、事実上男性しかいなくっても、Menはいかんのではないのか、と悩んでおります。ついでにいえば、日本でも最近は多くなってきましたが、Bloomingtonの市バス、Bloomington Transitの運転手は利用している実感では4割くらいが女性です。

進化論 vs 創造説?

2006年03月13日 | Indiana大学
一週間の休みに入りました。ちょっとのんびり(ネットで)買い物なんかをしています。音声学の実験セクションを担当してるEricはちょっと休日にして家でバスケット観戦三昧すると言ってました(NBAでなくNCAA)。カリフォルニアで日本とアメリカの野球の試合があったようですが、こっちのメディアの扱いはその大学バスケットの方がはるかに上。WBC、あんまり興味もたれてなさそうです。

先週、また学内の講演会を聞きに行きました。Pattern Foundationというところがお金を出すらしく、それで毎年何回かアメリカ各地からビッグネームを呼んで講演会を開く、ということのようです。来た人の名前のリストがあるんですが、私の知識不足でよく分かりません。Chomskyも1993年度に来たそうです。知っているところでは、William Leveltはドイツの研究所にいるんだから、呼ぶのはアメリカにいる人に限らないのかもしれません。

今回の講師はDaniel Dennett。本も一冊も読んだことないんですが、なんとなくやってることは知っていたし、興味もあるので、2回の講演のうち1回に行ってきました。講演タイトルは "Freedom Evolves--a Dangerous Idea? "です。でも、本当に興味深かったのは、「誰が、どう聞くんだ?」ということです。何しろ基本的には進化論に則った議論を展開している人でしょうから、創造説を信ずる人の多いらしいこの国、中でもBible Beltといわれる地域の一つであるこの州で、どういう反応をされるんだろう、というのが本当の興味でした。

行ってみると満員。定員315人の階段教室(どうして正確な数字が分かるかというと、教室情報のオンラインのデータベースがあるのです、必要か??)で、立ち見も階段や廊下に座る人も出て、400人いただろうと思います。学生や教員が多かったようですが、夜7:30からだったので、仕事を終えた職員や市民も来たんでしょう。私も階段の踊り場に座って手すりの下からのぞき込む状態でした。

最初はIUの先生による紹介。個人的に付き合いのある方らしく、Dennettさんがトラクターに乗って農作業をしている写真を見せたり、本の名前を一部もじって全然違う内容の本にしながら(「Kinds of Mines、鉱山の研究ですね」とか)つぎつぎ紹介したりして、会場を爆笑させていました。私は、あんまりみんな大ウケしているので、「こういうのがアメリカ人の笑いのツボなの・・・」と逆に引いてしまいました。翌日、同じく聴衆の中にいた院生のNoahに「あれ普通なの? ラジオのトップ10リストショーみたいだったけど」と聞くと、「いや、ああいうのは珍しいよ、特別親しいからでしょ」とのこと。

講演者もさすが有名人、講演は慣れたものらしく、やはり聴衆を笑わせつつ、スムーズに話を進めていました。彼はTafts大学の教授なわけですが、おそらく授業もそうするんでしょう。パワーポイントを使っていました。話も基本的にそれに沿って。ふーん、こんなおじいちゃん(といっても資料によると63歳)でも使うのかーと。教室の写真を拝借して載せたので、様子がお分かりいただけると思います。

具体的な実験結果を述べるのではなくかなり抽象的で、しかもそもそも「誤解が多い問題だ」と本人が断っている通り、非常に議論を呼ぶ「やばい」問題をあえて探求している人ですから、英語にも問題のある私は誤解したままである可能性が高いと思います。実際ついていけない箇所もところどころ。途中、チェスの例を使用して予測と選択可能性について論ずるところは説明がちょっと煩雑になり、聴衆も飽き気味だったかな? でも、全体としてはとても上手に1時間の講演を終えました。

理解(誤解かも)した範囲で内容を簡単にまとめると、タイトルからも分かるとおり、「自由意志」というものが本当にありうるのか、逆に言えば「決定論」に縛られないことは可能か、というテーマ。つまり「ある結果に影響を与えるあらゆる要素が分かってしまえば、『どうしても必然的にそうなる、それに抗うことはできない』ということは、ありうるか」ということです。

結論は「そんな事態はありえない」だそうです。これまでとあらゆる点で同じ状況で結果が予測可能なんてことは、理論上ないと。それから「自由」というのは、「生命を失う危機を避けられること(evitabilityと呼んでました)」だと基本的には考えろ、とのことで、それならば、人類にとってそのオプションが増えてきている現在、いわゆる「自由」は「進化」しているといってよい、というようなこと・・・だと思います。

ということで、「決定論」で人間はがんじがらめだ、というのは誤解で、「やばい事態を回避する」というオプションがあるという意味での自由でよしとせよ、ということらしい。それでも、「あらゆることを予測して、さらにそれを変えたい」というのは、神の意思があったらそれも曲げたい、といってるのと同じだ、というようなことも言ってました。で、(理由は理解できませんでしたが)そういう意味での「自由」は無益だから、望む必要がないと。すみません、著書を読んだほうがいいと思います。。。

質問タイムも別に挑戦的なものがあるわけでなし、満場の拍手で終了しました。最初の謎である、「創造説との対立は?」という問題については答えが得られませんでした。ちなみに、敬虔なキリスト教徒であるKen先生も別の機会に聞きに行ったはずですし、会場にキリスト教徒はいなかった、ということはないだろうと思います。キリスト教に深く入信している人でも創造説や進化論に対するスタンスはさまざまでしょうし、単純に「対決!?」と決め付けてはいけないんでしょう。でも、今後もこの興味は持ち続けて、ときどきのぞいてみたいと思います。からかいや野次馬になるのだけは気をつけて。

日本語で話そう

2006年03月11日 | Indiana大学
今学期になって、手を抜くことも含め要領が身についてきたせいか、多少余裕が出てきました。来年度は何かしら働くことになるので、また余裕はなくなると思いますが。そこで、いくつかの学生の自主活動に参加し始めました。その一つがJCC(Japanese Conversation Club)です。今学期は金曜日の午後。International Centerを使わせてもらえます。言語心理学のPisoniラボのミーティングもある時間なので、2週に1回くらいのペースで参加しています。

現在の会長は4年生のIwanさん。中国系のインドネシア人です(でも顔は日本人に見える)。IUで日本語を習って4年目、日本に1年(川崎市の専修大だそうです)留学していたこともあり、かなり上手です。自国の公用語のインドネシア語、民族語の中国語は当然上手、英語も話せる。なんとquadri-lingualです。それもどれもかなりレベルが高い。こういう、言語の才能がある人がたまにいて、うらやましいです。

で、いろんな人たちが集まって、適当に話題を挙げて日本語で会話をします。来ているのは日本語の授業を受講している人が多くて、たいていは学部生(でも、中学生が一人)。ほとんど話せなくて英語に頼る人もいますが、姉妹校の南山大学に留学した人もいて、かなり上手な人も。話し相手になる日本人もつねに数人。副会長の真美さんは和歌山の人。他にもいろいろ抱えて忙しいようですが、毎回来て面倒を見てます。

今日は初参加の人(インドの方)がいたので、みんな自己紹介。中学生の男の子が「アメリカ人です」と言うと、彼が今日に限って髪の毛を思いっきり立たせてきていたので、「いや、サイヤ人でしょ」と、イワンさんがドラゴンボールのネタを振りました。このネタにみんなウケるのでびっくり。みんな知ってるんかい! と。彼らは日本のTVのビデオなんかも借りてきて見たりするし、日本のことはよく知ってる。レイザーラモンHGの出ているバラエティも借りてきた事があり、彼がそこいらの一般人に向けて腰をぐいぐいやっているシーンを見て「あいつは何?」と聞かれて、じつに困りました。私も彼のことはまったく知らず、唖然としてたので。

ここによく来る学生の中に二人、韓国人とアメリカ人のハーフ(後に追加:差別用語と捉えられていると聞いたような、代わりに「ミックス」とか「ダブル」とすべきかもしれません)がいます。全く気がつきませんでしたが、言われてみればちょっとだけアジアっぽい要素が入った容貌? でも二人とも韓国語はあまり話せません。その一人Aprilは東アジア研究の学科で、日本語を勉強しています。以前の会長が久しぶりに今日やってきたのですが、彼はアメリカと日本のハーフだそうです。こういう出自があるとアジアについて学ぶ動機になることもあるでしょうが、そうでなくても日本に興味を持ってくれる学生はまあまあいるようで、うれしく感じます。

こちら側にも、日本に興味を持ってもらう現実的な利点があります。学部での日本語の受講者が多くて、日本語アシスタントのポストが比較的多いのです。東アジア学科では中国語、韓国語も学べますが、韓国語は日本語に比べるとはるかに学習者が少ないらしい。だから競争倍率もはるかに高く、アシスタントのポストにありつける可能性はずっと低くなるそうです。これは、日本語および日本文化の人気の恩恵で、感謝しなくてはいけないでしょう。中国・韓国も文化輸出には力を入れてきてるようですから、東アジアで圧倒的な地位を保つのは難しいかもしれませんが、今後もふんばってもらえると個人的には助かります。

日本が好きな学生が一番興味があるのはやはりアニメとゲーム。そんなわけで、上記のようなネタに、即座に反応する下地はあるらしいです(日本ではドラゴンボールというともう大昔ですけど)。日本のバンドが好きな女の子もいる、好きなのはいわゆるビジュアル系らしい(詳しいことはわかりません)。

BloomingtonにはSUSHI BARというすし屋があります。経営者は日本人ではなく、中国人と韓国人で、仲違いして袂を分かった末、韓国人の方が“Japonais”(なぜフランス語?・・・)という店を新たに開店したそうです。そこに日本語のカラオケがあるらしく、みんな(とくにアメリカ人の子が)行きたがっています。明日から一週間授業が休み。それが明けたらみんなで行こう、という話。日本よりは勉強して(させられて)いると思いますが、やっぱり学部生はどっちかというと、楽しく遊ぶことにより関心がある感じ。ひたすら勉強、という感のある大学院生とは非常に対照的で、こういう学生グループに参加する院生は多くないのですが、今後も時間があれば続けたいと思っています。

お誕生日

2006年03月06日 | Indiana大学
金曜日の夕方、私と韓国のHyun-jin、Junghyoeの3人は中央図書館で待ち合わせました。音声学(L541:Introductory Phonetics)の学生実験の計画を進めるためです。グループ研究をやって提出することになっていて、われわれはJunghyoeの提案で韓国の慶尚道・全羅道方言の韻律の比較研究をすることになりました。その日は実験文の候補を決定して日曜日にまた集まって彼らの音声(彼らは慶尚道出身)で予備実験をやってみる約束をして終わり。

で、終わったあと「Kenjiヒマ?」と聞かれました。Hyun-jinの誕生日を祝うために外食に行くので、誘ってあげるよ、という話。で、ありがたくついていきました。写真が集まった面々です。女性は(一般)言語学科・応用言語学科の台湾の院生4人、韓国の院生2人、それから車を出してくれた台湾・韓国の男性二人(哲学科と物理学科)に、写真を撮っている私を含めた9人です。

それで行ったのが、きのうの記事の写真のお店。みんなそれぞれリブステーキなどを注文して食事。台湾の学生たちは誕生日のHyun-jinを(ちょっと)ほったらかして、学内のうわさ話やら、俳優の誰がかっこいいとか、きゃーきゃーとにぎやかに話してました。ほぼ英語、ときどき中国語および韓国語。

その後台湾のYufenが作ってきてくれたバナナのケーキをデザートにみんなで食べました。こういう「持ち込み」をしていいのか聞いてませんが、ひじょうに堂々とやってました。ケーキにナイフを入れる前に、みんなで♪Happy Birthday♪を歌いました。最初は英語、次に韓国語、最後は中国語(普通話)と3回も。フツーにリブを食べにきた周りのお客さんたちは、ちょっと引いてたかもしれません。

そういえば、Hyun-jinがケーキを真ん中で真っ二つに切ろうとすると、Yufenがあわてて止めて「完全に切り離したら『人との縁を切る』ということになって不吉だからだめ」と言います。「それじゃあどうするの? ちぎるの?」(←「ちぎっても同じ・・・」=脇で聞いていた私の心の中のつぶやき)などと話していましたが、いずれにせよ、韓国のHyun-jinはそんな習慣は知らん、と言っていました。私も知りません。台湾だけでしょうか? それとも、私が知らないだけで日本にもあるんでしょうか??

前学期は余裕もなく、ひたすら自分の勉強だけをしていた感じだったのですが、今学期はこういう機会もあり、グループ研究もあり、けっこう同級生と交流する時間が多くなってきました。さまざま宿題がある中で人と予定を合わせて仕事するのはしんどい部分もありますが、特に音声学では、自分の経験や知識を伝えるということが逆に勉強になることも多いし、逆に得意分野が違う(たとえばJunghyoeはSyntax)同級生から、こちらは考え付かないようなアイデアを教えてもらうこともあって、人と一緒に研究する恩恵や楽しさもあります。今後も数年、ひょっとしたら10年、20年と一緒に仕事をする仲間になるかもしれないと思っているので、今回のような機会も大事にして、いい関係を築いていきたいものです。(ちなみに、学科の同級生に日本人はいません)

L541は聞き取りIPA表記の宿題あり、中間・期末試験あり、実験やってレポートまで提出と、とても作業量が多く、みんな四苦八苦しています。それでも写真のようにけっこう元気。こんな仲間からエネルギーをもらって自分もさらにがんばらないといけません。ことばの問題もあってまだまだ苦労している部分もありますが、みんな優秀なのです。自分が彼らと同じ年のときに彼らと同じレベルの事ができたとはとても思えません。力及ばずながら、経験がちょっとだけ多い自分が引っ張って、「2005年入学組みはみんな優秀だ」と言ってもらえるようになればいいな、とも思っています。

予定外の外食

2006年03月05日 | Bloomingtonにて
昨日は久しぶりに外食しました。キャンパスの北、学生寮やスタジアムのあるゾーンのさらに先にある"Smokin' Jack's Rib Shack"というお店です。言語学科および応用言語学科の台湾・韓国の女性6人+別学科の2人の男性(ドライバーとしてリクルートされたかわいそうな人々)で行きました。の下に、Webのアドレスを貼り付けますので、気が向いたらご覧下さい。

http://www.smokinjacksribshack.com/

つまりは、リブステーキが売りの店です。これが韓国のJunghyoeが食べたもの、リブステーキに2つのサイドディッシュが選べて、$9.50。さらに、パンが一枚乗せてある。私は同じくらいの量のチキンを食べましたが、帰ってから夜遅いのにジョギング、それでも胸焼けが収まりませんでした。Webサイトの説明によれば、南部の料理なんだそうで、そのせいか、ちょっとピリ辛のこってりとしたソースがかかってます。サイドはコールスローとポテトです。見ているだけでげっぷが出そう。

サーブの仕方も、よく言えば豪快、悪く言えばじつにガサツ・・・ 味も含め、とてもアメリカらしいレストランと言っていいのだろうと思います。おいしかったです、けっこう。でも、せいぜい3ヶ月に1回くらいでいいかな、と。インディアナは大しておいしい料理がないところだそうで、「みんな肉とイモばっかり食ってる」のだそうです。で、合衆国の中でも比較的肥満に苦しんでいる人は多いほうらしい。それはキャンパスにいても分かります。まあ、こんなもん食べてれば・・・

この間いろんな人に「今度の夏休みに旅行に行きたい、お薦めは?」と聞いたら、「食い物ならMaine州」という答えがありました。合衆国の北東の外れですが、とくにシーフードがおいしいそうです。ロブスター専門で「細かいメニューはなく、客が選ぶのはロブスターのサイズだけ」なんて店もあるとのこと。私はグルメではありませんが、それもいいかもしれません。

またもや食い物の話になりましたが、それは本題ではありません。とりあえず食べ物の写真を載せたかったので。なぜここに行くことになったか、という続きは、また明日。それから、いままでなぜか書くのを忘れていましたが、インディアナ州の消費税は6%です。だから、支払い時に「上乗せ」される程度は、日本にいたときとあんまり変わらない感覚。上記は、税抜きの値段です。

(あらたな)食糧事情

2006年03月03日 | Bloomingtonにて
3月になりました。記録的な暖冬だったとはいえやはり長かったので、これだけ春が待ち遠しいのは初めてかもしれません。鳥が盛んにさえずるようになり、暖かい日も増え、春の予感がしてきました。Bloomington(=Blooming town)の春は花満開できれいなのだそうです(花粉症の人には大変辛いそうです)。

どうでもいいことですが、食糧事情をちょっと。先日米を買いました。こちらへ来て二袋目。写真の通り韓国のお米です。左が初めて買ったもの、「ヘッサル(新米)」という名前、右が今回買ったもの「ハングンミ(韓国米)」と書いてあります。韓国のどこから来たのか、という情報は見つけられませんでした。

日本のもののほうがおいしい、ということはないのでしょうが、Yさんのお宅では食べ比べて「やっぱり日本のお米のほうが口に合う」という結論だったそうです。わたしはもともと米の味にこだわりがない、というかよく分からないので、安いほうの韓国米で。おいしいです。40ポンド(約18Kg)で$23くらい。日本より安い。これで一人なら3ヶ月以上持つので、パンを食べるより安い。「どんどん米を食べよう」という方針に決めています。

一方、ちょっと困った事があります。ブルーベリージャムがほとんど売ってないのです。私はヨーグルトとくればこれなので。もちろん、"Blooming Foods"というちょっとしゃれたものも売っているところに行けばあるんだと思いますが、「こだわらない。安上がりに生活する」という基本を崩す気がないので、そんな「ちょっと高め」の店には手を出さないことになっております。で、いつも行くMarshというスーパーにはGrapeやBlackberryのジャムやプレザーブはたくさんあるのに、ブルーベリージャムは割高な輸入物、一種類しかない。おととしイリノイでi Hop(日本にもあるパンケーキのレストラン)で食べたときには、「一ビン分ですか?」というくらいブルーベリーソースが載ってきたので、ブルーベリーがないわけじゃないと思いますが。

これまたヘンなことに、ブルーベリーの入ったベーグルは売っているのです。で、最近はそれを買って、クリームチーズを塗っておやつ代わりに食べています。そんなわけで「病気をせずに暮らせればいい」という方針に変わりはありませんが、少しずつ食べるもののバリエーションも増えては来ています。

音声学の実験セクション(われわれは金曜のお昼で6人と少数)の初回、各自自己紹介をしましたが「好きな食べ物を言いましょう」と、担当のEricが提案。私は「天ぷら」と言ってあまり理解されませんでしたが、Abbyという学部生も「チョコレート」とかなかなかふざけたことを。で、Eric含め5人いるアメリカ人のうち3人までが「ピーナッツバターサンドイッチ」と言うので驚きました。Duceは小学校のときからお昼はずっとこれだそうです。彼に「パンにピーナッツバターを塗るでしょ? それから?」と聞くと、「あとは食うんだよ」とのこと。さらに蜂蜜をかけたり、ジャム(Jellyと言ってましたが)を塗ったりもするそうですが。

言わば、アメリカ人にとってのおにぎりみたいなもんなんでしょうかこれは。でも、「おにぎりが好物です」という日本人はあまりいないですよねぇ。小さいころ見ていたセサミストリートに出てくる魔法使いキャラの呪文が「A La Peanuts Butter Sandwiches!」だったので、そういうものがあることは知ってましたが、こんなに愛好されているとは。前に日本で食べてみて、あまりおいしくなかった気がする・・・と、躊躇していましたが、ここまで好きな人が多いんだから、ひょっとしておいしいのだろうかと思い、今日、ついに買ってみました。PeterPanというメーカーの、蜂蜜入り。

・・・まずい。ざらざらとした舌触り、やったら濃厚な脂肪分、腹にもたれる・・・ 私はステーキ嫌い、フォアグラなんか一度食べたけどもう二度と食べたくない、という脂肪嫌いだからかもしれませんが、ともあれ、どうにもアメリカ人の舌にはまだ理解が届きません。