時々雑録

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「死」の理解 ことはじめ

2011年06月18日 | Bloomingtonにて
夕方、嫁さんと娘が庭で遊んでいたところ、やはり外に出ていた猫のビビがスズメを捕らえたとのこと。仕事の手を止めて出て行くと、猫が獲物で遊ぶときよくやるように、ビビがいったん離した隙に、スズメは近くの草の葉の下に逃れた、という状況でした。

ビビが再びスズメを捕らえようと葉の奥をのぞいているので、たまたま娘が遊んでた水鉄砲を借りて水をかけると効果てきめん、スズメに未練はあったようですが、2、3度水をかけられるとついに逃げていきました。これでスズメは助かるか、と思ったのですが、逃げ出す様子はなく、もといた場所からちょっと動いただけでぐったり。深手を負ったのでしょう。娘は心配して声をかけたりしていましたが、スズメはついには身体を横たえて虫の息。このままではまた襲われかねないので、嫁さんがタオルに包んで抱き上げ、かごに入れて家の中に。

見ると、尾に近いあたりを噛まれたらしく、娘の言うところの「ちが(=血)」が流れています。これが致命傷だったのでしょう、数分と経たないうちに、スズメは動かなくなりました。その間、娘はさかんに「ねえ、まだ死んでるよ」と、状況を知らせ、私の手を引っ張って見せに連れて行くのですが、再び動き出すはずもありません。



ここで、最近のScientific AmericanのPodcastのクイズの話題を思い出しました。「野鳥を最も多く殺しているのは風車」というのはデタラメ(totally bogus)で、米国の調査機関によると野鳥を最も殺しているのはイエネコ。その数が一年で2億5千万とのこと(米国内のみの推定値だと思います)。今日のシーンをみて納得。ビビは腹が減ると戻ってくるものの、しょっちゅう外へ出て行くのですが、まあ、今日のような感じで「狩り」を繰り返してるのでしょう。風車は(今後もっと問題になるだろうけれど)年間44万羽で、いまだ猫の0.2%以下でしかないとのことでした。

こんなわけで、可哀相なスズメは救えず、庭に埋めてやることにしました。石を置いてお祈りをした後、スズメは明日になっても、そのあとも、ずーっと目を覚まさないし、もうずーっと動かないんだよ、とスズメが死んでしまったことを、ていねいに嫁さんが説明したのですが、しばらく経つと娘は「もう飛べるかもしれないから、掘って出してあげよう」。さらに、お風呂から出てきたあと、窓から見える庭にかかる電線から飛び立つ鳥(スズメよりずっと大きい)を見つけて「飛べるようになったよ! よかったね!」。これで納得できたようなので、「そうだね」と答えておきました。

こんなわけで、娘には「死」というものを(大人と同様の意味で)理解する準備はまだ出来ていない、ということのようです。それでも、彼女にとって何か重要な意味を持つ体験だったように思えるし、われわれ親にとっても、とても印象的な出来事でした。

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