時々雑録

ペース落ちてます。ぼちぼちと更新するので、気が向いたらどうぞ。
いちおう、音声学のことが中心のはず。

香港の「食」はどうだったか1

2011年08月29日 | 旅行記
香港滞在記の続きです。

最初の2日ほど、香港で食べたものはちっとも美味しくありませんでした。入った店がはずれだったのかもしれませんが。

3日目に行った飲茶店は前々回の記事の通り、当たり。夜行ったチェーン店らしき食堂もまあ、OK。4日目の昼食で行った、下の写真の「本場(or本傷、どっちでもない)の味のお気輕(!?)」の店も、私が頼んだ「しいたけそげ」(←日本語メニューがあったのですが、「そば」が全て「そげ」)は当たり。でも、他の方が頼んだものは、量は多いけど、味は大雑把だったように見えました(ちょっと食べさせてもらったりもした)。




ということで、全般的には、香港の食は、とくに感心するようなものでもないという感想です。高級店に行けばどうだったか...って、確かに行ってないのですが、たぶん世界どこでも、大都会の高級店に行けばそれなりに美味しいでしょう。でも、庶民が食べてるものが美味しいのが本当の「美味いもののある国」だと思うので、食に関しては、私は個人的には香港、それほどおススメでもありません。

大雑把で案外安っぽい香港の味に飽きて、最終日には、今香港で流行っているという出前一丁のカップ麺を食べてみました。上の写真の「猪骨濃湯味」、トンコツですね。「麺の升格 美味升級!」と書いてあるのですが、「麺も美味さもグレードアップ!」のような意味だと思われます。ヤマザキのパンもつけたのですが、普通に美味しかった。食べ慣れでしょうか...でも、やっぱり日本の食べ物は美味しいと思います。

猫ってしゃべるの?

2011年08月28日 | Bloomingtonにて
娘は最近、「ねえ、猫ってしゃべる?」と聞いてきます。これは、ここ数回観た『猫の恩返し』というアニメ映画がきっかけのようです。とはいえ、これまで自分が食べるキューリさんにも話しかけ、風呂に入ればお父さんのち×ち×にも話しかける娘の事です。アニメを見て、「猫ってしゃべるんだ!」と思ったというわけではないと思われます。

むしろ、近所の猫などがニャーと鳴くだけで話さないのをみて、ついにひょっとしたら現実世界と、アニメの世界との矛盾に気づき始めてきたのではなかろうかと。とはいえ、おそらくまだ、どっちがリアルな世界だ、などという認識は出来上がってないのでしょう。風呂に入れば相変わらずちん○○と話し、アヒルのおもちゃのお母さん役になり、子供アヒルたちを遊びに出した上で水にもぐって隠れさせたり、相変わらず大人とは別の世界を生きています。今日「猫はしゃべるの?」とこちらから振ってみたところ、何の疑いもない様子で「しゃべるよ」と答えたくらい。それでも、矛盾に気づくようになってきただけでもあっぱっぱーだった娘にすれば、大進歩。

...こんなこと書いて、これが残っていたら、将来、娘が読んで激怒するでありましょう。

ついでに、最近の彼女の言語発達で気がつくことを。よく聞くパターンだと思いますが、「からだ」と言えません。必ず「かだら」。中年以降の方なら笑福亭鶴光さんを思い出すのでは。それから、「ポップコーン」も苦手。たいていは「ポックポーン」。「ポップコーンだよ、もう一度言ってみて」というと、「コップコーン」。「ポップ」の[p]音の連続が言いにくいから、ということなら、いわゆる必異原理(OCP)か? と考えるむきもあるかと思いますが、「指輪」はずーっと「ゆびば」と言う。「川」はふつうに「かわ」といえるので、「わ」が発音できないわけでもない。まあ、音韻論のいう「制約」にはけっこう怪しいものが多い、と思うのは私だけでしょうか。

私たちが、全然直さないので、上記のものは修正されないままですが、それでも、いつかどこかで気づいて、自発的に使わなくなってしまうのでしょう。

飲茶より贅沢なこと

2011年08月27日 | 旅行記
ICPhSにおける香港旅行記の続きです。2日目の発表は、まあ...それなりだったでしょうか。言い訳ですが、残念ながら時差ボケがいちばん堪える夕方で、もう全然頭が回ってなかった。

3日目の午後は恒例で午後休み。私は、日本から来たお二方を誘って飲茶に行きました。台湾人の友人イーティンが「飲茶は行ってこい」と言ってたので、探してみると、香港で暮らしていた、というかなり通らしい方のWebpageがあったので、そこを参考にさせていただきました。

2階建てのトラムに乗って湾仔から上環周辺の「寶湖金宴」という店を目指したのですが、改装中でお休み。そこで、地図のメモを頼りに中環方面へ歩いて戻って「蓮香楼」を目指しました。なんとか見つけられて中へ。合席当たり前で、我々も2組のご夫婦と同席。ここは、上記のWebが紹介する中でも庶民的な店。すごい混み方、雑然としたかつ和やかな雰囲気。食べ物は、どれも美味しかった。湯葉のようなもので(たぶんほんとうに湯葉)巻いたものがたまたま多く回ってきて口に入りました。ともあれ、自分が提案してお二人を連れ出した手前、なんとか店が見つかって、雰囲気が楽しめ、かつ美味しかったのでほっとしました。



そのあと、そのまま市場のある通りをぐるぐる歩いて、行き止まりになった通りに設けた屋台のある食堂で、飲み物だけを頼んでずっと居座り、3人で雑談。日本やアメリカの研究事情、言語研究の将来、言語の保存問題、日本語および人類言語の起源問題、宗教、新たな人間機械論、女性の好み(お二人は香港の女性にストライクが多いらしい。私アジア南方系は苦手)等等、話題が尽きませんでした。



そこで私が頼んだのが、写真の「Watercress Honey」という飲み物。つまりは「クレソンと蜂蜜」で、あとの二人に飲んでもらうと、「うげ~」という感じでしたが、私は好き。



さらに、ホテル近くに戻って夕食、そこでも語る三人、そこでの話題は教育と権威。さらにマクドナルドに入って、今度はかなりみっちり私の博論の研究について聞いてもらい、詰めていかなければならない点についてあれこれ教えてもらいました。結局、3人がそれぞれのホテルへと分かれたのが午前1時過ぎ。飲茶なんか吹っ飛ぶ、濃密で贅沢な時間を過ごさせてもらいました。体力的にはきつかったと思うのですが、ずっと付き合ってくださったお二人に感謝。

最終試験

2011年08月25日 | Indiana大学
香港記が中断してますがとりあえずその前に。

昨日、一般に言うところのDefense、正式にはFinal Examinationがありました。やったことはつまり博士論文の口頭試問。3ヶ月ほど前にこの日を目標にすることを審査委員の4教授と合意、ここを目指して作業をしてきて、結局なんとか予定通りに済ませることができました。

最終試験はインディアナ大全体の大学院(Graduate School)から日程等が正式に承認、公表されて、公開で行われます。私の場合は、審査委員の教授陣4人以外に聴衆6人。まず、最初に25分ほどで博士論文の概要を述べる発表を行い、その後はだいたい一時間ちょっとの質疑・応答。最後に審査委員だけが部屋に残って合議、私が呼ばれて結果が伝えられる、というものです。来てくれた後輩の学生とちょっと立ち話をしているうちにドアが開き「おめでとう」と握手。用意しておいた承認のサイン用のページに4人のサインをもらって終了。

幸い、審査委員の評価はよかったもよう。あとは、ちょっと最後の修正をして、最終版を大学院に提出すれば、事務的な手続きを待って正式に学位が授与される、ということでした。今日確認に行ったところ、次の提出期限が9月15日で、それに間に合わせれば9月中に学位が出るそうです。

2005年9月にプログラム開始、まる6年かかりました。仕上げった論文を見ると、この程度のものならあと一年くらい早くできたのではとも思いますが、まあ、自分にはこれが精一杯だったかも。

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師匠Ken de Jong先生が提案してくれて、その日の夜は先生のお宅でカジュアルなパーティを催しました。審査委員の教授4人と、いっしょに仕事をする機会に恵まれたJohn Kruschke先生、師匠の学生数人が来てくれて、ほんとうにありがたい機会でした。料理は師匠の奥さまにもちょっと補助をしていただきつつ、うちの嫁さんがほぼ全部用意しました。さいわい好評、Good Jobでした。写真は、娘と遊んでいるときに私が描いた、師匠Ken de Jongの肖像。博士論文より出来がいいかも。

何をしにきた?

2011年08月17日 | 旅行記
学会が始まりました。さっそくいろいろと勉強に。というか、あまりに自分のやってることと関連のある研究が多くて、驚いています。アメリカはここ数年イントネーションやアクセントの記述的研究が非常に下火で、国内の学会に行っていると関心を共有してくれる人が少なくて非常に寂しいのですが、アメリカの外では違うことを確認。うれしい。

ところで今回、観光を楽しむつもりはあまりなくて、学会で勉強・交流すること、博士論文の口頭審査の準備(まだ何にもしてない!!)等、仕事を進めることだけでOK。とはいえ、香港は有名な観光地。せっかくだからと調べてみると、「食い物が美味いぞ!」というWebページ多数。それならと、さっそく朝から、ホテルのフロントに教えてもらって食堂街に行ってみました。適当に入り、食べたのが上の写真のもの。でも、結果は外れ。これなら日本のインスタントのカップ麺の方が美味いのでは。その後昼も夜も食べましたが、今のところ「おお!」と思うようなものはナシ。自分で作った方が...というかんじ。それから、行った限り食堂で注文をとったりサーブをしてくれるオバちゃんたちは愛想が悪くて、有り体に言えば、怖い。

予想どおり、気候的には非常に蒸し暑くて、昼食後は下の写真の飲み物を。「珍珠奶茶」。タピオカティーですね。10HK$、1.4ドルくらい。タピオカが多くて、でかくて、持て余し。もっとも、日本の気候に慣れていればそれほどのことはないのかもしれません。米国内では蒸し暑い方だとはいえ、ここのところのBloomingtonは初秋の爽やかさだったので、このギャップは辛い。



ということで、今のところ食事については期待はずれ。それに、どこでも出される量が多くて、食べきれない。美味しいところがあるのは、学会会場近くの湾仔という地区ではなくて上環、中環という一つ二つとなりの駅周辺らしいので、まだ諦めるのは早いか。

...と朝の5時から書いている理由はもちろん、また時差ボケで目が覚めたから。どうせあと5日でまた戻して、すぐに口頭審査なのだから、こっちの時間にアジャストするのはもう諦めます。とりあえず自分の発表をしゃきっとしてこなせたらOKかな。

デトロイトで頓死か

2011年08月16日 | 旅行記
昨日の記事はデトロイト空港の待ち合わせまで。その後の顛末を書きます。

待ち合わせ所で座って仕事をしていると、普通話しかわからず、なおかつ限られた能力しかない私にはさっぱり分からない(たぶん非常になまりの強い)中国語らしき言葉で、チケットを見せて何か言ってくるおじさんが。一瞬戸惑いましたが、何か頼みごとあるいは質問をしてるらしいことが分かったので、「私は中国語が話せません。日本人です」と中国語で言うと、「ああ」という顔をして去っていきました。通じたところをみると、やっぱり中国語だったらしい。

私の顔は南方系中国人に見えるらしいし、そもそも香港行きの便の待ち合わせ所に座っていたので、中国人だと思ったのも無理もありませんが、中国語が話せない、って中国語で言ったのに(それも、私はまだ発音だけは非常にいい)、どうして引き下がってくれたんだか。ひょっとして方言がまるで違ったのかも。そういえば、友人の麗華さんの親は、娘夫婦を助けるために渡米したくても、ビザを取得するためのインタビューに合格しないからできないのだそうです。上海の周辺地域で過ごしてきたご両親は、訛りが強すぎるのだと。中国みたいな大きな国で言語の標準化をしようと思ったらたいへんなのでしょうが、それではっきり割を食う人がまだたくさんいるようです。

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上記の件をきっかけにまたBeckman先生と話が弾んで、博士論文の内容なども聞いてもらえて超ラッキー。出発一時間ほど前になり、少しだけでも遅めのお昼を、と待ち合わせ所を離れました。「荷物は見ててあげますよ。登場時間はすぐだから急いで」と言われて、そのとおりすぐ戻るつもりで貴重品や書類の入ったPCかばんだけ持って。そこで「香港ドルへの両替がまだだった」と思ったのがまずかった。案内を見ると、両替所は2つ階下。ここから降りるのかな? ととりあえずエスカレータで一つ下がってみると、見えてきたのは空港の施設の外へ出る出口。その瞬間、セキュリティエリアの外へ出てしまったことに気づきました。すぐ脇にいた職員に訪ねると案の定「そうです、戻るならそこのエレベータから2階に上がって、セキュリティを通過してください。」 しまった!

上がってみると、セキュリティのラインが一つしかなくて列がなかなか進まない。しかも、書類不備か何かか、なおかつ英語が上手くないのか、話し合いがちっとも要領を得ず、ずーーっと職員と揉めている若者三人組(よく見るとたぶん日本人)。他の人もげっそりしてましたが、私はもう搭乗の時間。Beckman先生が私の荷物まで押し付けられて迷惑してらっしゃるだろうし、デトロイトでThe endか...

30分以上かかってやっとセキュリティを通過し、走って戻ってみると搭乗はほとんど終了。私の荷物もありません。顔から血の気が引きましたが、なんとBeckman先生が親切にもゲートの職員に荷物を預けていてくださっており、幸いそれを取り戻して搭乗... 何たるバカ。結局両替もできず、何も食べられませんでしたが、自業自得、荷物を失わず、搭乗に間に合っただけで幸いでした。再会できたBeckman先生に平謝りしましたが、むしろ心配してくださっていて、ますます申し訳ないことでした。

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私は日をまたぐような長い国際線ではほとんど眠れません。幸いデルタは機内エンターテインメントを改善したらしく、選択肢がうんと増えていたので、映画ばかり観ていました。面白かったのが The counterfeiters というドイツの映画。日本では「ヒトラーの贋札」というタイトルだったそうで。ただ、「きっとナチスドイツが倒れて、死と隣り合わせの虜囚の日々が終わるんだろうなあ」と思って観てたので、結末に対するヒヤヒヤ感は薄かったか。

それから、何度か観たことのあるフィラデルフィア(トム・ハンクス、デンゼル・ワシントン等)。今回気づいたのは、相手方の弁護士がバック・トゥー・ザ・フューチャーで最後ドクと結婚するクララ役の女優さんだったこと。それと、主人公の最期でパートナーのミゲルと二人きりになったシーンで「ああ、これは...」というシーンが。ヘンなことなどでは決してないと思いますが、敢えて描くんだなあと(これだけではワケがわかんないと思いますが、引っかかる方は映画観てください)。話の進行中に子供が次々産まれて、最後も主人公の子供時代のビデオで終わる。製作者の意図が感じられましたし、何かとても米国っぽいと感じます。

Japanese Moviesという選択肢もあったので、「僕と妻の1778の物語」ってのを。私はこの手の話に弱いので、滂沱の涙か、と思ったんですが、主人公が妻のために書く物語の一つ一つがあんまり面白く思えなくて、なのにいくつもいくつも出てくるので、ちょっと冗長に思える。竹内結子さんはかわいいし上手だと思うんだけど、私には剛君の演技はダメでした。

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ともあれ、デトロイトで頓死は免れ、香港へ。学会事務局のおすすめどおりタクシーは使わず、Airport Expressで香港駅へ。写真のとおり新しい。高速で快適。100HK$(14ドルくらい)は高くはないと思います。到着駅から無料のホテルへのシャトルが出ていてこれでホテル入り口まで。さすがに世界的な観光地だけあって交通至便でした、到着したのが夜10時近くでしたが、怖いと思うようなことは一度もなし。ただし、重要なホテルを全部回るので、乗り物酔いに弱い人には勧められません。

さて今... ヘロヘロだったはずなのですが、やっぱり時差ボケ。午前4時に起きてしまって、こんなん書いてます。夜が明けてきました...

香港へ

2011年08月15日 | 旅行記
2ヶ月近くお休みしていましたが、その間なんとか博士論文を仕上げ、提出。24日の最終試験(口頭試問)を待つ状態となりました。以前の記事にあった2か月弱住まわせていただいた家はやっぱり広くて快適で、おかげでなんとか予定の期日に提出できました。ちょっとしたトラブルもあったので、近いうちに書き留めたいと思います。

さて、3月に提出しておいた博士論文の中身の一部が受理され、ICPhSという大きな国際学会で発表できることになり、今日から8日間の予定で香港へ。時間が許せばしばらく旅行記を書こうと思います。

今はインディアナポリス空港。ここインディ空港は無料のWi-Fiがあるので、それでインターネットに接続しました。ここへ来るのは去年日本から帰ってきて以来一年ぶりですが、ちょっとした変化は写真のような電気プラグの設置。USBもあるのが面白い。隣の人はiPhone(なのかな?)の充電中。

香港とここアメリカ東海岸の時差はちょうど12時間。昼夜逆転だし、そもそも旅行自体まる1日半の長旅なのでヘロヘロになりそうです。見送ってくれたとき、一人でバスに乗り込む私を見て娘大泣き。出発したばかりですが、本音を言うともう帰りたい。。。



写真はデトロイトへ向かう途中の飛行機から。飛行機で上空から下界を見るたびに驚くのが、木の生えている面積の少なさ。インディアナやミシガンの土地はほとんどが農地や宅地に使われていて、林はそのヘリにちょぼちょぼとあるだけ。地面の高さから見ると林は目をさえぎるので、中西部は木々が多い、と見えるんですが、実際には、ほとんどが切り開かれた土地であることがよく分かります。

ちょっと前に聞いたScientific AmericanのPoscastで、牛豚などの家畜を育てる代わりに、肉になりうる細胞を培養して、肉そのものを直接作り出すという研究が始まっているとのことでした。家畜の出す二酸化炭素の量が非常に多いという問題の解決になる。また、アメリカの広大な農地のかなりの部分がそういう家畜の餌を作るために使われており、これを減らせばもっと木が植えられる、という話でした。でも、そもそも肉食から他に切り替えることも考えたらどうなんだろう...

乗った便はオーバーブッキングだったようで、チェックインのとき、後の便に乗ってくれる人を募集する情報が出ました。接続の時間が非常に長いので申し出てみましたが、選ばれず。申し出るときにフライト変更を受け入れる対価を申告するのですが、私より低い値を付けた人がいたのでしょう。

ということで、デトロイトでの待ち時間は(出発が30分近く遅れたのに)3時間半。さすがに長いので今回はインターネット接続サービスを買いました。Boingoというやつです。とかなんとか書いていたら、オハイオ大のBeckman教授が私を見つけてくれて、しばらく話して、いま横に。緊張する...