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時々雑録

ペース落ちてます。ぼちぼちと更新するので、気が向いたらどうぞ。
いちおう、音声学のことが中心のはず。

父の正体

2010年04月05日 | 
一昨日の夜から、ニョーボが手が何かでかぶれたようで、ひどくかゆがっていました。今日はもう良くなったようですが、昨日もかなりかゆかったようで、娘におやつをやりながら、冷やしたり、我慢できずに掻いたり。

それでもだめで、私に「叩いて」とリクエスト。最初はなでたりしてたのですが、どうしてもかゆいから、ということなので、意を決して思い切りピシッ!! と大きな音を立てて。

すると娘はおやつを食べるのをやめて私を凝視。「びっくりしたの、ごめんね~」とニョーボがなだめても固まったまま。そして10秒ほど後、顔がメソメソと歪んだと思ったら、大泣き。しかも私のほうを指差して! 慌てて二人してなぐさめましたが、しばらくしゃくりあげてました。

叩かせたニョーボは反省、私は大凹み。その後はいつもの通りニコニコしているので、まあ心配要らないのだとは思うけど。「お母さんがいじめられてる!」と思ったのか、はたまた、「お父さんは本当は恐ろしいやつだったんだ!!」とでも?

あの歳(1歳半)の子にあんな感受性がもうあるんだったら、両親が不仲だったり、険悪だったりしたら、ばっちり伝わっちゃうんだろうね、と後でニョーボ。自分を振り返っても、親の態度に愕然としたり、嫌悪を覚えたり、ということはいくらでもあったので、娘にも「父の正体」が知れてしまう日がいずれは来るのでしょうが、もう彼女には、何らかキャッチできるようです。

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急に暖かくなって、Bloomingtonは春満開。娘が花をばんばん摘んでくるので、マイヤーさんのお宅のキャロリンが絵を入れてくれたビンに生けて窓際へ(写真)。




記憶

2010年03月30日 | 
今日は娘の1歳半の定期健診でした。学校での仕事を3時過ぎに切り上げて小児科医へ。今回は予防接種があるはず。部屋へ入ると看護師さんが「今日3種類射ったら、あとは4歳までありません」とのこと。ドクターの診察が終わり、最後に注射。当然、痛いので娘は大泣き。がんばったね、と看護師さんに動物の本と小さなプラスチック製のクマをもらって、服を着せて部屋を出ると、気持ちが切り替わってニコニコ。

これで一件落着かと思ったら今日はちょっと違いました。風呂は私が入れるのですが、それまではいつもの通りご機嫌だったのに、服を脱がせたとたん、注射跡に貼ってあるバンソウコウを発見してまた泣き出したのです。いつもは水遊びに興ずるのに今日は何もせず抱きついてまだメソメソ。もはや痛むわけでもなかろうし、たぶん、痛かった、怖かった今日の注射のことを思い出して悲しくなったのかと。風呂から出て服を着るまではずっとメソメソ。ベッドでもいつもよりぐずぐず、ちょっと寝つきが悪かった。

今のところ歯磨きも大嫌いですが、終わって水を飲むとたいていケロッとしてすぐ遊びだす。いいことも嫌なこともだいたいその場限りだったのですが、どうやら今日の注射のことは忘れなかったらしい。よほど強烈に嫌な思い出だったのかもしれないけど、記憶がより持続する(想起できる)ようになったのかも。発達の一つのあかしで、いいことなのかもしれませんが、思い出して泣いてる様子を見るのは切ないものでした。

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ところで、診察の最初に質問紙を渡されました、いつもの通りの認知・運動能力の発達チェックと、今回はもう一種類「Autismに関するチェック」とタイトルに書いてあるもの。30くらいの項目、にYes、Noで答える。娘は問題なし。ニョーボは「ストレートに自閉症チェックですよと伝えてくることに驚いた。日本だとこういうやり方はしないのでは」と。

画像が看護師さんがくれた本の表紙。メトロポリタン美術館のコレクションから動物の子どもが描かれた作品を選んだものらしい。出版データは以下。

William Lach (ed.)
Baby animals: little ones at play in 20 works of art.
2007, NY: The metropolitan Museum of Art.

むすんでひらいて

2010年03月29日 | 
娘は1歳半になり、認知能力も上がり、遊びの種類も増えてきました。その一つが手遊びうたで、「むすんでひらいて」はいっとき大流行。一緒に手をたたいたり、上げたりするので、「まーた開いて」のところで、「股を開く」(牧伸二!)動作を見せるようにしました。狙い通り、寝転がった状態でこれをやると、そのタイミングで足を開いて上げます。ニョーボは眉をひそめてますが私は大喜び。いつ「父は私にみっともないことを教え込んだ」と気づくのか、楽しみです。

少しずつ使う言語メッセージが増えてきました。まだちゃんと発音できないためか、「っこ」(抱っこ)、「も」(もっと)など、単純化が目立つ。英語の絵本でも、「Where is the dog?」と言ってもポカンとしているけど、「犬はどこ?」というと即座に指差すので、日本語の習得が進んでいることは間違いないのですが・・・

日本人(の顔をしている人)には、手を横に振るけど、西洋人の顔をしている人には、手をひらいたり閉じたりして挨拶をする。また、週2回遊びに行く公民館で、しばしばものの取り合いになりますが、そこではアメリカ人の子どもばかりだからか、ふだんは使わないくせに「No~」のような音声を発して拒否するらしいのです。

つまり、場面(と相手)の違いを認識して、表現を使い分けているフシがある。周りがそうするからそれを真似ているだけ、ではあるんでしょうが、それを習得して使い分けているわけで、使えるメッセージのバリエーションがごく限られてはいるものの、一種のバイリンガルっぽく見えるのです。この先どうなっていくのか、ちょっと興味深い。

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娘が男性を怖がる、と聞いて、知り合いのジェンダー研究の院生が興味を持ち始めました。彼の分野では「性差の認識はあくまで後天的に獲得されるもの」(構築主義ですね)とされているからだそうで、男性のほうが怖いという認識が生得的に備わっているとすれば大問題、ということらしい。思えば、父親(私)以外、男性と関わる機会が少なかったのも事実で、「慣れないから怖い」だけかもしれない。でも一方、うんと小さいころから、しばらく会わなければ父親を見てさえ泣き出してたのも確か。サル社会の、ハーレムを乗っ取ると別のオスの子をみんな殺す、なんて話を考えても、「見慣れないオスは危険」という認知が生得的にあってもおかしくないような。ただ、面白いテーマだけど、本当に研究するとなると、条件のコントロールが難しそう。

写真は、昨日Marcaというスペインのスポーツ新聞のWebを見ていて出てきた、アトレチコ・マドリーのフローレス監督。一緒に画面をのぞきこんでた娘が、この写真を見た途端、1mくらい後ずさりして泣き顔になったので、すぐページを変えました。

睡眠時無呼吸症候群と夢

2010年03月07日 | 
昨日の夜の夢のこと、娘を抱っこしてTVを見ていました。殺人シーンが始まり、天井裏から悲鳴、天井から血が滴り落ちてくる。いつの間にかTVではなくその場に居合わせている。気がつくと天井が崩れ落ち、中からは血にまみれた首がぶら下がる。で、滴り落ちてくる血が目の前の女の子(知らない人)の顔にボタボタと落ちるのを見てゾッとしてるところで・・・目が覚めました。どうやら、寒かったからこんな夢を見たらしいけど、怖すぎ。

ここのところ半年以上、英語のPodcastをダウンロードして聞いています。いろいろ試したのですが、いまでも聞くのはScience、NPR Science、BBC Science、Scientific Americanとぜんぶ科学関連。興味が偏ってるので。Scientific Americanのものには、最後に「デタラメはどれ?(Totally~ bogus)」という楽しいクイズがあって、4つの科学上の新しい知見のうち全くのデタラメを当てましょう、というコーナーがあります。この間聞いたものに夢に関連して興味深いものがありました。

睡眠時無呼吸症候群の人はNightmare(悪夢)を見る確率が低い、というのです。理由はどうということはない。この症候群の人はよい眠りが得られず、レム睡眠が少なくなるので、覚えているような夢を見にくい、ということだそうです。(それでリクツに合ってるのか? 睡眠が浅くなったら夢を見るような気もするけど・・・)

私はこの症候群に当てはまります。いびきをよくかくし、睡眠時無呼吸状態に陥って、ニョーボを心配させることもしばしば。ですが、怖い夢をよく見るのです。以前見た夢では、寝転がっていたら眼下の谷底を子供が歩いていて、ちょっと目を離してもう一度見たら全員白骨死体になっていた。さらに、その白骨が突然起き上がって、ハンマーかなんかで殴りかかってきた、なんてのもあります。うなされてたそうです。(その他、多数・・・)

こういう研究結果は、「平均的には・・・」というものであって、個人のバラツキはあるに決まってるわけですが、どうせなら研究結果にあてはまる傾向になってくれないものか。ちなみに、そのPodcastのホスト、Steve Mirskyさんは最後に「もちろん、だからといって睡眠時無呼吸症候群のほうがいい、ということではありません」と付け加えていました。

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引越しを考え始めました。4年住んだ今のアパートも、写真のような光景(リス3匹)がしばしば見られて、気に入ってはいるんですが。

読書録 『アメリカのベジタリアンはなぜ太っているのか』

2010年02月17日 | 
今日から、たまに、読書録を記していこうと思います。とはいえ、ほとんど本を読む時間はないので、取り上げる本が教科書だったりする予定ですが。誰のためにもならない、単なる個人の覚え書きです。

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で、最初の本は教科書ではなく、それも日本の出版物。日本人の子供たちの週末日本語教室の書庫の整理であふれたものの一部です。もちろん子ども用ではなく、親が置いていったんでしょう。タイトルに惹かれてもらってきました。というのは、本当に太ったベジタリアンが身近にいるから。

内容はというと、アメリカの在住暦のあるジャーナリストが、アメリカかかえるさまざまな矛盾を取り上げ、取材を交えて考察したもの。「クリスチャンなのに離婚が多い」とか「豊かなのに格差社会」とか、まあ、もっともなんだけど、なんか食い足りない。生活していて確かに感ずる点も多々あるだけに、どういう背景なり、歴史的推移なりのせいで、こうなってるのか、という分析を期待してたんだけど、そこまで深く切り込まれることはなくて、たとえば「自己の自由と権利ばかりを主張するから」なんて、どの国のどの人にも当てはまりそうな結論出されても、肩透かしを食わされた気分。

気になったのが、男女平等について。社会的に高い地位にいる女性の割合がまだまだ低いのはそうなんでしょうが、だから「男性優位社会だ」という見方でいい? 社会的地位だけが、優位性の尺度なのか、また、それは、筆者が示唆するように全て男性側のコントロールによるものなのか。映画「Gran Torino」に、「女の子は、アメリカ社会に適応してカレッジに行ったりもできるけど、男の子は、することを見いだせなくて牢獄に行くの」という台詞があったけど、こっちにこそむしろ、移民以外にも当てはまるアメリカ社会のある側面が的確に捉えられてる気がする。自分自身でも、女性に人前でぶち切れられたり、説教されたりして、シュンとなる男性を見たことも数々。日本の男もかなり生きにくいと思うけど、アメリカはその比じゃないなと。これで、男性優位だ、なんて言われたら気の毒というのが生活実感なんだけど。アメリカに15年もいたという筆者は、こういう点には目を向けなかったんだろうか。

なんか、えらく悪口になってしまいましたが、各章の切り口が面白いだけに、期待しすぎてしまうところがあるかと。表紙に英語で「Why is the vegetarian in America fat?」と書いてあるので、学校に持っていくのは危険。家で一気に読みました。

ngapka!!.

2010年01月05日 | 
生後15ヶ月になるうちの娘は、まだろくに話しません。「はい」とか「った!」(あった)などと散発的に言いますが、本当に要求を通したいときは、手を引っ張る等の実力行使か、「うあーーーー!!!」と叫ぶ。

一方、いまだにBabblingは続いていて、ただし、作る音声がますます巧妙化してきた。最近顕著なのが二重子音で、それも閉鎖音を連続して[pta pta pta ...]とか[pka pka pka...]とか、[ngapka]!! と、実に器用。

以前、好んでやっていた吸着音もそうですが、どうやら周囲の人から耳にする以外の音声も試してみるようです。母語の習得が固まるとともにできなくなる(少なくとも、言語音としては使わなくなる)のでしょう。でも、こっちのメッセージはかなり細かいところまで理解してるのがどうやら確実で、音声知覚・意味処理はかなり発達してるようなのに、どうして音声生成のほうは母語よりにならない? まあ、音声習得の専門家が観察したら、既に明らかに日本語よりなのかも。

バイリンガル環境におかれた子供の話し始め(習得ではなくて)が遅いというのは、聞いたことがあるし、実際、Bloomingtonでもそういう例を見たこと、聞いたことがあります。うちの場合も、日本の人から、「アメリカにいるからバイリンガルになる?」と聞かれますが、親が両方とも日本人だし、入力は日本語しかないはず。たまにTVを見るくらいで、バイリンガル環境とは言えなそう。

いただいた絵本の中に、英語のものがあって、それを引っ張り出してきて「読んで」と渡すことが多い("Hand hand fingers thumb"という絵本がお気に入り。)。たぶん、出しやすいだけでしょうが。しょうがないので、心もとない私の英語で読んでやってきましたが、これも、日本語の入力の比ではない。話し出しがちょっと遅めなようなのは、たんに、ここまで、どれもこれもゆっくり目の彼女のペースなのだろうと。

先輩のお父さんから、「小さい子は、結果に興味はない。プロセスのみに興味がある」と教わりました。写真は、彼女の「実験」の結果。そのとおり、クレヨンがそこに挿せることが分かったら、シュールな「作品」はすぐ忘れられて、そのまま放置。

Tastes like...

2009年12月04日 | 
えー、たまたまここを訪れた方で、昆虫系が嫌いな方がいらしたら。ごめんなさい。これは、イナゴです。煎ってから味付けしたものです。もちろん、食べるため。

先日、おじの家に用事があって訪ねたときこの話になり、「食べられると思う」とこたえたところ、「よし、それじゃ」とこれを作って持って来ました。小さいころ一度「食べてみろ」と言われて嫌々食べたことがあるような気がするけど、それ以来。食えると言ったことを後悔しましたが、わざわざ持って来てくれたものは仕方がない。

で、食ってみたところ・・・美味い。ホントはもっと煎ったほうがよく、これは失敗、とおじは言うのですが、美味いっす。味はというと、ほぼエビ。ホントに干しエビにそっくり。売ってるものもあるそうですが、これは田んぼだかどこかで取ったとのこと。Bloomingtonでは、わがアパートの裏のクロスカントリーコースで、バッタのようなものがぴょんぴょん飛んで足にばちばち当たる時期があるんですが、あれは何なのか。取って食ったら美味いのだろうか。

私に草むらで捕まえたマムシを食わせたこともあるおじは、フェイジョアという果物も持ってきてくれました。庭に木があるそうです。これも好き嫌いが分かれそうだけど、私は好き。明日から四国にフィールドワークですが、持って行こうかと思ってます。

うまく行きすぎ?

2009年11月10日 | 
もう一月近く前のことですが、NPRで目に留まった記事がありました。ちょっと失敬してその一部を載せました。きれいな写真、ですが、なんか刺さってます。これはある脳科学の論文を紹介する記事で、筆頭著者らしき人の名前があったので、それを頼りに原論文を見つけました。

Sahin, Pinker, Cash, Schomer and Halgren (2009). Sequential Processing of Lexical, Grammatical, and Phonological Information Within Broca’s Area, Science, 326, 445-449.

著者には医学系の研究者に混じって、言語心理学のPinkerが。実験は、てんかんの手術受ける人がたまたま3人いたので、施術の前にうけるチェックを利用して、脳の活動データを直接とったぞ! と。人間には非侵襲の方法(fMRIとか)しかふつう使えないわけで、千載一遇、いろいろやってみました!! ということのようです。

患者さんがやったのは、3種類の作業:(1)単語を見たまま読む、(2)文に入れて読む(語形変化なし)、(3)文に入れて読む(語形変化あり)。で、それぞれに対応する脳の活動が、それぞれ違ったタイミングで現れたのだそうな(1=200ms、2=320ms、3=450ms)。結果は、それぞれ「1=語彙処理」「2=文法処理」「3=音韻処理」に対応すると考えられる。しかも、それらはみんないわゆるBroca's areaと呼ばれる部位に集中して現れた、というのです。違う実験結果もあるけど、俺たちのは直接電極刺してるから、時間的にも、位置的にも、解像度いいぞ、信頼性高いぞ、という言い分だと思われます。

9月3日付けの記事で書いた言語心理学の授業で、脳活動データを使った実験論文(ERP)をいくつか読みました。IUは脳科学も盛んで、学内の講演会を聞きに行ったりもしましたが、印象に残ったのは、「脳活動データって、ほとんどノイズじゃん」ということです。たっくさんのデータを取って平均して、初めて解釈可能なパターンが見えてくる、ということもあるようで、直接脳の活動を見てるとはいってもけっこう隔靴掻痒なかんじ、その点、行動データにもまだ見どころはある、と意を強くしたんですが、この実験はその点でも強いかも。

この結果は、言語学が仮定する「語彙・文法・音韻」という部門の、脳レベルでの実在性、部門間の独立性と、逐次的言語処理モデル(並列処理に対する)の証拠だ、しかも、Broca周辺の狭いところで情報がやり取りされることで、言語処理が速やかに行われる、ということも示してるぞ、と筆者たちは言いたいもよう。

Science Webからダウンロードできる補助資料で実験について詳しく説明してて、まだ読んでないので、どこまで結果に信頼性があるか、分かりません。あまりに鮮やかに、Pinkerさんの思惑通り、みたいな結果で、ホントかい、と思ってしまうのですが。結果を見る限り、言語に関心がある人なら、とりあえず無視できないと思いました。日本では紹介されたり、注目されたりしてるのでしょうか。。。

初めての日本は?

2009年11月07日 | 
先々週、学会で神戸に行った、中国人の友人のYuPengが帰ってきました(10/23付けの記事)。さっそく話を聞くと「全部うまく行った」とのこと。デジタルレコーダの修理は、優先して対処してくれて、1時間も経たないうちに仕上げてくれたらしい。日本人は、基本的には親切な人たちだけど、決め事に忠実すぎて融通が利かないところがある、という印象を持っていたんですが、Kenwoodの大阪サービスセンターの方は学会で一週間しかいない、という彼の状況を斟酌して、とても親切に対応してくれたようす。

学会もうまく行ったようだし、「神戸で世界一高いステーキを食べた。$50で、こんなサイズだったよ」と、両手の指で小さい輪を作って見せてくれました。ケーブルカーに乗って神戸の夜景も見たそうな。初めての日本訪問がいい印象だったようだし、ちょっと役に立てたし、うれしいことです。

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このことにかんする写真はないので、ヘルシンキでの写真を。アパートとか店舗の前に、写真のようなデッキブラシの頭を連ねたようなものが置いてあることがよくありました。おまじないか、何かの合図か(押し売りお断りとか) 実験に参加してくれた男性のひとりに尋ねてみると・・・

「冬、雪が降って凍るので滑り止めに砂を撒く。靴に入り込むので、建物の中に入る前に、このブラシで靴の砂を落とすんだよ。」
ということで、実用的なものでした。

PraatとVista

2009年06月24日 | 
だいぶん前、4月ごろの話ですが、3年ちょっと使っていたWindows XPのノートPCがどうしようもないほど遅くなり、ついに買い換えました。学校には一年半前に導入され、忌み嫌っていたWindows Vistaのマシン。実際、最初は困ることがたくさんありましたが、大分慣れてきました。

しかし、Praatで作業をしだして深刻な問題が判明。私は画像の通り、音声分析画面をTextGridと一緒に開き、さらに画面を2分割してPitch Objectと対照する、ということをよくやるのですが、このようにウィンドウの横幅を狭くすると、最下部にある、スクロールバーやボタンが枠外に追いやられ、見えなくなる。ボタンはショートカットキーで代用できるし、そのほうが作業も速いので問題ありませんが、スクロールバーは困る。どうやらVistaの問題らしい。Praatのバージョンアップ履歴にも、この問題を解決した、という記述はありません(この記事を書いている時点でも、まだ解決していないようです)。

しばらく格闘したもののどうしても解決できず、Praat User Groupに行って、誰かこの問題について質問してないか検索して確認すると、あったあった。答えていたのはBoersma博士自身。「ウィンドウの幅を広げて、上のメニューが一行に並ぶようにしてからウィンドウを閉じて、また開きなさい」だそうです。つまり、メニューが2行にわたっているのが問題で、その場合、そこから下の分析ウィンドウやTextGridのタテ幅をそれに合わせて調整するようにはなっていない。だから、メニューが2行になった分だけ、いちばん下にあるスクロールバーがウィンドウの枠外に追いやられて、ウィンドウを最大化しようがなんだろうが、隠れたままになる、ということらしい。

Praatは前回の設定を自動的に記憶するので、狭くした状態でウィンドウを閉じて、再び開くと、この問題が発生する。ウィンドウの横幅を狭くしてPraatを使いたければ、スクロールバーまでちゃんと枠内に収まるだけの広い横幅で開いておいてから、改めて狭くしなさい、というわけでした。

なんともスマートじゃない方法ですが、解決するのは確か。それ以降、問題なく使えています。