小安中学校第10期生 Version 2

自然豊かな栗駒山麓にたたずむ学び舎から巣立った、我等40人の恋と涙と心の交流を綴るサイトである。

映画「富士山頂」

2009年07月05日 | 映画・ドラマ

富士山頂剣ヶ峰に立つ気象レーダー


                   2001
8月に解体された.

 

昨夜テレビで「富士山頂」を放送していた。石原プロの作品です。

この作品は大工の弟子の頃、秋田市土崎の映画館で観た記憶がある。

弟子時代は、金がなくて楽しみは映画くらいのものだった。

観ただけだった、ストーリーは全然覚えていないのだ。

 

「黒部の太陽」もこの映画館で観た。この映画はストーリーを覚えている。

前ブログで、“映画バトン”で記事にした。けっこうコメントが入った。

 

まさに我が人生も始まろうという時代だったが、たぶん18,19歳の頃だった。

石原プロの「黒部の太陽」にしても「富士山頂」にしても、大自然と闘う男達を

スケールの大きなテーマで描こうとするスター石原裕次郎の映画への熱い思いは

伝わってきた。


ストーリーは簡単に説明するとこうだ。

気象庁測器課長・葛城章一(芦田伸介)は台風の被害を減らそうと、

富士山レーダー取り付けに情熱を傾けていた。

三菱電機技術部員・梅原悟郎(石原裕次郎)もまた、富士山レーダーに情熱をかけ、

大成建設の伊石昇(山崎努)と、山頂の気圧や地盤を調査する。

やがて2社合同の工事が開始する。零下30度、風速20メートルの苛酷な条件の中、

難作業は続けられる。加田雄平(渡哲也)がレーダードームをヘリコプターに吊るして

輸送し、直径9メートル、500キロの巨大なドームが完成する。

富士山レーダーは長年気象観測のシンボル的存在であった。

 

NHKプロジェクトXでは、2002年第一回として放送された。

「巨大台風から日本を守れ 富士山頂・男たちは命をかけた」

(富士山レーダー・三菱電機 328日)私は再放送を見ました。

 

「富士山レーダードーム館」

富士山頂で35年間働いてきた富士山レーダーが引退し、こちらにやってきました。

富士山頂の測候所で昭和39年(1964年)から平成13年(2001年)まで働いていました。

現役の頃は静岡県側にあったのに、今は山梨県富士吉田市に引き渡され、

「富士山レーダードーム館」として復元されています。

ここで一句 「レーダーがなくて違反で一ヶ月」 40キロオーバー 

 


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
TVみました。 (M-1グランプリに出場したい男)
2009-07-07 12:48:35
「富士山頂」の映画みました。
大自然の映像はきれいでした。
ストーリーはたいしたことなかった。
記録映画と思えば大丈夫です。
返信する
M-1グランプリに出場したい男様 (管理人)
2009-07-07 20:25:05
>記録映画と思えば大丈夫です。
そうですね、石原プロも初期の作品です。
返信する

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