た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

島をめざして

2008年11月13日 | 童話
 いるかは広い海を泳いでいた。

 とほうもなく広い海を、いるかは一頭で泳いでいた。海の上に顔を出したり、沈めたり。顔を出したり、沈めたり。来る日も来る日も、そうやっているかは泳いだ。いるかはたった一つの島を目指していた。広い海のどこかにある、たった一つの島。その島の話を、いるかは、おじいさんいるかと、お父さんいるかから聞いた。

 「いるかは、ホ、ホニ、ホニュウ類というやつだからのお」
 おじいさんいるかは話してくれた。
 「いるかはホニュウ類というやつだからのお。わかるかの、ホニュウ類。これ、あんまりしぶきを立てるでない。しぶきをやたら立てるのは泳ぎの下手ないるかだ。ホ、ホニュウ類というのはまだ難しい言葉よの。ホニュウとはつまり、本当は陸地に住む動物だぞ、ということだ。陸の動物なのよ、いるか族は。ほれ、あんまり長く海の中を泳いでいると、息苦しくなってこようが。息苦しくなったら海面まで浮かびあがって呼吸しようが。それが何よりの証拠よ。いるかはホニュウ類。陸地に住むべき動物よ。ところがどうだ。残念ながら、たいていの陸地はいるかの住める環境にはなっておらん。いるかの住める環境になっておらんのだ。が、しかし、だ。たった一つ、いるかの住める島がある。どこかに、な。このだだっ広い海のどこかに。そこでは数えきれないくらいたくさんのいるかたちが、陸上生活を送っておるそうな。そりゃまこと美しい島よ。海草よりはるかに大きな植物が、あざやかな花を咲かせて、海の中じゃとても聞けない美しい声で歌う鳥たちが、空を舞っておるそうな。天国のような場所よ。楽園のような場所よ。ただ、残念ながら、わしはまだ一度も見たことがなくてのお」
 おじいさんいるかはそうつぶやいて、体をひねり、白い腹を見せた。
 それから間もなくしておじいさんは彼のもとを去り、二度と戻ってこなかった。

 おとうさんいるかとは、しばらく一緒に泳いで島を探した。おとうさんはおじいさんよりずっと無口だった。その分、島を探すのに熱心だった。何日も何日も二頭で泳いだ。それでも島は見つからなかった。
 よく晴れた日の朝、おとうさんは漁師たちの網にかかって引き上げられ、二度と戻ってこなかった。
 (おとうさんいるかは、すぐに殺されたわけではない。大型トラックで水族館に運ばれ、大きな水槽に入れられた。その水槽には彼しかいなかった。しばらくの間は曲芸を教え込まれたが、どうしても覚えようとしないのでしまいには放っておかれた。おとうさんいるかは大きな水槽の中をぐるぐる回りながら一年半生き延びた。)


 いるかは泳いだ。おじいさんとお父さんに教えてもらった伝説の島を目指して、ひたすら泳いだ。

 ほんのときどき、いるかはどこかの岸辺にたどり着いた。ああ、ここが夢に見た島なのかと飛び跳ねた。砂浜の近くまで近寄ってみる。でも、いつでも、体が砂とこすれて痛くなったり、息苦しくなったりして、あわてて引き返した。そこはいるかの島ではなかったのだ。いるかはがっかりして、しばらくいそぎんちゃくに鼻を押し当てて黙りこんだあと、また夢の島を目指して泳いでいった。

 ある日いるかはかもめに出会った。
 「かもめさん、かもめさん、このあたりにいるかの島はないですか」
 「島? 私も探して飛んでいるんだけどねえ。もう三日も見つからずに飛び続けでふらふらだよ。でもあんた、いるかの島と言ったねえ。私の目指してるのはさ、人間やらコンクリートやら、何より人間の釣り上げた魚が豊富にある港だからねえ。たぶんあんたの言ういるかの島とはだいぶ違うと思うよ」
 「そうですか」
 いるかはがっかりして海の深くにもぐりこんだ。

 また別の日、いるかは自分の体の半分ほどの大きさの、たこに出会った。
 たこは目指す島の話を熱心に聞いてくれた。ときどき質問をはさんで、けっきょく、おじいさんいるかやお父さんいるかのことまで聞き出した。全部聞き終えるやいなや、たこは笑い転げた。あんまり笑うから口から墨が噴き出した。 
 「あんたは利口そうに見えるが馬鹿なんだなあ」
 いるかはなぜ笑われたのかさっぱりわからなかった。
 「どうして僕が馬鹿なんです?」
 「だってあんまり馬鹿なこと言うんだものなあ」
 いるかはますますわけがわからなくなった。
 「だからどうして僕が馬鹿なんです」
 「だって君はひどい苦労をしている。探しものをして、ずっと泳いでばかりいるんだ。へとへとになるまで。それも、それもだよ、一生かかっても見つかるか見つからないかわかんないもののためにときた!」
 「はあ」
 「ねえ、もし一生かかっても、その島とやらが見つかんなかったらどうするんだい?」
 「見つからなかったらって・・・見つけたいんですけど」
 「ははははは!」
 これ以上はいくらたこでもできないというほど大笑いし、そのために八本の足を互いにもつれさせてしまって、墨を吹きながらたこは去っていった。
 「たこってまったく、変なやつだなあ」
 いるかは首をひねると、少しだけ、たこのことを笑い、また泳ぎ始めた。

 さらに幾日かすぎて、いるかは大きなくじらに出会った。いるかはたいそう喜んだ。
 「くじらさん、くじらさん、あなたは私と同じホニュウ類でしょう。お父さんが昔そういってました」
 「ほう。よく知っているなあ、若いいるか君」
 「あなたならご存知ですよね。いるかたちが海から上がって生活できるいるかの島を」
 「いるかの島?」
 くじらは静かに笑った。「君は本当に若いんだねえ。いるか君、私も若いころはくじらの島というやつを探して泳いだこともある。くじらの島だ。くじらたちがたくさん陸に上がってこうら干ししている島だ」
 「そうですか」いるかは目を輝かせた。「それは見つかったんですか」
 くじらはすぐには返事をせずに、考え深く眼を閉じて、潮を高く吹いた。
 「いるか君。この海はどれくらい広いと思う?」
 「僕はまだ若いからわかりません。まだ一度も、海のはてにたどりついたことがないんです」
 「そうだろう。たどりついたことがないはずさ。いるか君。驚いちゃいけないよ。この海に、果てなんてないんだよ」
 いるかはひどくびっくりした。
 「どういうことですか?」
 「私も若いころは、海には果てがあるんだろうと思っていた。でも、くじらの島を探しながらずっと西へ西へと、文字通り、西へ西へと、ひたすら毎日泳いでいたら、ある日、いいかい、ある日、私は元の場所に戻っていることに気づいたんだ」
 いるかは口をあんぐり開けて何も言えない。
 くじらはしゃべり続けた。
 「元の場所に戻っているんだよ。海の底の海草たちや岩の形や、そこを泳いでいる小魚たちの種類が全く一緒だったから間違いない。結局二回ほど同じ場所に戻ったなあ。それでもくじらの島は見つからなかった。そのとき気づいたよ。ああ、くじらの島なんてなかったんだって。われわれは、一生、海の中を泳ぎ回ってなきゃいけないんだって。息苦しくなってときどき海面に顔を出すけど、でも陸の上には上がれないんだって。ほれ、君にもひれがあるだろう。むなびれ、おびれ、せびれ。でも、足はない。君はたとえいるかの島を見つけたとして、どうやってそこを歩くんだい。若いいるか君、君たちもわれわれくじら族ときっと一緒だ。われわれは一生涯、海の中で生活する宿命なのさ」

 いるかはひどく腹を立てた。
 「なんてこと言うんです。ぼくはあなたみたいにあきらめませんよ。ぼくはきっと探し出して見せます。いるかの島を。たとえくじらの島を見つけたって、あなたになんか教えませんよ」           
 いるかはそう言うと、くじらのもとを去っていった。
  
 いるかは大きく成長していた。それでも目指す島は見つからなかった。
 あらしで海が大荒れする日もあった。そんな日は、海面に出て呼吸するのも精一杯だった。それでもいるかは泳ぎ続けた。


 さらに月日が流れた。
 いるかはもうずいぶんと年をとっていた。彼もこのころは、一生かかっても自分は島なんて見つけられないんじゃないかと考えていた。それでも彼は目的の島を目指して泳いだ。今となっては、彼にはそれしかすることが残されていなかったのだ。

 ある日、いるかは呼吸をするために鼻先を出して、海がとても静かなことに気づいた。空はどんより曇っているが、風は全く吹いていない。不思議な空気の匂いのする場所であった。息を吸うたび、とても安らかな気分になった。
 ふと、いるかは前方遠くに白いものが浮かんでいるのに気づいた。白波が立っているんだろうか? こんな海のど真ん中で? 彼が近づくにつれ、白いものは、だんだん大きくなった。動かない。白波のように消えたりできたりしない。
 いるかは心臓がどきどきするのを感じた。島だ。あれこそ探していた島だ。あんまり心臓がどきどきするので、いるかは心臓が止まってしまうんじゃないかと心配になった。急いでたどり着きたかったが、無茶をしないよう用心して泳いだ。
 白く見えたのは砂浜だった。今まで見たこともないほど美しく輝く砂だけでできた島だった。いるかは海から顔を上げ、慎重に浜辺に体を寄せた。ああ、動ける。海の外を動ける。足がなくても、体をくねらせたらこんなにかんたんに陸上を動けるじゃないか。いるかは喜びのあまり涙を流しながら島の上に体を乗せた。

 空を覆っていた雲が割れ、一筋の光が、島に横たわるいるかの上にさした。なんて美しい光なんだ。なんてまぶしくて暖かいんだ。いるかは幸せな気持ちにひたりながら、静かに目を閉じた。

 二度と、いるかが目を開けることはなかった。雲は再び閉じて光を失い、白い島は、すでに動かなくなったいるかの体を乗せて、音もなく海の底へと消えていった。


(終)
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