信州最北端秋山郷には、天明の大飢饉の折全滅した村の跡があるという。入植最初期の村であり、秋山郷の地名の由来ともなっている。そこに辿り着くには、ずいぶん道に迷い、人に尋ねた。ほとんど標識というものがない。訪れる人も稀なのだろう。狭い林道を下り、舗装が無くなり、いよいよ枯れ枝の積み重なる悪路となったので、車を乗り捨て、歩いた。
小雨が肩を濡らす中、四半時ほど歩き、ようやく跡地らしき場所に出た。神社も立たないほどの狭い空き地に、全滅した八軒の村人たちの霊を弔う石碑が並んでいた。
食が尽き、万策尽き、孤立無援の中、ただただ死を迎えざるを得なくなったとき。彼らは何を思い、この地に留まったのだろうか。
何を思い、終日、この奥深き谷間を眺め下ろしたろうか。
そして、今は。
今の世の 終はり見んとて 無縁塚
何度か手を合わせ、本降りになる前に、そこを去った。