徒然雑感 by おとぼけの父上

R中学のソフトテニスコーチ、エスパルスの応援、その他何でも、日々の雑感を記録していきます。

体育祭の思い出

2018-09-13 10:09:57 | 自叙伝
時々、無性にキャンプに行きたくなります。正確に言えば、バーベキューがしたいのですが。ただ、準備だったり、片付けだったり、それなりに手数がかかることを考えると、面倒臭がりの私には実はハードルが高く、実現は難しそうです。別にキャンプに拘らなければ、色々なところでバーベキューが出来ることは解っているのですが・・・・


さて、もうすぐ?運動会シーズン。
私の運動会の思い出もいくつかありますが、
一番の思い出は、沼津4中での最初の運動会。

中学1年の1学期は東京の文林中学で過ごした後、
親父の転勤で夏休み中に沼津へ引っ越し、
自分だって、静岡の田舎出身なのに、
東京かぶれの私は、
沼津の田舎暮らしに最初は馴染めませんでした。
(今は東京の喧騒についていけない私ですが)

元々人見知りであり、
社交的でない私は、どちらかと言えば孤立していたかも。
そんな中、体育祭で行われる種目で、
1500メートルの個人戦があり、
各クラス二人が出なければいけないのですが、
みんな、かったるい!ということで出たがる人がいませんでした。
私は、そもそも長距離を走ったこともなく、
ただ、走ることが好きだという理由だけで、手を上げました。
クラスのみんなは、謎の転校生が、長距離に出るって!
大丈夫かよ!
って思ってたはずです。
特に走る練習も当時はしていなかったし、
何より、私は知りませんでしたが、
沼津4中には沼津4小からほとんどの生徒が、
持ち上がってくるのですが、
4小で、マラソンと言えばS君と言う絶対王者がいて、
彼がこの1500メートルのダントツの優勝候補でした。
そんなことも知らず、無謀に手を上げた私。

この時の1年生ほぼ全員が、
バカで物好きな転校生がどんな走りをするか?
そう思っていたと思います。

さて、いよいよ体育祭当日。
1500メートルの時間となりました。
長距離を走ったこともない私。
取り敢えず、先頭について行くだけがやっとでした。
先頭はその絶対王者S君。
その後ろに私が2番手につけたのですが、、
すぐに、これまた昔からマラソンが早かったT君に抜かれ、
私が抜き返しと、無駄な競い合いをずっと繰り広げ、
今なら、体力を消耗してバカなんじゃない?
と思うのですが、
当時は2番手を走ることが使命?と思い、
とにかくそこに命を懸けていました。
そして、残り100m?
ここしかないとばかり、スパートし、
何とか優勝することが出来ました。
その瞬間から、
謎の転校性は、体育祭のヒーローとなり、
何とか友達が出来るようになりました。

今考えると、この頃から私は人見知りだった気がします。
体育祭でヒーローとなったのもこの年が最後。
次から次へとみんなに抜かれていく人生です。
本当にあの頃に戻りたいです。



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