徒然雑感 by おとぼけの父上

R中学のソフトテニスコーチ、エスパルスの応援、その他何でも、日々の雑感を記録していきます。

世間は狭い

2010-11-04 23:14:20 | 知人・友人・赤の他人
時々意外なところで知った顔とあって、
いろいろ話をすれば、意外な共通の知り合いがいたりすることがある。
今日のお通夜では、
私が立っているとよく行くお寿司屋さんの板前さんがいた。
いつも板前のカッコしか見ていなかったから、最初は違う人かと思ってしまったが。
挨拶すれば、マイクのお父さんと同級生だった。
そんなつながりがあったとは。

また、奥様は、教え子のお母様と遭遇。
亡くなった、マイクのお父様と従兄弟だったようだ。

大した話ではなかったかな?


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日もお通夜

2010-11-04 22:52:23 | お見舞い・お悔やみ
予告通り、
と言ってもだれも覚えていないだろうが、
二日連続のお通夜に行ってきた。
仕事が終わらなかったので、会社を抜け出し、
焼香を済ませてまた会社にとんぼ帰り。
先ほど帰宅した。

ところで今日亡くなったマイクのお父様。
まだ42歳?
本当に自分より若い人が亡くなることはつらい。
食道がんと言う話で、
きっと最後は私の兄貴と同じように転移したりして力尽きたんだろう。
かなり苦しかったようだし、それを聞けばさらに悲しみはつのる。

昔、親父が死んだ頃は私が25前後。
親父の死と言う物は当然理解はしているけれど、
死という概念自体は、自分とはかけ離れたものだった。

要するになんとなく他人事。
自分が死ぬのはまだまだ先。
決まっているわけではないし、
突然訪れる可能性は誰にでもあること。
結果的に50を過ぎてもまだ生きている私ではあるが、
いつ死んでもおかしくないのが人生ともいえる。

そんな私だったが、徐々に歳を重ねると、
なんとなく自分の死と言う物が現実味を帯びてくる。
さらに、

誰かが亡くなったりすると、
葬式に出たりすると、
必ず思ってしまうことが3つある。
「自分が死んだ時、悲しんでくれる人が何人いるのだろう?」
「自分の葬式に何人の人が来てくれるのだろう?」
そして、「自分が死んで、何年か過ぎた後でも、私の事を思い出してくれる人が何人いるのだろうか?」
と。

昔、というか、若い頃は、
自分のことを判ってくれる人数人。
いや、たった一人でもいればいいや。
そう思っていた。
しかし、歳をとるとやはりさびしくもなってくる。

別に大会社の社長が亡くなった時のように、
何百人何千人の人が葬式に来てくれなくても、これはいい。
どうせそういう人は、半分以上が肩書きに集まっているから。
そうではない、心のこもった仲間が何人いるのだろうか?
自信もないし、実際にもいない。
こういうことを考えるということが、歳をとった証拠なのだろう。

当たり前だが、自分の行いがこういうことに反映するのだから、
今更後悔しても始まらない。

見栄を張ってもしょうがない。
偏屈な老人のたわごとと読み流してもらおう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日から大道芸ワールドカップ

2010-11-04 07:30:26 | 大道芸ワールドカップ
いよいよスタートする大道芸ワールドカップ。
昨日はプレビューショウも開かれ、
我が家的には、大いに盛り上がって来ている。
ツインAは明日こそ休みだが、後の三日間はボランティア。
特に今日は来場者?が少ないのと、ボランティアの人も仕事があるので、
手薄な状態でスタートすると、気合いを入れていた。
インフォメーションブースには、色々な人がくるようで、
ガイドブックを持っていない人が多いから、
質問も多岐にわたるので、自分のガイドブックにインデックス貼ったりして、
準備万端整えている。
中には図々しい人もいて、そのガイドブック頂戴と、
平気でツインAのガイドブックを持って行こうとするひともいるらしい。
世の中には色々な人がいる。人生何事も勉強だ。
忙しいだろうが、がんばれツインA。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お通夜はいつも悲しい

2010-11-04 05:46:06 | お見舞い・お悔やみ
昨日はユウヤのお母様のお通夜だった。
場所はアイネット千代田。
私のお袋と同じ場所、同じ部屋。
それだけで、やや感傷的になるのだが。

前日まで元気だったのに、
朝起きてこないと、お嬢様、
ユウヤのお姉さまが起こしに行ったら亡くなっていたらしい。
その時のショックはいかばかりか?

でも、お通夜の席で気丈にふるまうユウヤ、そしてお姉様とお兄様。
立派な姿だった。

タツタのサッカー仲間。
小学生の時から子ども達の送り迎え、そして応援。
子どもたちは当たり前。
父兄も連帯感ばっちり。
いつまでも仲良く、そう思っていたのに、
早くも欠員が出来てしまった。
悲しいし淋しい。

安らかにお眠りください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

進化していた王将の餃子

2010-11-04 05:26:01 | グルメ

昨日は大井川でタツタのサッカーの試合があったので、
かえりは焼津で王将に寄ろうと最初から決めていた。
私が初めて王将の餃子と出合ったのは大学時代。
もう記憶はあやふやだが、
餃子1人前が130円くらいだった気がする。
いつも餃子2人前とライスで360円くらいだったか?
学生にとってはありがたい価格設定だった。
最初は本当に餃子だけしか売っていなかったが、
そのうち、天津飯とか回鍋肉とか、
安いメニューが追加され、
当時の私にとって、天津飯はこの上ないごちそうだった。
その後、社会人となり、
しかも転勤で静岡に戻り、
王将の餃子を口にする機会がなくなってさびしかった頃、
焼津にこの王将の餃子を見つけた時の喜び。
当時は藤枝へゴルフに行くと、
時々帰りに寄ったりしたものだった。
それでも、ここのところ5年くらい食べていなかったような気がする。
今日久しぶり王将に寄ると、
家族連れの多いこと多いこと。
相変わらず、
独特の符丁、
イーガ
リャンガ
が飛び交っているのはうれしかった。
厨房で威張っている料理長?さんも、
なんとなくほほえましかった。
そして厨房の片隅で手作りで作っている餃子。
このシーンは昔となんら変わっていなかった。


王将の餃子は生姜の効いた独特の味。
懐かしい味を堪能。
そういえば昔、餃子をマヨネーズで食べることを、
王将で教えてもらったのだが。
今もお願いすればマヨネーズ出してくれるのだろうか?


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする