おっちゃんの四季通信

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掖上の道コース その14

2016-12-23 06:47:47 | ハイキング
掖上の道コース その14
掖上の道コースハイキング
西光寺から一番気になる神武天皇社へと・・・
なぜ、神武天皇にかかわるものがあるのかと・・・
小さい境内へと進んで行きます。

何かさびしい感じがしますが・・・

王城院と・・・・ここは御所市柏原ですが・・・・  
神武天皇が即位したのは橿原市ではなく、御所市の柏原だとする説があります。境内は・・・

本殿へと・・・

拝殿の奥に・・

本殿があります。

神武天皇社の案内が・・・
享保21年(1736年)の大和誌には「橿原宮。柏原村に在り」と記し、本居宣長も明和9年(1772年)の「菅笠日記」に、
畝傍山の近くに橿原という地名はなく、一里あまり西南にあることを里人から聞いたと記しています。
一説にはこの神社が宮跡に指定されると住民が他に移住しなければならなくなるので、明治のはじめに証拠書類を全て
焼いてしまったと言われています。

小さな境内を・・・

境内には地蔵堂も・・・・・・・

見渡した後は・・・嗛間(ホホマ)神社へと・・・

境内を・・・・

神武天皇・・・の石標

鳥居をくぐり

まっすぐ進んで・・・

突き当りに・・・

ここに伝説の嗛間(ホホマ)神社があります。
わかりにくい場所です。

この境内の中は・・・小さな社があるだけですが・・・・

ここに祀られている吾平津媛命は、神武天皇が媛蹈鞴五十鈴媛命(ヒメタタライスズヒメノミコト)を入れて正妃とされたので、
前后吾平津媛命は、柏原の宮でわび住まいされたといい伝えられている。悲しいことに子供が2人もいたのに、政略結婚でしょうか・・・・
この嗛間神社は霊験があらたかで「サワリの神」ともいわれています。

昔、嫁入の行列はこの前を通らず、祠に幕を張り、南側にある、よめいり道を通ったそうです。
焼きもちなのか・・・・自分の不運を恨んだのかなと・・・タタリヲ恐れてでしょうか、歴史は悲しい物語ですね。

そんなことを考えながら・・

歩いていきます。

お寺の掲示板

古い町並みを・・・

歩いていくと町はずれに・・・

懐かしい火の見やぐらが・・・

使われないことを祈るだけですが・・・

歩いていきます。

小学校の前に・・

歩いていきます。

ここから左へと・・・


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