バッタモンのポタリング日乗

松本在住の自転車散歩日記です
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木曽義仲ゆかりの地:長瀬判官代の墓

2021-09-28 21:02:14 | 木曽義仲
宇治川の戦いで義経配下の畠山重忠
渡河後、馬に乗って真っ先に進んでくる華麗な出で立ちの敵に
「ここにかくるはいかなる人ぞ、名のれや」といひければ
「木曾殿の家の子に、長瀬判官代重綱」と名のる
畠山は軍神への供え物にしようと馬から引きずり落として首を取ってしまった
平家物語で何だかあっけない最後だった長瀬判官代は義仲とは血縁関係があったらしい
ちなみにこの時の戦いで義経軍の先陣争いを制したのは佐々木高綱、後の了智上人だ

源氏の流れを汲む長瀬氏はもともとは丸子(上田市)の長瀬地区に居を構えていたということだが塩尻の長瀬地区にも関りがある
熊注意の看板を横目に奈良井川右岸の河岸段丘の暗く狭い道を降りて橋を渡ると3件ほどの民家がある
2軒は空き家のようだが表札には長瀬とある
ここに長瀬判官代の墓があるということでそこらをウロウロ探してみたが分からない
ちょうど唯一住人のいる家から娘に手を引かれたおじいさんが墓参りに出てきたので聞いてみたら
その家の裏手にあるということだ
大きな杉林の中のこんもりと古墳のように盛り上がった場所に小さな祠と横には長瀬判官塚の標柱が建っていた
後で知ったのだがグーグルストリートビューがこんな集落まで行ってるのにはびっくりだ

小曽部川から奈良井川左岸にかけて存在した洗馬荘
そこの地頭職は当初長瀬氏ということだったので役人としてこの地に来たのだろう
洗馬という字は義仲以前の平安時代にはすでにあったらしく
決して義仲の馬を洗ったからではない
地形が「狭まる」が由来とも聞くが定かではない
牧が置かれていたから馬の字を当てたのかも知れない

近くの河岸段丘上にある東漸寺は長瀬判官が建てた西光寺跡を子孫が復興したということで枝垂桜の古木が見事だ
                    
                    
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