バッタモンのポタリング日乗

松本在住の自転車散歩日記です
  時々余計な話題も

木曽義仲ゆかりの地:岩谷堂観音

2021-10-29 21:58:49 | 木曽義仲
丸子の町は何十回も通過したのに立ち寄ることはほとんどなかった
義仲に縁が深いということでいろいろ調べてみると
こんな素晴らしい所があったのではないか
「岩谷堂観音」
その名の通り岸壁に半分組み込まれた朱塗りの堂
岩窟に祀られた観音像は異空間
さらに丸子の町が一望だ

義仲が戦勝祈願の参拝の際に馬で駆け上がったという「義仲馬大門」
その馬を繋いだという伝説の巨木の「義仲桜」がある
平安初期の建立だというから義仲が詣でたということは十分にあり得るなぁ

桜の季節にまた来てみたい




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木曽義仲ゆかりの地:義仲館

2021-10-25 10:42:59 | 木曽義仲
県道沿いの赤い鳥居から御嶽神社へは果樹園の中の農道を数百メートル上る
何の果樹だろう?
根元に撒かれた牛糞の香りが風に漂う

御嶽神社の手前100メートルほどの所に義仲館跡の案内板がある
館跡入り口には冠木門が設えてあり公園風に整備されている
広さはテニスコートを一回り大きくしたくらいだが勿論実際の広さではないし礎石等も見当たらない
片隅には義仲桜と巴松が植えられ遠くには浅間山を望む

地理的条件や滋野氏など有力豪族や牧の存在など諸条件を考慮すれば義仲はやはりこの地に逗留して軍備を整え旗揚げしたのだろう



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木曽義仲ゆかりの地:義仲挙兵の地

2021-10-17 18:44:58 | 木曽義仲
塩田平から丸子に抜ける鎌倉街道の砂原峠を越えると「木曽義仲挙兵の地」の大きな看板が目を引く
義仲が兵馬を集め平家討伐の為の準備態勢を整え実質的に旗揚げしたのがこの丸子の地だといわれている
丸子から上田方面を望むこの高台の地には義仲の嫡男清水冠者義高の名を付けたという生海清水や義仲を招聘した依田氏の高築地館がある

義高が人質として鎌倉の頼朝の元に向かう途中ここの清水でのどを潤したことだろう




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木曽義仲ゆかりの地:巴と山吹五輪塔

2021-10-16 20:25:35 | 木曽義仲
塩田平から丸子に行く県道82号、別所丸子線の沿道の墓地
そこに巴と山吹の五輪塔があるという
グーグルマップで検索するとちゃんと位置表示されるからすごい

ナビで行き着いた五輪塔には説明板も何もない
真偽のほどは確認しようがないが
こうした伝承があちこちにあるというのはとても興味深く面白い
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木曽義仲ゆかりの地:手塚光盛の馬の足跡

2021-10-14 22:57:19 | 木曽義仲
義仲の馬に関する伝説はあちこちにある
馬を繋いだ木、ササを食べた、膝を折った・・・
中でも足跡、馬蹄石というのがいくつかある

塩田平の「とっこ館」の入り口左手には手塚光盛の馬の足跡の橋というのが移設してある
越後の守城四郎長茂を横田河原(川中島)で義仲とともに迎え撃つために出陣するときに付けたという
説明書きには城資長の軍と書いてあるがこれは間違いで、出陣直前に急死したので弟の長茂が家督を継いでる
また手塚光盛は義仲の四天王とはされていないがポジションの高い有力武将ではあった

馬蹄形の凹みはよく見ないと分からないが何せ風雪に耐え800年以上も経ってるからなぁ(^^;


              ん~、確かに馬蹄形・・・





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木曽義仲ゆかりの地:八木沢天満宮、無量寺、手塚八幡社

2021-10-12 22:15:37 | 木曽義仲
別所温泉手前の閑静な山際にある八木沢天満宮
ここには江戸時代中期(1732年)に建立された義仲の古碑がある
脇に立てられた説明書きによると
建立した者は手塚光盛の子孫ということで2度移設されてここに落ち着いている
古碑はかなり風化されているが隣に並んだ祠は輪郭明瞭でそんなに古くはなさそうだ
側面には手塚家の家紋「三つ盛亀甲紋」が、裏には手塚光盛の名が刻まれている

江戸時代中期の建立とはいえ義仲没後500年以上も経っている
確たる文献的証拠はないものの口伝として
木曽義仲や手塚光盛とこの地との縁について綿々と語り継がれてきたことだろう

手塚地区の無量寺には空海が柳の木の根元から彫ったという「元木の地蔵」があり光盛の守り本尊だったという説もあるが
寺自体は戦国時代の建立ということだ
その近くの手塚八幡社には戦勝祈願したのだろうか?




三つ盛亀甲紋

無量寺

手塚八幡社



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木曽義仲ゆかりの地:手塚光盛と塩野神社

2021-10-10 21:43:04 | 木曽義仲
何度か塩田平に来ているがこの塩野神社を訪れたのは初めてだ
流鏑馬も行われていたと言う延喜式にも載っている古社で
神殿に劣らず立派な楼閣造りの拝殿は素晴らしく一見の価値あり
これは江戸中期に建てられたということだ

創建年代は社殿によると本宮は白鳳時代(645~710年)ということなので
手塚光盛もここに祈願したり流鏑馬に興じたに違いない

近くには中禅寺と茅葺が美しい薬師堂があるが
住職に聞いたら手塚光盛とは関係ないようだ

この参道で流鏑馬が行われていた




中禅寺薬師堂
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木曽義仲ゆかりの地:手塚光盛館跡

2021-10-09 21:08:32 | 木曽義仲
武蔵国の住人長井斎藤別当実盛は
駒王丸(義仲幼名)が母小枝御前ともに信濃の国へ逃げる時の手助けをした命の恩人だ
今は平家の武将として、北陸路を進軍してきた義仲を迎え撃つために平維盛、通盛の配下として従軍していた
その時すでに70余歳と老齢となっていた実盛は篠原合戦で出身地の越前に錦を飾りつつも討ちとられてしまった
義仲がその命の恩人実盛の首と再開する悲哀感溢れる名シーンは平家物語の「実盛最後」の段だ

その実盛を討取ったのが「信濃国の住人手塚太郎金刺光盛」だ
諸説ある中、光盛は別所温泉近くの手塚地区に住んでいたというのが有力らしい
屋敷跡といわれるところ
供養塔
ゆかりの神社仏閣
などが存在し手塚伝説がたくさん残る地だ

 館跡だと言われている所
 門はもちろん後年のもの


土塁らしきものの奥には唐糸天神の堂が見える

唐糸は手塚光盛の娘で源頼朝に仕えていたが義仲討伐の企てを知って
匕首を懐に頼朝の暗殺を試みるがバレて石牢に閉じ込められた
しかし、その娘の万寿姫の今様や舞に感心した頼朝が褒美として母を放免したというのが「唐糸草子」だ
後年その唐糸を祀ったのが唐糸天神だ
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木曽義仲ゆかりの地:塩田平手塚地区

2021-10-07 21:44:24 | 木曽義仲
上田市塩田平の手塚地区は義仲とともに平家討伐に向かった武将手塚光盛の本拠地だったとされている
手塚光盛は手塚治虫の先祖だということで「火の鳥乱世編」にも登場させているが
その顔は例の手塚治虫顔だ

そのゆかりの場所を探訪しながら
野焼きの煙たなびく秋晴れの塩田平をブラブラとポタリング
のんびり走る別所線に思わず撮り鉄

駅前食堂の「なかの食堂」でラーメンの昼食
他のお客さんが食べていたもつ煮定食やカツ丼も旨そうだったなぁ
テレビ取材もされたらしくSBCの山崎アナの色紙が飾ってあった
                        
                       
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木曽義仲ゆかりの地:新倉観音堂、新倉毘沙門堂

2021-10-04 22:58:50 | 木曽義仲
岡谷市川岸の天竜川右岸の山裾に佇む毘沙門堂、観音堂はなかなか良い雰囲気だ
その新倉観音には義仲手植えの桜
新倉毘沙門堂には義仲が兜に入れていたというゆかりの木像を奉納したとか

毘沙門堂の立像は室町時代のものらしいが
建物はもっと後年のものだ
堂前の岡谷市天然記念物の杉の大木の説明板に樹齢200年以上とあったから
堂はその頃建て替えられたのだろうか?

毘沙門堂が平安末期にはすでにあったとすれば
義仲家臣には諏訪の武士もいるので何度か諏訪を訪れていたのだろう
その折に樋口兼光の居た辰野経由で来ればちょうど通り道になる
そこに軍神毘沙門天があれば当然祈願するだろう
あるいは旗揚げで佐久方面に向かうときにここを経由、祈願して和田峠を越えたのだろうか?

                      
                                       新倉毘沙門堂
                      
                                       新倉観音堂
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