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バッタモンのポタリング日乗

松本在住の自転車散歩・鉄道・旅など雑多な日記
  

秋空

2013-09-30 13:43:40 | 写真
自転車は徒歩に比べればかなり楽な乗り物だ
たまには歩いて体に負荷をかけないといけない

今朝は久しぶりに徒歩通勤
自転車と違ってわき見OK
こんな秋空にも目を向けられる

台風一過

2013-09-16 21:50:42 | ポタリング
午前中に接近した台風18号は多くの雨を降らせ
昼過ぎには去っていった

幸い自分の所には被害は無かったものの
映像で見る福知山や嵐山の水害は気の毒だ

雨の上がった午後はじっとしてるわけにはいかない
甘い香りに包まれた葡萄の丘をヒルクラポタ

多田加助の道15

2013-09-15 23:20:27 | 多田加助の道
鈴木伊織が江戸より処刑中止の赦免状をもち早馬にて駆け付けたが
もう少しという所で馬の足が折れ間に合わなかった

松本城と勢高の処刑場の間のその場所は駒町と言われるようになり
その馬を祭祀した観音様もある

ルートラボに落とした加助の護送ルートはこちら

多田加助の道14

2013-09-15 22:36:36 | 多田加助の道
加助騒動当時の松本藩主水野忠直は江戸詰めであった
その家臣鈴木伊織は百姓の困窮した生活に同情的だった

藩主に処刑中止を懇願し承諾を得て
早馬で松本城下まで来たが
処刑には間に合わなかったと言う逸話が残されている

真偽のほどは定かでなさそうだが
こうして名前が語り継がれていると言うことは
加助たち百姓の良き理解者であったに違いない

その鈴木伊織の墓所脇の湧水は伊織霊水と名付けられ
コンコンと清冷な水が湧き出ている

多田加助の道13

2013-09-14 22:27:14 | 多田加助の道
1686年11月22日城山の勢高と出川の処刑場で
加助以下28名が磔、獄門の刑に処せられた

勢高の処刑場は臨時だったので場所が明らかではなかったが
丸の内中学建設時に処刑された人数相応分の人骨が出てきたので場所が特定でき
そこに義民塚を造り遺骨を埋葬した

上土の牢から処刑場までのルートは
江戸時代の松本城下絵図に描かれている道筋から見て
外堀と女鳥羽川の間の今の縄手通りを西に向かい
駒町を経て刑場へ連れて行かれたと想像する

この加助騒動の3年後に松尾芭蕉は奥の細道に旅立っている

雨の日はメンテに限る

2013-09-10 15:59:42 | 自転車
雨の日曜日は自転車のメンテ

M鍋さんの歴戦のボテッキアのBB、クランク、ワイヤーの交換
E藤隊長のホイール組
W辺さんのフロントフォーク交換コラムカット
M重さんのパンク修理特訓・・・・

美鈴湖畔のサイクルカフェ・ピラータは俄か工房

皆であれこれワイワイやるのは結構楽しくて
あっという間に一日が終わってしまった