バッタモンのポタリング日乗

松本在住の自転車散歩日記です
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木曽義仲ゆかりの地:手塚光盛館跡

2021-10-09 21:08:32 | 木曽義仲
武蔵国の住人長井斎藤別当実盛は
駒王丸(義仲幼名)が母小枝御前ともに信濃の国へ逃げる時の手助けをした命の恩人だ
今は平家の武将として、北陸路を進軍してきた義仲を迎え撃つために平維盛、通盛の配下として従軍していた
その時すでに70余歳と老齢となっていた実盛は篠原合戦で出身地の越前に錦を飾りつつも討ちとられてしまった
義仲がその命の恩人実盛の首と再開する悲哀感溢れる名シーンは平家物語の「実盛最後」の段だ

その実盛を討取ったのが「信濃国の住人手塚太郎金刺光盛」だ
諸説ある中、光盛は別所温泉近くの手塚地区に住んでいたというのが有力らしい
屋敷跡といわれるところ
供養塔
ゆかりの神社仏閣
などが存在し手塚伝説がたくさん残る地だ

 館跡だと言われている所
 門はもちろん後年のもの


土塁らしきものの奥には唐糸天神の堂が見える

唐糸は手塚光盛の娘で源頼朝に仕えていたが義仲討伐の企てを知って
匕首を懐に頼朝の暗殺を試みるがバレて石牢に閉じ込められた
しかし、その娘の万寿姫の今様や舞に感心した頼朝が褒美として母を放免したというのが「唐糸草子」だ
後年その唐糸を祀ったのが唐糸天神だ
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