大島恵真(おおしま・えま)の日記

児童文学作家・大島恵真の著作、近況を紹介します。
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猫の脳腫瘍のはなし・10・2021年6月4日

2021年06月04日 | 2021.5猫の闘病記
おはようございます。
脳腫瘍で5/30に9歳で亡くなった猫「ノア」の、5か月の闘病記の最後です。
暗い話ですが、最後までおつきあいいただきありがとうございますm(_ _)m。

最後の9日間は、悪くなったと思ったらちょっと良くなり、このままでいてほしいという日が続いていましたが、お別れは突然やってきました。

※これまでの記録は、「2021.5猫の闘病記」のカテゴリーにまとめています。


☆2021年5月22日、えさを全部吐いてしまった前夜より調子は良く、自分で起きて、部屋をうろうろ歩いていました。
1日中、よく歩いていました。むやみな前進ではなく、ふつうに歩いていましたので、比較的元気だったのでしょう。
夕方は、自分でえさ皿の前で待っていました。えさも、わりと多く食べてくれました。
夜は、抱いてマッサージをしていたら、おむつで3日ぶりのおしっこをしてくれました。
ちょっとよい日でした。

☆5月23日、よく食べてくれた日でした。
夜、私の部屋に段差をのぼって歩いてきてくれ、ベッドのすきまでもぞもぞしていました。呼ぶと、ベッドにのぼって、のそのそと歩いてきてくれました。そのまま抱き留めたら、その場でおしっこ。1日でできました。おむつをしていなかったので、すぐに猫トイレに移動。ふとんや畳に少しこぼれましたが、1日でしてくれたことがうれしくて、匂いもうれしかったり。
しかし、夜中に、やみくもな前進が始まってしまいました。

☆5月24日、前夜、ベッドの布団に寝かせたのですが、一晩中、頭を上げていたようです。疲れたのか、昼間はずっと寝ていました。
夜、布団の上で、おむつでおしっこ。また1日でできたので、うれしくなりました。

☆5月25日、午後、えさを全部吐きました。その後、カリカリも吐くかと思い、ちゅーるだけを合計3本、与えました。
夜はまた、やみくもに前進するようになり、ドレッサーと机のすきまに入って、もがいていました。ですが、このときは奇跡的に方向転換をして出てきました。
布団に入れて、一緒に寝ました。疲れているのか、布団に入れれば寝てくれるようになりました。

☆5月26日、珍しく、朝の6時に布団でおしっこ。1日半ぶりでした。
病院で、えさ用のシリンジ(少し太めで、先が長い)を購入、これでえさが少し楽になりました。この日は、1回も吐きませんでした。おしっこをほぼ1日1回できるようになり、調子が良くなったかもしれないと思いました。

☆5月27日、朝、寝ている私の腕の上にすわっていました。この日も、吐きませんでした。
ベッドの下にもぐって、金具にひっかかって頭にハゲができてしまいました。これまでそんなことはなかったのですが、目が見えにくいせいかもしれないと思いました。
夜、いつのまにか、私の枕の横にいました。自分で自由に歩いて来てくれることが、とてもうれしかったです。

☆5月28日、朝、庭に抱いて出ると、瞳孔が少しタテになっていました。ちょっと見えているのかもしれないと希望が出ました。昔、ノアが登った紅葉の木には、ノアの爪の跡が残っています。そこに肉球をあてたりしました。昔を思い出せばいいな…と。
呼ぶと、こっちを見るようにもなり、意思が通じ合っている気がしました。
えさは、少しだけ吐きましたが、よく食べてくれた日でした。
夜、おむつをつけた状態で、布団の上につれていき、マッサージをしていたら、2日半ぶりにおしっこをしてくれました。もう、おしっこの匂いがしてくるだけで、「がんばったね!」と頭をかかえてほめてしまいます。
このまま、だんだんよくなってくれればいいなと思いました。

☆5月29日、夜中の3時に、布団でちゅーるを吐いていました。さわるとうなります。
目は見えているようですが、調子は良くないようでした。
11時、薬とちゅーるを全部吐いてしまいました。動物病院に電話すると、明日(日曜)もやっているので電話してくださいとのこと。吐き気が続くようなら吐き気止めも、とのこと。明日まで様子を見ることにしました。

夕方6時、薬をのませました。ノアは座ったまま、ずっと、小さくけいれんしています。
この日は、合計、ちゅーる2本を与えました。

夜、思いついて、体重を測ることにしました。これまでは、病院で測ってもらっていたのですが、自分で抱いて測ればいいと発見。2階の体重計に一緒に乗って、ひとまずノアを床に下ろしました。もう一度自分で乗って、ノアの体重を計算し、3.1kgと確認していると、ノアがいません。さがすと、クローゼットの前で、扉のすきまをじっと見ていました。

以前、ノアは2階が大好きでしたが、マーキングが激しくなったので、階段にゲートをつけて上れなくしてしまったのです。久しぶりの大好きな2階で、「ここは何があったっけ」というようにたたずんでいる様子が、なんとなく楽しげに見えました。

そのあと、リビングで新聞を読む私のところに、ノアがそっとやってきました。私の体の横で、ただ、じっとしています。なにかを言いたいような、ただこうしていたいような心を感じた気がしました。手で体を抱いて、しばらく一緒にいました。
これが、気持ちが通じ合った(とすれば)、最後だったと思います。

それからノアは、なんとなくぶらぶらと歩いていました。まだまだ夜は寒いので、疲れたらホットカーペットで眠れるようにと電源を入れて、私はベッドで寝ました。

☆5月30日、朝4時、ノアの足音で目が覚めました。しっかりした足取りで歩き回っています。ここのところ、歩いていてもふらついたりしたのに、かなりの速さで歩いていて、ちょっと驚きました。心配になって抱き留めると、うなって腕から出ていきます。
よだれを出しているあともありました。軽い発作が起きて徘徊していると思いました。

ベッドに押し込んで頭と体を押さえて寝ていても、しばらくすると出ていってしまいます。あちこちで、壁にぶつかる音もします。そのうち、私の部屋にノアのやってくる足音がするだけで、怖くなりました。
何か、意思の通じない、得体の知れないものがやみくもに歩き回ってやってくる、という感じでした。
これまで、私の部屋に入ってくるトコトコという音がなんとも言えずうれしかったのに、こんな気持ちは初めてでした。

何回も抱き留めました。でも、そのたびに、足ですごい力で人間を蹴って、また歩き始めます。おむつもどこかではずしてしまうので、そのたびにつけるのですが、いやがって大暴れ。もう私の意思は通じないし、ノア自体も、意識が飛んでしまっているのかもしれないと思いました。

朝7時、寝たり起きたり抱き留めたり、こちらも眠れません。抱き留めると、心臓の鼓動が速く、頭に熱もありました。危険を感じてなんとか抱き留めますが、そのたびにすごくいやがってもがきます。
しばらく抱いていると、だんだんと鼓動も普通になり、頭の熱も下がる気がしましたが、私の腕の脇に顔をつっこみ、のけぞり、体全体で抵抗するので、しばらくすると離してしまいます。

病院で動画を見てもらって、てんかんの発作であれば薬を増やしてもらえれば…と動画を撮ってみました。今見ても、すごい速さで、前日までのふらふらした猫とは思えない活発さで動き回っています。ですが、目をちゃんと開けていません。

朝7時半、とにかくてんかんの薬を飲ませようと思い、歩き回るノアをつかまえて、薬をちゅーるに溶かしてシリンジに入れて、なんとか頭を固定して、飲ませました。

8時半、こちらも朝ご飯の用意などがあるので、思いついて、キャリーに入れました。いつもは、キャリーに入れると落ち着いたからです。
でも、キャリーの中で、ウォーウォーとさけんで大暴れ。ときどき様子をみますが、足をがりがりひっかいて暴れます。うつぶせで入れたのですが、仰向けになって、首も曲がって、もがいていたので、抱き上げてうつぶせにしました。

9時に動物病院が開くので、日曜でもあるしと遠慮もあって、9時15分頃に電話をしました。しばらくして先生が出て、連れてきてくださいとのこと。
ノアは横向けになって、ゴーゴーと苦しそうに呼吸をしていました。したくをして、9時30分にキャリーを開けると、ノアが息をしていません。2階にいた夫にも見せて、「ノアちゃん!ノアちゃん!」と大声で呼んでもらいましたが、反応なし。
体は温かいので、とにかく病院へ。

10分歩いて病院につくと、先生が診察の準備をして待っていてくれました。ですが、キャリーの中のノアは、すでに硬直して、舌を半分出していました。
9時40分、先生のみとりで、亡くなったと確認されました。


いろいろ、後悔はあります。
なぜすぐに保冷剤で熱を下げてあげなかったんだろう、なぜ9時ジャストに病院に電話をしなかったのだろう、なぜしたくに15分もかけてしまったのだろう。
人間も、だいぶ疲れていて判断力が落ちていたと思いますし、まだ、きっとだいじょうぶ、病院に行けばなんとか…という楽観もありました。

以前はボタンインコを2羽飼っていて、13歳と17歳の長寿をまっとうしてくれましたが、それでも、いきなり亡くなってしまったあとは、「いままでここにいたのに、どこにいったんだろう?」と不思議な悲しさがありました。
今回は、5か月、闘病期間があったので、人間側のお別れの準備はちょっとずつできていたような気がしました。

ただ、ノアはキャリーに入れられて、最後をどんな思いで過ごしただろうと思うと、何回も、かわいそうで、申し訳なくなります。最後にきちんとみてあげられなかった15分が悔しいです。

ノアが苦しそうだった最後の5時間の姿に、生物が生きることの苦しさを教えてもらえた気がしました。最初から最後まで、ノアには教えてもらいっぱなしでした。

翌日に霊園にひきとられるまで、箱に寝かせてリビングに置きましたが、ノアの顔は夜にはやわらかい表情になり、ああこの子はいつもこんな幸せそうな顔で寝ていたなあ、と思い出しました。ひげと、耳の毛をはさみで切らせてもらい、ノートに貼りました。
夫婦で何回も顔を見ては、いつものように話しかけて一晩を過ごしました。

翌日、ノアは清潔な紙の棺に入れてもらい、親切な霊園の人に抱かれて家を出ていきました。
遠ざかる車を手を振って見ていたら、うちの子が知らない車に乗って行ってしまった、と急に涙が出てきました。うちの子なのに、おかしいな、なんでよそに行ってしまったんだろう…と。

この日の夜、すごい雷でした。ノアは雷が嫌いだったので、「だいじょうぶだよ、怖くないから」と呼び掛けました。

翌日、ノアが荼毘にふされたと、お手紙が来ました。ああ、雷の前に虹の橋を渡れたんだね、とちょっとほっとしました。

今頃、ごきげんな顔でしっぽをふって、ぶらぶら、とことこと歩き回っていることでしょう。

お読みいただいて、ありがとうございました。

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