大佐和キリスト教会

千葉県富津市・大佐和キリスト教会ブログ
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礼拝メッセージ『エリ・エリ・レマサバクタニ・・』(2007・2・18)

2007-02-25 23:40:13 | 今週のメッセージ
説教者:宮崎一実 伝道師
説教箇所:新約聖書マタイの福音書27章45節~50節

今年の初め、大きな信仰の体験をした。1月5日から寝込んだ。
起き上がれないほど頭が痛くなった。偏頭痛持ちなので頭痛薬を飲んでもあまり効かなかったが、薬を飲んでも、お祈りしても、治らずどうしようもないほど痛くなって、神様に文句を言って祈るほどになった。結局神様を知っている者は、神様に頼るしかない、戻るしかない。死んだほうが楽ではないかと思うほどだった。腫瘍ができたと思うほどだった。命をとるか、治すかどちらかにしてください。泣いて祈ったら癒された。大きな体験をした。こんな祈り方をしたことがない。今までは、願い事がもしかしたら神の御心ではないかもしれないと思って、聞かれなかった場合の言い訳を考えながら、神様に祈るようないいかげんな祈りをしてきたのではないか。生きるか死ぬかの祈りは遊びがない。治してくれるか、命をとってもらうかの切羽詰った祈り、そういう祈り方の大切さを学んだ。

「エリ・エリ・レマサバクタニ」のイエス様の十字架上の御言葉を思い出した。「我が神、我が神、どうしてお見捨てになられたのですか?」とイエス様は十字架上で叫ばれた。神様に見捨てられた時期がある。こんなにつらいことがあって神様がいるのかと思う時期がある。それでも神様はともにいてくださる。福音の原点は、十字架の死。この世で一人だけ神に見捨てられた人。イエス・キリストは、ありとあらゆる体験をされた。どんなにひとりぼっちでもイエス様がいればお任せできる。八方ふさがりの絶望。そこから生まれる希望はどれ程素晴らしいかを覚えないといけない。絶望から生まれた希望は本当に私たちに大きな力を与えてくれる。私たちはすぐ聞いて欲しいすぐかなえて欲しいと願うが、神様は意味があって待たされたり延ばされたりする。しかし神様は私たちと同じように苦しみを感じてくださる。本当に心を注ぎだして祈る。心を注ぎ出せば出すほど聞かれる。たとえ聞かれないときにも、それ以上の結果を神様が与えてくださる。愛する兄弟姉妹と祈りあうことも大切。自分が元気な時は、愛する兄弟姉妹のために祈り、元気のない時には、祈りをお願いする。
(文責:三浦)
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