大佐和キリスト教会

千葉県富津市・大佐和キリスト教会ブログ
当教会は正統なプロテスタント教会です

礼拝メッセージ(ビデオ) 『主の栄光』 (2005・6・19)

2005-06-26 23:22:20 | 今週のメッセージ
メッセンジャー:李 康憲 牧師
( 1994年4月10日 東京中央教会での収録メッセージ )
説教箇所:旧約聖書 レビ記 9章22節~24節    

イエス・キリストが誕生する1446年前に、イスラエルの民は出エジプトした。
葦の海を渡りホレブの山のふもとでテントを張った。
モーセはホレブの山で40日間断食をして神の御言葉をいただいた。
ところが民は金の子牛の偶像を作り拝んだ。
神の裁きがあったが、民は悔い改めて、神の御言葉通りに幕屋を作った。
そして一週間の祭りの後に神の栄光が現された。
この神の栄光はイエスキリストの受肉と十字架・復活・再臨の栄光の予兆である。
1.神様がたてた人、大祭司がいるときは、神の栄光が現される。
イエスキリストが在世された時に神の栄光を見たと聖書に記されている。
逆に神様の立てた方がいないと神の栄光を表すのは難しい。そこはばらばらになる。
今でも神の立てた方が必要である。
2.正しい礼拝をする時に、主の栄光が現される。
ここには三つのいけにえの名前がでている。
罪のためのいけにえ…神の御前で罪があるままでは礼拝をささげられない。
全焼のいけにえ…全焼のいけにえに神様の火が上から下った。
教会のリバイバルも上から下に火が降りる。
まず牧師が聖霊に満たされ、次に長老、次に平信徒。
和解のいけにえ…私たちは全焼のいけにえで、過去の形を持たず全てを灰にしなければならない。
その後で神様の為に和解の役割をしなければならない。
この世に生きていくには、神のために和解の役割を担っているという信仰を持つ。
正しい礼拝を捧げる時に、神の栄光が現される。
3.モーセとアロンが会見の天幕に入り、再び出て民を祝福したというのは、
イエスキリストの昇天とやがておこる再臨を表している。
やがて主が天から来られるのを全ての人は見る。
その時に再臨の栄光と祝福に与る者となりましょう。
(文責:三浦)
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礼拝メッセージ 『二つの思い』 (2005・6・12)

2005-06-19 01:19:50 | 今週のメッセージ
メッセンジャー:宮崎 一実 伝道師
説教箇所:旧約聖書 イザヤ書 55章8節~13節

人間は自分の思い通りに生きていきたいと思うもの。
私たち人間には、自分について、人としての思いと神様の思いが存在している。
神様の思いは、神様に出会う前は存在し作用していても意識できない。
教会に来て初めて神様の思いを認識することができる。
神様のご計画は全ての人間にあるもの。神様の人へのご計画は、
まだ胎内にあり形作られる前から存在する。
何気なく教会に誘われて教会に来たと思うが、実は神様のご計画によるものであった。
どのようにしていくか分からない先を、全てお見通しの神のご計画。
しかし人はたとえ頭が良くて金持ちでありハンサムであっても、
1分先のことでさえ完全に知ることはできない。
映画「パッション」を製作したメル・ギブソンは、アメリカで非常に有名な映画俳優。
一本の出演料が何十億円という。美貌、体力、経済力、名声を手にした。
では彼は満たされて幸せであったか。事実は反対で酒、薬、女性に溺れ
地獄のような生活を送った。
満ち足りることを知らずもっともっとと願うのが人間の思い。
イエス様は金持ちが神の国に入るのはらくだが針の穴を通るよりもっと難しいとおっしゃられた。
神様の下さる人生は必ずしも良いことばかりではない。悪いこともある。
しかし神様は私たちにすばらしいことを用意していてくださる。
メル・ギブソンも艱難辛苦をなめなければ神様に出会えなかった。
時として苦しみに出会っても私たちに幸せを与えてくださる。
神様は私たちを愛するわが子として厳しい訓練を与えることがある。
私たちは神様の思いに生きるように努めることが大切。
聖書を読み祈る。神様が自分に何を望まれているかを学ぶ。
いつも祈って御心を求めて生活しましょう。
(文責:三浦)
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礼拝メッセージ 『荒野の恵み』 (2005・6・5)

2005-06-12 22:05:36 | 今週のメッセージ
メッセンジャー:宮崎 健男 牧師
説教箇所: 旧約聖書 イザヤ書32章15節

30年前から始まった東京福音リバイバル聖会は1千万救霊を目指してきたが、
日本の霊的状況は困難を極めている。
イザヤ書32章15節には、上から霊が注がれることによって、
荒野が果樹園となり、果樹園が森となり、義と平和の満たされた
憩いの場になることが書かれている。

金沢フィラデルフィア教会は、20年前から、教会建設のビィジョンを掲げていたが、
数年前はまさに荒野のような状況であった。
そして昨年漏電により教会は全焼した。しかし神は恵みの雨を降らせて下さり、
奇跡的な御手が働かれ新会堂が建ちあがった。
まだ今後の課題が残っているが、しかし主がともにおられる。
大佐和キリスト教会も兄弟や姉妹が家族の中でクリスチャンとして
証を立てようとされるならば大変で、荒野のような状況におかれることがある。
しかし主はどんな試練の中にあっても、ともにいて下さる。
ゆるがない心で主を信頼し、お互いに熱心に愛し合い、信仰をもって、
主を仰ぎつつ歩んで行きましょう。
荒野は、モーセも、ヤコブの子ヨセフも、あとで使徒パウロとなるサウロも経験したように、
自身を訓練し整えてくれる場であった。
また荒野は、ついにはしあわせを与える場でもある。(申命記8:16)
またモーセがホレブ山で燃える柴から主のみ声を聞いたように、
荒野は力ある主と出会う場でもある。やがて荒野は変貌する時が来る。
荒野が果樹園となり、森となり、義と平和の満ちた憩いの場に変貌する時である。
使徒たちのペンテコステの経験は全てのクリスチャンのもの。
日本のリバイバルの為、天から雨を降らし私たちの心を聖霊様で満たし、
泉となって湧き上がり、周りの人々を変えられるように祈っていきましょう。
(文責:三浦)
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礼拝メッセージ 『主をほめたたえること~賛美の効力~』 (2005・5・29)

2005-06-07 23:33:10 | 今週のメッセージ
メッセンジャー:宮崎一実伝道師
説教箇所:旧約聖書詩篇150篇

私たちは主を賛美することが多いが、これは私たちにとって
大変重要で不可欠なことである。
現在ゴスペルが流行している。
『天使にラブソングを・・・』という映画がある。
ある女性ミュージシャンがマフィアに追われ、修道院にシスターとなって身を隠すが、
彼女が他のシスターたちを動かして楽しい力溢れる賛美コーラスを
歌わせるようになるという映画だが、ゴスペルブームのきっかけとなった。
さて「賛美=感謝」と言える。
イエス様が教えられた祈りの基本スタイルともいえる「主の祈り」でも、
神様への感謝がある。感謝は祈りの重要なポイントである。
次に賛美は神様から与えられた賜物の一つである。
口という楽器を用いればどこにいても賛美できる。
一人一人に与えられた賜物である。さらに賛美をすると天が開かれる。
私が学んだ神学校に当時賛美に秀でた男性がいて彼がステージで歌うと
みんながうれしくなって歌うことができた。
彼の歌うCDを聞くだけで聖霊様が働かれるのを感じた。
賛美は天が開いて神の祝福を受ける。

賛美にはどんな効力があるか。
1.精神的につらくても賛美をすると自然に笑顔になれる。
2.カルロス・アナコンディア先生の聖会などでは賛美をしているだけで
病人が癒されてしまう。賛美は癒す力がある。
3.一体感がでる。いろんな外国人が集まった集会でも一緒に賛美をすると
イエスキリストの下の一体感が生じる。
4.賛美することで祈ることができる。
5.賛美をするとそこに主の臨在を体験することができる。
6.祝福をうける。

神は賛美という感謝を受け取るだけでなく、新たな祝福に変えて返して下さる。
賛美には力がある。それを知っているのと知らないのでは大きな違いがある。
賛美の力を自覚しますます賛美していけば、
信仰が強まり人生が変わり栄光をいただくことができる。 
(文責:三浦)
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