大佐和キリスト教会

千葉県富津市・大佐和キリスト教会ブログ
当教会は正統なプロテスタント教会です

礼拝メッセージ 『神の恵みの証しなる地』 (2007・8・5)

2007-08-22 23:11:30 | 今週のメッセージ
説教者:宮崎健男 牧師
説教箇所:詩篇116篇64節

神様は天国において初めて分かるような相手ではない。
ダビデ王が書いた詩篇。自分の人生を通して実際に体験して、
神に感謝して作った詩。
神が彼の心の内に教えて下さった。
詩篇に記される「地」は人間の住む地であり、
ここは神様の恵みに満ているいるから、あなたのおきてを教えてくださいと
ダビデ王は言う。神様は地球を創るにも秩序なしに創らず、
神の知恵と計画と目的を持って創られた。神様のことを知ろうとする時は、
地上のことを学ぶならば神様のことを理解できるようになる。
「悲しみに遭うときにも御言葉のとおりに私を堅く支えてください」(詩篇119:28)「私はあなたの仰せの道を走りま。あなたが、私の心を広くしてくださるからです」(詩
篇119:32)
「あなたのおきての道を教えてください」
「私に悟りを与えてください」(詩篇119:33~34)と神様に祈った。
イスラエルの王であっても、おごることなく謙虚に神様の御前に祈りを
捧げることができた。ダビデ王はイエス・キリストのお生まれになる
系図の中に入ることができた。そして2000余年前に神様が人間となって
この地に来られた。
「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、
神を解き明かされたのである。」(ヨハネ福音書1:18)
イエス様が生まれて下さった理由の一つは、目に見えない神様を
私たち人間に解き明かすためであった。神様がおられるだけでは、
私たち人間には充分分からない。
神様が、同じ人間になってきたら、人間のことばで説明し
また証ししてもらえる。そのためにイエス・キリストはお生まれになった。
もう一つは、神から離れてしまい神に背いた人間が自分の力では
戻ることができなかった。もう一度人間を神の前に立ち帰らせるために、
お生まれになった。
そして私たち人間の罪を身代わりになって受け入れるために、十字架にかけられた。
「神は実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じるものが、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちをもつ
ためである。」(ヨハネ福音書3:16)
神様の助けで喜んで生きていける。私たちの住んでいる地は神様の恵みに満ちている。
私たちは日常生活の当たり前の中から、神様の恵みを実感し、
聖書のお言葉を読んでいくなかで神様を理解していきましょう。
(文責:三浦)
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8月の主日礼拝予定&お知らせ

2007-08-03 23:59:15 | 今月の礼拝予定&お知らせ
◆2007年8月 主日礼拝予定◆

8月5日(日)PM15:30~PM17:00 メッセージ:宮崎健男牧師

8月12日(日)AM11:00~PM12:20 メッセージ:宮崎一実伝道師

8月19日(日)AM11:00~PM12:20 ビデオメッセージ

8月26日(日)AM11:00~PM12:20 メッセージ:宮崎健男牧師

※教会学校 毎週日曜 AM9:00~AM9:45
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礼拝メッセージ 『人生の本当の目的とはなんでしょう』 (2007・7・1)

2007-08-03 23:55:27 | 今週のメッセージ
説教者:宮崎健男 牧師 
説教箇所:コロサイ1章16節~17節      

「人生の目的とは」という本がアメリカでベストセラーになり2000万部も売れている。日本語に訳され私も読みました。ここに紹介していきたいと思います。人生の本当の目的がこの本の主題。神様から見た視点で述べられている。全ては神様から始まっている。箴言11篇28節物質主義に染まった生き方は死んだような生き方。自分の富に拠り頼む者は倒れ、正しい者は若葉のように芽を出す。「正しい者」とは、神様を信じより頼む者を指している。詩篇1篇1~3節、エレミヤ17章7~8節。「主を信頼し主を頼みとする者に祝福があるように。その人は、水のほとりに植わった木のように、~葉は繁って、~いつまでも実をみのらせる」聖書の上記の箇所を繰り返し呼んでくださいと書いてある。コロサイ1章16~17節の御言葉「御子は万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています」これは、驚くべき御言葉。信仰を持ってしてもピンとこない。たくさんの人生の体験を経てこの御言葉が入ってくる。私たちの目的、願い、夢にしても自分を中心にしても、人生の目的は見えてこない。神様がいなければ人生の目的を求めることすら無意味である。ニュートンは近代物理学の土台を築いた。また敬虔なクリスチャンであった。星の運動をよく研究し模型まで作り、人々の賞賛をえた。しかしニュートンは星を動かし秩序を保っているのは神様であり神様こそ栄光を受けるべきであり、私の研究成果などなんでもないと言った。目標を達成するため自己鍛錬し、克己心を磨き、仕事を果たしていく。たとえそうやって人もうらやむ成功を収めても、神様の目的を達成しなければ何にもならない。マルコ16章24~26節「だれでも、私について来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」今の私たちにも述べておられる。神様は私たちの生まれる前から、私たちについてご計画を立てられていた。自分を捨てて、神様を求めればそれを見出すことになる。同上27節「人の子は父の栄光を帯びて、御使いたちとともに、やがて来ようとしているのです。その時には、おのおの行いに応じて報いをします」永遠の真理の上に土台を築いていかねばならない。

「私たちは彼にあって御国を受け継ぐものとなったのです」エペソ1章11節
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