大佐和キリスト教会

千葉県富津市・大佐和キリスト教会ブログ
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礼拝メッセージ「義に生きる(2011・7・17合同聖会)」

2011-09-03 12:26:01 | 今週のメッセージ
説教者:宮崎一実伝道師 
聖書箇所:ガラテヤ人の手紙 2章16節   

「義」とは、人の行いが道徳、倫理にかなっていること。
義であるためには、ただ思うだけでなく、行動が伴わなければならない。
「人の義」は、行いによって示し、正しい考えを持っていることを表す。忍耐、鍛練、決意、努力が必要となる。時として、命を賭すことを求められる。

自分の義が正しいとすると、その基準で判断して、自分の義から逸脱した者を馬鹿にする。また、人の義を通すため、個人が黙殺されることがある。内山兄弟は映画が好きで、良い映画を薦められる。先日「最後の忠臣蔵」が良いと入場料をプレゼントされた。それは、本来仇討に加わり名誉の切腹をするはずだった二人の浪士の話。二人は大石内蔵助の命で四十七士から離れ生き残る。一人は全国に散った赤穂浪士の遺族達を訪ね援助する。もう一人は、内蔵助の隠し子を育てる。命惜しさの裏切り者の重圧を受けながら、隠し子を立派に育て嫁に出した後、切腹するという話。忠臣蔵は人の義の典型と言える。

「神の義」は神によってのみ認められる。(創世記15:6)私たちの倫理観や道徳観によって認められるのでなく、神の視点のみにしか義は認められない。神の義は福音の中に啓示されている。義人は信仰によって生きる。(ガラテヤ2:16)律法は大切だが、律法の行いによって義と認められる者は一人もいない。神様だけが完全。また神の義は差別がない。(ローマ3:22)どんなに貧乏であっても、どんな境遇であっても差別を受けることはない。神の義は一方的に与えられる。神様こそ義であり、間違いがなく、神様が計画され、導いて下さり、信仰を与えてくださる。

だから私たちが神様を信ずることで、私たちの内側から正しい行いが生じてくる。神様を信じて祝福を受けて、正しい行い思想が生まれる。反対に人間によるならば、間違った考えが出て、間違った行いが出る。神の義は一番内側の中心に愛がある。私たち一人一人を見て下さり導いて下さり個性を生かし扱って下さる。真の義が、福音の内に全うされ、信仰によって認められるとすれば、私たちが神に従い、神の御心を求め、実行していく中で真の義に生きることになる。私たちが神様に近づくことで、自然に正しい道を歩みましょう。
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