説教者:宮崎一実 伝道師
聖書箇所:伝道の書 3章12~22節
ダビデの子ソロモンは、ものすごく恵まれていた。神より正しい知恵と富を与えられた。伝道者の書に書いてある通り、ソロモンは贅の限りを尽くし、快楽を追い求めた。しかし全てが空であり、空しいと言った。私たちの人生は、自分に与えられたものに満足して生きることが大切である。分以上にあっても、与えられても、空しくなる。「自分」という字は、自らの分と書く。「分相応」というのは、卑下する言葉ではない。ものすごい大金持ちだったとしても、…お城のような家を建てたり、運転手つきの車を持ったりすることしか思い浮かばない。朝起きて、元気に一日できて、おいしいご飯を食べて、疲れてぐっすりと眠れることは、幸せであると満足することが大切である。分相応というのは私たちにとり大切な事。
神様は、私たち一人一人にしっかりと分を与えてくださった。美智子皇后陛下も「私の分を生きるだけです。私の与えられた責任を果たすだけです」と言われている。
寝る前にうとうとした時に幸せとはこういうものだなと思う。一日が終わって、両親がいて、神様に守られて、人間の幸せとはこういうものだと思った。
黒柳徹子さんが「徹子の部屋」の番組2000回を迎え話していた。昔の日本は貧しさの中でも、成功を収めようと頑張った。女の子がカレーライスを食べたいと言うと「金持ちが食べるものだ」と父親が言った。しかしこれだけ日本が豊かになってカレーライスが無いと泣くようなことはない。なのに自殺する人が多い。ユニセフ大使として貧しい国のたくさん子供を見た。しかし子供たちの笑顔を見ると涙が出た。分が過ぎると、もっともっとという気持ちになり、比べたり不平を言ったりして死を選ぶようになる。貧しくても死を選ぶことはない。神様の前に分相応に生きることが大切である。私たちの分とは、生活するだけの分ではない。神様が信仰の分を与えられた。神様からの賜は何か、それに見合った働きをしなければならない。与えられたチャンスをしっかりと生かしていかねばならない。祈りの賜を生かして、宣教活動することができる。祈りによって世界を駆け巡ることができる。人には賜が与えられている。歌を歌う賜。話を聞く賜等。クリスチャンとして与えられた賜を知り、賜を用いていく。クリスチャンとして分を生きる。苦しいことがあって耐え抜けば祝福に変わる。