大佐和キリスト教会

千葉県富津市・大佐和キリスト教会ブログ
当教会は正統なプロテスタント教会です

7月の主日礼拝&お知らせ

2009-07-14 19:18:48 | 今月の礼拝予定&お知らせ
◆2009年7月 主日礼拝予定◆

7月5日(日)15:30~17:00 洗礼式メッセージ:宮崎健男牧師

7月12日(日)11:00~12:20 メッセージ:宮崎一実伝道師 

7月19日(日)11:00~12:20 ビデオメッセージ:植竹利有牧師

7月26日(日)11:00~12:20 メッセージ:宮崎一実伝道師

※教会学校 毎週日曜 AM9:00~AM9:45
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礼拝メッセージ「自分の分を生きる(2009.5.10)」

2009-07-02 16:09:33 | 今週のメッセージ
説教者:宮崎一実 伝道師
聖書箇所:伝道の書 3章12~22節

ダビデの子ソロモンは、ものすごく恵まれていた。神より正しい知恵と富を与えられた。伝道者の書に書いてある通り、ソロモンは贅の限りを尽くし、快楽を追い求めた。しかし全てが空であり、空しいと言った。私たちの人生は、自分に与えられたものに満足して生きることが大切である。分以上にあっても、与えられても、空しくなる。「自分」という字は、自らの分と書く。「分相応」というのは、卑下する言葉ではない。ものすごい大金持ちだったとしても、…お城のような家を建てたり、運転手つきの車を持ったりすることしか思い浮かばない。朝起きて、元気に一日できて、おいしいご飯を食べて、疲れてぐっすりと眠れることは、幸せであると満足することが大切である。分相応というのは私たちにとり大切な事。

神様は、私たち一人一人にしっかりと分を与えてくださった。美智子皇后陛下も「私の分を生きるだけです。私の与えられた責任を果たすだけです」と言われている。

寝る前にうとうとした時に幸せとはこういうものだなと思う。一日が終わって、両親がいて、神様に守られて、人間の幸せとはこういうものだと思った。

黒柳徹子さんが「徹子の部屋」の番組2000回を迎え話していた。昔の日本は貧しさの中でも、成功を収めようと頑張った。女の子がカレーライスを食べたいと言うと「金持ちが食べるものだ」と父親が言った。しかしこれだけ日本が豊かになってカレーライスが無いと泣くようなことはない。なのに自殺する人が多い。ユニセフ大使として貧しい国のたくさん子供を見た。しかし子供たちの笑顔を見ると涙が出た。分が過ぎると、もっともっとという気持ちになり、比べたり不平を言ったりして死を選ぶようになる。貧しくても死を選ぶことはない。神様の前に分相応に生きることが大切である。私たちの分とは、生活するだけの分ではない。神様が信仰の分を与えられた。神様からの賜は何か、それに見合った働きをしなければならない。与えられたチャンスをしっかりと生かしていかねばならない。祈りの賜を生かして、宣教活動することができる。祈りによって世界を駆け巡ることができる。人には賜が与えられている。歌を歌う賜。話を聞く賜等。クリスチャンとして与えられた賜を知り、賜を用いていく。クリスチャンとして分を生きる。苦しいことがあって耐え抜けば祝福に変わる。
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礼拝メッセージ『開かれた眼』(2009・4・26)

2009-07-02 16:07:20 | 今週のメッセージ
説教者:宮崎健男 牧師   
聖書箇所:Ⅱ列王記 6章15~17節

どうしたら正しい眼をもつことができるか。一番大切なのは、神様に従って神様によって見極める眼を持つことである。むかし、アラムの国とイスラエルの国が戦争していた。(Ⅱ列王記6章参照)アラムの作戦が、イスラエルに通じていていつも失敗する。アラム王は、国にイスラエルのスパイがいるのではないかと疑った。するとアラムの家臣がイスラエルにはエリシャという大預言者がいて、アラム王が寝室の中で語られることばまでイスラエル王に告げているのですと伝えた。そこでアラム王はエリシャを捕えようとした。アラムの多くの軍勢でエリシャの家を取り巻いた。彼をコテンパンにしてつかまえようとした。エリシャに仕える若者が朝起きて見るとアラムの馬と戦車が町を取り巻いていた。そして非常に恐れた。「ああご主人さま、どうしたらよいでしょうか」とエリシャに尋ねると、「恐れることはない、我らのともにいる者は彼らのいる者より多いのだから」と言った。エリシャが主に祈って若者の眼を開くようにした。すると家来には見えないものが見えた。すごい多くの軍隊、火の馬と火の戦車が山に満ちていた。エリシャが主に祈るとアラムの軍勢のすべての目が見えなくなった。そして彼らはエリシャによりイスラエルの陣地の中に導き入れられ、イスラエル軍に逆に包囲されてしまうことになった。
 自分一人で頑張っていても神様がどこにもいない気持ちになることがある。しかし神様は私たちとともにいてくださる。ただ私たちに見えないだけである。地上でどんなに天気が悪くても、天の方は良い天気。それと同じように私たちの方に雲を作り、神の恵みの光を受けることができないようにしている。肉眼で見るのではなく、霊のの眼で見ることが大切である。それには聖霊様の働きが必要である。聖霊様の働きによってはっきりと見ることが大切である。肉眼では苦しく大変と感じても、霊の眼が開かれると耐え忍ぶことができる。求める者には天の父が聖霊様を与ええてくださる。そして聖霊様によって何ものにも恐れることのない力与えてくださる。また聖霊様は苦しい、悲しい、辛い感情を癒してくださる。聖霊様に祈って助けを求めると、心の傷を涙をもって癒して下さったある夫人の体験談を聞いたことがある。両手を広げ聖霊様来てくださいと祈れば天の父が聖霊様を与え、私たちを解放してくださる。
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