大佐和キリスト教会

千葉県富津市・大佐和キリスト教会ブログ
当教会は正統なプロテスタント教会です

礼拝メッセージ 『一番偉い人』 (2006・5・21)

2006-05-28 00:56:17 | 今週のメッセージ
説教者:平岡 修治 牧師 
説教箇所:新約聖書マタイの福音書18章1節~5節     
(1998年9月22日 日本武道館)

キリスト教を信じられない理由に、外国の宗教だという偏見がある。
牧師になって間もない頃、信仰を持った娘さんの父親が反対して困るので
説得に行ってくれと友人の牧師に頼まれて訪問したことがある。
玄関先でその父親から外国のものは大嫌いだと言われた。
そこでとっさに聞いた。なぜ部屋を洋間にしているのですか?
洋髪ですが、何故ちょんまげにしないのですか?
着物を着ずに、何故洋服を着るのですか?
父親は「精神的なものは別だ」と言われた。
では真言宗だといわれるが、仏教を創始した釈迦はインドで
生まれたのではないですか?それが中国・朝鮮を通って入り
受け入れるか否かで日本で争いがあったのではないですか?
しかし聖書に表された神様はもっと素晴らしいですよ、と話した。
するとそのお父さんの態度が変わり、お茶や菓子やフルーツを出されて
もてなされ、泊まっていくようにと勧められた。最後にお父さんは信じた。
罪があると神様は分からない。人間は罪の奴隷といわれる。
あの罪くらいなら、この罪くらいなら、そのうち止めればと考えて、
離れることができない。もし罪を続ければ永遠の滅びにつながると聖書はいう。
神様を侮ってはいけない。自分の蒔いた種は自分で刈り取ることがあると
聖書はいう。しかし神様は愛あるお方。イェス・キリストがあなたの
罪の身代わりになって死んでくださった。
私には4人の子どもがいるが16年前に長男を天国に送った。
はしかにかかり肋膜炎を併発した。1歳7月の時だった。
「ブーブー、コーダイ(「水、ちょうだい」の意)」というので
一寸水を飲ませた。手をあげバイバイした後、5~6日間意識不明と
なり亡くなった。
「何故ですか、こんな小さい子どもの命を取られるとは・・」
神様に祈ると、子どものリンゲルの手足の傷が十字架上のイェス様の
手足の傷と重なってみえた。子どもの背中の床ずれは、
イェス様の背中の鞭打たれた傷に見えた。
子どもが最後に水を求めたのは、乾くと言われたイェス様の
最後と重なって感じられた。
(文責:三浦)
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礼拝メッセージ 『人生にくたびれ、落胆するとき』 (2006・5・14)

2006-05-28 00:43:45 | 今週のメッセージ
説教者:宮崎 健男 牧師
説教箇所:新約聖書ヤコブの手紙5章7節~11節

ヨブの試練。ヨブは東の国の中で一番の富豪であった。
おびただしい家畜と多くのしもべを持っていった。
潔白で正しく、主を恐れて悪から遠ざかっていた。
8人の息子、3人の娘がいた。ところが、一日のうちに、
家屋が崩壊し、11人の子どもを失った。異邦人の盗賊により、
家畜やしもべを全て失った。さらに悪性の腫瘍が全身にでき、
土器のかけらで身体をかいた。
「主を呪って、死になさい」と妻に暴言を吐かれた。
そこに3人の友人がきたが、あなたの罪で神の罰を招いたのだと
責め立てられた。しかし、ヨブは神様への信仰を捨てなかった。
人生にくたびれ、落胆する時がある。
どんな立派な信仰者であっても落胆することがある。
試練や艱難がないということはない。
アブラハム、ヤコブ、ヨセフ、モーセも、聖書を読むと、
耐え難いような試練と艱難に出会った。
どうして信仰者に絶望するようなことが起こるか。
神の綿密な計画がある。人間はアダム、エバ以来、堕落した存在となった。
神は、人間に数多くの試練を与えることで、自己中心や、
自我を砕かれようとされている。自分なりの能力により頼んで
自慢しながら生きるのが普通の人間の生き方。
神中心でなく自己中心の人間。生まれながらの罪、高慢の罪を砕かれ
ようとするのが神様のご計画である。落胆する時は私たちが
変えられる時である。一つ一つの試練を克服する時、
信仰の勝利者になり、神の国の為に用いて下さるようになる。
落胆する時はどうしたらよいか?
1.祈り求める。大事ことは、第一に祈り、第二に祈り第三に祈りと言われる。
2.希望と肯定的な考えを捨ててはいけない。
イェス様のことを考えるならば、失望・落胆から立ち直れる。
3.神の御言葉にすがる。まず神の御言葉に心を向けて心を養うように
しなければならない。
4.無条件に感謝する。信仰によって神様が最善を為してくださると
信じ感謝する。ヨブのように耐え抜き以前に増す祝福を受けられる。
(文責:三浦)
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礼拝メッセージ 『愛について』 (2006・5・7)

2006-05-28 00:35:49 | 今週のメッセージ
説教者:宮崎 一実 伝道師
説教箇所:新約聖書Ⅰコリント13章 

ボクシングの世界で亀田3兄弟が人気を博している。
彼らは、日本のボクシングを「耐えるボクシング」から
攻撃的なボクシングへとイメージを変えさせた。
「1ラウンドで勝つ」などと大きいことを弟は言うが、言うだけあって、
弟も兄も早くKOで勝つ。言うだけ、大変きつい練習もしている。
父親はオリジナルな練習法を編み出している。動体視力を養う
ピンポンの練習法など、きつい厳しい練習をさせている。
本当に家庭に愛が溢れている。お父さんを心から愛している。
兄は弟のほうがすごいと思い、弟は兄がいるので自分がいると思っている。
親父の練習法でやっていると絶対に負けないと思っている。
彼らは世界チャンピオンを目指している。
アジアチャンピオンになっても、チャンピオンベルトを締めなかった。
「親父の願っているベルトではないから」と言った。

Ⅰコリント13章には、
「完全な信仰があっても、愛がなければ何にもならない」と言っている。
人の心から愛を求める心は決してなくならないが、
人の愛は不完全である。愛に満ち溢れていても自分の感情を害して
状況が変わると、その人を嫌になったり、その人に乱暴な言葉を
遣ってしまったりする。1分前に愛していても、1分後には嫌になることがある。
今は召されたが、関西のある先生は有名。
結婚式に良い話をしないことで。毒舌をはく。
結婚式でこのようなことを言われる。
『お二人の幸せも今がピーク。出会いから二人の愛情はヒートアップする。
しかし、結婚式の幸せは続きません。人間のこころは変わりやすいから。
優しい夫、美しい妻と思っていても明日からは変わります。
愛はだんだん減じていき、いつかはマイナスになってしまう。
愛は育てねばならない。今、感情的に愛していても、その後どんどん冷めていく。
どきどきの愛は止められなくても、本当の違う愛情を育てていくことができる。』

神の愛は完全である。愛の基準として神の愛をしっかり持って、
それに向けて育てていけばよい。例えば寛容な愛。それを目指して祈り育てて
いくことが大切。神の愛を基準としなければならない。
愛は育てていくものと思わねばならない。

私たちの結婚1年目は、つかみ合いの喧嘩やたたきあったこともあった。
冷静な状態ではなかった。大変な毎日であった。毎日が地獄であった。
もう駄目だ、もう駄目だと思った。あんな結婚式をして、
たくさん来ていただいたのだから、駄目になるわけにはいかないと思った。
1年経ったときに、このままではいけないと思った。
打ち明けることもできずに、悶々としていた。
結婚2年目、3年目も、大変さが出て、喧嘩をした。
愛というのは難しいなあと思う。私は、愛に恵まれた生活をしてきた。
教会の人々に愛されてきた自分。逆に彼は、誉めることよりも、
叱ることで育てられた。彼は愛というのが分からない。
私は両親と一緒に、何の不自由もなく過ごした。
彼は当たり前のことができないことがあった。
彼と結婚したのは、お互いが調整しあって、私自身を鍛えるためであったと
思えるようになった。第3者が私の家庭に入って鍛えられねばならないと
思った。今は安定した生活をしている。何かあると、
両親は私を責める。主人は子どもなので、父は主人をかばう。
「おまえがやってはいけない」という。主人が父を頼るようになった。
父を愛するようになった。給料日までお金借りたいと父に頼むこともある。
父と一緒に食事に行くときを喜んでいる。私がとび蹴りしても
「たたかないでよ」と冷静に言える主人となった。

神様に愛することを教えてください、憎らしいと思う人に
愛することを教えてくださいと祈っていった人が、耐える愛、
包む愛に変わってきたという。愛を求め祈っていけば、
神様の愛はすばらしいなあと思えるはず。
人間の愛はトラブルを起こしやすい。
「神様、愛させてください!」とお祈りしてください。
イェス様は、敵を愛しなさいと言われる。怒りはしょうがないが、
感情の波が治まった時、神様の愛を行うようにしてくださいと祈ると、
そのように祈ることができるはず。
今となったら、「この人でよかったな」と思うことができる。
彼だから、親と同居できるし、彼の親に不義理もできる。
神様の愛のように、愛せるようにと祈ってください。
(文責:三浦)
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礼拝メッセージ 『人生の勝利者』 (2006・4・30)

2006-05-28 00:27:27 | 今週のメッセージ
説教者:滝元 明 牧師
説教箇所:使徒の働き 3章26節 
(1998年9月27日 東京リバイバル宣教大会 日本武道館)

この集会(東京リバイバル宣教大会)は日本のことを考えている。
日本中の1100ヶ所で決起集会を開いた。
私は日本が大好き。日本のためならば命をすてても良いと思っている。
日本にクリスチャンが少ない理由に、教会の中で、キリスト教は
ご利益宗教ではありませんと主張することが挙げられる。
しかし、なんのご利益もなければ、信じてもつまらない。
本当はイェス様を信じる祝福は何処にもないものである。
すばらしい最高の祝福が聖書に入っている。

他の宗教にはないもの。「神は愛なり」と説く。
「あなたを神様が愛されている」と説く。
天地を創造された神様が、私を愛してくださる。
どんな困難な中にいても、神様は私たちを愛されている。
私は19歳で東京で勉強しているときにイェス様を信じた。
キリスト教に、幼い時からもとめていることがあったと思った。
郷里に伝道にいった。ところが父も母もキリスト教が大嫌いだった。
郷里の家に住めず、住む家を探し、職を探しながら伝道した。
旅館に泊まった夜、最悪の夜を迎え、失望感に打ちのめされた。
父も母も私をすてた。伝道にきて、家も職もない。
その時、神様が私におっしゃった。「私はあなたから離れない。
あなたを捨てない」との神様のみ声だった。
ヘブル13章を開きなさい、と神様が言われた。あれから49年。
神様は私を愛してくださった。私を幸せにしてくださった。
信仰を持ってください。 

キリスト教しかないもの、それは「罪の赦し」。
罪の赦しは、イェス・キリストしかない。
どんな過去の罪でも悔い改めるならば、赦される。
イエス・キリストが身代わりに十字架にかかり死んでくださった。
だから私たちの罪は赦される。
中川健一先生が全日本甲子園リバイバルミッションのとき言われた。
「もし、私が悪徳商事株式会社の社長になり、人々を地獄に連れて行こう
と思ったら、今の時代は罪はない宣伝するでしょう」
今の時代は、フリーセックス、不倫の時代である。
私は日本人の女性ほど貞操観のある女性はいないと誇りに思っていたが、
今は非常に罪の時代。今の時代に罪がないというのは悪魔が言って
いる策略である。水子供養では堕胎の罪は赦されない。
性道徳が乱れる国は滅びる。銀行が倒産し、家庭が崩壊し、
今の時代いろんな問題がある。

私は20歳の時に結婚した。妻は東京の人だった。
母親から東京の女の人はずるがしこいぞと言われた。
父親には、おまえの結婚は駄目になるぞといわれた。
私は神様にお祈りし、他の女性に罪を犯さないようにと祈ってきた。
47年間守られてきた。誰でも清らかな生活はできない。
肉の欲に負ける。しかし、罪の赦しをいただければ、
神様が祝福してくださる。悪霊の力が日本は強い。
それを解放するのは、イエス・キリストです。
まことの神は真実。まじないや悪霊に心を捕らえられていると
金縛りにあったりする。
1949年2月13日にはじめて教会に行き、次の日に信じた。
5月30日に洗礼を受けた。洗礼を授ける牧師から
「兄弟、バプテスマの時に祈る祈りは聞かれるぞ」と言われた。
「私の人生を全て捧げます、日本中を回る伝道者、世界中を回る伝道者に
してください」と祈った。
また当時19歳で痔の持病をもっていたが、バプテスマを終え、
水から上がると、ぴったりと治った。
あれから49年間、痔で痛くなったことがない。
アルゼンチンに行った時、癌に罹っている人にあった。
按手して祈った。後から在原宣教師が手紙を送ってこられた。
按手して祈った人の癌が治ったと知らされた。
医師に見せたら治っていると診断を受けたとのこと。
イエス様を信ずるならば癒されます。

私には8人の子どもができた。その子どもたちが先ほども賛美の
リードをしていたが、牧師になった。子どもが次々に生まれ貧乏だった。
ある牧師に「貧乏、貧乏」と言うんじゃないと怒られた。
けちけちするから貧乏になるのだと言われた。
そこで2か月分の収入を海外宣教のために献金した。
そのときから経済事情が変わった。
「受けるより与えるほうが幸いです」という御言葉の確かさを体験した。
甲子園ミッションでは1千万年の献金があった。
今日も百万円の献金があった。与えることが、これからの生き方。
百倍にして神様が返してくださる。

神様を信じるなら、千代にわたる祝福を与えられる。
あなたの家庭を千代まで神様が祝福してくださるというのです。
逆に偶像崇拝するなら、3代4代と呪われるというのです。
あなたの家庭が呪われていいのですか?
今、生きている人が幸せになることが肝心です。
イエス様を信じれば、千代に至る祝福をいただけます。
私がドイツの宣教師とお話したとき、彼が言われた。
「日本人は、小さい罪を大きくして悔い改めるが、
大きい罪を小さくして、問題にしようとしない。
偶像崇拝は、殺人よりも大きい罪です。」

イエス様を信じたら、すばらしいものがある。
それは、永遠の命です。罪のないお方、イエス様が十字架で、
私たちの身代わりとなって死んでくださった。
イエス様を救い主として信じ、自分の罪を悔い改めるならば、
天国へといける。永遠の命をいただくことができる。
私たちは、死ぬことを考えたくないが、いつかこの世を去るときがくる。
しかし、イエス様を信じていれば、永遠の命をもち、
天国にゆくことができる。

そして、イエス様は、まもなく帰って来られる。
いつか分からないが、王の王として再臨する。
そのとき、クリスチャンは復活するといわれる。
そして、ずうっとイエス様と一緒になることができる。

このような、すばらしい祝福と恵みを、イエス様を信じて、受け取ってください。
(文責:三浦)
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5月の主日礼拝&お知らせ

2006-05-18 23:00:30 | 今月の礼拝予定&お知らせ
◆2006年5月 主日礼拝予定◆

5月7日 AM11:00~PM12:20 メッセージ:宮崎一実 伝道師

5月14日 PM15:30~PM17:00 メッセージ:宮崎健男 牧師

5月21日 AM11:00~PM12:20 ビデオメッセージ:平岡修二 牧師

5月28日 AM11:00~PM12:20 ビデオメッセージ:小笠原孝 牧師
 
※教会学校 毎週日曜 AM9:00~AM9:45
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礼拝メッセージ 『主の御名!!』 (2006・4・23)

2006-05-18 22:59:33 | 今週のメッセージ
説教者:宮崎一実伝 道師
説教箇所:詩篇 8篇

主の御名は、全地にわたっていて、その効力を現れ出ない所もない。
主の御名はどれほどすばらしいか。教会での大切な話として一つは十字架の話がある。
イェス様の十字架により、私たちの罪をあがなってくださるということ。
もう一つは、この月星太陽を創られたのは神様であるということ。
科学は神様が創られたものを説明するための学問である。
神様は、私たち人間をご自分に似せてお創りになったが、それほど神様は、
私たちを愛してくださっておられる。原罪という罪を持つ人間、
罪を犯した人間を助けたいと思われ、イェス・キリストを十字架に架ける
ご計画をたてられた。神様の御名を使うことが私たちに許されている。
場合によっては、祈り通りにはならないけれども、最大限私たちを良くして
くださる神様。イースターの時、なぎ君という男の子がきた。
母(ちか伝道師)と大の仲良し。妹のひなさんも来た。
イースター卵を用意しておいたが、二人はもらわずに帰ってしまった。
母はあわてて二人を追いかけたら、つまずいて倒れた。
大きなたんこぶができた。「祈って」といわれ、祈るととたんにこぶがぺちゃんこ
になった。次の日も行事に参加できた。祈りは速やかに聞かれ、
御名の威力を知らされる体験をした。
主の権威は何処に行ってももらすことのない権威。
アメリカでもネパールでも、北朝鮮においても。
今北朝鮮は、リバイバルの中にあるという。少しずつ外の国のことが知らされ、
宣教活動に行く人もあり、クリスチャンがたくさん生まれているという。
「主のための放浪記」の中の話。第二次世界大戦中ユダヤ人狩りに遭い、
アウシュビッツに送られた。家族は熱心なクリスチャン。
姉は殺された。聖書を持ち込んだ。見つかれば殺される。
身体検査のときたたんだシミーズに聖書を隠した。必死に祈った。
奇跡的に見つからなかった。御名も権威は、私たちに与えられ、
祈れば私たちに最善のことをして下さる。
(文責:三浦)
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礼拝メッセージ 『人生の勝利者』 (2006・4・17)

2006-05-16 21:55:41 | 今週のメッセージ
説教者:有賀 喜一 牧師
聖書箇所:第一ヨハネの手紙 5章1~5節 
(1998年9月 東京リバイバル宣教大会 日本武道館)

人生の勝利者とは誰か?
それはイェス様を信ずるものではないか。

英国のパケット・ウェルスという宣教師が100年前に日本に来られた。
オックスフォード大学の特待生であった。
日本人はなかなか福音を受け入れ信じようとしなかった。
その宣教師は日本人が福音をなかなか信じようとしない4つの妨げを挙げている。

(1)偏見がある。
キリスト教は外国のものであり、宗教は年寄りのもの、特別問題を
持つ人のものという偏見。しかし、衣食住いずれも外国からきたもので生活している。
肉体の命を癒す医学にしても西洋の医学である。何故、宗教だけ外国のもの、
日本のものと分けるのか。

(2)恐怖心がある。
周りの人の顔や先祖のたたりを恐れる。みんなやっていることなら、
悪いことでも平気でやるが、人と違うことをやると恐ろしい。
先祖のたたりなどというのは、脅し文句にすぎない。

(3)肉欲の心。
キリスト教を信ずると遊びや趣味をやめなければならないという考え。
しかしイェス様を信じて、悪い生活習慣を止めるというのは、
無理してやめるというものではない。イェス様がその人の中に入って
自然に止めることができるようになる。自分の力による難行苦行はかえって
自分を駄目にしてしまう。

(4)頭が悪い。自分の知恵と力でやっていけるんだとの傲慢の心を持っている。
傲慢の心を持っていると良いものを受け入れることができない。

1.信仰の中心、目当ては何か?
それは天と地を造られた神様である。まことの神様はただお一人である。
神様からみれば、人間の心は穢れていて、ボロキレのようである。
大病人のようである。これを罪という。

2.難業苦行では自分を救えない。
浄土真宗もキリスト教と同じように救いを説いている。
しかし南無阿弥陀仏と唱える阿弥陀仏は歴史的存在ではない。
こういう方がおられたら良いなあ、という架空な憧れの存在にすぎない。
それでは本当に救われない。しかしイェス・キリストを通してまことの
神様を見て触れることができる。イェス・キリストは遠い昔から、
モーゼ、イザヤ、ミカ・・多くの人によって預言されてきた救い主である。
十字架で死なれ、墓から蘇ったことも事実である。
イェス様は神様の力により蘇られ、今も生きておられる。
イェス様は復活の力によって私たちを神の国まで引き上げてくださるお方である。
永遠の命を与えてくださるお方である。そして救われる経路・方法までが
聖書に明確に記されている。仏教も神道もすばらしい教え。
それらの教えには哀れみがあるが、哀れみでは人は救えない。
溺れている人には、海に飛び込んで助けあげて、今度は泳げるように指導して、
泳げるようにしてあげるのが本当の救いであり教えである。

3.驚くべき勝利の人生を教えている。

(1)生きる戦いに勝つことができる。
アメリカに山本さんは、戦前百万長者のホテル経営者となった。
ところが、ギャンブルとアルコールに手をだした。
戦時中メチルアルコールを飲んで、失明した。だまされて仕事も奪われて富も失った。
何度も自殺しようとしたが、その度にクリスチャンの重川さんに親切にされた。
山本さんはイェス様を信じマッサージの仕事をするようになった。
お客さんにメッセージのテープを聞かせるようになり彼の人生は輝くようになった。

(2)心の戦いに勝たせてくださる。
1972年札幌冬季オリンピックのフィギュアスケートで銅メダルを取った
ジャネット・リン選手は、競技中に滑って転んだ。ところがその瞬間の写真を見ると、
リン選手がとてもいい笑顔をしていて評判となった。
どうして転んだのに笑顔でいられたのですか?と尋ねられリン選手は答えた。
転倒した瞬間審判者い見捨てれられると思ったが「私はあなたをみすてない」
との聖書にある神様の御言葉が、思い浮かび思わずVサインができたと。
リン選手は高2の時洗礼を受けた熱心なクリスチャンだった。

(3)死の戦いに勝つことができる。
私は斐川の地に生まれた。若いとき、極楽に行きたくて2年間も朝4時半に起き、
難行苦行をした。その上で「極楽に行けるか?」と神主に尋ねると、
「死んで見なければ分からない」と言われた。そこで電車に飛び込み死のうと思った。
幸い2本の線路の間に身体が収まり、電車が上を通過して助かった。
その後クリスチャンの友達に腕づくで教会に連れて行かれた。
スウェーデン宣教師のメッセージを聞き、イェス様の愛を受け入れた。
自分の罪を認め、悔い改めれば、救われて天国にゆくことができる。
死の戦いに勝つことができる。

全ての罪を帳消しにして生かしてくださるのがイェス・キリストである。
イェス様に眼を向け続けてください。
イェス様の勝利のうちに、私たちが歩むことができます。
(文責:三浦)
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