大佐和キリスト教会

千葉県富津市・大佐和キリスト教会ブログ
当教会は正統なプロテスタント教会です

昨年最後の礼拝メッセージ紹介(要約) 「年の終わりに」 宮崎一実伝道師

2014-02-02 12:45:39 | 今週のメッセージ
メッセージ;宮崎一実伝道師 月日;2013年12月29日(日)
タイトル「年の終わりに」  聖書箇所;詩篇139篇  (文責 三浦信弥)
三つのポイントでお話しをいたします。1.自分を知る、2.主を知る、3.主によって感謝する、です。
1.自分を知る
自分を知ることは非常に大切です。誰よりも頑張れる人間、大抵のことはできると思いたい。しかし現
実生活の中で傷つくことがある。神様の御前で自分を知る。でないと神様を信じることができない。私
は20年前に関西聖書学校で2年間学んだ。それまで私は人の中心にいて人のためにやることが好きだと
自負していたが、そういった人間でないことを知られさた。しかし神様はそんな自分を受け入れて下さ
り、自分の弱さを認めて神様に頼ることを、大切にしておられることに気づかされた。
2.主を知る。
子なるイエスキリスト、父なる神様そして聖霊様がどのような方であるかを知ること。主を知れば知る
ほど信ずることができる。聖書を読み、祈り、教会生活の中で一つ一つ主を知る。では100パーセント主
を知ることはできるか。答えはノーです。創られた者は、創った方を完全に知ることはできない。
神様は意外性のあるお方。私たちは同じ所にとどまっていてはいけない。祈りを交わりを通して主をもっ
ともっと深く知っていく。主は私たちの成長のために試練に合わされることもある。神様はまるで反対の
答えを出されると思うことがある。しかし、主は私たちを全て知り全てを用意し与えて下さるお方である。
3.主によって感謝する。
神様は私たちを決して失望に終わらせるお方ではない。私たちは、自分を知り固執することなく神様にゆ
だねて成長していく。神様は素晴らしい恵みと祝福を与えて下さることを信じて、感謝して歩んでいきま
しょう。

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『艱難、忍耐、希望、主と共に生きる豊かな人生(2013.2.17合同聖会)』

2013-08-24 08:07:19 | 今週のメッセージ
メッセンジャー:ショーン尾谷牧師
聖書箇所:ローマ人への手紙5章1節~5節

私は、ハワイ出身で日系4世です。曾おじいさんが広島県出身で、横浜軽油でハワイに移住しました。ローマ人への手紙5章1~5節には、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み、練られた品性は希望を生み、この希望は失望に終わらないとあります。創世記のヨセフの人生からこの御言葉を学んでいきましょう。
ヨセフはヤコブの11番目の子供でしたが、父親に誰よりも愛された。不思議な二つの夢を見ました。そして兄たちからひどく憎まれました。NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」を見ているとパテシュエ、医師、歌手等々が登場しいずれも共通したことがあります。患難に合う時期がありますが、その困難は成功の基になっていることです。ヨセフは、いわばクリスチャンホームの子供でしたが、兄たちの横暴によりエジプトに売り飛ばされてしまいました。ポティファルという王の家臣の下で仕えることになりました。ヨセフは異国、異郷の文化、異国の言葉の中で一人で生きる患難に会いました。  
しかし、忍耐をもって、目の前にことを忠実に行いました。忍耐は練られた品性を生みだします。しっかりした判断力を持ち、選ばれた行為を行うようになります。ヨセフは主人の妻からの誘惑を避けることができました。妻は主人に嘘を言ってヨセフをおとしいれ、ヨセフは牢獄に入れられました。神様から見ると監獄の中は貴重な時期でありました。主はヨセフとともにおられました。困ったときにヨセフは主の御助けを求めました。豊かな御霊の実を結ぶようになりました。皆さんも困ったときに、聖霊様の満たしを求めてください。豊かな慰めをいただきます。日本では、忍耐を高く評価しますが、より清くなることが必要です。 
ヨセフは囚人でありながら囚人を管理する立場に立てられ、王の家来が牢獄に入れられた時は彼の夢を解き明かしてあげました。しかしなお牢獄の日々が続きます。「患難は希望を生み、この希望は失望に終わることがありません。」ついにヨセフは王の夢を解き明かすという素晴らしい業を行いました。そしてエジプトを管理する副総理大臣に立てられました。私たちもヨセフの人生を思いながら希望をつかんでいこうではありませんか。
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礼拝メッセージ「義に生きる(2012・6・24)」

2012-07-18 21:21:17 | 今週のメッセージ
メッセージ:宮崎一実伝道師
聖書箇所:詩篇84篇5~7節

私たちには様々の祈りについての悩みがあります。どうしたらよいのでしょうか?
実は…祈りには順番があるのです。

1.「主のいのり」に見る秘訣

①誰に祈るのかをはっきりさせる。『天にまします私たちの父よ』神様に話しかける。

②賛美する。あなたこそ、私の導き手と称える。どんなに偉大な方であるかを賛美する。

感謝し賛美し、主権があなたにあります。あなたに従いますという意思表示をする。

③その後にお願い事が入ってくる。日用の糧をお与えください。罪はあるが取り除いていただくように祈る。悪いものから守られるように祈る。

この順番で私たちの祈りを整理する。

2.請求書ばかり出すのですか

それではまず私たちの自身の祈りを見てみましょう。お願いばかりの、請求書ばかりの祈りをしていませんか?はたしてそれは良い祈りでしょうか。幸せにするでしょうか。

3.感謝は人のためならず

祈り初めに感謝すること。私は仕事で疲れていて、仕事を無くしてくださいとかお願いばかりの祈りをしていた。ある先生のメッセージを聴きながら出勤していたとき感謝の大切さを説いていらっした。そこでまず、お祈りするときは感謝しようと思った。感謝の祈りをするとき、これも感謝、あれも感謝と感謝することが思い起こされてきた。何が一番幸せかと思ったとき、この年で両親が健在で、一緒にいることが幸せと思った。

両親と3人で過ごし、夫と4人で過ごしたこともあった。今両親が健在なことが何よりも幸せ。猫が元気なことも感謝。目先の幸せに追われて、一番大切な幸せをなおざりにしていた。感謝の祈りだけで、すごく幸せな気持ちになれる祈りとなった。今どれだけ幸せなのか、状態が悪くなっても、信仰が各段に成長し、喜びあふれるようになった。

4.ためしてガッテン!!

それで実践してみましょう!あなたの心にどのような変化が現れるでしょうか?
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選びの恵み ~キリストにあって~(2012・2・11 房総聖会)

2012-02-14 22:53:50 | 今週のメッセージ
説教者:岸本紘牧師(日本福音キリスト教会連合川越聖書教会)
聖書箇所:エペソ1:1~14   

1.振り返って知る

神は世界の基がおかれる前から、私達をキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされた。あらゆる霊的な祝福をして下さり、ご自身の子にしようと定めておられた。そして今まで隠されていた御心の奥義を知らせてくださった。

2.キリストにあって

エペソ書には36回も「キリストにあって」の言葉が使われている通り、キリストという仲保者がいなければ、私達は、世界の基が据えられる前から計画された祝福を受けることはできない。私達は、キリストにある新たらしいリアリティ(現実)を加えられた者としてある。バベルの塔の逆転が起きている。すなわちバラバラにされていた者が、キリストにあって一つに集められた新しい人類となっている。キリストにあって神は約束のことを成し遂げてくださる。

3.神を讃える

 私達の人生を振り返り、キリストにあって神様の恵が働いておられることを知った時、内的必然として神を褒めたたえる。キリストを知ることが出来ただけ神を讃えることができる。アメリカのクレイグ・バーン牧師の本を読んだ。アメリカで用いられている牧師である。17歳の時兄とクリスチャンキャンプに参加してから家に戻ると牧師だった父と母は離婚していて、父は牧師を辞任し子供達の前から去っていた。その後バーン師は兄とヒッチハイクをした際、国道沿いで車を待っていると雪が降り出した。兄と御言葉の暗唱ごっこを始めた。父が子供たちに御言葉を覚えさせていたものだった。その時バーン師は、自分の覚えている御言葉が初めて真理であると実感した。真理の確信がバーン師を伝道者として大成させた。バーン師は御言葉を覚えさせて下さった父にお礼を言いたくて長く探した。見つかった時は亡くなっていた。両親に捨てられたバーン師だが、選びと救いを喜び感謝する信仰が彼の大成につながった。

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「夜が明け染めた時(2012・1・2)」

2012-01-18 23:20:21 | 今週のメッセージ
説教者:中見透(なかみとおる)牧師 「夜が明け染めた時」  
聖書箇所 :ヨハネ福音書21章1~4節  

1.イエス様は岸辺に立たれた。

1)人には弱さがある。完璧な人などいない。弟子たちも、イエス様が十字架に架けられる前に逃げて行った。2)イエス様は、そんな弟子たちをあきらめなかった。復活されたイエス様が、自分達の仕事に戻って漁をしていた弟子たちの前に現れた。弟子たちだけではなく、弱さを持ち完璧ではない私たちの手も、イエス様はあきらめないで握って下さっておられる。これが喜びである。

2.声をかけて下さるキリスト

1)「子供たちよ、何も食べるものはありませんね」イエス様は弟子たちに話された。イエス様は、私たちにも励まして下さる。素直に神様の前に何もないことを認める。2)「あなたがたの今獲った魚を、いく匹か持って来なさい。

 「親分はイエス様」の鈴木啓之牧師は、悪業をし放題でやくざから命を狙われ逃げ回っていた。クリスチャンの妻のいる家に戻った時、自分を全く責めずに「ごはん食べたの?」と聞かれた。妻の無償の愛に触れ、クリスチャンとしてもう1度立ち直れるのではないかと思い勇気が湧き上がってきたと告白された。祈ることもできない暗く沈みこんでいた弟子たちに「食べ物はありますか?」とイエス様が直に声をかけて下さった。

3.ペテロの取り扱い

1)「あなたは、この人達以上に私を愛しますか」「イエス様あなたを愛します」と告白することは、どんなに力を受け、勇気をうけるか。問題を解決する際は、「イエス様、あなたを愛します」と告白することから始まる。

4・キリストの目的

1)「わたしの子羊を飼いなさい」最後までペテロを取り扱って下さる。自分の傷や痛みに捕らわれている人々は悲惨。私たちの内にあるキリストの思いを告白させて下さる。何度失敗しても、イエス様は私たちを信頼し続けて下さる。この地上にキリストの体を建て上げ私の子羊を飼いなさい。2)「私に従いなさい」とペテロに言われた。「なぜ私を選ばれたのか」主は惨めで小さい者を選んで下さった。私たちの可能性を見て下さっておられる主に感謝する。
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礼拝メッセージ「キリストの証人になる(2011・6・12合同聖会)」

2011-09-03 12:35:21 | 今週のメッセージ
説教者:岡本勝也(まさや)牧師(保土ヶ谷純福音教会)
聖書箇所:使徒の働き2章17~22節
  
「聖霊が臨むと力を受け、エルサレム~地の果てまで私の証人になる」と主は使徒たちに言われた。証人になるにはどうしたらいいか、聖霊様の導きと力が必要。聖霊様に関心のないクリスチャンがおられる。救いも信じ、礼拝にも通っているが。私の母教会で聖霊様のことを語るととがめられた。クリスマス礼拝によばれた時、最後に病人のため祈ろうと、講壇前に病の人を招いて祈った。すると役員や婦人に「この教会ではしてはならない」ととがめられた。しばらくショックを受けていると、「祈っていただき手の痛みが癒された」と母教会の信徒からお礼の手紙をもらい主に感謝した。人間の理解を超え神が臨んだ。主ご自身が私たち一人一人に真剣に関わりたく思われ聖霊様を与えてくださる。ペンテコステの時も今も、聖霊様は来て下さる。使徒たちは聖霊様が臨まれた時、燃えた。

ペテロは3回も大変な間違いをした。十字架に架かるはずはないとイエス様をいさめ、「引き下がれ、サタン」とまで言われた。イエス様が十字架に架けられるため人々に渡されると、3度も「イエスを知らない」と裏切った。イエス様が十字架に架けられてからは、漁師に戻ろうとした。イエス様と寝食をともにしてきたのに、主に従う姿勢ではなかった。ところが、聖霊のバプテスマを受けた時、ペテロは語った。「あの方は私たちの罪の身代わり十字架に架けられた。人が罪から救われるには、イエス様の十字架、これしかない」と。聖霊様によってペテロは変わった。「私たち神に与えてもらうものは、臆病の霊ではなく、力と愛と慎みの霊です」(Ⅰテモテ1:7)

信仰のゆえに、誹謗中傷される。すると恐れたり、不安になったりするのは、聖霊様によるのではない。聖霊様は勇気を与えて下さり、真理に反する力が来ても、打ち勝つ力を与えて下さる。聖霊様に清められればイエス様に近づいていける。内側が清められるのも、聖霊様の満たしが必要。イエス様は「求めるものに聖霊を与えないことがありましょうか?」と言われた。私たちも、聖霊様を求めましょう。そして毎日がペンテコステ。毎日満たされましょう。
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礼拝メッセージ「義に生きる(2011・7・17合同聖会)」

2011-09-03 12:26:01 | 今週のメッセージ
説教者:宮崎一実伝道師 
聖書箇所:ガラテヤ人の手紙 2章16節   

「義」とは、人の行いが道徳、倫理にかなっていること。
義であるためには、ただ思うだけでなく、行動が伴わなければならない。
「人の義」は、行いによって示し、正しい考えを持っていることを表す。忍耐、鍛練、決意、努力が必要となる。時として、命を賭すことを求められる。

自分の義が正しいとすると、その基準で判断して、自分の義から逸脱した者を馬鹿にする。また、人の義を通すため、個人が黙殺されることがある。内山兄弟は映画が好きで、良い映画を薦められる。先日「最後の忠臣蔵」が良いと入場料をプレゼントされた。それは、本来仇討に加わり名誉の切腹をするはずだった二人の浪士の話。二人は大石内蔵助の命で四十七士から離れ生き残る。一人は全国に散った赤穂浪士の遺族達を訪ね援助する。もう一人は、内蔵助の隠し子を育てる。命惜しさの裏切り者の重圧を受けながら、隠し子を立派に育て嫁に出した後、切腹するという話。忠臣蔵は人の義の典型と言える。

「神の義」は神によってのみ認められる。(創世記15:6)私たちの倫理観や道徳観によって認められるのでなく、神の視点のみにしか義は認められない。神の義は福音の中に啓示されている。義人は信仰によって生きる。(ガラテヤ2:16)律法は大切だが、律法の行いによって義と認められる者は一人もいない。神様だけが完全。また神の義は差別がない。(ローマ3:22)どんなに貧乏であっても、どんな境遇であっても差別を受けることはない。神の義は一方的に与えられる。神様こそ義であり、間違いがなく、神様が計画され、導いて下さり、信仰を与えてくださる。

だから私たちが神様を信ずることで、私たちの内側から正しい行いが生じてくる。神様を信じて祝福を受けて、正しい行い思想が生まれる。反対に人間によるならば、間違った考えが出て、間違った行いが出る。神の義は一番内側の中心に愛がある。私たち一人一人を見て下さり導いて下さり個性を生かし扱って下さる。真の義が、福音の内に全うされ、信仰によって認められるとすれば、私たちが神に従い、神の御心を求め、実行していく中で真の義に生きることになる。私たちが神様に近づくことで、自然に正しい道を歩みましょう。
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礼拝メッセージ「 信仰を建て上げる②(2011・5・4)」~春の聖会より~

2011-09-03 12:18:33 | 今週のメッセージ
説教者:田島実牧師 
聖書箇所:詩篇71篇18節
   
「年老いても、しらがになっていても、神よ、私を捨てないでください。わたしはなおも、あなたの力を次の世代に、あなたの大能のわざを、後に来るすべての者につげ知らせます。」(詩篇71:18)信仰の中にとどまるのはとても大切。私達はブドウの木の枝として、幹である主につながっていなければならない。幹から切り離されたら枯れてしまう。私の教会では、3つの守るべことを教会員に示している。
1・偶像礼拝を絶対にしてはならない、偶像礼拝と不品行はつながっている。
2・日曜日の礼拝出席は欠かさず行う。
3・十一献金を行う。

次のことを次世代に伝えて欲しい。
イ・喜んで礼拝に出席する。私も子ども時代に家族と電車で2時間かけて通った。お菓子を用意して。とても楽しみだった。日曜日は礼拝以外は出歩かず、買い物もせずに安息を守ると神様の祝福を受ける。土曜日に日曜日分まで用意しておく。
ロ・牧師との関係。「あなたがたの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい」(ヘブル13:17)病の時は牧師に祈りを依頼する。魂の管理者である牧師と良好な関係にしてゆく。でないとハイと言えず猜疑心を抱いてしまう。
ハ・親との関係。「親の恩に報いる習慣をつけさせなさい」(テモテ5:4)エペソ書にも父母を敬え、これは約束を伴ったもので、地上で幸せとなり長生きできると記されている。皆さん自身が親を敬うことが大切。
二・子との関係。子どもには、愛情をもって子どものためになることを考える、しかる、ほめる、お金をあげる、がまんさせる、その徳を高めさせる。子どもの愛と良心を大事にし、子の純粋な心を伸ばすようにする。子の良心に働きかけアドバイスする。
ホ・世とのあり方。Ⅰコリント5:33~34、5:10)「世の中の不品行な者~と全然交際しないようにしなさいという意味ではありません。」悪の世界を知っていても、それを選びとらない。そこに自由がある。悪の世界を知らないと意外にもろくなってしまう。私自身世の中に負けて回復するを繰り返してきた。その中で世の中に勝つとはどういうことか見えてきた。
ヘ・決心とバプテスマ。(Ⅰペテロ3:21)私は親として子どもが、早くバプテスマを受け聖霊体験をして欲しいと願うが、本人がイエス・キリストを見上げて強い決心をもつまで祈り、待つことが大切である。
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礼拝メッセージ「信仰を建て上げる①(2011・5・3)」

2011-06-11 17:07:02 | 今週のメッセージ
説教者:田島実牧師(神の家族主イエスキリスト教会)
聖書箇所 :マタイの福音書6章19~21節   

父はノンクリスチャン、母はクリスチャン。私はいっぱい失敗を重ねてきた。昨年新会堂を建てた。東京足立区に土地面積470坪、総額7億円かけて造った。40数名の教会員。毎週たくさんの見学者が来られる。

私たちの教会はある教団に所属していたが、先代の谷口牧師が古本屋で「聖霊を受ける秘訣」という本を見つけた。聖霊が内在されると異言の賜物を受けるとの話。谷口先生は聖霊は自分の内におられると思ったが、著者の山田先生を訪ねて聖霊をいただく体験をした。谷口先生が聖霊体験を語ると、迫害がおこり教団から離れる結末となった。

以降単立の教会として昭和32年ころから足立区を転々とした。35年前に多摩のある地域に80坪40~50人入る会堂ができた。私も通っていたが、5年位経って、分裂が起こった。谷口牧師も追放され、権利書が偽造された。私も私の母も追放された。教会に貢献しない、小額の献金しかしないというのが理由だった。追放された牧師や私たち信徒は公園で礼拝をささげた。2年間砂利に新聞紙を敷いて礼拝をささげた。テントを張って礼拝をした。もう一つの教会はカルト化してしまった。

その後アパートに移り、14畳の礼拝堂で礼拝をささげた。7年間も礼拝した。その後1992年に兄の会社と教会堂とクリスチャンの6世帯の家庭が入居する3階建てのビルを3億円で建てた。20名位の教会員がいた。そして昨年7月に新会堂が完成した。200名の収容可能な礼拝堂。明るく広いカフェテリア。バンド演奏のできるフロア。500人収容可能な体育館。宿泊施設もある。

私はペテロが好きだ。ペテロはたくさん失敗している。3度イエス様を知らないと言った。私はダメがけれど、主は愛してくださっておられる。失敗してもいいんだ。失敗を恐れない。大切なのは失敗した時の態度。ふてくされたり、落ち込んだりしない。主にへりくだり、素直に告白する。主が喜ばれるのは砕かれた魂。そして主が用いてくださる。他人の比較や真似ごとではない。神様の召しに従うことが大切。聖霊様によって遣わされる。
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礼拝メッセージ「信仰とは(2010・12・12)」

2011-01-16 01:16:55 | 今週のメッセージ
説教者:宮崎一実伝道師 
聖書箇所:ヘブル人への手紙11章1節   

聖書の御言葉は、一度読んで聞いて終わりということではなく、その時々にフィットして私たちに教えてくれる生きた言葉である。秦野クリスチャンセンターの合同聖会に、在原宣教師が招かれて御話しされた。素晴らしかった。先生は日本にリバイバルがやってくることを神様が示されているという。そのために私たちがしっかりと歩まねばならない。先生は話が終わった後、一人一人の信徒に手を当てて祈って下さった。預言や異言の言葉を与えて下さった。私には、霊の賜がますます開花するという預言を頂戴した。

これからただのクリスチャンではよくない。祈って、聖書を読んで教会に来てというだけでなく、聖霊様の賜によって積極的な働きをすることが大切であり、重要である。   

聖霊様は私たちとともにおられ、父なる神様とを結ぶ仲介者になっている。聖書の御言葉を文だけでなく聖霊様の力によって理解することができる。聖霊様は、ぴったりとともにいて下さって、恐怖、不安を取り除いて下さる。病の人に手を置いて祈れば聖霊様の力が注がれて癒しが起こる。精神的にも肉体的にも現代の人は大変な状態に置かれているから、聖霊様の力、十字架の血潮の権威による癒しが必要になってきている。

今マジシャンでセロが日米で評判になっている。昔のマジックと質が異なる。例えば街のマグドナルドのポスターをさすっていると、本物のハンバーガーが出てくる。昔アメリカの女の人が地獄を見てきて本を著して話題となった。その本の中でマジシャンが地獄に堕ちてマジックを行っている様子が書かれていた。私たちの目を惑わす霊的な世界があることに気がつかねばならない。悪しき霊が働くことを忘れてはならない。

アメリかの神学校でのこと。私は風邪気味で自分の部屋で寝ていた。夜の7時ごろのこと。廊下でガタガタ音がした。警備員が来ていると思った。ところが様子が変で、強盗かと思った。私の部屋のドアの所まで歩いてきた。その時それは人間ではない霊的なものだと思った。私の身体にどんと乗ってくるものを感じた。そこでイエス様の御名によって悪霊を追い出した。見えない者と戦うとき、目の見えない聖霊様の力によらねばならない。「信仰は、望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。(ヘブル11:1)」十字架の血潮を信じるとき、神様の力が働かれる。信仰と聖霊様の働きは両輪のようなもの。聖霊様の力を熱心に求めて、大胆に告白しましょう。
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