大佐和キリスト教会

千葉県富津市・大佐和キリスト教会ブログ
当教会は正統なプロテスタント教会です

7月の主日礼拝&お知らせ

2006-06-25 00:55:50 | 今月の礼拝予定&お知らせ
◆2006年7月 主日礼拝予定◆

7月2日 PM15:30~PM17:00 メッセージ:宮崎健男 牧師

7月9日 AM11:00~PM12:15 メッセージ:宮崎一実 伝道師

7月16日 AM11:00~PM12:15 メッセージ:宮崎一実 伝道師

7月23日 AM11:00~PM12:15 メッセージ:宮崎一実 伝道師

7月30日 AM11:00~PM12:15 ビデオメッセージ:アーサー・ホーランド 牧師

※教会学校 毎週日曜 AM9:00~AM9:45
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礼拝メッセージ 『自分の価値を知る』 (2006・6・18)

2006-06-25 00:05:35 | 今週のメッセージ
説教者:宮崎一実 伝道師 タイトル:「自分の価値を知る」
聖書箇所:旧約聖書イザヤ書43章1節~4節

何故私は父と母の間に生まれたのだろうか?と考える。
クリスチャンは答えを持っている。偶然で生きているのではなく、
神様が私達を創ってくださった。ただ創られただけでなく、
私達の人生をも見て守ってくださると。ならばどうして人生は楽しいことだけでないの?という疑問が生ずる。
神様を信じていても、信じていなくても、同じく、辛いことも苦しいこともある。
それは、喜び一杯だけの生活ならば、私達は、それが当たり前となり、
成長することも、発見もない人生になってしまう。
笑うことも大切だが、辛いことも悲しいことも大切である。
私はこの世にあって価値があるだろうかと、思う。
聖書のイザヤ書43章4節には「わたしの目には、あなたは高価で尊い。
わたしはあなたを愛している。」と神様が私達に述べておられる。
神様は、私をたった一人の人として創って下さった。
高価で尊い存在として創られた。たとえダイヤモンドであっても、
砂のようにあったら何の価値もなくなる。稀少だから価値がある。
まして神様は私達を、それしかない、かけがえのない存在として創って下さった。
しかも私達を創りっぱなしにはなさらず、神様に頼るならば、
神様がそれに応えて救ってくださる。
困った時の神頼みでもよい。本当の神様であられるから、
信じて頼るならば助けていただける。
神様は、ご自分に似て人間をお創りになった。
しかし、アダムとエバが神様の戒めを破り堕落して以来、
人間は罪をもち死んでいくようになった。
しかし神様は、一人息子のイェス様を送ってくださった。
イェス様は十字架にかかり私達人間の罪の身代わりに死んで下さった。
イェス様を信ずる者は、罪を贖われ天国に行けるようになった。
この世にあって助けてくださるだけでなく、
死んでからも天国に行けるように保障してくださる。
試しに信じてみてください。きっと信じてよいと思える体験を神様が
あなたに与えてくださる。試してみてください。
(文責:三浦)
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礼拝メッセージ 『講解説教・マルコ伝(その1)』 (2006・6・11)

2006-06-24 23:57:37 | 今週のメッセージ
説教者:宮崎健男 牧師
説教箇所:マルコの福音書1章1節~14節 

できるだけ神様の御言葉に近づくために、これから機会あるときに講解説教を行っていきたいです。

先ず、四つの福音書のうち、マルコの福音書の特徴というものがある。

マタイの福音書は、はじめにイェス様が誕生するまでの系図がある。預言者が言われていたことが成就した、すなわちナザレのイェス様こそ約束のメシヤであるということを、ユダヤ人にあてて述べている。

しかし、歴史的においてユダヤ人がイェス・キリストを信ずる上でのネックになってきたことは、それは、キリスト教会が教会の名においてユダヤ人を迫害してきた。ユダヤ人は、隠れるようにして、ユダヤ人社会を作り、ひっそりと住んできた。ユダヤ人は、聖書の御言葉をもってしても、キリスト教を受け付けない。愛をもってユダヤ人と接することで、ユダヤ人の心を開こうとするキリスト教会の働きがある。

ルカの福音書は、素養のあるギリシャ人を対象にして、イェス様の生涯を紹介している。

ヨハネの福音書は、哲学的な記述が見られ、イェス様が受肉した神様であることを表している。三浦綾子さんの「海嶺」の小説に文語体のヨハネの福音書の冒頭の言葉がでてくる。「初めに賢きものござる」。新改訳では「初めに言葉があった。ことばは神であった」神様の言葉には力があり、神様が全ての物をお創りになった。物質でないものから、ことば、エネルギーから物質が生まれるというのは、現代の物理学が証明しているところ。それぞれ特徴があって書かれた。

マルコの福音書では、イェス様が人間として生まれたことが書かれている。降誕の不思議な出来事のことなど一切書かれていない。いきなり30歳になられた時からのことが書かれている。

私が生まれ故郷の高知県で子どもの時、クリスマスになると兄と教会に通った。当時旅館には、アメリカの進駐軍が泊まっていた。進駐軍は、聖書のパンフレットを配っていた。そのパンフレットに「荒野で叫ぶ者の声がする」というマルコの福音書の一節が文語訳で書かれていたことを思い出す。

当時のユダヤ教の指導者たちは堕落していた。サンヘドリンの議会の人たちであったパリサイ人は、規則で人々を縛っていた。また同じ議会のサドカイ人は、神殿の権利を握っていた。神殿で商売をする人から収入を得ていた。天使も霊もないと主張していた。宗教が堕落していた。そんな中にあって、バプテスマのヨハネが登場した。彼は悔い改めのバプテスマを説いた。人々に自分の罪を告白してバプテスマを受けさせていた。バプテスマのヨハネは生まれたときから、神様に聖別されていた。預言者として、メシヤのさきがけになるように用意されていた。バプテスマは、水に浸かるのは一度でよく、悔い改めの心を神様に向ける儀式である。後悔したら神に向けて方向転換しなければならない。悔い改めが救いにつながる。心が神に向かわなければ、何にもならない。

イェス様の放蕩息子の話のように、堕落してどん底状態になった、放蕩息子が、悔い改めてお父さん(神様)に戻っていく。お父さんは、無条件に放蕩息子の帰還を受け入れる。それと同じように、悔い改めの心を起こし、神様に立ち返り、バプテスマをうけるようにとヨハネは人々に勧めていた。人々は本当に自分の罪を悔い改めてバプテスマを受けていた。

そんなバプテスマのヨハネのところに来られたイェス様は、ヨハネの教えを聞かれて、賛同され、バプテスマを受けたと思われる。ヨハネの福音書では、一旦、ヨハネはイェス様にバプテスマを授けることを辞退されたと書かれている。洗礼を受け、イェス様が水の中から上がられると、天が裂けて、御霊が鳩のようにご自分の上に下られるのをご覧になった。そして、「あなたはわたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ」とのみ声が聞こえた。イェス様は、公生涯に入られる前までは、普通の人のように過ごされていたのではないか。大工の長男として生まれ、少なくとも7人の兄弟姉妹がいて、お父さんを早く失っているので、生計を支えておられた。安息日に会堂に入り、聖書を読むくらいの模範的な信徒であった。だから他の人と同じように、洗礼も受けようとされた。召命を自覚したのは、洗礼を受けてからと思われる。

しかしイェス様は、浮ついた気持ちで、神の御子としてスタートしたわけではない。御霊によって荒野に追いやられた。そこで悪魔の誘惑をうけた。この世の誘惑を受けられた。眼の欲、肉の欲、持ち物の欲の誘惑を受けられた。けれどイェス様は、悪魔に打ち勝たれた。イェス様の公生涯は、十字架に向かって歩まれた。私達には、十字架による死という使命はないが、証しするように用いようとされている。そういう意味で私達も、クリスチャンになってからは、公生涯である。私達が神の子であるという証拠は何か。石をパンにする力があれば神の子か。高い神殿から飛び降りても助かることできれば神の子か。そうではなく、悔い改めて、神に立ち返る。神に回れ右して、神様につながろうとする。そうすれば、イェス様は「わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ」と私達一人一人にいって下さる。罪人にいったい何ができるでしょうか?イェス様に立ち向かい、歩んで従っていきますと決意すれば、私達に神様の豊かな祝福が注がれるようになる。心の問題が第一。そうすれば、聖霊のバプテスマを授けてくださる。
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6月の主日礼拝&お知らせ

2006-06-16 01:41:05 | 今月の礼拝予定&お知らせ
◆2006年6月 主日礼拝予定◆

6月4日 AM11:00~PM12:20 メッセージ:宮崎一実 伝道師

6月11日 PM15:30~PM17:00 メッセージ:宮崎健男 牧師

6月18日 AM11:00~PM12:20 メッセージ:宮崎一実 伝道師

6月25日 AM11:00~PM12:20 ビデオメッセージ:小笠原孝 牧師
 
※教会学校 毎週日曜 AM9:00~AM9:45
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礼拝メッセージ 『働き人の必要性』 (2006・6・4)

2006-06-16 01:39:37 | 今週のメッセージ
説教者:宮崎 一実 伝道師
説教箇所:新約聖書マタイの福音書9章35節~39節 

1.福音を伝えること
人間はアダムとエバが神様の御言葉に背き堕落して以来、罪をもって生まれてくるようになった。人間は死ぬようになり地獄に落ちるようになってしまった。神様は堕落した人間のために、永遠の命を与えるために、イェス・キリストを送ってくださった。人間はイェス・キリストを信ずることによって、天の御国に入ることができるようになった。この真理は全人類にとって喜ばしい知らせ。この福音を伝えることは大切。救われたからこそ、他の人を救ってあげたい。これが福音である。

2.今までの宣教活動
牧師先生は、何年かかって神学校で学び、神の働きに出て行った。宣教師の先生はその上、宣教地の言語や文化を学んでから赴いた。かつて日本にフランシスコ・ザビエルが宣教師として南蛮文化を持ち込んで来られた。現代は宣教師として、諸外国に行くのが難しい時代。中国や北朝鮮とか、宣教師として入国するのが難しい国がある。

3.これからの宣教活動
私は生命保険の会社で事務の仕事をしている。20年以上続けている。2~3年に一回上司が変わる。去年来た所長は、船橋から通っている。その所長が、事務さんも朝の打ち合わせで、朝の話をやってくださいと言われた。1ヶ月に2回くらい回ってくる位ならいいやと思っていたが、所長さんから、教会の話でも結構だと言われた。そこで自分の特技や特性を用いて仕事に当たっているが、自分のもつ特技や得意な力は、クリスチャンとしては神様から授けられた賜物と考え生活しているとお話した。

今、本や映画で話題になっているのが、「ダヴィンチ・コード」という物語。ところがそれは、主イェスを冒涜している物語。実際のイェス様は、十字架に架からずマグダラのマリアと結婚したというもの。私は、その話に怒りを感じた。ところが、ダヴィンチ・コードが世間で話題になると、「本当のところどうなの?」とよく聞かれるようになった。神様は、こんな物語の流行ですら。全てを益にしてくださる。イェス・キリストが結婚して子どもをもうけたという。イェス・キリストの神聖性を汚す物語といわざるを得ない。しかし、これもこれからの宣教活動には使え、益となる。

4.働き人の必要性
現在の教会の現状は、牧師先生や宣教師の先生が少ない。先生がおられず、教会が潰れてしまうところも少なくない。収穫は多いが、働き人が少ない。たとえ聖書学校に行かなくても、宣教活動はできる。自分の周りの人々にどんどんと伝えることができる。通信教育で神学校に行くことができる。外国へは観光やビジネスでは、どんどん入ることができる。日本のパスポートは強く、どこの国でも、日本のパスポートで入国を拒むことは少ない。私たちの国でも、まだ救われない人が非常に多い。収穫すべき人は多いが、見逃してしまうことが多い。福音を宣べ伝えるチャンスを逃さないでください。

5.まとめ
自分の子どもに伝えることは大切。関西のある先生の長男もクリスチャンではない。先生は自分のせいだと言われる。若い頃忙しくて、自分の子どもに伝えられなかったと。特別な場所で多くの人々に伝えるのと、私たちの周りの人々に伝えるのも、神様から見れば同じ尊いこと。神様の話をして、教会に連れてきてください。
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