説教者:宮崎一実伝道師
聖書箇所:Ⅱテモテの手紙4章1~8節
パウロほど、劇的な生涯を送ったものはいなかった。パウロは生まれながらのローマ市民で、ユダヤ教に精通していた。テント作りの仕事もしていた。ユダヤ教を信ずるあまり、クリスチャンを迫害し、乱暴を働いた。ところが神様に触れられてイエスキリストを信じた。180度人生が変わった。パウロが、イエス様を信じ、キリスト教を伝えるようになると、ユダヤ教徒から命を狙われるようになった。クリスチャンの中にも、パウロを疑う者がいた。飢え、苦しみ、艱難、命を失う危険がパウロを襲った。そんな苦しみに遇いながら、パウロは義の栄冠を審判者である神様が授けられることを信じて、キリストを異邦人に伝える使徒の働きのため、勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通された。
パウロは終わりの時代に生きる人々に命じられた。「時が良くても悪くても御言葉を宣べ伝えなさい。寛容を尽くし、絶えず、教えながら、責め、戒め、また勧めなさい」と。キリスト教と言いながら、耳触りのよい教師を呼んで聞こうとするようになる。聖書は楽しい話ばかりではない、考えたくない、聞きたくない話もかいてある。霊的に盲目になってはいけない。霊の目を開いて、聖書の教えを基準に、話を霊的に見極めなければならない。福音を宣べ伝えるのは、タイミングではない。自分で勝手に時を選んでしまうのではなく、神様の話をするのだから、お天気の話をするように、どんな時でも自然に話してよい。そして、迫害されることや、つらい思いをすることもあるかもしれない、しかしそれは、私たちにとり大切なことだ。
私のある友達は、神様を熱心に信じた。しかし、両親が大反対した。父に「家を出ていけ」と言われた。またある時は、父親が包丁を持って「教会に行くなら、お前を刺して自分も死ぬ」と言った。友達は、「私は父に刺されて死んでも、私の魂が教会に行く」と答えた。父はびっくりして、「この子は本物だ」と思った。やがて母親が救われた。父親は重いがんにかかってしまうが、死の直前に救われ洗礼を受けた。
私が救われたのは、家族が救われるためです。私たちも、義の栄冠を受けるため、与えられた道を精一杯頑張っていきましょう。御言葉を宣べ伝えていきましょう。賜を用いていきましょう。どんな時もあきらめず、神様に委ねて信頼して走っていきましょう。