大佐和キリスト教会

千葉県富津市・大佐和キリスト教会ブログ
当教会は正統なプロテスタント教会です

礼拝メッセージ 『 陶器師の手の中で』 (2005・7・17)

2005-07-25 09:48:59 | 今週のメッセージ
説教者:宮崎 一実 伝道師
説教箇所:旧約聖書 エレミヤ書 18章1節~6節

今日のメッセージ箇所はエレミヤ書。預言者エレミヤに主のみ言葉があった。
「陶器師の家に見に行け」。聖書では陶器師を神様にたとえることがある。
イスラエルの民は、神様に選ばれた民。神様により驚くべき不思議な業でたくさん助けられた。
しかしその恵みを忘れて偶像崇拝をするようになった。
いろんな罪の中でもイエス様を冒涜する罪、偶像崇拝の罪はとても重い罪。
イスラエルの民は人格的に変わってきた。神様はイスラエルの民を元の状態に戻そうとする為、
大きな試練を与えようとされていた。エレミヤはイザヤが「厳しい預言者」と言われるのに対し
優しく情深い「涙の預言者」と言われている。エレミヤは陶器師の家に下ると、
陶器師が自分の手で制作中の器を打ち壊し、気にいった他の器に作り替えるのを見た。
主は「陶器師が粘土にしたように私がイスラエルの民にすることができないだろうか」と
エレミヤに語られた。イスラエルの民があまりに堕落して全ての民が滅びる
ことなくするため痛みを感じながら造り替えようとされた。
すばらしい器に作り替えられるには大切なポイントがある。
1.粘土は体重を乗せて練って練って錬り込むことが重要。
同じように私たち人間も神様により、何度も練り清められなければ素晴らしい器になれない。
2.最後は焼きが入る。油によるような強い火で焼かれなければ美しい器になれない。
私たちも聖霊のバプテスマを受けることでさらに洗練された器になれる。
3.陶器は自分自身で作り替えられない、陶器師である神様に主権がある。
私たちは神様に従うこと。御心をいつも主にうかがうという姿勢が必要である。
私たちは、この3つの点を忘れずに、美しい器にされていきましょう。
(文責:三浦)
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礼拝メッセージ 『 放蕩息子 ~不滅の愛~ 』 (2005・7・10)

2005-07-19 10:30:01 | 今週のメッセージ
メッセンジャー:宮崎 一実 伝道師
説教箇所:新約聖書ルカの福音書 15章11節~32節

父なる神様の愛を知ろうとする時に、放蕩息子の話を聞くとよく分かる。
ある金持ちの父親には二人の息子がいた。
弟の息子は父親より財産を生前中に分けてもらい、都会に出て行く。
そこで、金を湯水のように使い放蕩の限りをつくす。
落ちぶれた息子は豚の世話係りとして働き、飢えて豚のえさまで食べたいほどであった。
息子は思った。「父親の下にいる使用人でさえ有り余るほどの食べ物があったではないか、
父に全てを謝り、父の下で働く使用人にしてもらおう。」
悔い改めがなければ、神様の下に帰れない。神様に悔い改めの作業をしていくと、
神様の下に戻れる。放蕩息子の父親が何も言わずに、手を広げ待って抱きしめてくれた。
そして素晴らしい祝宴も催してくれたように、神はどれだけ愛してくださっておられるか。
百匹の羊を持っている者は、そのうちの一匹をなくしたら、九十九匹をおいて探しにでる。
一匹を見つけるまで探し歩く。それは、神様の忍耐であり、愛の大きさである。
悔い改めは、何度でも赦していただける。
ただし、後で悔い改めをするから、今は罪を犯してもよいというのは、
神を冒涜していることである。
そこへ兄さんが働いて帰ってきた。
弟が帰ってきて父親がパーテイーを開いていることを聞く。
兄は怒った。父の戒めを破らず働き続けてきた私には、友達と楽しめと子ヤギ一匹下さらないのに、
放蕩の弟には肥えた子牛をほふって祝宴を開いた。
父は「いつも私はあなたといる、私のものは全部おまえのものだ」と答えた。
神様の愛は私たち一人一人に重さや大きさは同じだが、それぞれ違った形で現れる。
どれだけ神様に愛されているかを知ること。
愛されていることが分からないと愛すことはできない。
(文責:三浦)
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礼拝メッセージ 『ラハブの信仰』 (2005・7・3)

2005-07-11 00:01:07 | 今週のメッセージ
吉田隆・恵理子夫妻のすばらしい賛美は会衆を魅了しました。

説教者:吉田 隆 宣教師
説教箇所:旧約聖書ヨシュア記 2章(7月3日金沢フィラデルフィア教会にて)

私がミャンマーに行った時のこと。
耳の聞こえない13歳の女の子が毎日集会に来た。
彼女は賛美ができない。見ていて本当に心が痛くて、イエス様の御名によって祈った。
それから6ヶ月が経ち私は再びその教会を訪れた。
見ると彼女は癒されて賛美を歌っていた。
私は教会の牧師に尋ねた。「6ヶ月の間どの位お祈りをしたのですか?」
「毎日お祈りしました。きっと癒してくださるだろうと期待して祈っていました」
「やめようとは思いませんでしたか?」
「何度もやめようと思った。しかし聖霊に励まされ祈り続けた。ある日突然癒された。
すぐにしゃべれなかったが、急速にしゃべり歌えるようになった。」
神様の方法は限定できない。主がすぐにして下さるとは限らない。

ヨシュアがエリコに偵察隊を送ったとき、偵察の二人が入った家の女性ラハブは
ヤハウエという天地の神様を信じていた。
紅海を分けられる奇跡をなしエジプト軍からイスラエル人を救った神を信じていた。
それは40年も昔の奇跡だった。ラハブ以外のエリコの住民も紅海を分けた奇跡を知っていた。
しかしラハブはヤハウエの神を信じ、他の住民は偶像崇拝をしていた。
なぜ違いが生じたか。エリコの町は高さ5m、幅2mの堅固な城壁でめぐらされていた。
住民はイスラエル人にはこの城壁は崩せないと思っていた。
しかしラハブは紅海を分けた神ならエリコの城壁も崩せると考えた。
この住民の思いは、今の我々と同じ。イエス様の奇跡は昔のこと、今はできないと考えてしまう。
中国の50年前は100万人のクリスチャンしかいなかったのに、今は1億人になった。
韓国にもリバイバルが起こった。主は、日本にめぐらされた城壁をも崩し、訪れてくださる。

ラハブは危機感を抱いていた。イスラエル軍が攻めてきたらエリコの町は滅ぼされてしまうだろうと。
ラハブは自分と自分の家族、知り合いをイスラエル軍の攻撃から守るために、
イスラエルの偵察隊に協力した。イスラエルの偵察隊は言った。
「私たちが攻めてきたら、私たちを逃がすために釣りおろした窓に赤いヒモをつるしておきなさい。
その部屋にいる人は救われます。」
これは「主イエスを信じなさい、そうすればあなたも、あなたの家族も救われます。」
という私たちの十字架の信仰の予標であったと思う。
日本にリバイバルの時に、家族、友人、職場の人が救われますように。
私は預言者ではないので、日本にどれくらいの規模のリバイバルが来るかは分からない。
また主は再臨される。裁きをもって来られる。
その時に私たち自身が、復活できますように祈っていきましょう。

「富士山に登るには、どこから登っても同じだよ」神様に行き着くには、
どの宗教から入っても同じだという考えがある。
しかし主は言われた。
「私は道であり、真理であり、いのちなのです。私を通してではなくて、
だれひとり父のみもとに来ることはありません」(ヨハネの福音書14:6)

もし私たちが東京湾で溺れたとします。
ヘリコプターが助けに来てくださり、はしごを下ろしてくれた。
でもヘリコプターが嫌いだといって、それを拒んだら助からない。
神は私たちに救いの方法を提示して下さっておられる。
それは十字架の上で流された血潮による贖いという方法である。
これしか助かる道はない。ラハブという一人の女性を通して彼女と関係する
エリコの住民が救われたように、日本にも愛するみなさんを通して、
主は救いを起こそうとされている。
(文責:三浦)
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今月の礼拝予定&お知らせ

2005-07-09 01:25:29 | 今月の礼拝予定&お知らせ
◆2005年7月 主日礼拝予定◆

7月03日 PM3:30~PM5:00    メッセージ:吉田隆宣教師

7月10日 AM10:30~PM12:00  メッセージ:宮崎一実伝道師

7月17日 AM10:30~AM12:00  ビデオメッセージ(李康憲牧師)

7月24日 AM10:30~PM12:00  メッセージ:宮崎健男牧師

7月31日 AM10:30~PM12:00  メッセージ:宮崎一実伝道師

※教会学校 毎週日曜 AM9:00~AM9:45

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礼拝メッセージ 『充満の教会』 (2005・6・26)

2005-07-05 01:01:58 | 今週のメッセージ
メッセンジャー:李 康憲 牧師 (1994年9月25日 東京中央教会)
説教箇所:新約聖書 エペソ人への手紙 3章14節~21節

目に見える物よりも、心の中を充分に満たさなければならない物がある。
「人はうわべを見るが、神は心を見る」。
先日、私は有名な童話作家森村桂さんに会った。「プーさんの初恋」など有名。
私たちは喜びに満ち溢れた。宇都宮で8日絵の展覧会を開くとのこと。
地獄の絵を作品にしているが、ぜひ天国の絵を描いてくださいと話した。

私たちは心の中を何で充満させねばならないか。
1.聖霊に満たされなければならない。
充満になると、私たちの内なる人が健康になる。エペソの教会は聖霊を受けていたが、
さらに充満になりなさいとパウロ書簡で勧めている。
聖霊で満たされると内なる人は健康になり外から迫害や悪いことがあっても、
何も問題なく生きていける。外なる人はだんだん衰えやがて死ぬが内なる人はさらに強まっていく。
2.信仰で満たされなさい。
信仰がある人のみにイエス・キリストがともにおられる。
すると心配が生じなくなる。信仰をもって、明日を心配しない。
一日一日を充実して着実に歩んでいく。全能なる神が助けて下さり祝福して下さる。
3.愛で満たされなさい、そうすれば素晴らしい人になれる。
父なる神様は一人子イエス・キリストを、惜しまずに私たちに与えてくださった。
愛は上から下に降りるもの。聖霊を通して私たちに神の愛を注いでくださる。
正しい信仰生活をし、聖霊で満たされ、愛に満ち奉仕を行うならば栄光で輝いてくる。
満たされないと栄光が無くなる。聖霊に満たされるならば、人一人ずつだけでなく、
この教会を通して神はいろいろなことを成し遂げてくださる。
聖殿建築を通して神の素晴らしさを知らせ、祈りを持って神の福音を伝えるならば
栄光に満ちた教会になれる。
(文責:三浦)
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