大佐和キリスト教会

千葉県富津市・大佐和キリスト教会ブログ
当教会は正統なプロテスタント教会です

イースター礼拝&お花見

2006-04-17 01:36:50 | 大佐和キリスト教会NEWS
大佐和キリスト教会では、
本来のイースター(16日)より一週間早い
先週9日の日曜日に
イースター子供祝会&イースター礼拝を行い、
また礼拝後には、晴天・満開の桜の下で会食会をしました。


子供祝会。真剣にビデオ『ミラクルメーカー』を見るこどもたち。


宮崎一実伝道師よりイースターのメッセージを賜りました。


某所。満開の桜。晴天でとても暖かい。


お弁当・イースターエッグ・お菓子を食べながらの花見。

とても恵まれ祝福されたイースターとなりました。感謝。
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礼拝メッセージ 『よみがえりという勝利宣言!!』 (2006・4・9)

2006-04-16 19:09:56 | 今週のメッセージ
説教者:宮崎一実 伝道師
説教箇所:新約聖書 ルカの福音書 24章1節~8節

キリスト教において一般に知られていることは、クリスマスと十字架。
もう一つ重要なのが、イースター。実はイースターこそ、クリスチャンにとって
一番大切なものと言える。私たち人間には、原罪という罪があるために、
死んだ後に天国に行くことができない。神様は、私たちにイエス・キリストを
与えてくださり、イエス様が十字架で死んでくださり、私たちの罪をあがなって
くださった。イエス様を救い主と信じ悔い改めるなら、私たちの罪は赦され、
天国に行くことができる。なぜ2千年前の人の死が、今の人の罪をあがなえるのか
と質問される。それは、十字架に架けられたイエス様が神様であり、
効果は半永久的に続くから、私たちにもその効力が働く。

キリスト教の中心は愛である。
イエス様は、私たちを救ってくださるために十字架に架けられ死んでくださった。
しかし、2千年前に素晴らしい人がいて、死んでしまったね、で終わるところが、
次のことで話が変わってくる。イエス様は、死んで三日後に墓から蘇えられた。
それは本当のことであり、弟子の前に現れてご自身が生きておられることを
証明された。そして十字架の40日後、弟子たちの前で、天に昇られた。
今も生きておられる。イエス様の死からのよみがえりは、
私たちも天国に行けるとのイエス様の約束が、信じて足るものであるようにされた。
人間は必ず死んでしまう。しかし、死を乗り越えられた方がおられる。
それがイエス・キリストである。

イエス様の復活は、主を信じて、死をも克服して幸せに生きることが
できるとの勝利宣言である。死への恐怖にも勝てる、そして本当に素晴らしい
天国に行くことができる。
肝臓がんで亡くなられた先生ご夫婦がおられた。
亡くなられる前、穏やかな笑顔だった。神様を信じて本当に良かったと
思えるのはこの時ではないかと思った。

(文責:三浦)
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4月の主日礼拝&お知らせ

2006-04-12 04:26:38 | 今月の礼拝予定&お知らせ
◆2006年4月 主日礼拝予定◆

4月2日 PM15:30~PM17:00 メッセージ:宮崎健男 牧師

4月9日 PM11:00~PM12:20 メッセージ:宮崎一実 伝道師

4月16日 AM11:00~PM12:20 ビデオメッセージ:有賀喜一 牧師

4月23日 AM11:00~PM12:20 メッセージ:宮崎一実 伝道師

4月30日 AM11:00~PM12:20 ビデオメッセージ:滝本明 牧師 

※教会学校 毎週日曜 AM9:00~AM9:45
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礼拝メッセージ 『祝福と苦難のビビンバ』 (2006・4・2)

2006-04-12 04:25:19 | 今週のメッセージ
説教者:宮崎 健男 牧師
説教箇所:旧約聖書 エレミヤ 48章11~12節

信仰生活の中で「祝福と苦難」を食べるように神様は私たちに備えておられる。
神様を信じているのに、どうしてこんなことが起こるのか?
かえって戦いや問題が多くなる体験がある。
それには理由がある。

1.エレミヤ48章11~12節には、
モアブ(イスラエルの南東にある地)についての預言が記されている。
ぶどうは大きな池に収穫した物を入れて、きれいな足で足踏みしてつぶす。
すると、うわずみと澱(おり)に分かれる。
うわずみを他の器に移し発酵させ透明な香ばしいぶどう酒にする。
モアブはどういう国であったか。踏まれたままで移されることのない、
溜まったかすのような国となった。
侵略も蹂躙されたこともない、捕囚されたこともない。
そのため、堕落したモアブに侵略者を送るとの預言。
エレミア48章11~12節は何を教えているか。
平安で安易な信仰生活を送ると澱(おり)が溜まるということ。
霊的に無関心、祈りにも御言葉にも伝道にも無関心になる。
宗教改革者のマルチン・ルターは夢を見たという。
その夢とは、悪魔が世の中のクリスチャンを全滅させようと企んだ。
その方法は、クリスチャンを10年間無風状態に置いておくというものだった。
それでクリスチャンは世俗的になり堕落していった。
祝福だけをいただいていると結局神から離れていってしまい澱(おり)が溜まる。

2.上等のぶどう酒を造るために、器から器に移す。
苦難は変化をもたらす。苦難に会うことで、人は悔い改める。
神はモアブに変化を与えることで、目覚めさせようとした。
ジョン・バンヤンは、「試練と苦難は、私たちに神を捜し求めるようにする」
と言っている。また、ルターは「順調な時こそ神を忘れさせる恐ろしい試練である」
と言っている。高ぶる者は友人も誰もいなくなる。
平安がずうっと続くのがクリスチャンの生活ではない。
詩篇119編71節「苦しみに会ったことは、私にとって幸せでした。
私はそれであなたのおきてを学びました。」
韓国では、空前のリバイバルの時代、信徒は燃えていた。
朝4時半に山に祈りにでかける人が多かった。ところが生活が豊かになり
腹いっぱい食べ、きれいな衣服を着る現在は、怠惰な生活が目立つようになった。
韓国の教会は足踏みしながら停滞しているとチョウ・ヨンギ先生は語っておられる。
祝福されるほどに信仰はさめていく。

3.クリスチャンは、祝福と苦難のビビンバを食べていかなければならない。
ごはんだけ、おかずだけ、であってはならない。
苦難にあっても、神様は励ましと慰めを与えてくださる。
たとえどん底にいたとしても、神様が「ここにいるよ」と驚くべき
慰めを与えてくださる。大きな慰めで、期待する希望を捨てることがないように
してくださる。神様は必ず祝福を下さるとの確信を与えられる。
「主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、
むちを加えられるからである」(ヘブル人への手紙12章8節)
(文責:三浦)
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