大佐和キリスト教会

千葉県富津市・大佐和キリスト教会ブログ
当教会は正統なプロテスタント教会です

礼拝メッセージ 『神様が憎まれる罪』 (2006・2・12)

2006-02-21 22:58:40 | 今週のメッセージ
説教者:宮崎 健男 牧師
説教箇所:新約聖書ローマ人への手紙 1章28節~32節  

昔、孔子は「天に従がう者は栄え、天に逆らう者は滅びる」と言っている。
神様が人生と歴史を支配しておられる以上、神様の品性に逆らっては「幸いを得る」
ことは決してない。聖書には神様が憎む罪、裁きに会うようになる罪に関して
詳細に記録されている。

第一の罪:貪欲(どんよく)の罪。
貪欲とは、自分の身分や分際を飛び越えた欲望の罪である。
実例は、人間の分際を超えて神になろうとしたアダムとエバがある。
最近この国を揺るがしている諸種の事件、ライブドア事件もそうである。
第二の罪:不義の罪。
正しく行くべきところを人間は不義の道に行きたがる。
姉歯事件がある。これらの罪が暴かれているのを見て何と悪い世の中だと
悲観的に見てはならない。見方を変えれば、神様が日本民族を助け出されるために、
罪を暴かれ、清掃作業して下さっている印である。
第三の罪:偽りの罪。
神は真理であられ、真なる方ゆえに憎まれる。偽りは神を否定することであり、
悪魔と調子を合わすことである。
第四の罪:背きの罪。
神様から愛と真実と恵みを受けたにもかかわらず、その恩を返って仇で返す罪。
イエス様を裏切ったイスカリオテのユダが例。
私たちは、神様から恵みを頂いたゆえに、感謝し賛美しなければならない。
献身して生きていくべきである。
第五の罪:高慢の罪。
自分自身の分際を超えて偉くしようとする罪。この罪の為に天使長ルシファーは、
堕落し神の御国から捨てられ、地に落ちてサタンとなった。
第六の罪:神様を信じない罪。
これは命綱を捨てること。信仰によらなければ救われない。
イエス様の苦しみを無駄にするなら、裁きを免れることはできない。

以上の罪が全ての罪の源である。イエス様を信じれば聖霊様の助けにより、
罪に打ち勝つ力を得る。罪を悔い改め救い主イエス様を信じ、
神とともに歩んでいきましょう。
(文責:三浦)
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礼拝メッセージ 『聖書を学ぼう ~エペソ篇~ 』 (2006・2・5)

2006-02-18 17:43:42 | 今週のメッセージ
説教者:宮崎 一実 伝道師
説教箇所:新約聖書エペソ人への手紙1章 

1.エペソ人への手紙の基本的知識。
作者は、使徒パウロである。獄中書簡であり、ローマの牢獄から書き送った手紙。
パウロが建てた教会にいろいろな問題が起こった。
その教会に行って解決できない時に、手紙を書き、誰かに託して、
教会の人々を教え導いた。
2.1章の3節から13節までは神の救いの計画について書かれている。
(1)父なる神のご計画 
神様はまず、私たちを御心のままに選ばれて、
愛をもって救いのご計画を定めておられた。
それは神様のご栄光が褒め称えられるために。
(2)子なるキリストによる実現 
キリストがこの地上に来られ、十字架で贖われ、使命を全うされた。
三日後に蘇られて救いの実現がなされた。キリストの十字架の贖いにより、
1私たちの罪の代価を支払われた、2罪から私たちを解放してくださった。
こうしてキリストにより計画が実現された。
(3)聖霊による保証 
イエス・キリストの十字架の死がどうして私たちと関係あるか。
頭でなく霊で理解する。神の恵みによって聖霊様が働かれる。
聖霊の力により福音の奥義を理解することができる。
3.1章の15節から23節まではパウロの執り成しの祈り
(1)救われた土台のできた私たちが、神の救いとご計画が手にとるように
分かるように、教えてくださる御霊を与えてくださいと、
使徒パウロが執り成しの祈りをしてくださる。
神様が与えてくださる望みは何か、与えられる栄光がどんなに素晴らしいか、
分かるように御霊様を、与えてくださいと祈っている。
(2)教会はキリストの身体。私たち一人一人がキリストの身体。
キリストを中心に素晴らしいものが地上にできると一層私たちは力を
受けることができる。教会はばらばらになってはいけない、
愛と融和に満ちた所でなければならない。
神様に求めご計画の全てを知ることができるように、祈っていきましょう。
(文責:三浦)
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礼拝メッセージ 『信仰義認の結果』 (2006・1・29)

2006-02-08 00:29:41 | 今週のメッセージ
説教者:李 康憲 牧師
説教箇所:新約聖書・ローマ人への手紙5章1節~11節
(1994年9月28日 東京中央教会)  

神様から、イエス・キリストを信じるようにさせていただいた私達は、
信仰によって義と認められた。この「義認」が信仰の出発点。
そして「栄光」とは神様が救いを完成してくださったときに私たちが受けるもの。
私たちがイエス様を信じて、義と認められてから、やがて救いの完成として
神様の栄光をいただくまでの間、聖なる者になっていく過程が「聖化」である。
神様の栄光に入るとき、それは天国に入るときである。
御言葉に従順する人は、苦労せずに天国に行ける。
しかし御言葉に不従順な人は、勝手に考え、勝手に道を選ぶ。
聖化の過程が違ってくる。先着順3位までが天国というのではない。
神様が信仰義認によって出発させた人は全員天国に到達させたいというのが、
神様の御心である。なら安心天国に行けるのか。遅い人は残り勉強がある。
地上でさせるべき訓練をさせる。お金をたくさん持っている人は、重くて走れない。
お金を全部無くした後に、裸になり、軽くなって合格する人もいる。
世の中に属するものを外してしまうと、すっきり走ることができる。
神様は牧師や説教者を通して御心を教えるが、同じ人間なので信じられない。
従順してこない。神様に課せられた残り勉強した後にようやく従順する人がいる。
神様に出発させられた人は、こらしめを受けて、合格点にたどりつけさせられるし
天国につけさせられる。クリスチャンは艱難を受けなければならないというのは、
間違い。苦しみを受けなければならないというのではなく、
苦しみがあっても、苦しみでさえも喜ぶことができる。
それは、義と認められた私たちは、やがて受けるべき神様の栄光を
望んで喜んでいるからである。どんな環境にあっても喜ぶことができることが大切。
聖霊様の働きがなければ、この神様の恵みを理解できない。
聖霊様を注いで神様の愛を悟らせてくださる。
(文責:三浦)
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