大佐和キリスト教会

千葉県富津市・大佐和キリスト教会ブログ
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礼拝メッセージ 『最初の奇跡』 (2006・8・6)

2006-09-01 08:30:12 | 今週のメッセージ
説教者:宮崎 健男 牧師
説教箇所:新約聖書 マルコの福音書 1章21節~39節

マルコの福音書は、使徒ペテロの口で語ったものを弟子のマルコが書き記した福音書といわれる。場所は迫害さなかのエルサレムで、時期は数年後にローマ軍の攻撃でイスラエル全土が滅ぼされるという頃であった。最初の福音書で、AD1世紀にすでに教会で読まれていた。たくさんの奇跡の記事が記されている。説教よりもイェス・キリストのみ業の記事が多い。ペテロの漁師だったことが反映して、実際的な記事を重視していると考えられる。迫害が切迫している中、クリスチャンを励まし、信仰を保つようにと、福音書が書かれた。

現代の中国のことを思わされる。中国には宣教師によって起こされた教会が多い。ハドソン・テーラーによって起こされ、それ以来たくさんの宣教師が奥地伝道をした。やがて共産主義が起こり、中国の宣教師が日本にやむを得ず来た。トム・ハーランド、カナダ宣教師は大佐和キリスト教会を始められた。大佐和の地で、野外の教会学校もされた。ペンテコステ派の宣教師ヘステキンド先生も、中国から横浜に来られた。共産主義は教会を閉鎖しようとした。キリスト教の完全な抹殺を目論んだ。実際にはそうはならなかった。聖書もない、教会もないという社会。拷問が行われた。しかし中国には、教会が起こされ、本当のクリスチャンがどんどん起こった。神様が、信仰に伴うしるし、驚くべき奇跡を行うようにしてくださった。獄に繋がれても、クリスチャンであることをやめなかった。現在何千万人というクリスチャンがいる。政府の御用聞きの教会があるが、本当の御言葉を伝える教会は、地下にもぐっている。どんどん増えてきた。

マルコの福音書により当時の人々がどれほど励まされたか。イェス様がカペナウムの会堂(シナゴーグ)に入られた。バプテスマのヨハネが捕らえられて後、イェス様は公生涯に入られたが、ここで初めて、説教をされて、奇跡を行われた。「『神の国』が近づいた」といわれた。神のご支配する国が近づいた。外国に行くと、パスポートにより日本人は守られる。そこには政府の依頼が書かれてあり、その権威により守られ、無事に過ごすことができる。クリスチャンになれば神の国に入った者となっている。神の国が近づいたのと、入ったというのでは、違う。イェス様は地上に来られた。30年と公生涯の3年。短い期間(3年間)に働かれた。その前の30年間は準備期間。大工の仕事や弟、妹の世話をされた。父親が早く亡くなられた。それから3年間、公生涯に入られた。本当のイェス様は霊と魂が神様から来ている。天国に全ての栄光をあとにおかれて、人間として誕生された。それにともない地上に神の国が降りてきた。イェス様は、全ての罪を背負って、悪の支配から解放するために、十字架に掛かってくださった。そして黄泉に下り、全ての罰を負ってくださった。信ずる者に対し、正しくない全ての言動全部を帳消しにしてくださり、神の子としての身分にしてくださった。まことの神様であり、御子であり、その方がどんなに愛しておられるか。父なる天の神様もあなたがたを、愛しておられる。父なる神様と聖霊様と、一緒に天地をお創りになった神様である。

私たちの祖先アダムとエバは、神様のおきてを破って、エデンの園を追放された。モーセもアブラハムも神の友と呼ばれた人類の代表だが、イスラエルの人々はシナイ山にモーセとともに、登っていくことができなかった。モーセのみが登っていった。人は生まれながらにしてどんなに罪人であるか。神様ご自身が人となってこられたのがイェス様であるから、福音を信じなさい。わたしたちが正しくないこともやってきたのは滅びの道であることを、悔い改めて救い主を信ずるならば、救われます。

「悔い改め」をどうしたらできるか。人が救われるというのは、罪から救われることである。エデンの園では、悪魔はエバを誘惑することができた。悪魔は神様の言葉を捻じ曲げることで、エバを誘惑することができた。神様のみ言葉は、御言葉として尊んで、分からなくても自分なりの解釈をしてはならない。ヤスヤスと悪魔にスキを突かれる。神様の御言葉は、そのままを語る。聞く人がそのままに受け取るから。曲げるとその人の言葉が届いてしまう。信仰によって受けとめて、書かれている通りに語る。

ニコデモはパリサイ人で指導者であった。イェス様を軽く見ていたパリサイ人の中でも、イェス様の奇跡をみて、教えを請うてきた。ニコデモはイェス様にお会いするや、神様に拠らなければ、あのような奇跡は決してできませんと、告白した。イェス様は言われた。「人は新しく生まれなければ、神の国を見ることができない」また「水と霊によらねば、神の国に入れません」と。誰でもそうであるように、救われるというのは、受身である。最初宗教と思って入っても、救われるのは、神様によるのであり受身である。人が救われるためには、悪霊の支配から解放されなければならない。解放されなければ救われない。悔い改めなければ、神の国に入れない。自分でなんでもできるという自分中心から、神に頼らなければ、何にもできないと思う方向への転換である。

信じて何年も経っているから、それだけで成長をしているとはいえない。悔い改めることで、悪霊の支配から解放されなければならない。神様の支配へと移されなければならない。

サウロ青年も、神に仕えていると思った。律法を学び学問に進んでいた。それなのにクリスチャン迫害の急先鋒になった。ある時、復活のイェス様に会われた。180度変えられた。迫害者から御言葉をつたえるものに変えられた。クリスチャンは悪魔の支配から神様の支配に移される。イスラエル人も、いろんな苦難を通して、改心してナザレ人のpイェス様が救い主であったと信ずる時がやってくる。

罪が何であるか敏感になっている私たちは、
悔い改めて、清められて、神とともに道を歩む。
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