説教者:宮崎健男牧師
聖書箇所:創世記 4章1節~6節
神様は、最初の人間アダムとエバを創造された。二人はエデンの楽園で罪を犯した。サタンが被造物の中心である人間を神様から引き離して、自分の支配下においた。人間はエデンの楽園から追放された。神に背を向けてしまった人間。罪の支配の下悩む者となり、滅びに向かう人生を歩み始めた。しかし神様は救いの手を用意された。
神様はエデンの善悪を知る木の実の他、命の木も人間が食べたら、罪を持ったまま永遠に生きてしまいサタンのようになってしまうため、人間をエデンから追放し、命の木を守るようにされた。アダムとエバの二人から、カインとアベルが生まれた。カインは、農夫となり、アベルは猟師となった。カインは、作物の一部を神様にささげた。アベルは、羊の初子の最良のものをささげた。これが世界で最初の宗教である。
神様は、アベルのささげものを受け入れられ、カインのささげものを受け入れられなかった。アベルは敬虔な気持ちからささげものをした。血を流さずして罪の許しはえられない。何が善であり何が罪であるかは、神様が決められる。カインは神様の心にかなう礼拝をしようとせずに勝手に行った。神にささげものについて文句は言わせないというような気持でささげたなら、カインは正しくない。その後も神様の御声を聞こうとしなかったカインは、罪の力に捕えられ離されなくされた。アベルを殺すという罪を犯した。礼拝で大事なことは、たとえ熱心でも自分流のやり方で行うのではなく、神様の御心に沿って行うことである。宗教改革のマルチンルターの中心的な仕事は、中世の宗教に入り込んでいた不純物を取り除いて改善したこと。イエスキリストの血潮ゆえに私たちの罪は許されたことが、礼拝の中心であることを明確にしたことである。「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは自分自身から出たのではなく、神からの賜です」(エペソ2:8)自分の罪を犯す弱さを知り、罪の許しには身代わりの犠牲が必要であることを知っていればカインも間違いを犯さなかったでしょう。私たちの心は畑のようなもの。すぐに雑草が生えてくる。良い収穫を得るには、雑草を取り、害虫を駆除する。自分の心を見張って治めて行く必要がある。自分の心を治める力は、自分にはない。イエス様と聖霊様に自分の心に住んでいただくという信仰をもち、悔い改めの心が大切である。
聖書箇所:創世記 4章1節~6節
神様は、最初の人間アダムとエバを創造された。二人はエデンの楽園で罪を犯した。サタンが被造物の中心である人間を神様から引き離して、自分の支配下においた。人間はエデンの楽園から追放された。神に背を向けてしまった人間。罪の支配の下悩む者となり、滅びに向かう人生を歩み始めた。しかし神様は救いの手を用意された。
神様はエデンの善悪を知る木の実の他、命の木も人間が食べたら、罪を持ったまま永遠に生きてしまいサタンのようになってしまうため、人間をエデンから追放し、命の木を守るようにされた。アダムとエバの二人から、カインとアベルが生まれた。カインは、農夫となり、アベルは猟師となった。カインは、作物の一部を神様にささげた。アベルは、羊の初子の最良のものをささげた。これが世界で最初の宗教である。
神様は、アベルのささげものを受け入れられ、カインのささげものを受け入れられなかった。アベルは敬虔な気持ちからささげものをした。血を流さずして罪の許しはえられない。何が善であり何が罪であるかは、神様が決められる。カインは神様の心にかなう礼拝をしようとせずに勝手に行った。神にささげものについて文句は言わせないというような気持でささげたなら、カインは正しくない。その後も神様の御声を聞こうとしなかったカインは、罪の力に捕えられ離されなくされた。アベルを殺すという罪を犯した。礼拝で大事なことは、たとえ熱心でも自分流のやり方で行うのではなく、神様の御心に沿って行うことである。宗教改革のマルチンルターの中心的な仕事は、中世の宗教に入り込んでいた不純物を取り除いて改善したこと。イエスキリストの血潮ゆえに私たちの罪は許されたことが、礼拝の中心であることを明確にしたことである。「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは自分自身から出たのではなく、神からの賜です」(エペソ2:8)自分の罪を犯す弱さを知り、罪の許しには身代わりの犠牲が必要であることを知っていればカインも間違いを犯さなかったでしょう。私たちの心は畑のようなもの。すぐに雑草が生えてくる。良い収穫を得るには、雑草を取り、害虫を駆除する。自分の心を見張って治めて行く必要がある。自分の心を治める力は、自分にはない。イエス様と聖霊様に自分の心に住んでいただくという信仰をもち、悔い改めの心が大切である。