大佐和キリスト教会

千葉県富津市・大佐和キリスト教会ブログ
当教会は正統なプロテスタント教会です

礼拝メッセージ 『勇敢でありなさい』 (2007・3・18)

2007-03-26 01:36:57 | 今週のメッセージ
説教者:福治 友輝 牧師
聖書箇所:旧約聖書 ヨシュア記 24章15節
(2007年3月18日 横浜フィラデルフィア教会・合同聖会にて。)

クリスチャンは、自分がどこに属しているのか表明する必要がある。
私の孫が中3まで、教会に行っていると言えなかったが、
今は友達に堂々と言っている。
日曜日は教会に行っていると勇敢に言わなければならない。
朝鮮動乱の時、南朝鮮(今の韓国)に北から軍が攻めて来て、
教会に入ってきた。共産軍は言った。「イエスの絵を踏んだ者は助ける、踏まない者は銃殺する。」
長老が真っ先に踏み、信徒が踏んでいった。ところが13歳の少年は
絵を抱き上げて「たとえ絵であっても、十字架にかかって死んでくださった
イエス様を踏めません」と言った。少年は目をつぶって覚悟したが、
撃たれなかった。
共産軍は「私がクリスチャンでも踏まない、13歳の少年に免じて許してやろう。」
と言ったという。沖縄から425Kmも離れた石垣島での出来事。
豊臣秀吉がキリスト教の禁教令を発した。
キリシタンバテレンを発見し密告した者に金子200枚あげるという御触れを出した。
この島に「石垣えいしょう」という男性が住んでいた。
彼はエルダ神父のメッセージを聞いて信じ告白した。
家を教会堂にして礼拝するようになった。
ところが薩摩のスパイが島に入り込んでいて彼がキリシタンであることを
お上に通報した。
えいしょうは、薩摩の役人に「国禁の宗教だから、信じていない」と表明しろと
言われたが、「覚悟はできています」と答えた。
その後薩摩に送られ宗教裁判にかけられた。彼は堂々と証ししたところ島に返され、
火あぶりの刑に処せられた。処刑前に彼は、祈りの時を許され、神様に感謝し、
人々の幸せをお祈した。現在、石垣島にえいしょう殉教の頌徳碑(良き行いを称え後世に伝える碑)が建てられている。信仰の先輩には、誰に属しているかを命とひきかえに表明した人がいる。

今64歳の私には子どもが6人いて、孫が12人いる。41歳の時、
沖縄から神学校に入り献身するため東京に出てきた。
当時受験を控えた中3の子ども、2歳の子、腎炎を患った小2の子もいた。
住まいも金も仕事もなく出てきたが、職安を通して仕事も決まり、
安価で一軒家まで借りることができた。子どもの受験もうまくいった。
一歩踏み出して、勇敢なものには、主が助けてくださる。
主を信じ、勇敢でありましょう。
(文責:三浦)
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礼拝メッセージ 『勝利者となるために』 (2007・3・4)

2007-03-26 01:28:04 | 今週のメッセージ
説教者:宮崎一実 伝道師
聖書箇所:新約聖書Ⅰコリント9章24節~27節

クリスチャンにとって「勝利者になる」とは、
神様に与えられた使命を全うすること。神様の御心に沿って歩み続けること。
神戸市の大島牧師のご夫人が召された。夫唱婦随のご夫妻であった。
1ヶ月前に病になられ、天に召された。牧師が代表して葬儀に出席した。
ご夫人は死に至るまで主に忠実であろうとされた。
主の前に完全な勝利者となったということできる。

勝利者となるための必須課題は、福音をつたえること。
私を通して救われる人がいると一人一人が意識をもつこと。
私たちの人生には試練のときがある。神は私たちに対して訓練をしてくださる。
「霊の父は、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして懲らしめるのです。
すべての懲らしめは、その時には喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われる
ものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。」(ヘブル12:10~11)

勝利者になるためには、しっかりした目的意識を持ち目標の設定が大切である。
復活されたイエス様は、ペテロに対し命令をくださり、はっきりした目的を
お与えになられた。それは私(イエス様)の羊を飼うことであった。
(ヨハネの福音書21章15~17)
私たちの目的には、家族の救いが挙げられる。それとともに人を救いに導き、
自分も成長すること。人を教会に来るように導き、来るようになったら、
成長に導くことである。イエス様がペテロにお命じになったように、
教会に導いてその人が根付くように牧することである。
教会成長にとりトラクトを配ることも大切だが、教会員の口伝えで人を
導く方法が最も強力である。私たちを通して救われる魂がいることを
自覚することが大切である。

周りの人たちと、次々とトラブルが起こることがある。
しっかりと神様に照準を合せて、神様が何を喜んでおられるかを
お祈りによって明らかにし行っていけば、解決されし、未然に防ぐことができる。
「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい」
(ヘブル12:2)

決勝点がどこにあるような走り方をせずに、
ちゃんとした目標物を定めて信仰生活を送らねばならない。
使徒パウロは、死を目前にして「私は走るべき行程を走り続け、
今や義の栄冠が私に用意されているだけ」と言われた。
そのように、かの日に眼をやって神様に自分の信仰人生を語ることができるように、
今歩まなければならない。自分に与えられた使命を全うすることが大切。
ただ自分の分を生きる。誰かが先にやってくれるという考えではいけない。
まず私たちからやっていきましょう。
(文責:三浦)
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