大佐和キリスト教会

千葉県富津市・大佐和キリスト教会ブログ
当教会は正統なプロテスタント教会です

礼拝メッセージ 『父なる神の愛』 (2006・10・8)

2006-10-25 16:07:24 | 今週のメッセージ
説教者:宮崎 一実 伝道師
聖書箇所:ルカの福音書 15章11節~24節

北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの両親、横田滋さんと早紀江さんの愛の深さは大きい。
めぐみさんが失踪した時、警察に行き、北朝鮮に連れて行かれたと話しても
信用してくれなかった。ご両親は娘を一生懸命探した。
その時期に一番辛かったことは、毎年警察に行き、身元不明者の写真ファイル
(死体の写真)を見て娘がいないか探すことだったという。
ご両親の愛の深さを改めて感ずることができた。
今日の話は放蕩息子の話。兄は一生懸命父の仕事をやった。
ところが弟は手伝わなかった。弟は、父の財産を先にくれといった。
弟は抱えきれない財産を持って、都会に出て行った。
それを湯水の如くに使い、破産してしまった。
弟は落ちぶれて、豚を飼う仕事をそた。
ところが貧しくて、豚の餌でさえ食べたいと思うようになった。
以前楽しく過ごせたのはお父さんのお陰だった。
それが当たり前だと思っていた。良い時は恵みに気がつかない。
悪いときこそ、良い時につながる。頑張って、反省して、努力する。
そういう時こそ、神様に出会うチャンスである。
弟は、逆境の時に反省し、お父さんに謝って召使でもいいから働かせてもらおうと
思った。父の家に近づいた時、父は遠くにいる弟の姿を見つけると走り寄ってきて、
抱きついた。父は毎日毎日息子の帰ってくるのを待ち望んでいた。
弟は天にもあなたにも罪を犯しました。息子と呼ばれる資格はありませんといった。
父はとんでもないと言って、立派な服や、指輪を与えた。
その愛は無限。私たちが神様の前に戻って行くならば、
反省して御前に近づくならば、神様は赦してくださる。
そのために神様は、私たちにイェス・キリストを送って下さった。
拉致された横田めぐみさんの母親、早紀江さんは数年前にイェス様を信じ救われた。
父の滋さんは、北朝鮮への憎しみを取り去ることはできなかった。
しかし奥様を通して教会で話を聞くようになり、イェス様を信じることができたそうで
ある。
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10月の礼拝予定&お知らせ

2006-10-08 11:40:07 | 今月の礼拝予定&お知らせ
◆2006年10月 主日礼拝予定◆

10月1日 PM3:30~PM5:00 メッセージ:宮崎健男牧師

10月8日 AM11:00~PM12:20 メッセージ:宮崎一実伝道師

10月15日 AM11:00~PM12:20 メッセージ:宮崎一実伝道師

10月22日 PM3:30~PM5:00 メッセージ:宮崎健男牧師

10月29日 AM11:00~PM12:20 ビデオメッセージ:有賀喜一牧師
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礼拝メッセージ 『正しい信仰の要素』 (2006・9・24)

2006-10-08 11:38:38 | 今週のメッセージ
説教者:宮崎 健男 牧師
説教箇所:旧約聖書 第一列王記 17章1節~17節

「救い」は、「行い」によるのではなく、イェス様の為してくださった功(いさお)
への「信仰」によるものである。イェス様が十字架にかかり血を流して死んで
くださった贖いを信ずることにより救われる。
私たちは正しい行いができない。自分の力でなできないことづくめである。
私たちの行いは不完全であって何もできなくても、イェス様を信ずるならば、
イェス様の功(いさお)によって救われる。

ある死刑囚が死刑の執行を待っていた。何ひとつ良いことをしなかったと思っていた。
だが、教誨師(きようかいし)を通して、イェス様を信じ罪を赦されたものとされ、
天国の希望をもって、刑に服した人がいる。
神様の救いはなんと素晴らしいことか。

信仰が無ければ神に喜ばれない。ヘブル書には多数の信仰者のことが記されている。
アブラハムの生涯。彼は神の召しに応じて神に従っていった。
私たちクリスチャンにとって信仰の模範となるひとだ。

1.信仰は一歩一歩成長するもの。
いろんな苦労をすることで信仰を成長させる。苦労も無駄ではない。
私が聖書学校に入ったころ、私は弱い愚かな信仰しか持たなかった。
第一列王記17章1~17節の所に、カラスが人間(エリヤ)に食べ物を
運んできて養う話が記されている。神に頼って信仰によって生きていこうとする
神学生に、はなむけの御言葉として語られた先生のお言葉だったが、
私はとても信じられずつまずいてしまった。
今見るなら本当にあったこととして、信仰を持つことができる。

中国の地下教会の指導者ブラザー・ユン師は、刑務所に入れられ、絶対出られない牢獄を、看守が見ている前ですたすたと出ることができたという奇跡を体験した。
それはちょうど使徒ペテロ先生が、牢獄に入れられて天使によって解放された話を
思い出させるものがある。自分の頭に従わず、神のみに従っていく。
中国のすごい迫害の中で、芽生え、育ててきた信仰。平和ぼけの中にある
日本のクリスチャンの信仰とは違う。中国の迫害に育った信仰は全然妥協がない。

2.信仰を考えたとき、神様への全き服従が重要。
預言者エリヤのときのイスラエルの王はアハブであった。
その皇后のイザベルは、偶像礼拝を持ち込んだ。アハブも偶像礼拝を行った。
国を挙げて、偶像礼拝を行った。その結果、イスラエルはやがてアッシリアによって滅ぼされてしまう。エリヤの預言どおりイスラエルには、雨が降らなくなった。
国はききんになった。アハブはエリヤをしらみつぶしに探そうとするが、
エリヤは神様の導きで、ケリテ川のほとりに隠れることができた。
そしてカラスによって養われた。幾羽かのカラスがパンと肉を運んできた。
ケリテ川が枯れると、神様の御言葉があった。ツァレファテに行き住め、
一人のやもめがあなたを養うようにしていると。
神様は次の手段をもって助けてくださる方。
今日まで続いているのは、神の背後の助けがあるから。
私たちの信仰生活も続いている。

ツァレファテの町の門にいくとたきぎを拾い集めている一人のやもめがいた。
彼女に声をかけた。「水差しに水を入れて持ってきてください」と。
やもめが取りに行こうとしたとき、一口のパンも持ってきてくださいと頼んだ。
やもめは答えた。「あなたの神、主は生きておられます。」
彼女は預言者エリヤであることを知っていた。
バプテスマのヨハネは、らくだの毛で織ったもの物を着て革の帯をしめていた。
一目見て預言者エリヤと分かるいでたちであった。彼女は、一握りの粉と
少しの油があるのみなので、それを調理して、息子と死のうとしていたと答えた。
死ぬ直前にたきぎを集めようとしていた。そこでエリヤは答えた。
「恐れてはなりません。言った通りにしなさい。私のためにパンを作り、
次にあなたとその子のために作りなさい。」ものすごく信仰を試された。
「主が雨の降るまでは、かめの粉はつきず、つぼの油はなくならないといわれるから。」
神の約束が来て、信仰が湧いてくる。約束は剣のように心の中に入ってくる。
私が家内との結婚に導かれる時も、神様の導きがあった。
私は御心のままにと祈った。戸川牧師と少年院に行って、服役の少年に
御言葉をとりつぐ働きをしていた。週に1度午後に行った。
八王子のほうにある橋本駅を降りた。少年院での準備をしようと、
カバンから聖書を出して読もうとした。座ったとたんドーンときた。
「姉妹と結婚しなさい」と導きがきた。怖くなってしまった。

やもめの心の中に神の御言葉がポーンと入ったと思う。
かめに粉とつぼの油を用いてエリヤのために、パンをこしらえた。
エリヤの約束の通り、彼女と男の子、そしてエリヤは長いこと食べることができた。
粉と油はつまずきにならなかった。神を第一にすること。

3.あらゆる状況をあきらめずに、神に求めることが信仰。
従順に神の言われるとおりに従っていく。ブラザー・ユンはあらゆる状況にあっても
神に求めることを実践していった人。「信仰がなくては、神に喜ばれることはできない」(ヘブル11:6)神様にまず求めること。
必ず結果を神様が与えてくださる。信じて頼っていった人に、
神がいることを分からせ、求めることを与えてくださる。空しいことはない。

やがて、やもめの息子が重い病気になり息を引き取ってしまった。
彼女はエリヤに言った。「神の人よ。あなたはいったいわたしにどうしようと
なさるのですか」人は悪いことがあるとすぐに、人のせいにする。
自分のせいと思う人は、悔い改める。他人のせいにするひとは解決にならない。
人は罪深い存在。無意識のうちに罪を犯す。
「私の心が、あなたの心にかなうのか、良く調べてください」とよく
ダビデも神に祈った。エリヤは「あなたの息子をわたしによこしなさい」と言い、
屋上の部屋に持って行き、寝台に寝かせた。
「主よこの子の命を返してください」と祈ると死んだ子が生き返った。
「ごらん、あなたの子は生きている」息子の病気に対しても神様は答えてくださった。
「エリヤが本当に神の人であり、神の言葉は真実であることを知った」と女は言った。

体験しないと信仰は本物にならない。
イスラエル人の不信仰をイェス様は嘆かれた。
また飢饉のイスラエルでたくさん死んだが、ツァレファテの女のみをすくった。
らい病になったシリヤのナアマン将軍は癒されたが、イスラエルのらい病人は
癒されなかった。愛は、清い心、正しい良心と偽りの無い信仰から生まれてくる
ものである。信じて約束を信じて祈っていく。
こういう信仰を神によって育てていってもらいたい。

目標である神の愛を実践していこうとすれば、神は私たちを豊かに用いてくださる。
愛のあるところは教会しかない。ゆとりやなぐさめのない世の中にあって、
教会の中に神様の愛を実現させていく。それには信仰が大切。愛を目標としなさい。
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