土佐っぽ

四国は土佐国のもんが、日々の中で思いゆう事や、得手勝手な考えを書きよります。どうぞよろしく。

こころに「ゆとり」ありますか?

2012年02月11日 12時25分28秒 | Weblog
海底に「葵のご紋」鬼瓦…江戸城修築の沈没船か(読売新聞) - goo ニュース


みなさんは、「虚学」と「実学」という学問があるのを、ご存じですか?

「虚学」は、所詮研究の為の学問であり、実社会には役にたたない。
文学や史学や芸術系など

「実学」は、人間の日々の生活に有効な研究で人々のくらしそのものに役立つ。
医学、科学、建築、などなど。
経済学や、経営学、法学もそれに入る。

要は、すぐに稼げる学問分野とそうでない分野とを分けたもの。


もう、何年も前に、
大学受験直前の教え子が、やってきて、
大学の論文に「虚学と実学について貴方の考えを具体的に・・・」とある。
これは、いったいなんだろう??
と、聞かれた事がある。

こんな差別的発想をすることそのものがナンセンスだと思うのだが、
しかし、
学校でも、にたりよったりだ。

入試には、音楽も美術も技術家庭かも体育もない。
いつも、言われる主要5科目。

国語  数学  理科  社会  英語

その中で一番下なのが社会。

なるほど。と、思う。
そこに、教科的「虚学と実学」の存在があるから。

しかし、
街を歩く人や電車の中で、
イヤホンを耳にした老若男女の存在。
あらゆる場所で流れる音楽。
異常なまでのランニングや、ジムトレや、そういう体力志向。

そして、
会社であれなんであれ、
歴史に裏打ちされた技術や文化。

人が、ほっとする瞬間。
その時には、絶対とは言えないとしても、

「虚学」分野が存在するのではないだろうか。

一人で考える。夢想する。ぼーーーーっとする。

そういう時間は、結構豊かだったりする。

なんでもかんでも、「数字」で勝敗を決めたり、
なんでもかんでも、「数字」で上下を決めたり、
なんでもかんでも、「数字」だけしか信頼できない

そんな、不毛な実社会の中で、
「ゆとり」の時間や場所。そういう雰囲気。
それは、絶対に無意味じゃあない。
それどころか、有益であり、不可欠でもある。

どうも、学校教育の最大成果として、「ゆとり」を排除した。
そういう社会になったようで、なんか怖い。

このニュース。
エライ先生がどうのこうのよりも、
いったい、何があっただろうか、
と、想像したり、推測したり、ちょっとしたロマンを感じたり、
そんな、「自由なこころの動き」が、なんともステキだ。

「ほっと」するこころの一時、

これだけは、感じたいし、持ち続けたい。
そんなに、思うのですが。
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