「パットン大戦車軍団」という名画がある。 戦争を肯定する内容であるとはいいがたいが、しかし、いかにものアメリカ映画。 その中で、アイクという愛称の将軍が登場する。 この映画は、第二次世界大戦のアフリカ戦線からヨーロッパ戦線まで、 そして、ドイツの降伏までが舞台だが、このアイク、
— 土佐タロウ (@kantate0210) 2018年5月20日 - 19:38
ヨーロッパ戦線の連合軍最高司令官でもあった。 そのアイクこそが、 ドワイト・デーヴィッド・アイゼンハワー(Dwight David Eisenhower)であり、 1890年10月14日生まれのアメリカの軍人、 そして、第34代ア… twitter.com/i/web/status/9…
— 土佐タロウ (@kantate0210) 2018年5月20日 - 19:39
「アメリカのスポーツの真の使命は、 若者達に戦争の準備をさせることにある。」 もちろん徴兵制のあるアメリカ合衆国だが、 スポーツ選手が殺到して入隊をするという目的や状況ではなく、スポーツ競技における競争が、 戦争と同じような攻… twitter.com/i/web/status/9…
— 土佐タロウ (@kantate0210) 2018年5月20日 - 19:40
ということをアイクは目指していたということである。 暴力とスポーツとの関係においては、 特にアメリカなどでは、実験での実証と、逸話的なものでも、かなり説明されてきている。 詳しくは、 アルフィー・コーン著 「競争社会をこえて」(法政大学出版局) を読んでほしい。
— 土佐タロウ (@kantate0210) 2018年5月20日 - 19:40
競争原理そのものを排除しようとも、全否定しようと言うものではない。 しかし、 少なくとも、このニッポンの学校の中で、 部活動の占める位置は、 実は、本来的授業を超えている部分があまりにも目立ちすぎる。 部活の試合で、授業を抜け出すことは、公然と行われるし、
— 土佐タロウ (@kantate0210) 2018年5月20日 - 19:41
また、地区の試合や、県などの試合でも、授業カットがあったりもする。 文科省は、PISAやTIMSSなどでの国際学力検査で、 地位の下落があったゆえに、 必死になっての学テ対策を、 都道府県単位や、市町村単位で、競争させようとしている。 受験戦争などに翻弄され、本当の意味での学力。
— 土佐タロウ (@kantate0210) 2018年5月20日 - 19:41
人間が、自分の問題(課題)に気づき、 その解決策を模索し、そして、解決に近づける。 その過程で、ミスや失敗があったとしても、 それは、大きな糧として、次につなげる。 その為に、学習の機会を自由に保障し、 個々の過去の実績や状況と比較することでの評価を行う。
— 土佐タロウ (@kantate0210) 2018年5月20日 - 19:41
という、まあ、、総合的な学習の時間を、中心とした学びの場と時間の構築。 これが、まったく行われてこなかった。 受験や、試験の点数。通知表などの評価。 そして、部活動での勝利絶対主義の指導という名の煽動。 そこには、 他者に勝つ。 他者の上に。 が最重要とされ、
— 土佐タロウ (@kantate0210) 2018年5月20日 - 19:42
本来、学習や学びの中にあるべき、 自己との戦いや、自己の過去を超える。 そういう意味での成長や進化を、あまり求める事はしなかった。 さらに、 集団の中で、自分を殺し、みんなのためにという、 大義名分が最優先されたりもしていた。
— 土佐タロウ (@kantate0210) 2018年5月20日 - 19:42
よく、使う言葉に、 「ひとりはみんなのために。 みんなは、ひとりのために」 が、あるが、 往々にして「ひとりはみんなのため」だけが、強調されたりもしている。 もちろん、学校における部活の全否定はしてはいない。
— 土佐タロウ (@kantate0210) 2018年5月20日 - 19:42
しかし、害悪が、あまりにも顕著になってしまい、 教育活動の中で、部活動に依存する部分が大きくなりすぎる時、 教員志望の学生に、 「部活で、人格形成をしたい」 「自分も、部活で人間性を磨いたので、そういう指導をしたい」 という教員志望理由が増大し、
— 土佐タロウ (@kantate0210) 2018年5月20日 - 19:43
社会科の教員を目指す学生に 「三権分立」も説明できないという状況にもなったりする。 まさしく、本末転倒そのものだろう。 戦争のための準備としての集団スポーツではないとしても、 競争社会をさらに強大にしようとする力になっているのは真実であり、 その部分への危機感は大きい。
— 土佐タロウ (@kantate0210) 2018年5月20日 - 19:43
こういうことばもある。「チームスポーツの意味とは、 公明正大な社会のひな型と言える。 みんなが同じ目的を持ち、 みんなが同じルールで動く。 そして、 ルール違反を侵せば、その場で処罰される。それも、有無を言わせずに。」ルールの中で… twitter.com/i/web/status/9…
— 土佐タロウ (@kantate0210) 2018年5月20日 - 19:44
なぜなら、ルールや法律は、人間の為のものであってルールや法が先ではない。それに縛られる必要は必ずしもない。ルールは変える事ができる。それが前提にないと、人間としての幸福追求や、基本的人権の確立は遠のくだろう。 2011年に書いた日… twitter.com/i/web/status/9…
— 土佐タロウ (@kantate0210) 2018年5月20日 - 19:45