釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

過日のカラオケ

2010-09-30 12:50:42 | 文化
秋のせいなのか前線のせいなのか、ここのところほんとうに天候が不安定だ。晴れたかと思うと曇ったり、雨になったり。ついついバイクに乗ることができなくなってしまう。過日大阪から来ている息子がカラオケに行こうと言い出した。我が家は以前から家族でカラオケに行く習慣があった。上手いか下手かの違いはあっても基本的には皆歌が好きである。釜石には昨年までカラオケの店がもう一軒あったが潰れてしまった。昼食後に行くことになり、昼食を外で摂ろうと、ある料亭がやっている店に出かけた。現在の釜石には不似合いなりっぱな料亭が2軒もある。その一つは料亭に付随して日中もやっているレストランがある。職場の同僚の方からそのレストランのランチが良いと薦められていた。1500円と1000円のランチがあるが、生憎、出かけるのが遅かったせいで1000円のランチしか残っていなかった。食べてみるとお薦めどおり、味とボリュームを考えると安いランチだと思えた。家人だけは幕の内弁当を頼んだが、これも満足だったようだ。レストランの中にいると釜石にいるとは思えないくらい、釜石らしくない雰囲気ではあった。結局その後のカラオケも時間を延長して3人で3時間半歌ったが、息子はそれでも歌い足りない様子だった。いつもなら途中で必ず眠ってしまうのだがこの日は不思議と眠気が来なかった。息子の評では私と娘の歌い方がそっくりだと言う。キー通り丁寧に歌うのだと言う。家人と息子はキーを無視して自分の歌で歌うのだと言う。そう言われても音痴だと思いこんでいる自分ではよく分からない。美術や音楽は自分で実践する才能がないため、それらの享受や、逃げ場としてカメラに向かっているようなところがある。

近所の家の庭にあった1本のりんごの木 最初は桃かと思った。さすが東北だ。

様々の情報が発信されるネット

2010-09-29 12:28:42 | 社会
インターネットは個人も企業もそれぞれが多種の情報を発信することができる。中には個人や企業、組織を中傷する内容が含まれることもある。それでも今やインターネットではブログ、ツイッター、フェイスブック、ユーチューブ、ウィキリークスといった形式での情報発信は不可欠のものになってしまっている。ネットの世界はある意味では無法地帯であり、情報にもいかがわしいものが含まれて来る。それだけにネットにアクセスする個人が情報の一つ一つをどこまで信頼するのかまさに個人で責任を負わなければならない。2007年に存在が明らかになったウィキリークスWikileaksはスウェーデンを拠点として様々の機密情報を公開している。情報提供者の匿名性を堅持し、スウェーデンの法律により、「内部告発者」に認められた特別の保護を得ている。そしてウィキリークスが他のメディアと異なるところは資料を公開する前に徹底して情報の裏取りを行っていることだと言う。つまりウィキリークスは検証可能な情報を扱っているということになる。さらに資料公開はすべてベルギーの複数のサーバーを経由していると言う。これはベルギーの法律も情報源保護を非常に厳しく定めていることを利用したものだと言う。ただ今年7月の米軍の大量の資料公開のようになるとウィキリークスも国家を相手にすることになり、実際中国などではウィキリークスのURLを含むサイトの検閲を行っていると言う。国家の機密情報がネットに漏れる事態は場合によれば、ウィキリークス自体への締め付けがあらゆる意味で厳しくなる可能性があるだろう。

花園衝羽根空木(はなぞのつくばねうつぎ)アベリア 吸葛(すいかずら)科の花で夏から秋まで長く咲く

大嘗祭(おおにえのまつり)

2010-09-28 12:58:36 | 歴史
育った家が神道だったためなのか子どもの頃に、亡くなった母が「新嘗祭」と言う言葉を使っていたことが記憶に残っている。ただどういう場面でそれを言ったのかは覚えていない。天皇が五穀の収穫を感謝する祭であることを後に知った。現在の勤労感謝の日(11月23日)が戦前には「新嘗祭」と言う祝日だったのだ。「新嘗祭」は1年に1度の祭儀だが1代に1度の「大嘗祭」と言うのがある。こちらは新たに天皇に即位した時に「即位の礼」の後、初めて行う「新嘗祭」を指し、実質的な即位に当たる。「大嘗祭」と言う祝詞があり、そこでは、神ろき・神ろみ二神の命令で「皇御孫(すめみま)の命の大嘗(おほにへ)聞しめさむための故に」とあり、天孫ニニギが大嘗祭をやるために、他の者は協力しなさい、と言うことが述べられている。天照大神の命で高天原から葦原中国へ天降り、そこを平定したニニギは統治者として史上はじめて大嘗祭を行ったことが述べられている。ところが正史である日本書紀ではその後の天皇で明確に大嘗祭を行ったと記されている天皇は日本書紀で最後に記された持統天皇(686~697年即位)ただ一人である。古事記が完成したのが712年で、その時の天皇は女帝の元明天皇(707~715年即位)で、次の女帝元正天皇(715~724年即位)の時に日本書紀が完成している。持統天皇と元明天皇の間には文武天皇がいるが、何故か、日本書紀は明確に大嘗祭を行った後代唯一の天皇である持統天皇で終わっている。天皇の実質的な即位の祭儀である大嘗祭をニニギの後持統天皇まで、日本書紀に登場するどの天皇も行った形跡が記されていない。ニニギは稲作地帯であった筑紫(北部九州)に天降り、その子孫が筑紫に王朝を築き、白村江の戦いで惨敗し、勢力が衰え、唐と結託した天武・持統が近畿の大和で実権を握るに至った。まさに大嘗祭の記述はそのことを証明しているようだ。

色付いたナナカマドの実 春の終わりに小さな白い花が咲く

三女神

2010-09-27 12:53:13 | 歴史
今朝は曇っていて、天気予報を見ると釜石は雨の予想だったので傘を持って来たが、昼前から青空が見えて来た。九州北部には宗像(むなかた)市があり、宗像大社がある。宗像大社は沖ノ島の沖津宮、大島の中津宮、そして現在は陸地である田島の辺津宮の三宮からなり、それぞれ多紀理毘売、多岐都比売、市寸島比売を祀る。いずれも神話ではアマテラスとスサノオの誓約の時にスサノオの物実や剣から生まれたとされるが、宗像大社の由緒では「天照大神の三柱の御子神」とされている。宗像大社の三宮は朝鮮半島に向かって一直線に並んでおり、沖ノ島は現在でも女人禁制で、男性も年に一度限られた人数が、上陸前に海で禊をした上でなければ参拝できない。この島の遺跡からは多くの宝物も出ている。かってはこの三宮ともに海上の島にあったものと思われる。おそらく現在の伊勢神宮などよりはるかに古い創建だと思われる。この宗像大社の祀る三女神が遠野三山の女神の由来にも関係しているのではないかと言われている。宗像大社の三女神は縄文末か弥生の初めの女神たちではないかと思われるが、遠野の三女神もそこからさほど遠くない時代に生まれたのではないかと思われる。北部九州と東北の繋がりは想像以上に密であったように思う。遠野巨石文化である「続石」などを見ていると、後世の弁慶などではなく、明らかに縄文の祭祀場所として近隣の多くの人々が集まって来た場所と見られる。遠野にはもっと縄文の集落遺跡が見出される可能性があるだろう。

千日紅 乾燥させても千日以上(3年以上)色があせないという

お菓子工場

2010-09-26 12:41:13 | 社会
今日は朝からほんとうに久しぶりに青空が広がり、雲一つ見えない。うっとうしい梅雨のような状態が2週間近く続いた。庭では日が当たらないので苔が広がったり、場所によってはカビまで出ている。今日の日射しがそれらを一掃してくれると有り難いのだが。昨日は釜石にあるあるお菓子メーカーの工場を見に行った。10年ほど前に関東から進出してきたラスクというお菓子を作るメーカーだ。食品であるので工場の現場へは帽子やマスク、白衣、靴の被い、などを装着して、ローラーで着衣表面のゴミをとり、送風室を通ってから現場に入る。以前愛知県にいる時は大手の製缶工場の現場を毎週見て回ったが、工場も大きく、設備も巨大であっただけ、入室時のクリーニング設備も本格的だった。ラスクも説明を聞いて初めてそう言えば確かにフランスパンだよな、とあらためて知った。群馬にも住んでいたが、その群馬にラスクの生産では日本一のメーカーがあると言う。これも初めて知った。群馬では自動車のスバルと繊維のグンゼくらいしか記憶がない。バブルのころに東京から新幹線で近いからと言う理由でたくさんの人が東京から移り住んだらしいが、この時、企業も群馬に多く進出したのかも知れない。釜石は交通も不便なのでよく関東の企業が進出したな、と感心する。釜石のまた別の側面を見たような気がして来た。

花虎ノ尾 紫蘇科の花でマイナスイオンを出すという

見えない光

2010-09-24 12:49:35 | 社会
東北の秋は一気にやって来た。朝晩はもう半袖だと寒い。前線が停滞していた関係で天気が悪い日が続き、ほとんどバイクに乗れていない。これから晴れた休日があれば気持ちのいい時期ではあるのだが。21世紀に入って日本は経済だけでなく各分野で低迷が見られるようになったのではないかと思われる。ニュースを見ても東京、大阪の検察の頽廃ぶりを見て取ることが出来るし、医療はそれを支える保険料、医療現場のスタッフの不足、などによって、どんどん崩壊の方向に向かっている。高齢者医療も空中分解しそうに見える。政治も存在感のあるリーダーを欠き、経済も人を重視したかってのような財界人がいなくなり、器の小さい目先の利益だけに固執した経済人ばかりになってしまった。どこを立て直すにもまずは先立つ物が必要になるが、その点でも、現在の国の財政は危機的状況にある上、経済の低迷があるため、先の見通しもつかない。税収増が必要だが、増税は今、経済のデフレスパイラルを加速させるだけになってしまう。日本の国家としての出口がどうも見えて来ない。いつ光が見え始めるだろう。

ホトトギス

大自然で逞しく生きる天然岩魚

2010-09-22 12:51:34 | 自然
久しぶりに匠の方のところに米国留学中のロサンゼルスYKさんが来られた。今回は岩手では主に遠野の祭りで鹿踊(ししおどり)を見るのが目的だったそうだ。ご出身の仙台では鹿踊は見られないそうだ。同じ岩手県内でも鹿踊は内陸部が中心で、やはり、地域により少し衣装が異なる。ロサンゼルスYKさんの弟さんが釣った岩魚を若手の匠の方が丁寧に焼き、岩魚酒を造られた。甲子川の支流を遡ると天然の岩魚に出会える。東北の天然岩魚はお腹が黄色くなっている。若手の匠の方から初めてお聞きしたが岩魚は不思議な生態を持っているようだ。上流の川が干上がって来ると岩魚は2~3mくらいだと陸上を移動して流れのあるところへ行くことができるのだそうだ。また、場合によっては土に潜って3ヶ月くらい水が流れて来るのを待つことができるのだと言う。岩魚はどうもうな肉食魚で、蛇やカエルまでも食べるそうだ。30cmを超える天然岩魚の棲息する川はそれなりの広さの川だろうと想像していたが、実際に行ってみると岩に囲まれた階段状に少し水の溜まりのある場所にいて、むしろ思った以上に狭い場所に棲息している。しかし、名前の通り、確かに岩で囲まれたところに棲んでいる。北海道の道東にいる時は入れ食いと言った感じでやたらと釣れたのが岩魚の亜種であるオショロコマであった。幻の魚と呼ばれるイトウを釣る人もいた。しかし、考えてみるとこうした天然の岩魚属の魚たちがいるところは熊もいることにあらためて気付く。それだけ人の手が入らないところにいずれもが棲んでいるということなのだろう。

尺岩魚を使った岩魚酒 こんな時は下戸が悔やまれる

かぐや姫

2010-09-21 12:57:36 | 歴史
紫式部により「物語の出ではじめの祖なる」と称されたのは「今は昔、竹取の翁といふ者ありけり。」で始まる『竹取物語』である。光る竹の中に見出されたかぐや姫が翁と媼に育てられ、3ヶ月で絶世の美女となり、貴人や帝に求婚され、難題を突きつけることで実質的に彼らを退け、帝にだけは富士山の言われとなった不老不死の薬を残し、月へ帰って行くという、日本の誰もが子どもの頃に1度は読み聞かされた説話だ。最古の物語と言われながら、実は成立年代も作者も不詳である不思議な物語である。最古でありながら作者が分からないこと自体が何となく九州王朝との関連を思い浮かばせる。かぐや姫に求婚する5人の貴人はそれぞれ、日本書紀持統十年(六九五)冬十月の条に「冬十月の己巳の朔乙酉に、右大臣丹比眞人に輿・杖賜ふ。以て致事ることを哀しびたまふとなり。庚寅に、假に正廣参位 右大臣丹比眞人に資人百二十人賜ふ。正廣肆大納言阿倍朝臣御主人・大伴御行には、並びに八十人、直廣壹石上朝臣麻呂・直廣弐藤原朝臣不比等には、並びに五十人。」として報償を受けた5人に対応すると言う。石作皇子→丹比眞人、車持皇子→藤原不比等、阿倍のみむらじ→阿倍御主人、大伴御行→大伴宿彌御行、石上麻呂足→石上麻呂。695年に報償を受けた者たちがすべてかぐや姫に難題を押し付けられ、振られている。ここからかぐや姫は九州王朝の最後の王女ではないか、という疑問が生まれ出る。九州王朝の祭神は月読命でもある。

紫式部 実が白い白式部というのもある

皇祖神

2010-09-20 12:55:05 | 歴史
秋の長雨というが、確かにこの時期は降り出すと長く降っているし、今日のように降らなくとも雨雲が空を覆ってなんとなく気分がすっきりしなくなることは確かだ。天照大神を祀る神社や天照大神と記された石碑は非常に多い。明治政府が神の国として神道を持ち上げ、第二次大戦時には国を挙げて現人神を讃えた。天孫降臨神話も巧みに利用された。日本の古代神話について書かれたいくつかの書籍を読むとこれまで強調されて来た皇祖神、天皇家の祖先神が天照大神であるというのは、どうも天武、持統の夫婦によって変更されたのだと言う。それまでは皇祖神は高皇産霊神(たかみむすびのかみ)であったのだと言う。天地開闢の時に登場したのが造化の三神と呼ばれる天御中主神・神皇産霊神・高皇産霊神であり、日本書紀では天孫降臨の時に天照大神の孫であるニニギに葦原中国の平定を命じたのは天照大神ではなく高皇産霊神となっている。高皇産霊神の娘、栲幡千々姫(たくはたちじひめ)を娶ったのが天照大神の子である天忍穂耳(あめのおしほみみ)で、その二人の子がニニギである。従ってニニギは天照大神にとっても、高皇産霊神にとっても孫と言うことにはなる。神話では高皇産霊神は造化の三神と言われるように、天照大神より一種、格が上である。高皇産霊神が皇祖神であったのを天武、持統が中国の神仙思想に則って天照大神に変更し、持統天皇の時代に伊勢神宮が完成されたと言う。であれば、これはまさに古田武彦氏の言う九州王朝の存在と符合するように思われる。白村江の戦いで新羅・唐連合軍に敗れ、衰退した九州王朝は高皇産霊神を皇祖神としてしていたが、唐を味方につけて力を付けた天武は自らの統治者としての正統性を創出するために天照大神を皇祖神とする神話を創りだした。

雨滴 夜の間に雨が降ったのだろう

パソコンの買い替え

2010-09-19 12:51:18 | 文化
気温が下がって過ごしやすくはなったが、天候の変化が激しくなっている。「・・・・秋の空」ということか。しばらく変えていなかったノートパソコンを変えることにした。細かく見ればやはり不具合はあるがそれでもとりあえずは動いているのだが。ただ使うソフトが進化しているせいか、処理がだんだん遅くなって来た。時には処理が終わる間に何度もいらつかされたりすることもある。考えると3年はもう過ぎている。以前車は5年毎に買い替える等と言うことを聞いたことがあるが、車以上にパソコンなどの電子機器はサイクルが早い。サイクルと言っても実際はもちろん寿命が終わるわけではないが。ただパソコンの場合、パソコンを構成する主要な部品である、CPU、HD(ハードディスク)、メモリーが日々進化しているため3年も経つと処理が異常に遅く感じられるようになる。特に画像処理、写真やムービーなどを扱うソフトは顕著だ。CPUが実質上の計算処理をやり、HDに多くのデータが記録される。データを使った作業台がメモリーになる。HDに記録されたソフトがCPUの計算に従ってやはりHDに記録されているデータをメモリーに呼び出し、メモリー上で処理を行う。この作業工程の主要部品の性能が全体の処理速度を決めてしまう。さらに、画像処理では画像処理専用のグラフィックカードと呼ばれるCPUが別にあってその性能に大きく左右される。パソコンの入れ替えにはそっくりデータや設定内容をそのまま移行させねばならないので結構時間がかかる。


秋明菊(しゅうめいぎく) 原産地中国では秋牡丹と呼ばれる