岩手はもうすっかり秋になってしまった。街路樹のナナカマドも少し色付いて来た。ただ天気は不安定で雨になったかと思うと日が射したり、また、その逆になったりする。以前にも時々書いた『東日流外三郡誌』はかってかなり恣意的な偽書説が展開され、裁判でも偽書の証明は得られず、その後には江戸時代の原本まで発見されて、偽書説は事実上否定されている。秋田孝季らが全国を足で歩いて地方に残る伝承を丁寧に拾い上げてまとめた物であり、秋田孝季自信がその内容の全てが事実である等とは言っていない。むしろそのところは後世の判断にまかせると言っている。ただ忘れられて行く伝承を記録に留めておく必要を強く感じたことは事実だろう。その『東日流外三郡誌』によれば津軽の先住者である阿蘇辺族、津保化族、宇蘇利族に、支那漂流民を合わせて荒吐族が形成されたが、王居は当初の津軽から岩手の「閉伊なる白鳥邑」、現在の二戸市白鳥に移されている。さらに、「陸奥なる宮沢、来朝に移しめ、更にして坂東なる豊島に移して、奥州、羽州、越州、坂州(坂東)の民を荒吐族とて併せけり。」とされている。東北、北陸、関東に広がり、「荒吐族の王六代に継ぎ」日高見大彦が王となったと言う。この大彦が稲荷山古墳から発掘された鉄剣に刻印された「意冨比垝(おほびこ)」に当たると言う。5世紀の関東や東北の状態ということになるだろう。
もう秋色が始まった
もう秋色が始まった