釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

日高見大彦

2010-09-18 12:36:45 | 歴史
岩手はもうすっかり秋になってしまった。街路樹のナナカマドも少し色付いて来た。ただ天気は不安定で雨になったかと思うと日が射したり、また、その逆になったりする。以前にも時々書いた『東日流外三郡誌』はかってかなり恣意的な偽書説が展開され、裁判でも偽書の証明は得られず、その後には江戸時代の原本まで発見されて、偽書説は事実上否定されている。秋田孝季らが全国を足で歩いて地方に残る伝承を丁寧に拾い上げてまとめた物であり、秋田孝季自信がその内容の全てが事実である等とは言っていない。むしろそのところは後世の判断にまかせると言っている。ただ忘れられて行く伝承を記録に留めておく必要を強く感じたことは事実だろう。その『東日流外三郡誌』によれば津軽の先住者である阿蘇辺族、津保化族、宇蘇利族に、支那漂流民を合わせて荒吐族が形成されたが、王居は当初の津軽から岩手の「閉伊なる白鳥邑」、現在の二戸市白鳥に移されている。さらに、「陸奥なる宮沢、来朝に移しめ、更にして坂東なる豊島に移して、奥州、羽州、越州、坂州(坂東)の民を荒吐族とて併せけり。」とされている。東北、北陸、関東に広がり、「荒吐族の王六代に継ぎ」日高見大彦が王となったと言う。この大彦が稲荷山古墳から発掘された鉄剣に刻印された「意冨比垝(おほびこ)」に当たると言う。5世紀の関東や東北の状態ということになるだろう。

もう秋色が始まった

根浜海岸

2010-09-17 12:58:44 | 自然
大阪から来ている息子が岩手に来て以来、犬たちを連れて広い場所へ行って犬たちと遊びたいと言っていた。先日天気が良かったので息子が出かけようと言い出した。急遽準備をして、犬専用の車に4匹の犬と家人と息子3人で根浜海岸に向かった。三陸沿岸部はリアス式海岸の名の通り、岩がむき出した、入り組んだ海岸になっているが、それだけにたくさんの湾が形作られ、湾内は太平洋から押し寄せる波が静まって穏やかな砂浜の天然の海水浴場が出来上がっている。根浜海岸もそんな砂浜の海岸で、長く伸びた砂浜にはこの時期ほとんど人がおらず、ちょうど砂浜の奥まったところにちょっとした小山があり、そこに何本かの木立があって、日陰があるので、そこへシートを引いて、犬たちを自由に放してやった。4匹の犬たちは久しぶりに広々としたところで自由になり、嬉しさでまさに駆け回る。日射しはまだ強いが涼しい風も吹き、長い砂浜を歩いて行くと犬たちもそろって付いて来る。人間同様に犬も1匹1匹それぞれ個性があり、見ていてほんとうに楽しい。少し離れては振り返って来ていることを確認してからまた自分たちのペースで進み始める。もう少し暑ければ海に犬たちを入れてやるところだが。息子は早速砂浜の植物を集め始めた。浜茄子の実は食用になるそうで、たくさん集めて、少しだけ食べてみたが、確かに梨のような味がする。浜梨とも言われる理由も分かる気がした。

他には誰もいない根浜海岸で息子を前にのんびり犬たちの毛繕いをする家人

九州と東北

2010-09-16 12:51:40 | 歴史
あの極端に暑かった東北の夏が突然去って行き、秋があっという間にやってきた。日中日射しの中に出るとそれでも暑さをまだ感じるが、木陰に入ると涼しい風もあって気持ちがいい。庭の彼岸花も少し芽を出して来た。家人がいなかった3ヶ月の間に庭の雑草が伸びてしまったが、その中に結構ハーブの種類の野草があるのを息子が見つけた。若いのに息子は野草や花に興味を持ち、岩手では出かけた先から必ず植物を持ち帰って来る。持ち帰ると丁寧すぎる位の扱いでとりあえず大事に育てている。東北、蝦夷の人々は「まつろわぬ人々」として近畿の朝廷から蔑まれて来た。文字も書物も持たない野蛮人として扱われている。一方で北部九州にあった近畿王朝以前の筑紫王朝も古事記や日本書紀により抹殺された。筑紫王朝の古都「太宰府」と東北の王国の古都「多賀城」には共通点が多い。どちらも近畿の都以外ではあり得ない条坊制と曲水の宴の遺構が認められ、規模の大きい寺院跡があるばかりでなく、太宰府の廃寺である観世音寺と同様の配置を持った寺院が多賀城にも認められている。曲水の宴は天子のみに許されたものであり、記紀に述べられない大規模寺院と仏教信仰があった。701年に近畿に王朝が成立する以前は筑紫に王朝があり、その時代には東北にも筑紫と友好関係を維持した半独立国家で西暦97年に既にあった日高見国があり、その古都が多賀城であったと思われる。「大祓詞」では「大倭日高見国」と日本の別名として記されているほどだ。近畿の王朝は各地に残る古書を禁書としてすべて葬り去り、古事記・日本書紀の正史はその歴史的事実を隠蔽し、近畿の王朝が有史以来の唯一の王朝であるとするために記された。

岩手では誰も見向きもしない草むらにもよく見るとたくさんの意外な野草があったりする

ふと思うこと

2010-09-15 12:40:45 | 自然
昨日に続いて今日も秋晴れのいい天気になった。四国だとちょうど10月に当たるような天気だ。夏が突然秋に変わった。少しづつ時間をかけて気候が変わるという感じではない。朝夕がすっかり気温が下がり、ひんやりとするようになった。もう窓を開けて寝ることはできない。今年は特別な夏だったが、その夏も突然終わってしまった。東北の山は落葉樹ばかりだが、それだけでなく、種類も豊富なため、木の実も多く、野生動物の食料にも事欠かない。そのため野生動物も他地域に比べ種類も多い。同じ落葉樹が多い北海道と比べても、北海道は気温が低過ぎるためか、植生に限りがあり、東北に比べ野生動物も種類が限られて来る。長い時間をかけてその土地にあった植物や動物が生き残って来た。現在の東北の気候は縄文時代とは異なっていると思われるが、それでも山の豊かさは多分変わらないだろうと思う。日本に分布する縄文遺跡はかっては東北に集中していて東日本が多いと考えられて来たが、九州、特に、南九州にも縄文遺跡が多く見出されるようになった。縄文時代は現代考えられる以上に海上交通による地域交流が盛んであったようだ。奴隷もいたようだし、集落の秩序を維持するための統率者の存在も明らかである。発掘される遺跡と神話の照らし合わせが進むと何が出てくるのか楽しみである。

縄文末期にもこうした稲の実りが見られたのだろう

日本は内需依存国?

2010-09-14 12:55:05 | 経済
今日は久しぶりに青空が広がった。大阪から来ている息子はこれまで春先の釜石しか見たことがなかった。現在のように青葉溢れんばかりに茂る釜石は初めてだ。緑の繁茂に感動している。植物の生命力がいかに逞しいか実感したようだ。庭に自生するハーブや紫蘇の葉にも感激している。注意して見るとこの時期は周囲の山裾はくずの葉で埋め尽くされている。先日ネットで日本の経済統計を見ていると、日本を代表する経済紙の関連ページで「日本の輸出頼みは大誤解」と言う意味合いの文字が目についた。えっ、と思って、読んでみてあきれた。経済産業省までが「我が国( 日本)の輸出依存度は低い」というタイトルのグラフを発表したと言う。JETRO(日本貿易振興機構)も出している国別外需依存度を基にして言っているようなのだ。日本の輸出対GDP比率を外需依存度として見ており、それが大体15%前後で推移している。そのパーセンテージが他の先進諸国と比べても低く、決して日本は輸出に依存した国ではない、むしろ、外需依存国と言う嘘にマスコミは踊らされていると言う。あまりにも短絡なこの主張にあきれてしまった。日本の経済を牽引している自動車や電気関連会社の場合、確かに輸出する直接の製品だけを見ればGDPに占める比率は僅かなのかも知れないが、それらの企業は多くの部品メーカーを国内にかかえており、そこで生み出される部品や、従業員の消費などはすべて内需扱いとなる。ある試算では外需10兆円の伸びで内需はその3~4倍にもなると言う。GDPの15%でしかない輸出は国内でGDPの約半分近い内需を生み出している可能性があるのだ。トヨタがこけるとビッグニュースになるのはそのためだ。

鳶(とび)の休息 カラスが少しづつ近づいていた

旧約聖書

2010-09-13 12:53:08 | 歴史
ここしばらく曇天が続くようだ。もうさすがに30度まで上がることはなさそうだが、日によって気温が不安定のようだ。キリスト教の聖書には旧約聖書と新約聖書がある。旧約聖書には『創世記』でノアの方舟が記されている。神が地上で悪を行う人々に罰を与えるために洪水を起こす。しかし、正しい行いを続けて来たノアだけには神はそのことを伝えた。この創世記の洪水の話はメソポタミアの発掘されたくさび形文字でも書かれていた。インドやギリシャの神話にも神の天罰により洪水が起こされる話が伝わっている。イエス以前の時代が書かれた旧約聖書はイスラエル近隣に伝わる多くの神話が集められて徐々に聖書としてまとまったものになったのだろう。イスラエルに生まれたイエスもイスラエルの民を相手にする限りそうして出来上がった旧約聖書を無視することは当然出来なかった。旧約聖書の延長線上で神を説かねばならなかった。古事記や日本書紀に記された日本の神話同様に旧約聖書には多くの各地の神話が利用されているのだろう。

黄花コスモス メキシコが原産地

素戔男(すさのお)

2010-09-12 12:41:59 | 歴史
昨日は午後に新花巻駅へ息子とともに家人を迎えに行き、その足で花巻のホームセンターへ回った。ちょうど花巻の祭りが行われていたが、必要な買い物だけをして釜石に戻った。途中まるで滝のような雨に出会い、隣り車線の車が跳ね上げた水しぶきがフロントガラスを流れ落ちて、一瞬前が全く見えなくなった。さすがに急ブレーキをかけざるを得なかった。久しぶりに出会った土砂降りだった。家人を迎えに行く車の中で、息子と神話の話をした。古事記では天照(あまてらす)、月讀(つくよみ)、素戔男(すさのお)がそれぞれ、黄泉の国から帰って来て禊をした伊弉諾(いさなぎ)の左目、右目、鼻から生まれたとあるが、日本書紀では素戔男(すさのお)が伊弉諾(いさなぎ)と伊弉冉(いさなみ)の間に生まれ、その後に、天照(あまてらす)、月讀(つくよみ)が伊弉諾(いさなぎ)の左目、右目から生まれたとしている。日本書紀によれば、これはまさに、素戔男(すさのお)こそが正妻の子であり、天照(あまてらす)、月讀(つくよみ)が愛人の子ということになる。してみれば、素戔男(すさのお)は天照(あまてらす)以上に正統性を主張しうる立場だと言える。記紀では素戔男(すさのお)はあくまで性悪の弟として記されているが、実際には兄に当たるし、必要以上に悪者として描かれているのではないだろうか。

露草(つゆくさ) 花びらは3枚あるが1枚は白、残り2枚が青だ 午後には萎んでしまう

祭り

2010-09-11 12:25:16 | 文化
岩手では9月から10月にかけて県内各地で祭りが行われる。釜石の祭りは来月だ。内陸は鹿踊(ししおどり)で、沿岸部は虎舞(とらまい)だ。いずれも動物が主役。元来こうした素朴な動物が主役となる祭りは歴史的にはかなり遡ることが多いが、鹿踊などは剣舞になっているところを見ると、江戸時代の影響、南部藩の武士たちの影響が強く反映されているように思う。日本鹿はこの岩手が北限で古くから棲息していたと思われるが、虎は大陸と繋がっていた時代でもなければまず棲息していない。そのいない虎を舞うと言うのは、かって沿岸部で大陸との密貿易が行われ、そのために大陸の文化として伝承された可能性もあるというが、それが事実であれば、日本海沿岸にも虎舞が伝承されているはずなのだが。虎の衣装や舞いは異なるが中部や西日本でも虎舞がある。ただ岩手の虎舞は基本的に漁師の祭りだ。そして内陸の鹿踊は農民の祭りになっている。かっては農民の日常の中に鹿も溶け込んでいたはずだ。言ってみればアイヌと熊の関係が岩手では農民と鹿の関係として古くから維持されて来たのだろうと思う。祭りには人々の生活の歴史がしみ込んでおり、共同体の維持が不可欠だ。その共同体の崩壊とともに失われて行く祭りも多い。

色合いに変化が出ては来ているが未だに咲き続ける庭の柏葉紫陽花

『宋史』外國伝

2010-09-10 12:48:01 | 歴史
今日はまだ予想最高気温を見ると28度で夏日となっている。ただ朝晩は虫が鳴き、十分涼しくなっている。それだけでもありがたい。明日予定より早く家人が釜石へ戻って来ることになった。これでともかく食事は安定しそうだ。中国には各時代毎に支配者が編纂した歴史書、いわゆる正史がある。元の時代に編纂された正史である『宋史』の外國伝・日本國の条に不思議な記事が出ている。984年に日本國の僧である奝然(ちょうねん)が中国を訪れ、本國職員令・王年代紀各一卷を獻じたとある。そしてその王年代紀によれば古代の日本の歴代の王の名が出ており、初代が天御中主に始まり、17代伊奘諾尊(いざなぎのみこと)、18代素戔烏尊(すさのおのみこと)、19代天照大神尊と続き、23代彦瀲尊、24代磐余彦尊=神武となっていて、「彦瀲の第四子を神武天皇と号す。筑紫の宮より入りて大和州橿原宮に居す」とも記されている。古事記、日本書紀がすでに成立しているにもかかわらず、それらとは全く異なる王の年代紀となっている。しかも神武は筑紫の王である彦瀲の第四皇子で筑紫から大和へ入ったとされている。ただ古事記・日本書紀では神武は長兄五瀬命とともに筑紫を離れており、23代彦瀲尊の皇子であれば、少なくとも長兄は筑紫での王位を継承できるわけで、神武とともに危険を冒して何年もかけて東侵する意味がないように思われる。記紀の系譜にも疑問が多いが、この『宋史』に載る奝然の王年代紀も疑問がありそうだ。

ようやく咲き始めた庭の朝顔

2010-09-09 12:56:31 | 文化
今朝は空気がひんやりとして、半袖でいると少し肌寒ささえ感じた。ようやく本格的な秋に一気に突入した感がある。大阪から来る息子は結局夕方の便で花巻空港へ着くと言うので昨夕は迎えに行った。車中でたっぷりと息子の話を聞き、遠野のいつも行きつけの店で夕食を摂り帰宅した。息子と娘は福音派のクリスチャンになっている。自らクリスチャンになった分、ある意味で熱心なクリスチャンと言える。それだけに、教会の複数いる牧師への不満も強い。中には信仰のための信仰と言った、信仰の基本が曲解されたように思える牧師や信徒が結構多いのだと言う。神や仏の概念は所詮人間が考えだしたものであり、キリスト教の新約聖書はむろんヘブライ語以外の旧約聖書では神は唯一神となっているが、ヘブライ語旧約聖書では世界の創造主たる神は複数形になっていると言う。「唯一神と神の子イエス」の考えはずっと後代の考え方である。息子の話だと奇跡や証が夢やあたりまえの現実であったりして、本来の証とは思えない証が唱えられたりすると言う。人々のための神が神のための神になっているようだ。どんな宗教もそうだと思うが長く形式だけを保って来ると、その形式にこだわることがあたかも信仰であるかのように錯覚してしまう。そうした形式が何故行われるようになったのか、その意味が忘れられて行く。その中で神そのものも形骸化して行く。

我が家の庭に咲くバラの花