釜石の日々

日本の国力低下が始まる

岩手が生んだ明治の歌人石川啄木はその歌集「一握の砂」で
「はたらけど はたらけど猶わが生活(くらし)樂にならざり ぢつと手を見る」
と歌った。世界恐慌の始まった1929年に発表された小林多喜二の小説「蟹工船」が昨年若者達の間で読み広がり今年それが映画に再びなると言う。今はほんとうに21世紀なのだろうか。総務省が昨年7月3日発表した平成19年度の就業構造基本調査結果では全勤労世帯の19%が貧困世帯である。10年前から着実に増え続けている。男性の有業率が下がり続け、女性と男性の60~64才の有業率が上がっている。これは所謂非正規雇用が増えていることを表す。米国ではずっと以前からワーキング・プアと言う言葉が使われていたが日本でも少し前から使われるようになって来た。現代の啄木が想像以上に増えている。生活保護基準以下の勤労者が1000万人を越えているのだ。全勤労者の4分の1である。病気や事故で父親を亡くした母子家庭の年間所得は137万円にしかなっていない。当然進学など不可能だ。教育費は世界一高いのが日本なのだから。先進国と言うのは生活や文化が豊かで、かつ高度な技術を持つ国民が多くいる国のはずである。今日本は非熟練労働者が増え続け、働いているのに貧困だという人が増え続けている。大企業の内部留保が230兆円もあるのにだ(ちなみに日本の今年度予算は88兆円である)。こんなことまで米国に追従しているのである。まさに1930年代のイギリスで経済学者ケインズが見た「豊富の中の貧困」である。経済とは結局国民の富の分配をどうするかに尽きる。企業の思うままにまかせたのが世界恐慌であった。その反省で法律で企業行動を規制し国内需要を生み出すために雇用を創り出したはずであった。これが講義で教わったケインズ経済学の基本であった。構造改革はその規制を取っ払い、企業は雇用を削減し内部留保と配当や役員報酬を必要以上に増やし、まるで自ら進んで恐慌に至ろうとしているようにしか見えない。選挙の門をくぐらない政治指導者が続き、世襲や縁故の財界指導者の輩出で日本はリーダー欠如の見かけだけの大国になってしまっている。この1年は厳しい1年になるだろう。ぢっと手を見る人が増えるだろう。


遠野郷の白鳥たち
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