今日も朝から曇天が続いた。一時、わずかに日も射したが、小雨も降ったりした。やはり、山背の影響で気温はさほど上がらなかった。庭では車百合が咲いて来た。車百合を最初に見たのは、陸前高田市の普門寺の境内であった。自生している車百合であった。この百合の名前の由来は葉から来ている。茎の周りに輪状に葉が並んでいる。葉の並びだけでも変わった百合だ。自生した姿を見て、強く惹かれた。一般には車百合は冷涼な場所に咲く花で、どちらかと言うと高山植物に近い。それが、岩手では平地で自生していた。 生まれた四国、愛媛県では夏のセミと言えば、アブラゼミとニイニイゼミが多く、ツクツクボウシやクマゼミもいた。よほど山間部へ入って行かなければ平地でヒグラシの声を聞くことはなかった。関東近辺や愛知県でも平地ではヒグラシの声を聞いた記憶がない。箱根付近ではヒグラシがいた。ヒグラシは主に夕方鳴くことが多いので、それもあって、時間的に鳴く声を聞かなかったのかも知れないが。そのためか、ヒグラシは山間の清流の流れるような渓谷や避暑地のイメージと重なる。それが、釜石では平地にいて午後から夕方にかけてどこにいてもヒグラシの声を聞く。カジカガエルについても同じように驚きであった。日本には35種のセミがいると言われる。そのほとんどは透明の透き通った羽根をしているそうだ。ところが、四国の平地ではむしろアブラゼミやニイニイゼミのような透明でない羽根を持ったセミの方が多く見かけられた。セミはむしろ透明でない羽根を持っていると考えていた。一般にセミは夏の季語とされるが、ヒグラシとツクツクボウシだけは秋の季語になる。この8月7日には秋が立つ。朝晩の気温差が出るようになり、少しずつ日が短くなって行く。この時期からこの2つのセミが一層盛んに鳴くと言うことなのだろう。ヒグラシは万葉の時代から列島で鳴いていた。万葉集で詠まれたセミの歌は10首あるそうだが、そのほとんがヒグラシだと言う。万葉集の10巻、夏の相聞に「ひぐらしは 時と鳴けども 恋ふらくに たわやめ我は 定まらず泣く」と言う詠み人知らずの歌がある。ひぐらしは決った時に鳴くけれども、恋い慕うために、優しい女性である私は定めなく鳴いている、と言った歌だろう。やはり、この時代にもヒグラシの鳴くのは夕方近くからであったようだ。万葉集は7世紀後半からの歌が収録されていると考えられている。詠み人知らずが3分の1もあるようだ。撰者や成立事情も定かではない。万葉集を代表する歌人である柿本人麻呂についても日本の正史には一切官位を含めた経歴などが書かれていない。これほどの歌集と歌人について正史は何も語らない。この事実こそ見過ごすことは出来ない。古田武彦氏が言われるように万葉集の元歌集も人麻呂もまさに九州王朝に属するものだった。それ故に、正史は何も語らなかった。九州王朝の歌人たちが詠んだ歌が「詠み人知らず」となった。万葉の時代は九州北部の平地でも普通にヒグラシが鳴いていたのだ。太宰府には「紫宸殿」「内裏」「朱雀門」 などの字地名が残っていた。その当時の都である。そしてその都の周辺でもヒグラシが鳴いていた。
車百合
茎の周りに輪状に並んだ葉