釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

蜩(ひぐらし)

2013-07-31 19:18:40 | 自然
今日も朝から曇天が続いた。一時、わずかに日も射したが、小雨も降ったりした。やはり、山背の影響で気温はさほど上がらなかった。庭では車百合が咲いて来た。車百合を最初に見たのは、陸前高田市の普門寺の境内であった。自生している車百合であった。この百合の名前の由来は葉から来ている。茎の周りに輪状に葉が並んでいる。葉の並びだけでも変わった百合だ。自生した姿を見て、強く惹かれた。一般には車百合は冷涼な場所に咲く花で、どちらかと言うと高山植物に近い。それが、岩手では平地で自生していた。 生まれた四国、愛媛県では夏のセミと言えば、アブラゼミとニイニイゼミが多く、ツクツクボウシやクマゼミもいた。よほど山間部へ入って行かなければ平地でヒグラシの声を聞くことはなかった。関東近辺や愛知県でも平地ではヒグラシの声を聞いた記憶がない。箱根付近ではヒグラシがいた。ヒグラシは主に夕方鳴くことが多いので、それもあって、時間的に鳴く声を聞かなかったのかも知れないが。そのためか、ヒグラシは山間の清流の流れるような渓谷や避暑地のイメージと重なる。それが、釜石では平地にいて午後から夕方にかけてどこにいてもヒグラシの声を聞く。カジカガエルについても同じように驚きであった。日本には35種のセミがいると言われる。そのほとんどは透明の透き通った羽根をしているそうだ。ところが、四国の平地ではむしろアブラゼミやニイニイゼミのような透明でない羽根を持ったセミの方が多く見かけられた。セミはむしろ透明でない羽根を持っていると考えていた。一般にセミは夏の季語とされるが、ヒグラシとツクツクボウシだけは秋の季語になる。この8月7日には秋が立つ。朝晩の気温差が出るようになり、少しずつ日が短くなって行く。この時期からこの2つのセミが一層盛んに鳴くと言うことなのだろう。ヒグラシは万葉の時代から列島で鳴いていた。万葉集で詠まれたセミの歌は10首あるそうだが、そのほとんがヒグラシだと言う。万葉集の10巻、夏の相聞に「ひぐらしは 時と鳴けども 恋ふらくに たわやめ我は 定まらず泣く」と言う詠み人知らずの歌がある。ひぐらしは決った時に鳴くけれども、恋い慕うために、優しい女性である私は定めなく鳴いている、と言った歌だろう。やはり、この時代にもヒグラシの鳴くのは夕方近くからであったようだ。万葉集は7世紀後半からの歌が収録されていると考えられている。詠み人知らずが3分の1もあるようだ。撰者や成立事情も定かではない。万葉集を代表する歌人である柿本人麻呂についても日本の正史には一切官位を含めた経歴などが書かれていない。これほどの歌集と歌人について正史は何も語らない。この事実こそ見過ごすことは出来ない。古田武彦氏が言われるように万葉集の元歌集も人麻呂もまさに九州王朝に属するものだった。それ故に、正史は何も語らなかった。九州王朝の歌人たちが詠んだ歌が「詠み人知らず」となった。万葉の時代は九州北部の平地でも普通にヒグラシが鳴いていたのだ。太宰府には「紫宸殿」「内裏」「朱雀門」 などの字地名が残っていた。その当時の都である。そしてその都の周辺でもヒグラシが鳴いていた。
車百合

茎の周りに輪状に並んだ葉

公園や歩道の花たち

2013-07-30 19:17:01 | 文化
昨日は久しぶりに晴れてくれたが、また、夜のうちに雨が降った。今朝は山背の流れる曇天に戻っていた。しかし、午前中のうちに日射しが出始めて、予報と違って、昼にはよく晴れて来た。日射しは強くなっているが、日陰ではさわやかで涼しい風が吹いた。気温は25度くらいでも、湿度は高い。湿度の高い日が続き、屋外で身体を動かすと、気温は高くなくとも、すぐに汗ばんで来る。カビや苔などが目立つようになった。天気予報を見ると、1週間後くらいから気温が30度を超えて来るようだ。それまでは25度以下の気温が続き、曇天が続きそうだ。これだけ雨や曇天が続き、夏らしい気温にもならないでいると、確実に農作物に悪影響が出るだろう。いつもだと、7月の20日頃には梅雨明けになり、今頃は30度に近い気温になっているはずだ。今年は北海道のように短い夏になりそうだ。今朝庭に出ると月見草が咲いていた。一昨年まで咲いていた場所では、昨年、息子が他の雑草と一緒に抜いてしまったので、もう見られなくなっていた。今朝の発見はとても嬉しかった。子供の頃には野辺で当たり前のように見ていた草花が、次第に姿を消して行った。それらの花たちに釜石へ来て、再び出会った。春のレンゲソウなどもそうだ。今ではレンゲを見ることなどほとんどなくなった。先日、職場の人とも話したが、地方は都会志向が強い。一番はっきり分かるのは公園や歩道に咲く花たちだ。釜石駅の前などもそうだが、植えられる花はほとんど色彩の鮮やかな外来の草花ばかりだ。都会の公園のミニチュアである。その点では、伝統ある民俗芸能の伝承に力を入れている遠野も変わらない。昼休みに職場の近辺の花たちを見て歩く時、職場の玄関口を通る度に、そこに植えられている、やはり鮮やかな外来の草花にがっかりさせられる。何故、日本の風土に根付いて来た花たちを飾ってやらないのだろうか。かえって、個人の庭先の方がずっと多くの日本に昔から咲く花が植えられている。その方がこの東北の気候にもあっている。今だと桔梗や原種の百合、山紫陽花を含んだ紫陽花、山では糊空木もたくさん咲いている。遠野の野原で一面に月見草が咲くところがある。誰も見向きもしないで、その前を通り過ぎる。「復興 釜石新聞」に復興支援で、箱崎白浜地区にラベンダーを植えた記事が出ていた。ラベンダーで埋め尽くされた景観は確かにきれいだ。しかし、それと同じように、薄黄色の可憐な月見草の花が一杯に咲く、遠野の野原もとてもきれいだ。野辺の朝顔や昼顔でさえ朝露の中で咲いているのを見かけるととても美しい。花は同じ花でもたくさん咲くともう違った景色を見せてくれる。市が整備する公園や歩道は業者に委託しているのだろう。業者はただ全国どこの公園や歩道でも見られる花しか植えない。市も花には基本的に関心がないようだ。しかし、東北では花にふさわしい気候と豊富な種類の花が咲くことを知っていると、とても残念に思える。花も外から持ち込んだものではなく、この東北のすばらしい風土にあった古くからの花たちを植えてやれば、むしろ、人は目を向けるようになり、他府県からやって来た人には、とても珍しいものに見えるだろう。日本のどこへ行っても見られる公園や歩道の花ばかりを植えることは、その花も空間も無駄にしているように思える。真剣な町づくりがなされていないことが、この花を見るだけでも見えてくる。自力ではなく、やはり、他力なのだ。
今朝、庭で咲いていた月見草

幕末期と重なって見える現代

2013-07-29 19:15:52 | 社会
今日は朝から青空が出ていた。本当に久しぶりに晴れてくれた。日射しの中で歩くと少し汗が出て来るが、日陰にいれば涼しい風が吹いてくれた。強くなっている日射しの割にいい風が吹くので、山背が流れているのでは、と思って、周囲の山々を見てみたが、霧雲は見えなかった。昼休みに甲子川沿いを歩くと、さすがに汗が流れて来た。川に沿って植えられた紫陽花もまだ咲いてくれている。何種類かの紫陽花だ。浜茄子の花も近くで咲いていた。その後、いつもの八幡神社の前のモミジの大樹の下で休んだ。とても気持ちのいい風が吹いた。木の上からはウグイスの声が聞こえて来た。遠くに見える釜石観音の向こうの半島上には霧雲が流れていた。やはり山背が出ていたのだ。職場に戻ると、窓の外の薬師公園からもウグイスの声が聞こえて来た。午後には次第に雲が空を覆うようになった。裏山からはウグイスに代わって、ヒグラシの声が聞こえて来るようになった。 今の日本は大きなターニングポイントに来ている。従来の産業では成り立たなくなって来ており、終身雇用制度は大きく崩れ、派遣労働などの労働の切り売りが当たり前となり、国民の所得はますます低下して来ている。政治は短期間での交代が常態化しており、安定した政策がとられる状況ではなくなってしまった。時代を画するものとして、明治維新や敗戦があるが、現在はどこか江戸末期の幕府崩壊と似ているようにも見える。幕府や諸藩の財政が窮乏し、商人が富を蓄積する。農民の生活も破壊され一揆が頻発する。幕府の指導者たちは責任能力を失い、次々に交替する。一見、変わらず、同じ役職に就き続ける者も、ただ能力がなく、当たり障りがないだけの人物だったりする。他国からの要求に対する処理や対外的な状況の読みにも適切さに欠け、混乱を深めるだけに終わっている。現代の「商人」は内部留保をますます高めている大企業と見ることも出来る。こうした幕府崩壊期の状況を見ていて、少し、興味をそそられた人物がいた。小笠原長行(おがさわら ながみち)だ。江戸時代の譜代大名はしばしば転封が行なわれた。礼法で有名な小笠原流は後に庶流である赤沢氏が伝えるようになり、小笠原本家は6万石の譜代大名として静岡県掛川、福島県棚倉、佐賀県唐津などへ転封が繰り返された。唐津藩は長崎での貿易が認められていたため、豊かであったが、小笠原家の長子であった長行が2歳の時、父、長昌が亡くなった。藩主は長崎奉行を直接支援出来る者でなければならず、幼児の長行は長子であるにも関わらず、庶子として育てられ、別に養子が迎えられ、この養子が藩主となっていた。しかし、この養子も病弱で、4人もの養子が次々に変わった。長行は子供の頃から才覚が認められ、江戸の儒学者朝川善庵の下で研鑽した。そして、養子の養嗣子という形で藩政にも参加し、その才能が広く認められ、藩主でもない身分のまま幕府の若年寄から老中にまでなる。生麦事件の処理など幕末の混乱の中で翻弄されながらも海外情勢もしっかり把握し、自身は開国思想を抱いていた。水戸斉昭や最後の将軍、徳川慶喜にも認められていたが、結局、箱館戦争でも幕府軍として敗れてしまった。新政府下では従四位を授かり、1891年68歳で世を去った。この時「夢よ夢 夢てふ夢は夢の夢 浮世は夢の 夢ならぬ夢」を詠んでいる。
甲子川沿いに咲いていた八重の木槿(むくげ)の花

夏草

2013-07-28 19:16:59 | 文化
午前中は雷が鳴り、小雨も降っていたが、午後には一時久しぶりに青空が出て、日が射してくれた。長く曇天と雨の日が続いたので、ありがたい日射しだった。地面もずっと乾くことがなかったが、ようやく乾いた地面を見ることが出来た。昨夜は、近くで、夏休みに入っている子供たちが、雨の止んでいる合間を見つけて、花火を楽しんでいた。雨模様で、気温も高くない、夏らしくない夜であったが、子供たちはそんな時でも、夏の楽しみの機会を逃さない。花火の音とともに増水した甲子川の流れの音も響いて来た。今日も夕方近くになるとヒグラシの声が聞こえて来た。 庭のあちこちに雑草が伸びて来た。毎年、この夏の雑草を見る度に、芭蕉の、「夏草や兵どもが夢の跡 (なつくさや つわものどもが ゆめのあと)」の句が浮かんで来る。1689年の夏、芭蕉は弟子の曽良とともに平泉の高舘を訪れてこの句を詠んだ。高舘は奥州藤原氏を頼んで逃れて来た源義経が最期を迎えたとされる館だ。毛越寺には高舘から移された芭蕉直筆のこの句碑が今も残されている。芭蕉が訪れた、ちょうど500年前にこの高舘で義経は世を去った。源頼朝によって奥州藤原氏も滅亡させられた。京とも競うと言われた奥州藤原氏や義経の栄華と功名は儚くも夢と消えてしまった。誰にも顧みられることのなくなった地にはただ夏草だけが生い茂っていた。芭蕉も同じく源氏に敗れた平氏の末裔だと言われる。夏草の茂る義経最期の地に立って、同じ源氏に滅ぼされた人々への共感を抱いていたのかも知れない。また、芭蕉の心には『平家物語』の「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす おごれる人も久しからず ただ春の世の夢のごとし たけき者も遂には滅びぬ 偏に風の前の塵に同じ 」の一節が浮かんでいたのかも知れない。芭蕉が「奥の細道」へ旅立った時期は、徳川綱吉による「生類憐れみの令」などの、いわゆる「悪政」の時代であった。栄華や功名とは無縁である芭蕉は時代の流れにも関わらないところで生きていた。わずか17文字の中に人の世を凝集させることが生きることであった。
他の草木を覆うように伸びて来た葛の葉

再生可能な林業が放置されている日本

2013-07-27 19:12:57 | 社会
昨夜は激しい雷と雨に見舞われた。今朝も雷は鳴っていたが、雨は小振りだ。川が増水したため、JR釜石線はいつものように終日運転が止まった。ローカルな路線の整備は十分な経費がかけられない。しっかりとした鉄橋の支柱工事などがいつまで経っても行なわれないために、増水のたびに列車が止まる。利用者の数も決して多くはないが、それだけに、わずかな利用者にとっては唯一の交通手段である。平日でなくって良かったのかも知れない。 窓から見える近くの小高い山には杉が植林されている。そこに霧が立ち上っていた。杉を好むヒグラシがたくさんいて、夕方になると鳴き競う。家からその山の方へ向かうと、甲子川がすぐ近くにあり、川に架けられた橋を渡ったところには製材所がある。その製材所が山の材木を切り出すための林道があり、一時、そこを犬たちの散歩で使っていた。春に釜石の1本桜を見に出かけた時には、山間で伐採している現場にも出会った。釜石近辺ではまだ細々と林業に従事する人たちがいる。しかし、全国的には林業はもはや衰退してしまった。2009年、林野庁は政府の緊急雇用対策本部の決定に従い、「森林・林業再生プラン」を作成した。同庁が昨年出した「平成23年木材需給表(用材部門)」によれば、木材(用材)の国内での自給率は26.6%となっている。前年より0.6%上昇した。戦後、荒廃した国土の復興のために木材需要が急増したが、戦争中の乱伐などもあって、供給が間に合わず、木材価格急騰した。1960年、政府は国有林増産政策、いわゆる、拡大造林政策を打ち出した。主に広葉樹からなる天然林を伐採して、針葉樹中心の人工林に置き換えて行った。この時期は家庭などの燃料の面でも大きく変化していた。木炭や薪から電気、石油、ガスなどに変わって行ったために、集落周辺でも不用となった広葉樹が次々に伐採され、針葉樹に置き換えられた。里山の自然林が消えて行った。植林をしても、すぐに木材として供給出来るわけではなく、木材が生長するためには何十年かかかる。結局、この時期、需要に供給が追いつかず、1964年に国は木材の輸入自由化に踏み切った。これ以後、安い輸入木材が国内を席巻し、国内の林業は衰退して行くことになった。富士通総研の主任研究員である梶山恵司氏は日本の林業再生についていくつかレポートを出している。それらを読むと、日本の林業の衰退の原因は安価な輸入木材にあるのではないとされる。戦後需要のために乱伐されたことが先ず第一の原因であると言う。世界では先進国と言われる国々が木材の輸出を行い、林業が盛んなのだ。日本は森林面積2500万ヘクタールという世界でも有数の森林大国であり、木材では輸送コストが最も問題になるが、日本は需要地も近く、ドイツのように管理が適切に行なわれれば、産業として十分に成り立って行ける、とされる。拡大造林政策により植林された木がすでに50年経ち、木材として供給可能になって来ている。氏が問題点として上げているのは、さらに、森林組合の在り方と国や自治体の補助金だ。さらに法整備も先進国と比べて遅れており、伐採後の放置などは先進国では許されないが、日本では法的には規制されない。林業が衰退して来ているにも関わらず、林野庁組織は変わらず、真剣に再生させようという姿勢も見られない。現在、国と自治体を合わせて、年間1兆円の森林・林業関係予算が使われている。
雨で濡れた薮萱草と紫陽花

デジタル・コミュニケーション

2013-07-26 19:18:24 | 社会
今日も霧雨模様の日となった。出勤時に甲子川沿いを走ると、川面から靄が立ち上っていた。遠野では真冬の寒い朝に川面から靄が立ち上るようだが、釜石では珍しい。周辺の山々は山頂部に霧雲がかかる。日中はウグイスが鳴き、夕暮れ時には雨と雷の中でヒグラシがあちこちで鳴いていた。出勤してしばらくすると、また、岩手県沖のM4.0の地震があった。釜石は震度2だ。この程度の地震だと誰も騒がない。震度3や4にもほとんど慣れてしまった。一時は市の放送も地震の度に注意を呼びかけていたが、最近ではそうした放送もなくなって来た。よほどの地震でなければもう放送しないのだろう。 子供たちに勧められて半年ほど前にあまり使っていない携帯電話をスマートフォンに切り替えた。スマートフォンは携帯電話に小型のコンピュータが合体したようなものだ。従って、単なる電話機能だけではなく、コンピュータとしての機能を活用出来る。そのコンピュータとしての機能も大半がインターネットとの接続端末としての利用が多いようだ。従来の携帯電話も携帯電話会社の3G回線を通じてインターネット接続が可能だが、スマートフォンではさらにWi-Fi回線と言われる無線LANを利用出来る。より容易に、しかも安価にインターネットが利用可能となる。アプリケーション、略してアプリと呼ばれる便利なソフトをインターネット経由で取り込んで利用することも出来る。まさに携帯パソコンだ。本体が小さいので端末操作は本来のパソコンに比べればしずらくはなる。今、この確かに便利なスマートフォンが子供たちの世界に大きな変化を生み出している。内閣府の調査で2010年には高校生の3.9%しか普及していなかったスマートフォンを、今年4月には公立高校だけで75.8%が所持している。子供たちの世界では従来からの携帯電話は進化しない携帯電話という意味で、ガラパゴス携帯、ガラケーと呼ばれるそうだ。スマートフォンはスマホと呼ばれる。子供たちはこのスマホを使ってネット上の対戦者とのゲームに夢中になったり、SNS、ソーシャル・ネットワーキング・サービスと呼ばれるコミュニティ型のインターネットサービスを利用したネット上の相手とのやり取りに熱中している。学校での友人たちとの会話もこうした話題が中心となるため、自分もやっていないと会話に入れない。その結果、スマートフォンを使ったインターネット依存の子供たちが急増していると言う。この依存度はアルコールや薬物への依存と変わらない子供たちがやはり急増していて、精神科の治療を受けざるを得なくなっている。スマートフォンはカメラ機能も付いており、このカメラで撮影した写真はすぐネットに載せることが出来る。ノートをとらず、授業中の教師の板書内容までこのカメラで記録する子供もいる。こうした子供たちを指して「スマホチルドレン」と言う言葉まで出来ている。旧来の携帯電話時代でもメールのやり取りが子供たちの「付き合い」の中心であったが、スマートフォン時代にはインターネットの利用は変わらないが、より反応の早いやり取りと、音声の利用や、動画を使った対面会話なども可能となった。現実の空間を共有したコミュニケーションではなく、あくまで仮想の空間を通したコミュニケーションに浸るようになっている。こうしたコミュニケーションは自己の感情の適度な抑制を必要としなくなり、自己抑制を学ぶ機会を失わせる可能性があるように思う。気に入らなければ、接続を切ればいいだけだ。まさに、オンかオフの二通りでしか構成されないデジタルなコミュニケーションであり、現実の曖昧さを含んだアナログのコミュニケーションとは大きく異なる。子供たちは居心地のいい仮想空間に自らを閉じ込め、ネット上のゲームや「コミュニケーション」に一日の時間を費やす。ネット上には同じような「仲間」がたくさんいるため、自分の異常には気付かない。こうして育った子供たちが社会のアナログ世界に入った時、どう対応して行くだろう。
育って来た庭の雑草もきれいな花を咲かせてくれる

韓国歴史ドラマの「倭国」

2013-07-25 19:12:11 | 歴史
朝から霧雨のような雨が降り続いている。出勤時には、そのためか、いつも以上に周辺の山の霧雲が低く、遠くの平地まで霧模様であった。こんな天気でも薬師公園からは元気のいいウグイスの声が聞こえて来た。職場の窓際のすぐ近くだった。しかし、この薬師公園には昨日に続いて今日も夕方近くに熊が出没し、市職員が爆竹を何度も鳴らせていた。昼休はまた八幡神社まで行った。途中の主のいない家の周りでは薮萱草(やぶかんぞう)と紫陽花が並んで咲いていた。ここのところは雨も小降りのせいか、甲子川の水もかなり引いて来ている。冬の渡りの水鳥たちがいなくなったので、ウミネコたちが我がもの顔で甲子川の水面を占領している光景をよく見るようになった。時々、甲子川に沿って上空を飛ぶミサゴの姿も見る。その鋭い目で、上空から川の小魚を狙っているのだろう。夕方、限られた期間に雌を獲得するための雄のヒグラシたちの鳴き競う声が一段と高くなって来た。 休日は中国や韓国の歴史ドラマを見ることがある。特に最近は韓国のものを見る。朝鮮半島は1392年に李氏朝鮮が成立するまで分裂の歴史が長い。百済や新羅、高句麗などだけでなく、さらに小国が分立した時代もある。こうした時代を描いた歴史ドラマは、見ていて2つの興味の惹かれる点がある。一つはロケに使われる風景で、もう一つは日本との関連だ。ロケで使われる風景は、以前にも書いたが、とても日本に似ている。植生が似ているせいがあるのかも知れない。松や竹の群生する様など日本とそっくりに見える。渓谷の流れなども日本の渓谷とよく似ている。明らかに中国とは異なる。茅葺き屋根の民家を見ても日本の同じような古民家と大きな変わりは見られない。風土的に、従って、違和感を感じない。歴史の面では、663年とされる白村江の戦いの直前を描いた百済や高句麗のドラマがとても興味深い。いずれのドラマにも登場する日本は「倭国」であり、「倭王」である。日本では「倭」を「わ」と読ませている。「委」は背の低いことを表し、「倭」は背の低い人と言う意味であり、大陸側の日本人への蔑称である。日本側でこの「倭」を「和」に替えたり、「やまと」と読ませたりしている。しかし、ドラマで描かれている「倭国」はどう見てもやはり北部九州を指しているとしか思えない。高句麗はこの倭国を侵略しており、対馬や壱岐では、この侵略により多数の人が虐殺されている。同様に倭国も半島に侵略を行なっている。この頃の高句麗を描いたドラマでは高句麗でも「天王」と呼ばれた人がおり、「天王」の後に括弧が付いて「天皇」の字が入れられていた。618年に隋を倒して唐となった中国と、新羅が連合して、660年に百済を滅亡させた。百済からの亡命者と倭国が白村江で唐・新羅連合軍と戦って敗れたのだ。945年完成の『旧唐書』(くとうじょ)は「倭国伝」と「日本伝」を明らかに別記している。倭国と日本国は別国である。北部九州に中心があった九州王朝が倭国であり、古田武彦氏が明らかにしたように701年を境に、その後が大和を中心とする日本国となる。しかも、この「日本」と言う名前も大和の政権は盗用した。本来この名称は東北の「日本(ひのもと)」国の名称であった。青森県東北町に現存する「日本中央」石碑は近畿を中心に考えて、日本の中央とは言えないため、また、坂上田村麻呂がこの地まで至っていないことなどを挙げて、古くから伝えられる「つぼのいしぶみ」とは認められていない。しかし、この「日本中央」は「にほんちゅうおう」ではなく、「ひのもとちゅうおう」であり、日之本国は樺太から安倍川ー糸魚川を結ぶラインまでが領域内であった。その中心位置を表す石碑であり、まさに青森県東北町は「都母(つも)」の地であり、この石碑こそ「つぼのいしぶみ」である。歴史は勝者の歴史であり、古事記も日本書紀も近畿の王権が自己の王権の正当性を記録しようとして作られた史書である。近畿天皇家中心の一元史観とは無縁の韓国歴史ドラマに登場する倭国の有り様は決して半島から遠い近畿などではないことが容易に理解出来る。
八幡神社近くの道端で、霧雨の中咲いていた朝顔

一杯の紫蘇ジュースから

2013-07-24 19:16:59 | 自然
今日も変わらず曇天が続く。予報を見ると今月一杯は雨や曇天が続くようだ。8月からようやく日が射して来る。今朝は庭に出るといつもよりやや生暖かく感じた。気温も24度まで上がった。しかし、暑くはない。この時期の気温としては低く、日射しも少ないので植物の生育は確実に悪くなっている。例年であれば、周辺の山裾で葛の蔓が伸びて木々を覆い隠すほどになっているが、今年はその蔓が途中までしか伸びていない。それでも降った雨で庭には雑草がたくさん出て来た。その中に青紫蘇や赤紫蘇も混じる。普通に雑草として毎年育って来る。昨日、職場で管理職に就く方の部屋で仕事の話をしたが、その時、職員が作ったという紫蘇ジュースを出していただいた。仕事の話を終えてからも、一緒に出してくれた梅のジャムの付いたパンを堪能させていただいた。この梅のジャムもやはり別の職員の手作りになる。部屋には他にも匠の方なども集まって来られ、一時、そうした手作り食品の話で盛り上がった。岩手は周囲に豊富な食材で満ちている。簡単に自然の食材を手に入れることが出来る。こうした偶然の集まりでもなければ、その自然の食材を使って食品を作っている人が職場にもたくさんいることを知ることはなかっただろう。作り方にもそれぞれのこだわりがある。昔は釜石でも家で老人たちが葛の根から葛湯を作っていたという話も聞いた。今ではそんな人もほとんどいなくなった。しかし、葛は周辺にそのままたくさん見られる。こうした話を楽しく聞いて、帰宅していると、周辺の山々の谷間から立ち上る霧がとても幽玄に見えた。そして、この山々には植物だけではなく、たくさんの動物たちもいることを思った。どんな動物がいるか、あらためて考えてみた。猿、狐、狸、兎、イタチ、テン、アナグマ、鹿、カモシカ、月の輪熊、リスなど。子供の頃に読んだ童話に出て来る動物たちはみんなこの周辺の山々に棲息している。雉や山鳥などの野鳥もほんとうにたくさんいる。絶滅危惧種になろうとしている鰻さえ甲子川ではまだ見られる。岩手県は北海道に次ぐ総面積を有しているが、その4分の3を山野が占めており、動植物のための山野がそのまま提供されている。さらに、気候が北海道と関東の中間にあって、温暖な気温の時期が長く、その気温が植物の生育にとても適っている。豊富な落葉樹も大地に栄養を与えている。まさに岩手は現代のワンダーランドである。海も川も山も身近にあって、それぞれが豊かだ。人が人であることを取り戻す、絶好の環境が備わっている。同じ岩手でも内陸では極寒の冬になるところや雪の多いところもある。しかし、釜石は一般の東北のイメージとは異なり、海に暖流が流れて来る関係で冬は雪も積もることがない。隣の遠野とは別世界だ。釜石は間違いなく日本の中でもあらゆる意味で自然の最も豊かなところだと思う。そして、人が住むのにも四季を確実に味わいながら、寒過ぎず、暑過ぎない、とても人に優しい気候だと言える。何故、釜石はこのことを住民や他府県の人たちに認識してもらわないのだろうか。釜石のよりどころはそこにあるのだから。
昨夕の帰宅時に見た風景 甲子川には釣り人がいた

「世代間格差」

2013-07-23 19:16:53 | 社会
曇天が今日も続く。オホーツク低気圧に基づく山背が気温の上昇を抑えている。暑さからは逃れられるが、気温が21度くらいまでしか上がらないために、長袖でいなければならない。こうした天候が続く中で、日中のウグイスと夕方のヒグラシの声が日常的になっている。JR釜石線の線路脇では野萱草や薮萱草がたくさん咲くようになった。連日の雨で増水した甲子川の水が少し引いて来ると、また、釣り人の姿を見るようにもなった。釜石の被災した旧商店街を中心にこの地域が経済特区に指定され、来年の開業に向けて「イオンタウン釜石」の建設工事が始まっている。3階建で、延べ床面積は約4万7千平方m、1階が駐車場、2、3階が売り場となる。屋上は避難場所として使われる。 先日の選挙は3番目に低い投票率であった。投票所へ行っても若い世代の人たちの姿は見かけなかった。都会は若年層が厚いが、地方になればなるほど薄く、高齢者の比重が高くなる。一票の格差は都会と地方の差であると同時に、世代の差をも含む形になっている。都会に住む若年層は投票行動も少なくなり、一層、若年層の意見は政治に反映されにくくなっている。このことは別に今に始まったわけではなく、高度経済成長の時期にはすでにこの傾向が見られていた。むしろ、現在は少子高齢化を迎えて「世代間格差」が論じられるようになった。その中で、世代間格差を数量的に表現した米国生まれの「世代会計」と言う概念が用いられることがある。国・地方・社会保障で構成される国の収入と支出に対する個人の負担と受益から、世代別の受益額・負担額を定量的に導き出したものだ。これには前提として政府財政は破綻しないことが条件となっている。この概念で導き出された結果は、確かに若年世代の負担率は中・高年齢層のものよりはるかに高くなる。しかし、この概念は現在から将来に渡るものが対象であり、過去の負担や受益は排除されている。そのため、中・高年齢層では負担よりも受益が一層強調されることになる。そのため世代間格差は顕著となる。また何より問題なのは人口構成の全く異なる米国の概念をそのまま日本に当てはめていることだ。一般に統計処理はその適用する対象が異なれば結果も異なって来る。そのことを無視して、単純に概念を導入しても、その導き出された結果が果たして実情を正確に反映しているとは言えないだろう。米国も確かに高齢化社会へ向かっている。日本と同じだ。しかし、米国は日本のような急速な少子化はなく、全人口の急速な減少も予測されていない。これまで戦後の社会システムは高度経済成長期のまま基本的に維持されて来た。従って、現在の少子高齢化の時代に合わせた社会システムの変革が行われなければならないことは確かだ。その変革のために今、世代間格差を強調し、その是正を訴えることにどれだけ意味があるだろうか。世代間格差の是正を訴える人たちはまだ残っている年功序列型の賃金体系を改めるために、雇用の流動性を主張する。雇用規制の緩和を訴える。しかし、すでに現在でも若年層の非正規被雇用者はバブル崩壊後急増している。この上、さらに若年層を巻き込んだ雇用の流動化が進めば、かえって、若年層の実質負担率の増加を招く結果になるだろう。「世代間格差」論者の意図は逆になってしまう。日本の最重要課題の一つはむしろいかに少子化の進行を抑えるかだ。その対策はほとんどとられていないし、この問題に真剣に取り組む政治家の姿勢も見られないことの方が深刻だ。
通勤路の公園で見かけた野萱草の園芸用改良種と思われる萱草
花が百合に似ているが葉は細長く百合の葉とは異なる

いつ起きてもおかしくない富士山噴火

2013-07-22 19:11:29 | 自然
朝、家の外へ出ると周辺の山々には霧が立ち、空は雲で覆われていた。近くからウグイスの鳴く声が聞こえて来た。出勤時に見ると、海岸から内陸方向まですべて周辺の山の山頂や尾根が霧雲で隠れていた。今日も山背が釜石を覆っている。そのせいで気温は21度までしか上がらない。長袖や上着まで着ている人を多く見かけた。午後には小雨も降って来た。日照時間が少なく、気温も低いため農産物への影響は免れないだろう。昼休みに薬師公園へ行った。公園内の磯崎稲荷の鳥居前には紫陽花がたくさん咲いていた。額紫陽花も混じっている。公園の階段を登って行く人は何人かいたが、階段から逸れてこの紫陽花を見に来る人はいない。通りがかりに不動明王の辺りを見ると、そこに藤棚があった。これまでまったく気付かなかった。藤の花はもう終わっているので、種の入った長い鞘だけがいくつも垂れ下がっていた。 昨日、日本時間で午後2時9分頃ニュージーランド沖でM6.5の地震が起きた。同国首都ウェリントンの一部で停電となり、議会庁舎の壁にひびが入った。日本時間の今日午前8時45分には中国甘粛省定西市でM6.6の内陸地震が起き、同市の太和村でほぼ全ての家屋が倒壊し、3名の死者が出たが、死傷者の数は増える見込みだと言う。いずれも日本近辺のプレートの動きの影響があり得る。5日前の17日22時34分には山梨県東部・富士五湖を震源とするM3.9、最大震度3の地震が起きている。それ以後も茨城県沖を震源とするM5以上の地震が2度起きている。20日、産業技術総合研究所は15年の歳月をかけて調べた富士山の地質調査結果を発表した。それによれば、富士山は過去約2000年間に溶岩が流れ出す規模の噴火を少なくとも43回は起こしていると言う。環境・防災研究所所長で内閣府の「広域的な火山防災対策に係る検討会」の座長も務める藤井敏嗣東京大学名誉教授は本年2月の日本地球惑星科学連合の会報で、「富士山の大規模噴火はあるか」と題する論文を寄稿しており、そこでは富士山は過去3200年の間に約100回の噴火を起こしていると述べられている。単純計算すると前者だと46.5年に一度、後者では32年に一度、富士山が噴火したことになる。いずれにしても、現在の富士山は1707年の宝永大噴火以来、300年もの間噴火をしていない。これは、地下のマグマがそれだけ大量に溜まっているということを表しており、噴火が起きれば巨大な噴火になる可能性が強い。5月7日、富士山と山容が似ているフィリピンの2,463mのマヨン山(Mt. Mayon)が噴火している。過去の800~802年の延暦噴火、864年の貞観噴火、1707年の宝永大噴火などの巨大噴火は必ず前後に巨大地震を伴って来た。また、以前にも記したが、藤井名誉教授は、20世紀半ば以降のM9を超える5つの地震すべてで、火山の噴火が例外なく誘発されている、と述べている。また、火山学の京都大学鎌田浩毅教授は、2011年の東北地方太平洋沖地震で日本列島に東西に引っ張る力が加わるようになっており、マグマが出やすくなり、日本の活火山のうち危険度の高い20前後の火山は、どれが噴火してもおかしくない状態であり、最も危険なのが富士山で、「スタンバイ状態」にあるとされる。藤井名誉教授は先の論文で、これまで学会などで考えられていた噴火前の段階的な予兆は富士山ではそうしたステップを踏まない可能性があることを指摘している。マグマの動きに関連すると言われる低周波地震も予兆の一つとされるが、これはすでに富士山では増加している。山梨県は現在、防災対策に真剣に取り組んでいるが、政府は、いつもの如く、「混乱を招く」として、注意を呼びかけることをしていない。世界遺産登録された富士山の入山料を検討するような悠長なことをやっている。富士山の噴火が起きればインフラの被害は甚大になる。生活の防衛は自ら行なう必要がある。目や鼻の保護、ペーパー類の確保、食料と水、季節によっては暖をとるものなどは十分準備しておかなければならない。首都圏の交通機関は確実に麻痺する。停電があり、ATMや携帯電話は使えなくなる。
甲子川に架かる大渡橋と山背

磯崎稲荷の紫陽花