釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

春は来たが

2016-03-31 19:12:09 | 自然
昨夜は雨が降ったが、今朝はもう止んでいて、気温は6度になっていた。最高気温も14度まで上がった。やはりこの冬は暖冬と言っていい経過だった。釜石だと雪に悩まされることがなかった。念のために5月の連休明けまでは冬タイヤにしておくが、そんな配慮もいらないほどだ。気温が上がってくると、花たちだけでなく、小鳥たちも日中は活発に飛び回っているように見えて来る。庭に咲いて来た花たちも今年は少し早く咲いて来ている。家の近所では早咲きの桜がもう咲いてもいる。これから夏に向けて、東北は花の季節になり、とても楽しみだ。何度か通った産直の前では鉢植えの花たちが置かれていないか、気になって、見てはいるが、まだごくわずかしか置かれておらず、いま少し経たないとだめなのだろう。釜石の市街地ではあちこち建物が新しく建てられており、道路では工事関係のトラックがひっきりなしに行き交っている。その市街地を取り囲む周辺の山々はまだ若葉のない木々で覆われている。お隣の遠野でもこの時期になると、よほど山際の日陰でもなければ、もう雪は残っていない。その遠野で釜石より遅れて、ようやく梅の花が少し見られるようになって来た。こうして目に入るものだけを見ていると、何とのどかで、世の中には何事もないかのように思えてくる。しかし、実際には釜石においてすら、目に見えないところで、未だに被災者の人たちの苦痛は続いており、毎日の生活にあえぐ人たちもいる。びくともしない大樹のように見えるこの国もまた疲弊した心で毎日を送る人々がいるのだ。目に入るものと現実に起きていることのギャップを埋めるのは自らの行為でしか埋められない。疲れた心を持つ人にはせめて道端に咲く、小さな一輪の野草に目を留めて欲しいと願う。
庭で芳香を漂わせている沈丁花

若い主婦の叫び

2016-03-29 19:17:25 | 社会
先月15日、東京都に住み、事務職の会社員で育児休暇明けで、1歳の子供を抱えて、仕事に復帰しようとした30代前半の主婦が、保育園に入れなかった怒りを自身のブログに書き込んで国会でも取り上げられるまでになった。ブログの表題は『保育園落ちた日本死ね!!!』となっており、 「なんなんだよ日本。一億総活躍社会じゃねーのかよ。昨日見事に保育園落ちたわ。どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか」「子供を産んで子育てして社会に出て働いて税金納めてやるって言ってるのに日本は何が不満なんだ? 何が少子化だよクソ。子供産んだはいいけど希望通りに保育園に預けるのほぼ無理だからって言ってて子供産むやつなんかいねーよ」 「不倫してもいいし賄賂受け取るのもどうでもいいから保育園増せよ。オリンピックで何百億円無駄に使ってんだよ。エンブレムとかどうでもいいから保育園作れよ。有名なデザイナーに払う金あるなら保育園作れよ。どうすんだよ会社やめなくちゃならねーだろ。ふざけんな日本」 「保育園増やせないなら児童手当20万にしろよ。保育園も増やせないし児童手当も数千円しか払えないけど少子化なんとかしたいんだよねーってそんなムシのいい話あるかよボケ。国が子供産ませないでどうすんだよ。金があれば子供産むってやつがゴマンといるんだから・・・国会議員を半分くらいクビにすりゃ財源作れるだろ。まじいい加減にしろ日本」と書き込まれていた。怒りに任せた言葉が並ぶが、多くの女性たちの共感を呼んだ。少子高齢化が叫ばれて久しいが、特に少子化への対策はないがしろになっており、昨年の厚生労働省の調査では保育所への入所のために待機する児童は23000人とされたが、共同通信の調査では東京23区と政令都市だけでも3万人もの待機者がいる。現政府は特に自分たちに不都合な数値は過少化させる傾向があるため、かえって現場では矛盾が拡大している。毎年、保育士の資格を持った新卒者が出ているにもかかわらず、全国で保育士不足が起きている。これを解消しない限りは、先のブログでも訴えているように若い世代が子供を産んで、社会で「活躍」など出来るはずもないだろう。どの保育士も子供が好きで、保育士になる。しかし、実際に保育所に入ってみると、そこでの仕事は朝早くから、夜遅くまで、過酷で、しかも低い給料のため、子供が好きだと言う気持ちだけでは続かず、なかなか保育士が現場に定着しない結果となっている。大都市に限らず、地方でも今や夫婦ともに働いて何とか生活を維持出来ると言うのが実態だ。しかし、そこで足かせになるのが保育所の数と入所にかかる費用の高額なことだ。せっかく働いても保育代のために働くのでは本末転倒になる。こうしたところまで国や自治体が手を差し伸べて初めて少子化に緩やかなブレーキがかかるだろう。
残雪の早池峰山(はやちねさん、標高1917m)

高齢者の悲劇は続く

2016-03-28 19:10:11 | 社会
今月25日、甲府地方裁判所は、昨年7月に認知症を患っていた88歳の妻の同意を得て、心中しようとして、妻を死亡させた93歳の男性に有罪判決を下した。懲役2年6月、執行猶予3年である。昨年11月22日には東京の江東区の都営アパートで81歳の男性と71歳の女性の兄妹の遺体が発見され、翌23日には埼玉県深谷市を流れる利根川に軽自動車が落ちて、74歳の夫と81歳の妻が亡くなり、運転していた47歳の三女が救助された。介護に疲れ、経済的な余裕もない生活苦で三女が無理心中を図った。同じ月の30日には東京の中野区でも88歳の母親と55歳の息子の遺体が見つかっている。日本は世界でも稀に見る長寿国となったが、その長寿国の実態はあまり褒められたものではない。昨年の世界各国の「幸福度」ランキングでは日本は46位で、先進国では最下位となっている。世界第3位の経済大国でありながら。内閣府の『平成27年版高齢社会白書』によると、2014年の65 歳以上の高齢者人口は過去最高の3,300万人となっている。総人口に占める65歳以上人口の割合(高齢化率)は26.0%となった。2060年には高齢化率は 39.9%に達し、2.5人に1人が65歳以上となり、 75 歳以上人口が総人口の26.9%となり4人に1人が75歳以上となる。65歳以上の高齢者のいる世帯は増え続けていて、同白書では2013年の世帯数は 2,242 万世帯で全世帯の44.7%を占めるに至っている。親と未婚の子のみの世帯、夫婦のみの世帯、単独世帯は増加傾向にあり、2013年では、夫婦のみの世帯が一番多く約3割を占めており、単独世帯とあわせると半数を超えている。2011年に内閣府が実施した60歳以上を対象とした調査では、家計にゆとりがない、家計が苦しいとした人が3割になっている。おそらくこの比率は現在はさらに増えているだろう。65歳以上人口に占める65歳以上の生活保護受給者の割合は2.76%であり、全人口に占める生活保護受給者の割合1.67%より高くなっており、この傾向はこの10年で年々強まっている。白書は世帯主が65歳以上の世帯の平均貯蓄額が2,377万円で、全世帯平均1,739万円の約 1.4 倍となっていることを挙げて、いかにも高齢者の世帯の経済問題はないかのように書かれている。これは単に高齢者世帯に経済的な格差が拡大していることを意味しているだけで、そのために高齢者をめぐる悲惨な出来事が後を絶たないのだ。明治学院大学の社会学の河合克義教授によれば、高齢者世帯の貧困を加速させたのは2000年に導入された介護保険制度だと言う。教授によれば、介護保険制度を利用している65歳以上の高齢者は1割半程度でしかなく、「残り8割以上の中に貧困と孤立問題に苦しむ人たちが数多く含まれている」のだと言う。そして、貧困と孤立に苦しむ高齢者にとっては介護保険ではなく、福祉サービスこそが必要であるにもかかわらず、社会保険制度ばかりが肥大化し、福祉が削られている、と言われる。75年にもわたって米国ハーバード大学卒業生の卒業後の調査をして来たハーバード大学のジョージ・ヴァイヨンGeorge Vaillant博士は、幸福には二つの柱があり、一つは愛Loveであり、もう一つはその愛をなくさないように対処する方法を見つけることだとされる。貧困の高齢者世帯、独居あるいは夫婦だけの高齢者世帯にはその「愛」は望めそうにはない。幸福度ランキンが46位であることは高齢者だけでなく、日本人の多くが「愛」を失っていると言うことでもあるのだろう。

庭で咲いて来た雪割草

飢餓に適応した人類

2016-03-25 19:12:30 | 社会
朝も氷点下ではなくなったなどと思っていたら、昨日は夕方から夜にかけて雪が降り、降り止んだ後には、満天の星と明るく冴えた月が出た。今朝は見事に氷点下であった。8度まで気温が上がった昼休みに八幡神社近くに行くと山裾で水仙が咲き始めていた。 人類は地球に登場してから何万年もの間、狩猟生活をし、農耕が行われるようになってからも、自然に左右される不安定な食料状態が長く続いた。現代の「飽食の時代」と言われるような食料に満ちた時代は人類史から見れば、ほんの一瞬でしかない。つまり人類の長い歴史のほとんどは常に飢餓と向き合って来たのだ。従って、人の体には飢餓に対処出来る機能が備わっている。農耕で得られた小麦や米さえもが人体にとっては何万年も口にしなかったものであり、それさえもまだ身体は適応する十分な進化の時間を得ていない。しかも、この人類史の一瞬でしかない現代と言うわずかな期間に飢餓とは無縁になった。飢餓になるどころか、身体に必要以上の食料が何万年もかけて飢餓環境に少しでも耐えられるように進化した身体の中に取り込まれるようになり、現代人にしか見られない病を次々につくり出して来た。無論、長寿が様々な病の問題を生み出しているのは事実だが、やはりその長寿までの食生活が人類の歴史の中でごくわずかな期間に急激に変化したことが、身体にはそれに適応出来るだけの準備期間があまりにもなさ過ぎるのだ。必要以上に取り込まれた糖分や脂肪はカロリーオーバーとなり、運動不足と相まって、筋肉の代わりに体脂肪として蓄積され、人体にとっての歴史の中で未経験の事態へと追いやって行く。飢餓の時代は食料が身体に入って来なくなる。そんな時、人の体では少しでもそれまでに蓄えられていた脂肪がエネルギーとして使われる。しかし、困ったことに脳細胞は普段から糖質をエネルギーとして使っており、脂肪は脳細胞では使われない。人の体はそのために脂肪からケトン体と言う物質を作り出し、それを脳細胞が利用するように適応した。蓄えられた脂肪が枯渇するまでに新たな食料を見つけ出し、飢餓から抜け出すまでの非常手段である。そんな「飢餓のケトン体」はこれまで軽視、いや蔑視すらされて来た。研究者は人が目を付けていないものを探す習性がある。そんな見捨てられた「飢餓のケトン体」に注目する人が現れ、近年、一気にそのケトン体が見直されて来た。ケトン体はブドウ糖以上に安全で、エネルギー源として有用で、遺伝子発現の調節や抗炎症作用や抗酸化作用、減量効果、老化予防や寿命延長効果、癌や認知症などにも有効であることまでが次々に明らかになって来た。ケトン体は何もサプリメントなどで摂る事もない。ただ米や小麦などの炭水化物や糖分を含んだお菓子や果物、飲料を摂らないようにするだけでいい。またココナッツオイルは血液中のケトン体の濃度を上げることが分かっている。人体は所詮動物に過ぎない。その動物は常に環境に長い時間をかけて適応するように進化して来た。人はそのことを忘れて、まるで万能でもあるかのように急速に食料を含めて環境を変えてしまった。そのツケが今自らの身体に逆襲を受けている。
山裾に咲いて来た水仙

高速道路

2016-03-24 19:17:04 | 社会
警察庁は今日、高規格の高速道の一部で一定の条件が整えば、最高速度について現行の100Km/時から120Km/時への引き上げを容認すると決めた。これまでも高規格の高速道では実際には120Km/時くらいだと黙認されて来ていたが。かっては欧州ではドイツのアウトバーンのように速度制限がなかった高速道路も現在は半分ほどは速度制限が設けられるようになっている。欧州の他の国でも120Km制限のところが多いようだ。日本の高速道路は先進国への仲間入りに遅れたこともあり、整備は1963年の名神高速道路で始まった。現在では「高速自動車国道」は日本全体の総延長で12,000Kmになり、「一般国道自動車専用道路」いわゆる自動車道は総延長2500Kmになっている。東北では南北に東北を縦断する東北縦貫自動車道を中心にそれを横断する三本の自動車道が整備されている。その三本のうちの一つが秋田市と釜石市を結ぶ東北横断自動車道釜石秋田線で、西側の秋田市と北上市を結ぶ秋田自動車道が1997年に先に開通し、東側の花巻市と釜石市を結ぶ釜石自動車道は一部が2002年に初めて開通した。しかし、この釜石秋田線は花巻と北上の間を東北縦貫自動車道を利用しており、距離的には実際は遠野から北上市に直線的に結ぶ方がずっと近い。花巻市に空港を設けたせいで、花巻へ迂回するように道路が設計されたのだろう。東北は岩手に限らず、一つの県の面積が広いところが多く、同じ県内であっても四国あたりと比べるとかなり距離がある。移動にはどうしても車が必要になる。それは鉄道の整備状況の悪さにも関係しているだろう。自分で車を持たなければ、生活がとても不便なのが地方なのかも知れない。特に高齢者では日常の買い物も車がなければとても不便だし、何よりも車がなければ行動範囲が限られてしまうだろう。ただ岩手に来て感じるのは岩手の人たちはとてものんびりしているせいか、車の運転マナーを無視して、マイペースで走る人が多いことだ。曲の多い山間部を走る一般道など、しばしば長い行列を作り、誰も追い越すことがなく、その行列はさらに長く伸びて行く。せっかくの自動車道なども70Km制限のところを60Kmで走る人がいて、その後をやはり長い行列が走る。市内の片側二車線区間でもその二車線が生かされず、無駄に時間を要することがある。心あるドライバーが先を譲ることもたまには見かけるが。1台見送ればゆっくり車線に合流出来るような場面で、無理やり横から入ってくる車にも何度も出会った。高齢者や女性に比較的多い。よく事故を起こさないものだと感心する。自動運転の車がいずれこうした問題を解決してくれるのだろうか。道路は地域にとって必要で便利でもあるが、一方で、地方を廃らせる面も持っている。地方から若者や働き盛りの人を流出させる。釜石など「復興」が終われば、急激に廃れて行くような気がしてならない。
白梅

自分の身は自分で守る

2016-03-23 19:11:17 | 文化
さすがに3月も中旬を過ぎて、4月に近付いて来ると、朝はもう氷点下になることがなくなった。しかし、一昨日は日中に小雪が舞って、さすがに東北の3月を思い出させられた。日射しも吹く風ももうすっかり春を感じさせてくれる。庭のサンシュユも黄色い花を咲かせ、薄紫のスミレも一輪咲いていた。福寿草も幾つかの蕾が開いて来た。椿はたくさん花を開かせて来た。あと一月もすれば、岩手の各所で桜が見られるようになる。 戦後、日本人は1980年頃までは10万人当たりの死亡原因のトップは脳血管疾患、つまりは脳卒中、脳梗塞や脳出血であった。しかし、1980年以後は癌などの悪性新生物がトップとなり、以後増え続けている。厚生労働省の統計のある1947年には悪性新生物による死者は10万人当たり70人であったが、2013年には290人にもなっている。脳血管疾患の方は125人から一時は190人まで増えた後、2013年には90人ほどに減っている。何故、現在も悪性新生物は増え続けているのだろうか。厚生労働省は「食生活の欧米化」を主因として上げている。では「食生活の欧米化」とは一体何だろう。かって、多くの日本の家庭の一般的な食生活はご飯に味噌汁、漬物、野菜の煮物、魚介類などが平均的な内容で、ほとんどが植物性の食材で、動物性のものは魚介類、それも常食というほどではなかった。しかし、それが今や米の消費量が半減し、パンの消費量が増え、そして肉類、卵、牛乳、乳製品などの動物性たんぱく質と油脂類が大幅に増えた。農畜産業振興機構によれば、年間の一人当たりの食肉消費量は1960年にわずか3.5Kgであったものが、2013年には30Kgにもなっている。30Kgの内訳を見ると、鶏肉と豚肉がそれぞれ12Kgずつで、牛肉は6Kgとなっている。鶏肉・豚肉と牛肉の栄養分の大きな違いは脂質にある。それぞれ100g中に3.9g、3.6g、10.7gとなっている。農林水産省が今月出した「最近の牛乳乳製品をめぐる情勢について」を見ると、1975年からのデータになっているが、牛乳も加工乳・成分調整牛乳も1980年代にかけて増えていたが、2009年頃からはいずれも横ばいで、一人当たり年間消費量は23リットル、3.6リットルほどであるが、チーズや生クリームの消費量は1975年以降一貫して増え続けている。「食生活の欧米化」とは動物性たんぱく質と乳製品(脂質)の消費量の増大である。この変化は身長と寿命を延ばしたが、同時に癌などの悪性新生物を増やして来た。そして生活スタイルも大きく変わり、社会の複雑化により、ストレス社会とも言われる。厚生労働省の「平成26年人口動態統計の年間推計」を見ると、死亡数126万9,000人で、死因順に悪性新生物37万人、心疾患19万6,000人、肺炎11万8,000人、脳血管疾患11万3,000人となっている。肺炎は抵抗力の落ちた高齢者の死因であり、その他は長寿化の中での毎日の生活の繰り返しにより生じた疾患である。肺炎以外の3つの死因で死亡原因の半分以上を占めている。これらは広い意味の生活習慣病と言えるだろう。食生活をかっての日本食の方向へ変え、ストレスを解消する方法を身につけることで、こうした疾患を避けることが可能になる。こうした病は自らの生活が引き起こしているとも言える。現在の医療は病の予防はしてくれない。予防はあくまで自己責任なのだ。
サンシュユ(白梅と紅梅を背景に)

野生動物の増加

2016-03-18 19:17:22 | 自然
かっては日本の山野だけなく平地でも野生動物がたくさんいた。多くの動物たちの天敵であるオオカミがいた時でさえ、動物たちはたくさんいた。しかし、明治に入り、狩猟手段として鉄砲が使われるようになると、動物たちの数は少しずつ減って行き、オオカミやトキのように種類によっては絶滅すらしていった。それらを含めて18種の種が絶滅したとされる。どの動物数もだいたい1960年代から1970年代にかけて、最低数となって行く。戦後の大規模な植林や地域開発によって、動物たちの環境が大きく変わり、生息出来なくなったからだろう。しかし、その後再び1980年代から動物たちが増え始めて来た。今では首都圏や名古屋、関西、福岡と言った都会でもアライグマ、ハクビシン、タヌキ、アナグマなどが出没するまでになった。これは都会ではそれらの動物が容易に餌をゴミ捨て場などから得られるためであることが大きな原因となっている。野生動物全体が増えているのは確かだが、その増え方には地域により偏りがある。北海道や岩手県、千葉の房総半島などでは鹿は増えているが、同じ東北の青森、秋田、山形などでは地域的なデッドデータとして見られるほど減少している。またクマも岩手では増えているが、四国や紀伊半島では絶滅が言われている。何故鹿が近年増えて来ているのか、原因として、三つの説が上がっている。地球温暖化により、動物たちが北上し、生息域が広がったためと言うもの。またオオカミと言う天敵が絶滅したから、増えたのだとするもの。最後に環境省が主張している狩猟者が減少しているからだとするもの。しかし、岩手県を見ると、鹿も増えている代わりに、狩猟者もまた増えており、環境省が言うように狩猟者が必ずしも減少してなくとも鹿は増えている。現在も環境省は長期的な野生動物の対策を考えておらず、目先の捕獲管理しかしておらず、ただ増えれば駆除すればいいとするだけで、日本の野生動物を今後どうして行くのか、基本的な計画が出されていない。北海道大学大学院野生生物保全分野の揚妻直樹准教授は近年の野生動物の増加は数だけを見れば、過去にもこうした数の野生動物はいたことを指摘され、近年の動物たちの増加を「不自然なもの」として捉えるのか、それとも過去のような豊かな動物たちに戻っている「自然な」動きなのか、そこをどう捉えるかと問いを出されている。これはとても重要なことで、どう捉えるかで、今後の対策が大きく変わってくるだろう。
山茶花

長寿と癌

2016-03-17 19:15:05 | 科学
昨年7月30日に発表された2014年の日本人の平均寿命は女性86.83歳、男性80.50歳となり、男女ともに過去最高を更新した。女性は3年連続世界一で、男性は2013年の4位から3位になった。日本人の寿命が何故これほど伸びたのか、食事を含めた幾つかの要因は上げられているが、正確には理由は分かっていない。100歳以上の684人を対象とした慶應義塾大学と英ニューカッスル大学の研究チームによる大規模調査っでは、細胞の老化は、体内の炎症が関係して、高齢者では加齢に伴い、症状がなくても血液中の炎症物質の数値が高く、長寿者ではこの数値が低くなっていた。また、染色体の端を守るテロメアと言われる構造の長さが細胞分裂ごとに短くなり、ある長さに達すると、分裂をしなくなり、老化細胞と言われるようになると言う。長寿は一方で癌の患者数と癌による死亡者数を増加させている。国立がん研究センターによれば、2015年の癌予測値は患者総数が982,100人で、うち男性219,200人、女性151,700人であり、2014年に比べ4,000人ほど増えている。男性では前立腺がん、胃癌、肺癌の順で、女性では乳癌、大腸癌、肺癌の順で多くなっている。日本人の死因の1位は癌で、2人に1人は癌になり、3人に1人は癌で亡くなっている。野生動物は癌が少ないと言われる。しかし、これは野生動物が過酷な環境で生きるために動物園や家庭で飼われる動物よりもはるかに寿命が短いからだ。野生のキツネやタヌキの寿命は3-5歳だと言われる。それが動物園では10歳近くまで生きる。人間の体では若い時から毎日3000~5000もの癌細胞が発生していると言われる。これは動物も同じで、野生では癌が発生するまでに死んでしまうが、動物園や家庭の動物は長寿ゆえに癌になる。毎日これだけの癌が発生していても、一定の年齢にならないと多くの人は癌にはならない。その理由は免疫力による。人ではその免疫力は27歳前後に最高となり、その後は低下して行き、47歳頃には最高時の半分にまで低下する。この免疫力の低下して来た40代から癌が増加して来る。人の持つ免疫力は自然治癒力と呼ばれるものであり、医療はその自然治癒力を助けているだけだ。分子生物学の筑波大学村上和雄名誉教授は、「極端な話になりますが、」と前置きした上で、「病気は医者が治すものではなく、医者は「ジャスト・ヘルプ(手助けするだけ)」」と言われているとされる。つまり、多くの病気は癌と同じく、その人の免疫力に関わって来る。そして、その免疫力が低下する要因には幾つかある。環境や食事、運動や睡眠の不足、低体温などが含まれるが、何よりも大きく影響するのが加齢とストレスと言われる。幸福感や愛情、笑いなどには癒しのホルモンと言われるセロトニンが分泌され、笑うと至福感につながるエンドルフィンも分泌され、精神的ストレスが緩和され、免疫力も増加する。加齢は遅らせることが出来ないが、老化は遅らせることが出来る。加齢とともに毎日を明るく楽しく、笑って過ごすことが大切になる。
職場の近所でもようやく椿が咲いて来た

日本史

2016-03-16 19:12:53 | 歴史
日本の歴史は学校教育の中でも歪められたまま教えられて来ている。学会では「邪馬台国」のあったところが北部九州か近畿かで争われ、決着がつかないまま、基本的に古事記や日本書紀に書かれていることが踏襲されている。しかし、弥生時代の圧倒的な遺跡は北部九州に集中している。この一つをとっても弥生時代である「邪馬台国」が北部九州であったと考え得る。卑弥呼の統治する「邪馬台国」と同じ3世紀に書かれた魏志倭人伝には「邪馬台国」ではなく、「邪馬壹国」と書かれていた。それを江戸時代の儒医で国学者でもあった松下見林が「ヤマト」と読めるように「壹」を「台」の誤りとして勝手に変えてしまった。以来、日本の歴史学ではこうした勝手な書き換えが横行するようになってしまった。亡くなった古田武彦氏はこうした勝手な史料の変更を厳しく批判された。恣意的な変更が許されれば、もう学問ではない。そのことは遺跡や遺物の存在を無視して、古事記や日本書記を踏襲する日本の歴史学のあり方についても言える。戦前には日本の初代天皇として神武天皇の即位した紀元前660年1月1日を近代の暦で2月11日であるとして、その2月11日を「紀元節」とした。それをそのまま戦後の1966年に「建国記念の日」としてしまった。しかし、そもそも神武の即位年を紀元前660年と考えたこと自体が誤りである。日本書紀に記された「天皇」の年齢をそのまま逆算して割り出した。神武は127歳にもなっており、崇神天皇119歳 、孝昭天皇114歳、成務天皇107歳 孝安天皇137歳 、応神天皇111歳 、孝霊天皇128歳、仁徳天皇143歳、孝元天皇116歳、開化天皇111歳などとなっている。古代の「天皇」は長寿であった、が前提である。これも古田武彦氏が明らかにされたように太平洋諸島に現在も残る2倍年暦である。今も神道では大祓(おおはらえ)が6月と12月にあるように、かって日本では現在の1年が2年として数えられた。したがって、神武で言えば63歳と半年ほどと言うことになる。おそらく神武は紀元後100年頃の人物だろう。しかも、神武の系統は途中で続いておらず、明らかに何度か天皇家は入れ替わっている。武家政権を倒した明治政府は国家統一の手段として天皇家を利用した。天皇陵も適当に決められてしまった。宮内庁が管轄する天皇陵は現在も研究調査されていない。許可されない。調査される不都合が間違いなく出て来るからだろう。他国に提示出来る「日本史」は今も存在しない。
クロッカス(ハナサフラン)

西行

2016-03-15 19:19:56 | 文化
中世の歌人、西行は藤原秀郷の9世孫とされ、武道に秀でて同年の平清盛とともに鳥羽院の北面武士となった。しかし、1140年、突然妻子がありながら23歳で出家した。出家はしてもどの宗派にも属さず、庵で一人暮らしていた。その西行が1145年頃に平泉に向けて旅立った。武士にも僧侶にもなり切れない自分を強く意識しながら。一説には100年前に陸奥を訪ねた歌人、能因法師のたどった道を歩いたとも言われる。西行は藤原氏の出で、当時奥州藤原氏としては二代目藤原基衡の時代だ。奥州安倍氏が滅んだ前九年の役(1051年~1062年)の始まる前である。もう一度は東大寺大仏建立に奥州藤原氏の資金援助を要請するよう朝廷から依頼されての陸奥行きとされる。1186年、西行69歳の時だ。この時代は京の都から関東へ至るだけでも3箇所の難所があった。鈴鹿(三重)、小夜の中山(静岡)、箱根(神奈川)である。小夜の中山で「年たけて また越ゆべしと思ひきや 命なりけり 小夜の中山」と詠い、老齢になってなお命のあることを自覚している。ただ朝廷からの依頼だけが旅の目的ではなかったろう。若き日に訪ねた平泉はすでに奥州安倍氏が滅び、奥州藤原氏三代目の藤原秀衡の全盛期であった。しかし、西行が訪れた年、秀衡には源頼朝からの無礼な要請が出始めていた。金を始めとする朝廷への献上品を秀衡が直接都へ献上するのではなく、頼朝を介すようにと言うのだ。この時、西行は頼朝にも会っている。西行は頼朝の陸奥に対して抱いていた思惑を読み取っていたのかも知れない。しかし、すでに西行にはそうした政争には関わる気持ちはなかっただろう。朝廷の依頼の実行も西行にしてみれば、単なる表向きの理由であったろう。人生の最後にもう一度陸奥を見て若い時の自分とどう違って見えるのか、感じるのか、それを知ろうとしていたのではないか。陸奥は平安の時代には歌どころとされていた。歌を詠むのに向いたところがたくさんあるとされていた。武士にも僧侶にもなり切れなかった西行は歌人として最期を迎えたかったように思う。
奥羽山脈